2009年10月31日土曜日

午後から にぎやか

マルシア:
九時半頃に出発しました。
これから常磐道・友部サービスエリヤで 
お姉ちゃんと子供達と合流、一緒に山に向かいます。
途中でスーパーに寄って、バーベキューの材料を
買いたいと思います。何か買って欲しい食品などがあれば 
教えて下さい。途中で、お風呂も済ましたいと思います。
船引三春で下りる予定です。休みながらノンビリ行きます。
子供達がものすごくうるさいので、
心の準備をしておいて下さい。m(__)m。
それでは、よろしくお願いします。m(__)m

私:
了解です。
船引三春でおりるか。
それでは 288と349の交差点から右に見える
リオンドールと言う 新しい大きなスーパーがいいですよ。
米と味噌がないです、炭はあります。
バーベキューは今晩の予定かな?

それで、余裕があったらの お願いですが:
リオンドールの隣のダイソー(100円ショップ)で造花を
買って来てください。とは言っても 花ではなくツル植物です。
ツタのようで、しかも葉が小さいのがいいです。今小屋に
あるのは秋なのに あまりに青々としていて ヘンです。
もし無ければ、秋のものならなんでもいいのです、花でもツルでも。
ダイソーのレジ付近にあるはずです。
でもこれは 無理して買うことはないです。
余裕があれば、の話ですから。

今日は晴れかな と思っていたら曇りです。
少し寒くなって来ましたよ。
夜のバーベキュー、南デッキで、大丈夫かな。
夜でない方が いいかもよ。

子供達のこと、大丈夫です。
「ノンビリ ゆっくり」、ハイ、ゼヒそうして下さい。
それでは。

鳩を放て

箱舟はこの時代のエクレシアです。
その中に入れられた者達は 
水に覆われた古い死の世界から
「新しい人」と言う領域に移された人達です。
彼らは「新しい人」のカバーリングの故に 今や
古い世界を超越し、完全な救いを得ています。

しかしながら、
彼らはまだ、次の時代に「着地」したわけではありません。
彼らは今まだ、足の下に 死と絶えず接点を持ち
水の「底鳴り」の脅威を感じざるを得ないでしょう。
彼らは未だに 四隅を区切られた時空という
限界の中にいるのです。

しかし、これは単に時間の問題です。
箱舟の中の者達は 次のステップが 
まじかな現実であることを よく知っています。 
箱舟の中の種々の交わりは、下界の死の水の量に反比例し 
徐々に、しかし確実に その確かな希望と興奮が
増し加わって来るでしょう。

この時代、ノアのするべきことは一体何でしょう。
それは鳥を放つことです、鳩です。あなたは
この時代の末、自分の手と言う限界の中から 
あの聖霊であられる
「無限の生き物」を 外に解放しなければなりません。 
あなたがもしそうするならば、
鳩は ゼルバベルの手の中の「下げ振り」のように
この死の世界の全地を 隈なく行き巡るでしょう。

そして鳩はまもなく 死の世界から甦った
次の時代の 小さな美しい萌芽を
あなたの手に持ち帰るはずです。
その知らせは 箱舟の者達の交わりを 更に豊かに
新鮮な不思議、驚き、喜び、そして賛美で満たすでしょう。

その全く新しい
誰も聞いたことのない彼らの喜びと賛美こそ、
間もなく彼ら自身が、この四隅のある限界から抜け出し、
新しい無限の天地に しかと降り立つ日の
確実な前触れとなるのです。



鳩は 時空を超えた復活のキリストです。
ゼルバベルの下げ振りは、ゼカリヤ4の9、10にあります。
「行き巡る」は原文では全地球を「あちこち走り回る」のようです。
(黙示録5の6も参照してください)

2009年10月30日金曜日

小さな前置詞

アンドロニコとユニアスは パウロよりも先に キリスト「にある」者と
されました。(ローマ15の7)
新約聖書に頻発するこの キリスト「にある」とは 一体
どういう意味なのでしょうか。大げさかも知れませんが、
その点にこそ、新約における総ての祝福のキーが隠されてある 
と私は考えております。

・父、子、聖霊の御名「の中へと」バプテスマを授け・・(マタイ28の19)
・キリスト・イエス「の中へと」バプテスマされ・・(ローマ6の3)
「~にある」は英語の場合 in という小さな前置詞です、「~の中へ」は 
into です。inは 動作を表すinto の結果の確定、安定した状態を表すの
でしょう。時にそれらの状態は これらと似たon やontoという前置詞で 
表現される場合もあるようです。on は深い密着や結合を意味し、
in は更に完全な一体化を意味するでしょう。
だから要点は「接合、結合、一体化」です。

しかしながら私達は それだけの知識で、分かりました等と言うわけには
到底行かないように思われるのです。パウロがそれら inやonという
単語を使用した際、彼は一体「キリストと信者間の どういう状態」を表現
したかったのでしょうか。それこそが正に私達の知りたいことなのです。

いずれにしろ パウロのメッセージの(彼は書簡中in を数10回も使用した)
またイエスの強調点(たとえば最後の晩餐の席上での中心ポイント)の
真の意味を解く鍵は 総てこれらの点にかかっている、とさえ
思わされるのです。

しかし、今日これらの小さな前置詞以上に、キリスト者達によって
無視されている重要単語はありません。「キリストにあって」や
「在主」は単なるキリスト者間の挨拶か、言い回しに窮した際の便利な
逃げの方便として利用されているようです、と思うのは
私だけなのでしょうか。

しかし、私達はそうであるべきではありません。是非 これらの小さな
前置詞の「意味、内容」に強い関心を抱くべきです。ところが、人が
これらの前置詞の 字句上の意味を知るだけでよしとするならば、
そういう状態は恐らく その人の上でむしろ
有害なものとなるでしょう。

今日それらの前置詞によって 意味される実質、内容が 永遠をも包含する
という有効性と価値は 私達の 真剣な追い求めによって悟られる
だけでなく さらに経験され 味わわれることによって 
真に証明される必要があるだろう、と考えております。


ギリシャ語に精通されている方が
ギリシャ語と英語におけるそれらの前置詞の意味上の差異に
ついて 教えて下されば幸いです。(もしもあれば)

2009年10月29日木曜日

今日あす

ケンの退院は まだ少し先のようです。
だから、下山は多分、来月6日となります。

レンジフードの取り付けには そのための準備工程が幾つかある
ことが分かりました。ですから今回は無理かも知れません。

今日あすは 客人のための準備の日となります。
通常の準備の他、
・床板を張る、
・ダイニングテーブルの脚を高くする、
・浴室のシャワー用フックを増設する、
・子供がガラス戸に激突しないために目印をガラスに貼り付ける、
等が出来ればいいかな。

週間予報、田村市 3日の最低気温は2度と出ております。
ここは0度でしょう。もう来ましたよ。

2009年10月28日水曜日

近況です

今年はどうしてでしょう、紅葉がことさら美しいのです。
イヤ 四方八方 実に美しい。
この時間、ロフトから朝日に輝く南の森を眺めて見ると、今は
紅よりも、アオハダ、コシアブラ等の黄色が主体ですね。
その黄色が落ちかけると、今度はモミジ等の赤が目立つように
なるのでしょう。

今週末から 二泊三日で マルシアとセージ、そして一才の 
あのアイリちゃんが来ます。そして今回は 
セージのお姉さんと その二人の子供達も来られるとか。
週末の小屋は突如として賑やかになります。

工事の方は、内装そっちのけで、ずうっと真冬の凍結対策に
掛かりっきりです。水道管は 断熱材を全部巻き終わったのですが、
今は水道管が集中している地下のボイラー室自体の防寒工事です。
壁と床のありとあらゆる 寒風が入り込む隙間を埋めなければ
なりません。真冬の山暮らしも中々よいものですが 
水道凍結だけは どうか勘弁願いたいものです。
そこまで来ている極寒も、これで何とか
乗り切れるといいのですが・・。

そうそう、今回は有難い。
背の高いセージの手を借りて、台所のガスレンジの上につける 
何年も前に買っておいたレンジフード(換気扇)を取り付けようかな
と思っております。これは一人ではとてもムリ、
セージさん、どうぞよろしく。

2009年10月27日火曜日

進むべき行程から


「私が進むべき行程」から
少し横道にそれるだけで、唯それだけで、
私の命運は とても容易なものとなるだろう。
しかし、私は確かに知っている、
わが主は 何と過酷な行程を進まれたかを。


それ故 私はこの世を全く捨て去り 
その結びつきを 総て断ち切る。
私の行く道は なお狭きものとなり
世は総て 私に敵対して立ち上るであろう。


人々は 顔をしかめ、軽蔑してあざ笑うとしても
私は 主の笑顔のみを慕う、
ひとえに 彼の「よくやった」を願う、
地上のこの つかの間の時間の中でこそ。


偉大さを追い求めまい、
地上の栄光を追い求めまい。
ただ身を低くし 主にのみ仕えたい、
かの日、彼の誉め言葉を得んがために。


私は今 
「あの裁きの座」から来るその光を見つめる。
総ての私の生き方と働きが、
「かの火のテスト」に耐え得るために。


人々は総てをかけ
自分の成功を求め、栄光と富と名声を追求し、
自己の偉大さや 自分の追従者、
そして自身の栄誉を獲得しようとするだろう。


しかし私は
魂の中の繁栄ではなく、
ひどい孤独と貧困の中でさえ 
「彼」に忠信に従うことを求める、
あのゴールに到達するに至るまで。


私は知っている、地上におられた時 
主の歩まれた道は唯一つ 
あの十字架に向かう道であったことを。
それ故、私も彼と共に 
ただ損失をこうむることを願う。


総ての私の光栄は「かの前方」に備えられている。
それ故 ここで 私は総てを耐え忍ぶ。
主の御前において、主を差し置き、
今 自分の栄誉を求めることなど出来ようか。

10
しかし、来たるべきかの時、私は栄誉を賜るだろう、
主御自身 総て私の涙をぬぐい取って下さるという。
それ故 今この時代 忠信に 私はただひたすら前に進む、
私の主が出現される かの日に至るまで。



この詩は W. ニーが拘束される かなり以前に
書かれたものです。例の証同様、在米のある日本人が
送って下さいました。ただしこれは 
「英語訳からの」一つの試みの訳に過ぎません。


2009年10月26日月曜日

W. ニー最後の手記

強制収容所から、「祖父」が召されたという連絡があった。
彼と苦しみを共にした収容所の友人の話によると、彼の心臓の
病が非常に重くなり、トラクターに乗せられて40キロ離れた
病院に連れて行かれた。
その旅は荒れた山道を行くものであった。
その病院に行く途中で彼は主の元に召されたのである。

死ぬ前に、彼は、枕の下に大きな震える文字の書かれた
1枚の紙を残しておいた。
彼は生涯を通じて保ち続けてきた真理について
証しをしたかったのである。

「キリストは神の御子であられます。
彼は人々の罪を贖うため死なれ、
3日後によみがえられました。
これこそ、宇宙における最も大切な事実です。
私は、キリストを信じながら、死んで行きます。」
(クリスチャン新聞 1993/4/11号)


・W.ニーの逝去、
それは1972年5月とされています。
・吳友琦さんの文章から見ると、最後に農耕機に
乗せられてW.ニーが向かった先は病院でなく、
囚人のための他の施設であった、とも取れます。
しかし、あくまでこれは想像の域を出ません。
・W.ニーに子供はおりませんでした。
従って上に「祖父」とありますが、その人は
血縁上の孫ではありません。
・孫友琦さんの中文、英文の証は 
私Sugar が 先日ある在米の日本人からいただいたものです。

最後の詩

哭千聲,喚千聲,     
何回も泣き、何回も叫んだ。

卿聲我慣聽,緣何卿不應?  
聞き慣れた君の声、なぜ返事がない?

我看到這首詩,就在下面和道:
私 ウー・ヨーチーはこの詩を読み、
下に続きを書いた。

横報告,豎要求,       
報告もしたし、請願もした。

奔喪人長情,奈何不批准?
喪主は(妻を)一途に愛しているのに、
なぜ許可してくれない?


哭    泣く
千    千、または数の多いこと
喚    叫ぶ
卿    古語で男から女を言う時
應    返事をする
豎    縦
奔喪人  葬儀の参列者、
(ここはニーさんの事を指すので喪主としました。)
長情   一途に愛する、愛情が深い
奈何   なぜ
批准   許可する


この解説は 先回の香港出身のキリスト者の
姉妹に再度お願いしたものです。
本当に有難うございました。

2009年10月24日土曜日

獄中のウオッチマン ニー(最終回)

その 9ヶ月後、
あろう事か、彼の身柄は白雲山(バイユン山)に
移されることになりました。
白雲山、それは東方の 正に草深い僻地でした。

その日が来ました。
歩くことさえできない 心臓病に苦しむ老人、
アンクル ニーが 唯一人 トラクター(農耕機)
に乗せられ、私たちに別れを告げました。
・・・
そして、その僅か3日後 
私たちは 彼の訃報を聞いたのです。


肉体的な苦痛以上に、ニー兄弟は精神的に大いに
苦しんだと言えるでしょう。彼はその生涯、言語に絶する
様々な辛苦を味われ、しかしそれらを耐え忍ばれました。
にもかかわらず、その報いとして彼が 自分の手の中に獲得し 
また与えられたものは 何一つとしてありませんでした。

しかし、私達は確かに言うことが出来ます、
彼は「なければならない唯一のもの」また
「尊とさの極み、主御自身」を獲得したのである、と。
そのようにして彼は、その生活と人生を通して、
私達に「ただ主御自身のみを」指し示したのです。
彼は一個の はかなく貧しい土の器に過ぎませんでした。
しかし神を賛美します、
その土の器の中には、尊い 尊い宝、
主なるイエス・キリストが存在しておられたのです。

今日、私たちは自由です。
そして自由に叫ぶことが出来ます、「主よ、あなたを愛します」と。
私達は今 どこにいても「主よ、あなたを愛します」と
自由に叫ぶことができるのです。
しかし、極左政権の支配下において、彼には
それさえも許されませんでした。
ニー兄弟はその生涯をかけて、主を愛しました。
しかし、その20年間、厳しい制限の下に置かれ、ただの一度も、
声に出して、「主よ、私はあなたを愛します」と言うことさえ
許されなかったのです。
想像してみて下さい、もしあなたが20年もの間、母や、妻や、
子や、愛する家族に、「あなたが大好きです、あなたを愛しています」と
言うことができないとしたら!けれども、
アンクル ニーは黙って その全てを耐え忍ばれたのです。

しかし、今日私達には それが許されています、それが出来ます。
何と私達は幸いな者達でしょう。
ですから今 私達は彼に代わって叫びましょうか。

「主よ、私はあなたを愛します。」
「主よ、私はただあなたのみを愛します。」
「主よ、私はあなたを 心から愛します!」

獄中のウオッチマン ニー(12)

ある日の昼時のことです。
私が労働から戻って見ると、ニー兄弟は 彼の顔 全面を涙でぬらして
おられ、そして言われました「妻のアンティー ニーが死去したのです」
それを私に告げられた時の ニー兄弟の悲しみは 極めて
甚大であったことは 容易に感知できるものでした。

しかし私は 何とか言ったのです「アンクル ニー 悲しまないで。
今度こそ、彼女の葬儀に出席できるように、もう一度 請願を提出して
見ましょうよ。」私はその時 いくらなんでも今度だけは許可される
のではないか と思ったのです。

そのようにして 申請が提出され、大きな期待の中で待ったあげく、
しかし、この度でさえ、彼に対する国家の判断は極めて過酷な
ものであったのです。役人は言いました、
「いずれにせよ、彼女はもう死んだんだろう。あんた達が行って、
今更、何ができると言うのかね?」

その時、しかし アンクル ニーは既に 
主だけを愛し、主だけを求めておられたのです。
ただ堅く主のみを信じ 彼は、心痛のすべてを耐え忍ばれました。
以下は その極度の悲しみの中 或いはその後に詠んだ、彼の詩です:

哭千聲,喚千聲,
卿聲我慣聽, 何卿不應?
我看到這首詩,就在下面和道:
場ヌ報告,豎要求,
奔喪人長情,奈何不批准


ニー兄弟は総てをかけて主を愛しました。それ故、このたびの
出来事においても 恐ろしいほどの苦悶を味わわれたはずです。
しかしながら、数日後には、彼はその悲しみから抜け出し、
その生活は 全く以前通りに回復されていたのです。
そしてその後も 彼は、主の御前において一人密かに祈り、更にしっかりと
その肉体の中における「彼の最期」を生きられたのです。

2009年10月23日金曜日

詩の訳の試みを寄せて頂きました

*その詩は(9)にあります*
SUGARさん はじめてお便りさせていただきます。
今まで一度も書き込んだことはありませんでしたが、
毎日読ませていただいており、励ましを受けております。
早速ですが 長男が縁あって香港の方と結婚しましたので、
昨日この詩を訳してほしいとメールをしましたら
(私どもの家から車で1時間ほどの所に住んでおります)
以下のような返事がきましたので、そのまま貼り付けさせて
いただきます。
嫁は、まだ日本語がなめらかでないのですが
参考になればと思います。
私どもは主にあるものです。主を賛美します。


お母さん、
このブログと詩を読みました。この詩は深いから、日本語で
説明することはちょっと難しいですが、書いてみました。

彼此依依相見?---お互いに慕い思っていたが 会えるのは遅かった。
主有安排難預感---主には計画があるが、私たちにはそれを知る
                      ことができない。
本是同袍同澤人---私たちは元々同じ上着を着ていた同志だった。
皖地重逢敘忠悲---安徽(地名)で再会し、忠義と悲しみを味わった。


彼此---お互いに
依依---慕い思いている
相見---会う
安排---計画
預感---予感
本是---元来、元々
同袍---同じ上着
澤人---澤人っていう言葉は聞いたことがないけれど、
ここでは同士や仲間という意味がある
皖地---昔 安徽(地名)は皖と呼ばれていた
重逢---再会する
忠--- 忠義
悲--- 悲しみ

★Sugar:
本当にありがとうございました。

獄中のウオッチマン ニー(11)

1971年のある日、役人がニー兄弟宛てに 彼の家から送られた
一通の手紙を 私に手渡しました。
その手紙は何と、彼の妻アンティー ニーが椅子から転げ落ちて、
骨折し、 緊急入院したとの知らせだったのです。

私はニー兄弟に先ずは「心配しないように」と伝えました。次に
私は彼に対して、請願書を書くように、即ちニー兄弟の上海にいる
家族への訪問許可を求める申請書を書くようにと勧めました。
私は 彼に付き添って上海へ行くつもりだったのです。

さて実際の所、ニー兄弟と私は、とうに刑期を満了しており、正しい
権利の上では、もはや囚人ではないのでした。
所が、あろう事か 1966年、中国に文化大革命が起こり、
たとえ刑期満了した囚人でも、一切の釈放と言う釈放が禁じられて
しまっていたのです。
それでも、ある規則によれば、私たちは年一回、家族のもとを訪れ、
半月間だけ 家族のもとに滞在することが許されていました。

妻が重傷を負うと言う大きな事が起こったのだから、当局も一度
くらいは、彼を家に帰らせてくれるだろう、と私はふんだのです。
初めのうち役人は、よく考慮しようと、ニー兄弟に告げました。
ところが後になって、彼らはニー兄弟に対して
「あんたは重い心臓病で歩くこともできないのに、
どうやって上海まで行くんだ?」と言いました。
その時ニー兄弟は、私(友琦)が彼に同行します、と伝えました。
すると役人は、それでは、このことについては更に考慮しなければ
ならない、と答えました。

私たちは半月も待たされたあげく、尋ねると、彼は
今度は 眉を釣り上げて言ったのです、
「あんたたちが行ってどうなるんだ?あんたらは医者じゃないだろう。
それに あんたの妻の病状はもう回復している、そう報告を受けている。
請願は考慮したが、認可するわけにはいかない。」
ニー兄弟は一言も抗議しませんでした。そして私にもそうさせません。
私たちは ただ黙って私達の場所に帰ったのです。

その時 ニー兄弟は人に気づかれないように祈っておられたのです。
幾人かの人や役人は、彼の唇が動くのを見ていぶかり、私に尋ねました。
「ニーは祈っているのではないのか?」
私は答えました「違います。彼は気功をやっているだけです。」
しかし私は知っていました、その時アンクル ニーは一日中 
祈ることをやめなかったのです。

獄中のウオッチマン ニー(10)

その時、彼の病状は非常に重く、そして更に老化が進み、
事実 やっとのことで歩いている と言うのが現実の姿でした。
私たちの寝起きしている所から、食堂までは、60~70メートルも離れて
いました。私たちの居住地は低い所にあり、食事の場所は坂の上の
道路付近にありました。食堂まで行って、ご飯を運んで来るためには、
二つもの丘を越え 更に、道路を横切らなければなりません。
弱り果てたニー兄弟には それは到底不可能なことでした。

ですから、毎日、私が彼のために、三度の食事を運んだのです。
所がある日、役人が私を執務室へ呼び出し、言ったのです。
「なぜあなたは毎日、ウォッチマン ニーの食事を運んでいるのか」と。
私は答えました、「彼は年を取っており、病気で身体が弱っています。
彼が丘を二つも登ること等 とてもできません。
だから、私が彼のために食事を運んでいるのです。
これは当然のことではないでしょうか。」

ところが、思いもよらないことに、役人は怒った顔で言ったのです。
「そんな事はデタラメだ。ニーは仮病を使っているのだ。ニーに 自分で
食事を運ぶように伝えろ。おまえはもう二度と運んではならない。」
しかし、彼らがニー兄弟に対して 単に嫌がらせをしていることは
明白でした。だから私は、彼らの言葉を気にとめませんでした。

所が、数日後のことです。
私が食堂から食べ物を運ぼうとしていた時、
厨房にいた係りが私に言いました、
「今後いかなる人も ウォッチマン ニーの為に食事を運んでは
ならない。これは上部からの命令だ。だから彼はこれから 自分で
食事を取りに来なければならない。」
その時に至り、私は最早 アンクル ニーに 一部始終を ありのまま
話すしか なすすべがないことを知りました。

私は彼が聡明な人であることを知っていました。
そこで私は、「何か良い方法がないものでしょうか」と彼を
促したのです。私は 彼のそばに座って、ニー兄弟が何か良い考えを
思いつくのを待ちました。しばらく待った後、ついに彼が口を
開きました。彼は言いました、
「私は総てを、あるがままに任せたいと思います。」
私はとても驚きました。それは、彼が総てを 状況に委ね、
ただ、主の主権の中の采配に従いたい、ということなのです。
しかし私は心配のあまり 彼に言いました。
「どうしてあなたは そんなことが言えるのですか、
あなたは生きたくはないのですか、食べたくはないのですか!」

しかしながら、その時 私はそれ以上 彼に抗議をしたくは
ありませんでした。それで私は、自分の食事を 彼に分けて
食べさせる以外に方法はない、と思いました。

その時です、主を賛美します。主は 私のような愚かな人間にも、
あるアイディアを下さったのです。それはこうです:
私はその時まで、「5両の」ご飯しかもらっていませんでした。
けれども、私は係りに 重労働の故に、もう一両ください、と
申し出ることができる事に気がついたのです。
係りが そのことで疑い持つことはあり得ません。だから、
私は 6両のご飯を居住地に運んで来て、ニー兄弟に 
2両 食べてもらうことが出来るのです。

彼は年を取っていますから、それで十分でしょう。
私は4両 食べます。私にとっては それは今までよりは
少し少ないのですが、まあ何とかなるでしょう。

そのようにして、私たちは 毎日食事を分け合うことになり
この大きな難局を どうにか切り抜けることが出来たのです。

2009年10月22日木曜日

再び訂正です

①(9)に出てきた「労働農場」は「労働改造農場」と
するべきでした。
②二人が再会した時の詩は、合作ではなく、
著者一人の作ではないかと推察されるようです。
「相遇時我們倆都很感動,我寫了一首詩」という
中文から見て。

・なお、ハンガリーの詩人裴多菲とは、
ペテーフィ・シャンドールのことです。

獄中のウオッチマン ニー(9)

私は以上のようにして、ニー兄弟を通して 獄中で救われました。
さて、ニー兄弟は獄中において決して、高いところに立ち、
両手を挙げて叫んだわけではありません、
「皆さん、あなたがたは皆、神を信じなければなりません!」と。
そうやって、何万人もの人々が彼によって回心したのではないのです。
また、ニー兄弟は獄中で、共産主義政権と闘い 糾弾、打倒して、
監獄の英雄になったわけでもありません。
そんな話はウソです。
真実はただ一つ、それは、
彼はただ 信仰を堅く保ち、決してそれを捨てなかった事です。

私たちは事実を語らなければなりません。
私は今 キリストにあって、ウソでなく、真実を語っています。
私の良心は聖霊によって感動し、御霊が私に証をさせているのです


時が経過し、私たちが二度目に会ったのは、
安徽(アンフェイ)省にある白茅嶺(バイマオリン)労働農場でした。
そこで、私たちは 更なる5年間を共に過ごしたのです。
再会した時、私たち二人は感動し、共に詩を一遍、詠みました。

彼此依依相見 ,主有安排難預感;
本是同袍同澤人,皖地重逢敘忠悲。

獄中のウオッチマン ニー(8)

私はニー兄弟に言いました、
「そんなにまで 神を信じるなんて! 
私には あなたという人が分かりません…」と。


兄弟姉妹の皆さん、
若い頃、私は あるハンガリーの詩人(裴多菲)
による一つの詩を学びました。彼はこう書いています、

生命誠可貴,愛情價更高; 若為自由故,兩者皆可 。
人の命はまことに貴いが、愛情の値はさらに高い。
しかし、自由のためならば、私はそのどちらを捨てても構わない。

この詩は、自由がどんなに貴いかを物語っています。
本日、人民政府は ニー兄弟にその尊い自由を与えようとしました。
しかし、彼はそれを願わなかったのです。
ニー兄弟は唯一、ただ主のために、彼の生活も、愛も、
そして獄中からの自由さえも放棄したのです。
彼は その三つとも全部を 捨て去ったのです!

私はそのようなニー兄弟に接した時、それほどまでして 主だけを愛し、
主のみを信じる人がここにいる、と言う事実に 実のところ、
大きな感動を覚えていたのです。

共産主義者達は、どうにかして ニー兄弟の魂を脅やかし、彼の魂に
深刻な打撃を与えようと目くろんだのでしょう。彼がどうしても信仰を
捨てなかったので、敢えてニー兄弟の眼前で あの二人を釈放したのです。
けれども、ニー兄弟は動じませんでした。彼の魂は動かされませんでした。

しかし、私の魂は動かされたのです。
私は この人、ニー兄弟は 障害者や、精神を患っている人ではなく、
極めて正常な人であることを知っていました。だから、彼が それほどの
代価を払ってまで 主を信じるには、何か格別な理由があるに違いない
と思ったのです、言い換えればイエスを信じることには、きっと 
それほどまでの「値打ち」があるに違いない、と確信したのです。だから、
その時 私も ニー兄弟と同じように、イエスを信じたいと願うに
至りました。そして実際 その瞬間から、私は遂に主を信じ始めたのです。

どんな人でも 主を信じるべきです。
あなたの罪の贖いのために、主が必要です。
あなたの救いのために、主イエスが必要です。

ある兄弟姉妹は私に尋ねます、回心にあたって、あなたはニー兄弟の
どの著作、どの論説を読んだのですか、と。
私は答えます、「主を信じる前、私は彼の文章を読んだことは
一度もありません」と。
私は彼の文章を読んだから 主を信じたのではないのです。
彼と知り合った時、私はまだ信仰を持っておらず、それまで 
彼の文章を読んだことなど全くなかったのです。そうではなく、
私は言わば「彼の人格を読んだのです」それ故に、主を信じたのです。

中国のことわざに こうあります、
「言葉をもって教えることは、身をもって教えることに勝ることはない」 
私は 彼の実際の人間、その姿、行動を見、それが私に感染して、それで
主を信じたのです。ニー兄弟は一人の弱い普通の人間に過ぎません。
しかし私は 彼と言う人を 私の個人的な感性を通して知り、それで主を
信じたのです。このことは私に とても とても深い影響を与えました。

2009年10月21日水曜日

獄中のウオッチマン ニー(7)

ある日、役人がニー兄弟を監房から外へ連れ出しました。
ずいぶん時間が経過し、昼食時間も終わったのに 彼は
戻りません。だから私はニー兄弟のために、彼の昼食を包んで
取っておきました。以前の私なら、彼のことなど気にもとめず、
捨ててしまったことでしょう。
彼が戻ってきました。彼は 少し動揺した様子で 床に腰を下ろしました。
私は尋ねました、「何があったのですか?」 

彼は言いました、「彼らは私に信仰を捨てるようにと言ったのです。」
私「で、彼らの言うことを聞いたんですか。」
「いいえ、聞きませんでした。」続けて彼は言いました、
「彼らは私に、もし私が彼らの言うことを聞いて信仰を捨てるなら、
すぐにでも私を解放して家に帰す、と告げました。」
私、「しかし、あなたは従わなかったんですね。」
彼、「従いませんでした。」

彼は更に言いました、
「そこには もう二人いました。そのうちの一人の姓は藍(ラン)、
名前は錫章、もう一人は張(チャン)でした。ランさんは上海の
有名な病院の院長です。チャンさんは ある県の知事でした。
二人ともカトリック教会の著名な信者です。」
私は尋ねました、「で、その二人はどうしたんですか?」
彼は答えました、「二人とも信仰を放棄しました。そのことは 
ここの人々にも 間もなく分かるはずです。」

それからすぐに 獄内放送が響き渡りました。
監長がアナウンスをしました。
「ここに二人の囚人がいる。政府の再教育を通して この度 
彼らは自分達の思想を転換した。今 彼らの態度はとてもよくなった。
彼らは信仰を公に捨て去り、そして今彼らは 反革命的見解を
放棄したい と願っている。これから その二人が話をする。」

そして、ランとチャンが話し始めました。
彼らはまず自己を批判し、次に言いました。
「カトリック教会は、帝国主義と反革命に支配された諜報機関である。」
「自分たちは 今までその宗教に欺かれて来たが、政府の再教育を通し、
私達は公に宗教の迷信を捨て去り、反革命的集団を離れ、徹底的に
悔い改めます」と。何と二人とも 激しく泣き叫びながら、その告白を
したのです。

彼らが話し終えた後、監長が宣告しました。
「獄長の許可を受けて、この二人は刑期を短縮され 今日、家に帰る」と。
兄弟姉妹達よ、これを聞いて、私を含め 監獄中の囚人達は非常に大きな
衝撃を受けたのです。

私は次に、目の前にいるニー兄弟をじっと見つめて言いました。
「あなたは たった数日前おっしゃっいましたね。あなたの奥さんは 
とても素敵な人で、あなたたち夫婦は 深く愛し合っているのです」と。
あなたは言いました「しかし、妻は重い病気のために、今危険な
状態であり、私はとても心配しています」と。

「今日、人民政府はあなたを釈放しようとしているのです。
あなたはたった一言 信仰を放棄します、と言いさえすれば
あなたは解放されるのです。ホンの少し 口を開きさえすれば、
あなたは家に帰れるのです。何故あなたはそれをしないのですか!
それを拒否するとは あなたと言う人は一体、どういう人なのですか。
そんなにまでして、あなたは あなたの神を信じると言うのですか! 

2009年10月20日火曜日

獄中のウオッチマン ニー(6)

私は声を上げて泣きました。
たとえ私の泣き声が監獄中に響き渡ろうと、気にもとめませんでした。
看守がやって来るでしょう。そして仮に私を殴り、銃で撃ち殺そうとも
私は構いません。私の家族はぎりぎりのところまで追い詰められている
のです。私はもはや 死んでもいいのです。
しかしながら、不思議なことに、その時 看守がやって来る様子は
ありませんでした。

私は泣き疲れて ついに泣くのをやめました。
その時ニー兄弟は 私に涙をふくタオルを差し出してくれ、
喉の渇きを癒す飲み水を持ってきてくれたのです。

私たち二人は床に座り直し 私は初めて彼と話をしました。
私は 自分の境遇について彼に語りました。意外なことに、ニー兄弟も、
何の隠し立てをすることもなく、彼について 彼の家族をとりまく状況
について話してくれたのです。その日を境にして、私たちの会話は
だんだんと多くなって行きました。

彼は 自分がとても忙しい身であったこと、彼はクリスチャンであり、
彼の妻も、彼をとても愛していること、彼の妻は重い高血圧を患って
おり、低い方は104,105、高い方は200以上もあり、いつ死んでも
不思議ではない とのことでした。全ては主の守りと憐れみの
おかげです、と言われました。

彼は 早く刑期を満了し、出所して妻と再会することを願っていました。
彼は言いました、もしも 彼の刑期が少しでも長引くことがあるならば、
彼が彼の妻に会うチャンスは二度となくなるであろうと。
彼の妻も、私の妻と同様、とても夫を愛しているようでした。

彼は その他のことでも 多くを話してくれ、二人の会話はますます
親密なものとなって行きました。彼は「クリスチャンは 国の指導者に
対しては反対することができません。なぜなら、彼らは 主によって
立てられたものであるから」と言いました。
そして、彼は私に福音を語り始めたのです。

彼の話を聞いて私は考えました。私は自分のことを 全く無実であると
思っているが、そのようにして見ると、彼も無実のようだ。彼も政府に
反対しなかった、クリスチャンは指導者達に反対しない、なのに、彼は
反革命と見なされた。これも全く不条理極まりないことではないか。

そこで私は彼に尋ねたのです、「あなたは こんなひどい状況が
与えられているのに、それでもまだ 主を信じるのですか」と。
彼は答えました「ハイ、信じます。仮にあなたが信じなくとも、
私は信じます。なぜならば、あなたには見えていないとしても、
私には見えるからです。」
これは 彼が言ったこと そのままの引用です。それは彼の短い
言葉でしたが、私はハッキリと覚えているのです。

24年前 ある兄弟が私を訪問しました。私は彼に「あの奇跡」について
語りました。私は言いました、それは私には理解できないことであったと。
なぜ私は手を上げようとしたのに上げられなかったのか、私の力は
とても強かったのに、彼が私の手を握った時、振り払おうとしても、何故
それができなかったのか と。しかし、その兄弟は納得した様子で
言いました「あなたは自分では決して手を上げられなかったでしょう。
何故ならそれは 主があなたにそうさせないからです。」

それを聞いて私は初めて理解したのです、「私は卑しい人間に過ぎず、
実は 主の方から私に来て下さったのだ、私を見つけ出して下さったのだ、
私を選んで下さったのだ。私はこれからも決して自分からは 
手を上げることなどできないだろう」ことを。

今やニー兄弟と私との関係はとてもよくなり、更に多くのことを話し合う
ようになりました。あの精神疾患の囚人も嬉しそうに、私達のそばで 
ずっと笑っているのです。彼も沢山話をしたのですが、私にはほとんど
理解できません。最も分かる時で、半分くらいでしょうか。しかし
アンクル・ニー(ニーおじさん)は彼の言うことすべてを理解しており、
それを私に通訳してくれました。そんなふうにして、
私たち3人は牢獄の中の日々を 共に過ごしていたのです。
けれども、その「幸福な日々」は長くは続きませんでした。

2009年10月19日月曜日

獄中のウオッチマン ニー(5)

その後、彼女は面会に訪れた時、自分の置かれている境遇を、
一部始終、私に話して聞かせました。
私はそれを聞いて大きな怒りを覚えたのです。
そんな滅茶苦茶な話があるでしょうか。
無実の私に 反革命の罪を着せたただけでは飽き足らず、
彼らは私の妻と娘まで見逃さないのです。
妻は言いました「私は今日、自分の腕時計を売ってから、ここに来たの。
でもこれから、どうやって やりくりすればいいのか、もう分からない。」

兄弟姉妹の皆さん、私は殺人も放火もしていません、盗みも、強奪も、
爆破工作もしてないのです。私は国民党でもなければ、スパイでもなく、
地主でもないのです。何も悪いこともしていないのに、私がどんな
反革命分子だと言うのでしょう。
私は反動的なスローガンを一枚も貼ったことはありません、
反動的なアジビラを一枚も配ったこともありません。
なのに、どうして私が「反」革命だというのでしょうか?
総てが納得のできないことです。

けれども 私にはどうすることもできません。
妻は泣きじゃくっていましたが、私は一滴の涙もこぼしませんでした。
私は幼い頃から赤旗の下で成長して来ました。共産党は、敵の前で
涙を見せないようにと私を教育して来たからです。
だから今日も、一滴の涙も彼らには見せられません。
しかし私はそもそも、彼らの敵ではなかったのです。むしろ
私は彼らを支援して来たのです。人民解放軍が政権を握った時、
私はわずか12歳でしたが、私は解放軍を祝して、
「大輪の真紅の花束」を贈りさえしたのです。
それなのに彼らは 私を一方的に敵とみなしました。
この「敵」とは 彼らが勝手に作り出したものに過ぎないのです。

面会の5分間は またたく間に終わりました。妻は娘を抱いて私から
去ろうとしています。そして私は去り行く彼女の後姿を見つめながら、
全くなすすべもなく立ち尽くすばかりでした。彼女が私から 
離婚しない保障はないのです。その時です 突然、
妻は私に振り向いて 大声で叫んだのです。
「身体に気をつけてねっ!」

その叫び声は、いつまでも私の耳に残り、今でさえ私の心臓は
張り裂けそうです。しかし私にできることはありません。走って、
外に飛び出すことは不可能です、機関銃を持ち出し、彼らと闘う
こともできません。ただ黙って、この責め苦を耐え忍ぶこと、
それが私にできる総てでした。


看守に背中を押されて、私は監房に戻りました。
その時に至り 私はもう涙をこらえることができません。
監房には机も椅子も寝台もありません。
壁にすがって 私はただ泣いたのです。

するとその時 誰かが私の手を握りました。それが、
あのうっとうしいニーであることが分かりました。
腹が立ちました。彼は私にとって最も嫌悪すべき人物だったのです。
彼は私の手を握って何をしようというのでしょう? 
彼とは口も利きたくありません。私は彼の同情などほしくは
なかったのです。だからその時 実は 私は彼の手を振り払おうと
したのです。私はボクサーで、当時まだ若かったのに対し、彼は
年老いており、その上心臓病を患っていました。私がただちょっと彼を
振り払いさえすれば、彼は鉄の扉まで吹っ飛んで行ったことでしょう。

ところが兄弟姉妹、その時とても奇妙なことが起こったのです。
これは一つの奇跡でした。私がそうしようと思っても、どうしてなのか、
ニーの手を押しのけようとする私の手が上がらないのです。ニー兄弟の
力は弱いのに、少なくとも私は 3回も手を持ち上げようとしたのに、
それでも私は 自分の手を持ち上げることができなかったのです。

その時私は、ニー兄弟が私の耳のそばで こう言うのを聞いたのです。
「友琦さん、泣きなさい、泣いた方がいいです。
そうすれば気持ちが晴れるから。」
その彼の言葉は 私の心を打ちました。
監獄には規則があり、それによれば、声に出して泣くことは規則違反
でした。なにしろ、囚人全員はいつでも悲しみに暮れていたのです。
一人が泣き出せば、誰も彼も泣き出し、監獄全体が泣いてしまって収拾が
つかなくなったでしょう。それは 再教育に良くない、というわけです。

だから、私はニーがきっとこう言うだろうと想像していたのです。
「泣いてはいけません。泣くのは間違いです。私達は再教育に従って、
正しく振舞わなければなりません。」
彼は小組長であり、政府の側に立たなければならない人間です。
なのに、彼は今 声に出して泣きなさい、と私に勧めたのです。
これは全く 私が考えもしないことでした。
このことを通して、彼に対する私の見方は変わったのです。

2009年10月18日日曜日

訂正です

ごめんなさい、訂正です。
私は「獄中のウオッチマン ニー」(3)の欄外において
次のように書きました。

(1)で「3つの赤い旗」と訳したものは正確には「三面赤旗政策」
であり、毛沢東が推進した三つの政策、大躍進、人民公社の創設、
文化大革命を包含する呼称であるとのことです。

以上の記述に2つの間違いがありました。
①先ず「三面赤旗」はミスです。それは「三面紅旗」と
するべきでした。
(この訳に関しては二回もの訂正になってしまいました。)
とにかく「紅旗」が正しいのです。
②次に、その「三面紅旗政策」の内容ですが、
正しくは「総路線、人民公社、大躍進」の三つの方針です。
時期的に言って、そこに「文化大革命」が含まれる筈がありません。
資料を調べる際のケアレスミスでした。

今後とも、お気づきの点がありましたら、
お知らせ下されば幸いです。

イノシシ

昨日散歩に出たのは 夕刻の4時半頃だったでしょうか。
「キリノタニ」におり、ハルさんの家の まだ刈り取りが
残っている田んぼ脇の道を いつもの様に下って行くと、
おりましたよ!イノシシ一家が。

それは双方にとり 出会い頭の突然の対面でした。
5、6頭?いやいや7、8頭はいたでしょう。
子供連中は もう「ウリボウ」などではない、まるまる太って
大きな犬ぐらいです。それまで稲を食べていたのでしょう。
私に気づき、一家はぞろぞろ、スタコラと逃げて行くのです。

ところがです、
そのうちの巨大な一頭のイノシシが(これは親に違いありません)
警戒心が強く、とても臆病なはずの野生のイノシシが、
私に真っ直ぐ対面したまま 全く動かないではありませんか。

その距離約20メートル。
彼はいつまでも 動きません、私も動きません。
彼の意図は一体何なのか。

確かに言えることは、
そこには険悪な空気など全くなかったこと。
彼はただ ボーぜんとして と言うか、
珍しいものを見て唖然としている、とでも言うのか、
いずれにしろ、ある穏やかさの中で、
ただじっと私を見つめるばかりなのです。
この時間 いつまで続くのでしょう。

しかし、そのうち私はフト我に返り、
彼に「じゃコンニチハ」と 自分ながら 
ヘンな挨拶をして 道を下り始めました。
すると、彼も  きびすをサッと返し、田んぼの土手を
ガサゴソと登って行ったのでした。

グー、ウーと言うイノシシ一家の声々が ホンの少しの間だけ 
暮れなずむ 夕焼けの田んぼに残っておりました。

獄中のウオッチマン ニー(4)

私達の監房には3人いました、一人目は精神疾患で話すことが
できない青年、二人目はニー、そして3人目が私です。
ニーは毎日、何かを書いていました。
もし彼が私のことを密告しているのでないなら、誰について報告して
いるのでしょう?私が彼に話しかけたいと思うはずがありません。
朝から晩まで、四六時中、私は彼と一言も口を利きませんでした。

彼は扉の前に座って書きものをしています。
なぜ扉のそばに座っているのでしょう?
私たちの監房の幅は1メートル50センチから60センチしか
ありません。両手を伸ばせば、壁に届きます。
長さも2メートルほどです。三方の壁には窓がなく、
正面に鉄の扉があるだけです。
扉の近くは少し明るかったのです。

ニーは何かを書いている間中、鉄の扉のそばに座っていました。
食事と飲み水は戸口付近に置かれました。
扉を開ける必要はありません。そこから手を突き出して、
食事を取って、中に入れるだけです。
ニーは扉のそばに座っていたので、食事はすべて
彼が私たちに手渡していました。

私は彼と口を利きたくなかったので、一度も彼にお礼を
言いませんでした。でも、彼の方ではお礼を言いたい様子でした。
とにかく私たちの関係はたいへん気まずいものでした。
その後、主の采配により、ある事件が起こりました。

私には一人の身内、妻がいました。
彼女は上海の水産大学を卒業し、高校で化学を教えていました。
私たちには幼い娘が一人いました。囚人の家族は、月に一度、
監獄に面会に訪れて、物資を届けることが許されていました。

妻は私をとても愛していましたので、毎月、必ず面会にやって来ました。
私の方では、無事彼女がまだ学校で教えていると思っていたのですが、
実際には、彼女に事件が起こっていたのです。

ある日、学校の校長が彼女に問いただしました。
「周(チョウ)先生、聞くところによれば、あなたのご主人は
反革命分子で今、監獄にいるそうじゃありませんか?」
彼女は「そうです」と答えました。
校長は言いました「あなたは彼と離婚しなければいけません。」
妻は問い返しました「なぜですか?」

校長、
「政府の規定によれば、反革命分子の家族は、人民の教師には
なれないのです。あなたの夫は反革命分子です。反動的な思想の
持ち主です。あなたはそんな人と接触を保ちながら、
どうやって生徒を教えられるでしょう。ですから、あなたは彼と
離婚しなければなりません。」

妻は次のように反論しました。
「私が彼と結婚した時、彼は反革命分子ではありませんでした。
彼はボクシングの選手だったのです。上海を代表して国際大会にも
出ていました。彼が反革命分子になったのは、結婚後のことです。
もし私が今、彼と別れて他の人と再婚したとしても、その夫も
また将来、反革命分子とならない保証はどこにもありません。
そうなった場合、私はその夫とも離婚して、
また再婚すべきなのでしょうか?

さらに、私たちには既に娘が一人おりますが、私はまだ若い身です。
再婚すれば、さらに子供が増えるでしょう。
でも、それは今の子供の成長にとって良くありません。

さらに、夫 友琦(ウ ヨウチ)の判決は懲役7年です。
私は彼の出所を待って、それから、国のために社会主義建設を
続行することができるのではないでしょうか。だから、
私たちは夫婦でいられるはずです。」

彼女の言い分は完全に道理にかなっていました。
その時 校長と教務主任は彼女を説得できませんでした。
しかし、彼らがあきらめたりするでしょうか?
そんなことはありえません。
間もなく、校長はもう一度彼女に尋ねました。
「あの問題について考慮されましたか?」
妻は答えました「考える暇がありませんでした。」
校長は言いました「それならば、私たちも、もうこれ以上
あなたに時間はあげられません。
これは国の政策なのです。あなたの身分証明書を返却しなさい。
あなたが離婚しないなら、学校を辞めるしかありません」

当時の中国大陸の状況は、現在の状況とは全く異なっていました。
一旦、学校を辞めれば、他の仕事はもうありません。
彼女には 他にできる仕事がないのです。
妻は学校を去り 泣きながら家に帰りました。

彼女の頭の中は真っ白でした。
「今後、私はどうすればよいのでしょう?どうやって生計を
立てればよいのでしょう?娘をどうすればよいのでしょう?」
彼女は家に帰ると、幼い娘を抱きしめて泣き崩れました。
その時、彼女を慰めてくれる人は誰一人としていませんでした。

2009年10月17日土曜日

獄中のウオッチマン ニー(3)

私たちの監房には、ニー兄と、私と、20歳余りの青年がいました。
この青年は精神疾患のために、はっきりとしゃべることができません。
「おー、おー、おー」と声を出すことしかできず、
頭をいつも垂れて、右手は胸元から離しませんでした。
なのに、彼も反革命分子とされていたのです。

兄弟姉妹、私は正直に言いましょう、この監房に入った時、
私はニー兄弟に少しも友好的ではありませんでした。
私は彼に反感を持っていました。彼に敵意を抱いていたのです。
彼を軽蔑していました。彼と話したくなかったのです。
なぜって?彼が小組長だったからです。

監獄には、何人かの囚人に対して、小組長がおりました。
私の目から見ると、あらゆる小組長が、政府のご機嫌取りをしていました。
彼らは政府のスパイでした。彼らは他の囚人を踏みつけ、踏み台にして
出世し、自分が減刑されるためならば、他人の刑期を増やすことを
いといません。

そもそも、一体どうして私が監獄にいなければならないのでしょうか。
私は窃盗も、強盗もしていませんし、殺人も、放火もしていません。
ささいなことを喋っただけなのに、逮捕されたのです。ですから
私は彼を恐れました。あえて話しかけようとは思いませんでした。


Sugar:
幸いなことにこの度 この証の訳出の上で ある強い助け手が
与えられました。その方によると この証の文章を比べて見ると 英語
よりも中国語の方がより詳しく正確であるようです。従って
(3)以後、中国語からの情報も加味して訳出いたします。

・上海の監獄「ティーランチャウ」の漢字は「提籃橋」です。
・(1)で「3つの赤い旗」と訳したものは正確には「三面赤旗政策」
であり、毛沢東が推進した三つの政策、大躍進、人民公社の創設、
文化大革命を包含する呼称であるとのことです。

総論と各論

私達は「先人達」を総論的に扱うことによって 彼らを褒め称える
べきではありません。それはまかり間違えば、人を賛美する罪とさえ
なるでしょう。

真のキリスト者であれば例えば パウロを手放しで総論的に誉め、彼を
礼拝すること等しないでしょう。そのようなことを臆面もなく行う人々は 
いずれ必ず「パウロ教会」を設立するでしょう。
それは明らかに大きな罪です。

しかし、私達はパウロが述べたことの詳細、即ち彼の具体的な各論には
多大の注意を払うべきです。なぜなら それらは神からの啓示であったから
です。当然のことながら、私達は「神によって保護設立された神からの啓示
としてのパウロの書簡」を尊重するべきです。

しかし、パウロ全体を、彼の行為の総てを崇め、彼自身を総論として
手放しで褒め称えることは決してしてはならないのです。何故なら彼とて 
あくまで人であり、神ではないからです。

彼の書簡は「神によって守られ、設立された神からの啓示(ロゴス)」ですが
彼の言動の一切、総てがことごとく完全に 神ご自身を反映していた
わけではありません。それは当然でしょう。彼とて赦された罪人に過ぎず、
まだ肉体の中にいたからです。

いかなるすばらしい先人でも その人を総論的にたたえることには注意が
要ります。私達はむしろ ことさらにそのようなことをする人の行為には 
多くの場合、純粋でない人間の画策が潜んでいると見るべきです。即ち 
そこには 先人を褒め称えることによって、実は彼ら自身の欲望を達成
しようとする明確な意図があることに気づかなければなりません。

それは昔の預言者の碑を建てる行為と似ています。彼らは先人の碑を
建ててそれを飾ること、即ち総論として先人を褒め称え そのようにして、
実際の所は、先人を利用しようとしていたのです。(それは虎の権威を
借りて人々に対する自分達の権威を確立するためでした。)

しかし彼らは 先人に与えられた神からの啓示を一つ一つ調べ、それらを
具体的に自分に適用し、従うことはしないのです。むしろ彼らの行動は
実際的には 先人達の具体的な各論に対して反抗していたのであり、
彼らの行為は先人の各論とは ひどく矛盾したものであったのです。
正に彼らは「総論賛成、各論反対」なのであり、これは先人にとって、
そして神にとって それ以上の侮辱はあり得ないでしょう。

私達も決して昔の預言者の碑を建てるべきではありません。そうではなく、
彼らに与えられた「神からの啓示」の一つ一つを丹念に調べ、自分に厳しく
それらを適用し 具体的に従うべきです。従って深く敬愛することこそ
あれ、決して彼を一兄弟以上の何者かのように見なすべきではありません。

結論として、私達は
各論のみならず、総論的にも、手放しで尊重し 褒め称えることが出来る
対象は 唯一 神なる人、主イエスキリストのみであることを 今再び深く
深く肝に銘じなければならないのです。

2009年10月16日金曜日

中国語で「獄中のW.ニー」を読まれた方へ

ある方の御好意により「文字化け」が相当改善されました。
今度は より読みやすくなったのではないでしょうか。
再読下されば 幸いです。

あるメール交換から

ニーについては、以前紹介していただいた彼の伝記的な本(リー著)
からは、獄中のニーにつて親戚に宛てた「獄から出たい」という
手紙がメインでしたので、そのことだけが印象に残っていました。
しかし今回載せて下さった記事には とても感動いたしました。

ニーの主の器としての人柄と主への全き献身に 
朝から目頭が熱くなってしまいました。
最後に筆者が書いておられましたが「主を愛する」ということが
どういうことなのか 本当に心刺される思いです。


本当にそうだと思います。
この小さな証によって、キリスト者のあるべき姿について
心ある少数の人々一人一人に対し、神から直接 光が与えられる
ことを期待します。

それは 例えば下のサイトで意図されている様なもの
とは決定的に異なっていると言うことを 
ニー兄弟の姿や その生きざまそのものを通して
今日神は 私達に啓示されたい、のではないでしょうか。
http://www.watchman-nee.jp/

倪柝聲在獄中(吳友琦述)

‏各位弟兄姊妹,各位屬靈的長輩,我來自中國上海。我姓吳,名友琦。今年(二00三年)六十八歲。我本來是中學教師,一九六0年因為反對“三面紅旗”,被打成現行反革命,判處七年有期徒刑,關押在遠東最大的監獄—上海市的提籃橋監獄。

倪弟兄是在一九五二年被捕,被捕以後就好象這個人從地球上消失了,沒有人知道他的事情。感謝、讚美主,主憐憫我這個卑賤的人,特別愛我,留下了我,讓我有機會把倪柝聲弟兄在監獄中,凡我所知道的事情,可以告訴大家。

我和倪柝聲弟兄相處前後一共九年(1963~1972年),其間曾分開過兩年左右。感謝讚美主,最終又把我們帶領在一起,直到他被主接走前三天,我們才分開。這麼多年,有許多見證。倪伯伯也是個人,今天我要見證的是他屬人方面的事。

一九六三年,因監房調動,把我和倪伯伯調在同一個樓層,同一個小組,並睡在同一個房間裡。從此,我和倪伯伯結下不解之緣。

提籃橋監獄相當大,一共有十幢樓房,每幢樓房(即每個監房)有五個樓層,每個樓層有九十個房間。如果平均計算,每個房間關三個人,一幢樓就可以關一千多個人。這麼大的監獄裡,在幾萬個人當中,要遇到一個人並不是容易的。我和倪伯伯就在第三號監房裡相遇,這是主的安排。

在我們這個牢房裡,有倪伯伯、我,還有一個二十來歲的年輕小夥子,是個弱智,他講話講不清楚,一直哦哦哦,頭不斷地搖,右手總是在胸前放不下來,他也是一個反革命分子。

弟兄姐妹!我告訴你們:當我進入這個牢房時,我對倪伯伯是非常不友好,我對他很反感,我對他非常敵視,我看不起他,我不願意和他講話。為什麼?因為他當時是小組長。在監獄裡,犯人有小組長。在我的眼裡小組長都是拍政府馬屁的,都是政府的走狗,都在犯人的頭上撈稻草,踏在人家的頭上往上爬,好讓自己減刑、別人加刑。另外,我為什麼被捕,我又不偷、不搶、不殺人、不放火,我就是講幾句話,你們就抓住我不放,所以我怕,我懼怕他,我不敢和他講話。牢房裡三個人,一個弱智不會講話的,一個就是他,一個我自己。他每天在寫東西,他不彙報我,彙報誰呀?我敢和他講話嗎?一天到晚二十四小時沒有和他講一句話。他坐在門口寫東西,為什麼坐在門口?我們被關的牢房寬一米五、六左右,我伸開手可以碰到兩邊的牆;長有兩公尺左右;三面是牆,沒有窗,前面是鐵門。鐵門口有一點亮光,倪伯伯要寫東西就坐在鐵門口。發給犯人的飯、水,都是放在鐵門口,門不用開,我們手伸出去,就可以拿進來。他坐在門口,東西都由他拿進來的,我的飯、熱水、冷水都是他拿進來的。我不願意和他講話,從來不感謝他,是他自己願意做的,我們兩人關係很不好。

後來有一件事情發生,這是主的安排。我只有一個親人,就是我的妻子。她是上海水產大學畢業,在上海景崗中學教化學,我們有一個孩子是個女兒。犯人家屬每個月可以探監一次,送來一點東西。我的妻子很愛我,她每個月都會來看我,我以為她在外面還一直在教書,其實她也發生了事情。

一天,學校校長叫她去問:“周老師,聽說你丈夫是個反革命,現在關在提籃橋監獄?”她回答:“是。”“你必須和他離婚。” 我妻子說:“為什麼?”他說:“政府有規定,反革命家屬是不能做人民教師的。你丈夫是反革命,思想反動,你和他接觸在一起,你怎麼能教好同學呢?所以你一定要和他離婚。”我妻子就說:“我和他結婚的時候,吳友琦不是反革命,他是上海市的拳擊運動員,可以代表上海市出國比賽的。結婚以後才是反革命。如果我現在和他離婚,再嫁別人,這個很難保證,那人以後又是反革命,我又要和他離婚,再嫁別人?而且我們現在已經有個女孩,我還年輕,再嫁會另外有孩子,對現在的孩子成長很不利。再說,吳友琦被判七年徒刑,我可以等他,他出來以後照樣可以建設社會主義,我們還可以做夫妻。”她這些話講得非常有道理,校長和教導主任都講不過她。可能就此甘休嗎?不可能。過不多久,校長又叫她去問:“那個問題你考慮好了嗎?”
她回答:“不考慮。”校長說:“那我們也不考慮,這是政策規定的,你把工作證交出來,你不離婚就離開學校。”當時大陸的情況和現在完全不同,離開學校就沒有工作,不能自己做任何事。我妻子離開學校以後,一路哭著回家,頭腦一片空白,今後怎麼辦?生活怎麼辦?女兒怎麼辦?回到家裡抱著女兒痛哭,沒有人安慰她。

過了不久,到了探監的日子,她來看我,她把她的遭遇一五一十地講給我聽。我聽了以後,非常氣憤,天下哪有這種道理?我無緣無故被你們打成反革命,你們還不肯放過我的妻子、不肯放過我的女兒!我的妻子說:“我今天是賣掉手上的手錶,才來看你的,以後我不知道怎麼辦。”弟兄姐妹,我沒有殺人、我沒有放火、沒有偷、沒有搶、沒有爆炸,我不是國民黨、不是特務,我不是地主,我什麼壞事都沒有做,我叫什麼反革命?我沒有貼一張反動標語、也沒有發一張反動傳單。我“反”在哪裡?我想不通。但是有什麼辦法?當時我的妻子哭得很厲害,我沒有流一滴眼淚。我從小在紅旗下長大,共產黨教育我,在敵人面前是不能流眼淚的,今天我就不能流一滴眼淚給你們看。我本來不是你們的敵人;我是擁護你們的,解放的時候我才十二歲,我還給解放軍帶大紅花。是你們把我推向敵人一邊,我這個敵人是你們製造出來的。五分鐘的探監時間很快就過去了,我的妻子抱著小孩離開了;我站在那個地方看著我的妻子,我不曉得以後怎麼辦,我不曉得她會不會和我離婚。突然我妻子回過頭來,大聲叫:“你身體當心啊!”這叫聲現在還留在我的耳朵裡,是撕心裂肺啊!我沒有任何辦法,我不能沖出去,我不能竄出去,我沒有機關槍,我不能和他們搏鬥,我只能任他們宰割。

在獄警的推送之下,我回到牢房,我忍不住流出了眼淚。牢房裡沒有桌子、沒有椅子、沒有床,我靠著牆哭了起來。不久我發現我的一隻手被人抓住。牢房裡一共三個人,我知道一定是那個討厭的倪伯伯抓我,我當時很氣憤,他是我最瞧不起的人,他抓我的手做什麼。我連話都不和他講,我不要他同情,心裡想把他的手甩開。我是個拳擊運動員,當時我很年輕,他是個年紀大的人,又有心臟病,只要我一甩,他整個人一定被我甩到鐵門上去。但是,弟兄姐妹!真的很奇怪,這是一件奇跡,當時我的手竟然舉不起來,倪伯伯並沒有多大力氣,我至少舉了三次,就是舉不起來。這時我聽到倪伯伯在我的耳邊講: “友琦阿,哭出來,哭出來好一點,舒服一點。”他的這句話很打動我。因為在監獄裡有監規,規定不能大聲哭。為什麼不能大聲哭?因為犯人都很傷心,你一哭他也哭,在監獄裡大家哭起來就不得了,這叫監瀟,對改造不利。我想,倪伯伯應該要對我說,你不能哭啊,你哭是犯錯誤的啊,要好好改造啊,總該這樣講才對。他是小組長,要站在政府一邊。我萬萬沒有想到他說,你哭出來,哭出來舒服一點。通過這句話我對他的看法有所改變。這時我放聲大哭,我哭的非常響,我什麼都不管了。就是監警過來,罵我、打我、槍斃我,死了算了,家裡已經到了這個地步,死了也無所謂了。奇怪那天監警也沒有來管我,後來我哭得沒有力氣了,倪伯伯拿毛巾給我擦臉,還倒水給我喝。我們兩個人就坐在地上,從這個時候起,我開始和他講話。我把自己的遭遇講給他聽,想不到倪伯伯非常爽直,他把自己的遭遇也講給我聽,把他家裡的事情也講給我聽。從這天開始,我們的話越來越多。他告訴我他非常忙,他是基督徒。還告訴我,他的妻子非常愛他,他的妻子高血壓非常嚴重,低壓一百四、一百五,高壓二百、二百以上,隨時都有死亡的可能,都是主的扶持,主的憐憫。他希望他的刑期能夠早一點滿了,能夠早一點出去,還能夠和妻子見面,如果他的刑期長一點,他的妻子走得快一點,今世就永遠不能見到他的妻子了。他的妻子像我的妻子一樣非常愛丈夫。他還告訴我很多事情,我們兩人的講話越來越投機。他還說一個基督徒是不會反對國家領袖的,因為國家領袖是主讓他做的,他向我傳起福音來了。聽了他的話,我心裡想,我很清楚我自己是被冤枉的,這樣看來他也是被冤枉的,他沒有反對政府,基督徒不好反對領袖,你把他打成反革命,這不是冤枉的嗎?所以,我就問他,你現在還信不信主?他回答說:“你們不信,我信;你們沒有看見,我看見。”這是他的原話。很簡單的話,我一直記住。

二十四年以前,有一個弟兄來找我,我把這一件奇跡講給他聽。我說,我想不通,當時我的手為什麼舉不起來,我這麼大的力氣,他握著我,我甩都甩不掉。弟兄講得很有道理,他說,你這只手是舉不起來的,主耶穌是不會讓你舉起來的。我一聽就通了,是阿,我是一個卑賤的人,主找到了我,主揀選了我,我的手是舉不起來的。

我們兩個人關係好一點了,談話投機了;旁邊還有一個人,小弱智,他也高興,在旁邊一直笑。他講話也多了,但是他講的話我聽不懂,最多百分之五十。倪伯伯全部懂,他做我的翻譯,我們三個人就這樣在一起苦苦地過日子。

但是,樹欲靜而風不止。有一天,監警把倪伯伯叫出去,過了很長的時間,中飯都來了,他還沒有回來。現在我和他的關係好了,我就把他的中飯用棉被包起來。以前我是不會管他的,扔掉就扔掉,關我什麼事。他回來後,我看他有點不高興,坐在地上,我就問他:“叫你去做什麼?”他說:“他們要我放棄信仰。”我說:“你答應了嗎?”他說:“我沒有答應。”他還說:“他們要我放棄信仰,如果我答應了,他們就讓我回家。”我說:“你不同意啊?”他說:“我不同意。和我一起去的還有兩個人,一個姓藍的名叫藍錫章,另一個姓張的。這個姓藍的是上海一個很大的醫院的院長;姓張的是上海一個縣的縣長。他們兩個在天主教中都是比較有名望的。”我就問倪伯伯,他們兩個怎麼樣?他說:“他們兩個都放棄了,一會兒你就知道。”過了一會兒監房的廣播喇叭就響了。監長講話說:現在有兩個犯人,通過政府的教育改造,思想轉變了。表現很好,願意公開放棄他們過去的信仰,放棄反動立場。現在他們兩個人自己講話。藍錫章和張某就一個個講話,他們先把自己臭駡一頓,又把天主教臭駡一頓,說天主教是帝國主義利用的特務組織,是反革命。他們是上當受騙,通過政府的教育,公開放棄這個迷信,脫離這個反動組織,徹底悔改。他們痛哭流涕。他們講完了以後,監長就宣佈,現在經過獄長的批准(監長是監房的頭頭,獄長是整個監獄十個監房的最大的頭頭),他們兩個人提前釋放,今天就回家。弟兄姐妹,當時聽到這些話,整個監獄的犯人都震驚了,我也很震驚!倪伯伯就在我面前,我兩隻眼睛盯著他看,你前幾天還向我講,你的妻子對你那樣好,你們是那麼恩愛;你的妻子身體是那麼不好,那麼危險,你那麼想念你的妻子。今天人民政府讓你回去,你只要講一句話,說你放棄好了,只要開一個口就好了,就回去了,你都不願意!一句話你都不肯講,你這個人是怎樣的人?你相信主,相信到這樣的地步!你這個人我真是讀不懂。弟兄姐妹,我從小就讀過這樣一首詩,匈牙利詩人裴多菲寫的,他寫道:

生命誠可貴,愛情價更高;
若為自由故,兩者皆可拋。

這說明自由是多麼可貴呀!今天人民政府給你倪伯伯自由,你倪伯伯不要。倪伯伯為了主,生命不要了,愛情不要了,連自由也不要了。倪伯伯是三者皆可拋!他這麼愛主,這麼信主,我實在是受感動!共產黨這個辦法實在是觸靈魂,對倪伯伯是很厲害的。你不放棄,放走兩個人給你看。倪伯伯無動於衷,觸不到他的靈魂。但是我的靈魂倒是被觸到了,我知道倪伯伯這個人不是傻瓜、不是弱智,他這樣相信耶穌是有道理的,相信耶穌一定是很好的好事情;我也要相信耶穌,我也要跟著倪伯伯相信耶穌。從這個時候開始我覺得一定要信主,人人都要相信主,要脫重擔要相信主,要得平安要相信主。

有弟兄姐妹問我,你是讀了倪伯伯那一本書、那一篇文章才相信主,我說我不是讀他的文章相信主的,我認識他的時候還不相信主,沒有讀過他的文章;我是讀他的人才相信主的。中國有一句話,言教不如身教,我是看到他的實際行動,這感染了我,我才相信了主。倪伯伯是個人,我就是對他這個人的感性方面的認識才相信主。他的這件事對我的影響是非常非常深的。

我就是這樣通過倪伯伯在監牢裡得救的。倪伯伯在監牢裡,他並沒有站在一個很高的地方,把手一舉:朋友們!你們都要相信主阿,於是幾萬個人都相信主啦。倪伯伯也沒有在監牢裡和共產黨作鬥爭、鬥到底,是英雄、是好漢;不是這樣,這是謊言,沒有這個事,他只是堅持不放棄信仰。我們說話要實事求是,我在基督裡說真話,並不謊言,有我良心被聖靈感動,給我作見證。

我們第二次相遇是在安徽省的白茅嶺勞改農場,在那裡我們又在一起呆了五年。相遇時我們倆都很感動,我寫了一首詩:

彼此依依相見晚,主有安排難預感;
本是同袍同澤人,皖地重逢敘忠悲。

那時他的身體已經很差,年紀又大,步履艱難。我們住的地方,離開食堂大概有六、七十米遠。我們是住在低處,食堂是建在上面靠近公路的邊上。到食堂去打飯,要爬過兩個陡坡,過馬路。這對倪伯伯來講,根本辦不到。所以每天三頓飯,都是我幫他打,帶回來吃。忽然有一天,獄警把我找到辦公室。他問我為什麼天天幫倪儆夫打飯。我說:“他年紀大了,身體不好,兩個坡他是爬不過去的,我幫他打飯,照顧他,是應該的。”想不到這個獄警把臉一沉,對我說:“胡說,他是裝病,讓他自己去打飯,以後不要你幫他打。”這很清楚,他們是在故意刁難倪伯伯,當然我不去理會他們的警告。

過了幾天,有一次我又到食堂打飯,伙房裡的工作人員對我說:獄警已經通知,誰都不能幫倪儆夫打飯,他要自己來吃。在這樣的情況下,我只得回到宿舍裡,一五一十地把情況告訴倪伯伯。我知道倪伯伯是一個知識淵博的人,我叫他趕緊想辦法。我就坐在他旁邊,等他拿主意。等了很久,他終於開口,他說:“我願凡事順其自然。”我聽了他的話,大吃一驚,聽其自然,一切順從主的安排。我真是又氣又急,沒有想到他怎麼講這樣一句話。
“你不想吃飯啊?”我不想去頂撞他,只好把自己的飯分一點給他吃。就在分飯的時候,感謝、讚美主,主給我這個笨頭笨腦的人一個好主意:我本來中午是吃五兩飯,現在我可以對食堂伙夫說,今天我勞動累了,我要多買一兩。食堂不會懷疑我。我就打六兩飯,回來後,我把二兩飯給倪伯伯吃。他年紀很大,二兩飯就夠了;我吃四兩,雖然少一點,但還可以過得去。就這樣,我們兩個人每天分而食之,難關也終於渡過去了。

一九七一年,有一天獄警允許我把一封倪伯伯的家信帶給他。原來信上寫著,倪伯伯的妻子倪伯母從椅子上摔下來,斷了兩根肋骨,正在醫院搶救。我一邊勸倪伯伯不要著急,一邊叫他趕緊打報告,要求回上海探親,我可以陪他一同回去。照理,當時我和倪伯伯早已刑滿,不是罪犯了。但是一九六六年,中國發生文化大革命,到期的犯人一個都不釋放;按照規定,我們每年可以回去探親一次,為期半個月。我想,現在家裡發生了這麼大的事情,總可以讓我們回去一次罷!

一開始獄警對倪伯伯說,讓我們考慮考慮。後來又說,你心臟病這麼厲害,路都走不了,怎麼回上海?倪伯伯對他們說,我可以陪他回去。獄警說,再考慮考慮,這樣一拖就拖了半個月。當我們再去問獄警時,這個監警乾脆把臉一板說:“你回去幹什麼?你又不是醫生。況且你老婆的病情現在已經好轉,我們瞭解過了。我們研究過你要求探親的報告,我們不批准。”倪伯伯一句話都沒有同他們爭辯;也不讓我和他們講道理,就和我一起回到宿舍,他默默地禱告。有人看到倪伯伯嘴唇在動,就問我:“老倪是不是在作禱告?”我說:“沒有,他是在作氣功。”後來獄警也來問我,我也照樣回答他。但是我知道,倪伯伯一天也沒有停止過禱告。

終於有一天中午,我收工回來,看到倪伯伯淚流滿面,原來倪伯母去世了。倪伯伯很悲傷。我一面勸倪伯伯不要悲傷;一面鼓勵倪伯伯再打報告,要求回上海奔喪。我想這一次總該批准罷。想不到左等右等,還是不批准。獄警說:“人已經死了,你回去有什麼用?”弟兄姊妹,有誰受過比這個更痛苦的折磨麼?倪伯伯心痛阿!他要主,堅決相信主,他忍受下來了。

當時他寫了一首詩:

哭千聲,喚千聲,
卿聲我慣聽,緣何卿不應?

我看到這首詩,就在下面和道:

橫報告,豎要求,
奔喪人長情,奈何不批准?

倪伯伯一生愛主,遭受了很大的痛苦。過了幾天倪伯伯就從悲傷中脫離出來,他的生活恢復正常,每天堅持禱告。

九個月以後,他被調到白雲山,那是一個皖東的僻野。一個連路都走不動的心臟病人,一個人坐在拖拉機上巔簸著和我們分別了。三天以後,傳來了倪伯伯耗訊。

倪伯伯除了在身體上遭到折磨外,他在精神上更是忍受了難以忍受的摧殘。他一生受了很多的苦,什麼也沒有得著,但是他得著了主。他讓我們透過他看到了主!他是瓦器,但是在他這瓦器裡有寶貝!

今天我們在這裡可以自由地喊:“主阿,我愛你。”在中國大陸也可以隨處喊:“主阿,我愛你。”但是當年在極左路線的統治下,是不能喊的。倪伯伯一生愛主,卻有二十年之久受限制,人不准他喊一聲:“主阿,我愛你。”你們想一想,如果二十年不准你喊一聲:“親愛的母親,我愛你。”不准你喊一聲:“親愛的女兒,我愛你。”或者“妻子,我愛你。”你受得了麼?然而,倪伯伯忍受了這一切。今天讓我們因著他,一起高喊三聲:“哦,主阿,我愛你!”“哦,主阿,我愛你!”“哦,主阿,我愛你!”

2009年10月15日木曜日

獄中のウオッチマン ニー(2)

私は合計9年間(1963~1972)ニー兄弟と共にいました。
その間 約2年間は別々でした。しかし主を賛美します、主は結局 
私達を一緒にして下さったのです。 そしてこのことは 彼が主によって
取り去られる3日前にまで及んだのです。
(1963年に この監獄である調整が行われ その結果 私と
ニー兄弟とは、同じ建物 同じ階の同じ小組に入れられ、同じ
監房内で眠ることになったのです。)

それらの年月の期間、多くの証があります。
ニー兄弟は一人の人間でした。今日 私は彼について その彼の
人間性の面から証したいのです。

ティーランテャウ刑務所は非常に大きな刑務所でした。計10の
建物から成っており、そして一つ一つの建物は5つの階で構成されて
おりました。そして各階には90もの房があったのです。
一つの房に3人が入るとして、一つの建物で、1000以上の
組み合わせ(同室者)を持ちます。
従ってこの巨大な刑務所には 数万人もの人が収容されていた
ことになります。

私は「第三房」でニー兄弟に会いました。そのような何万人もの
人々の中で、ある特定の人と一緒になると言うのは簡単なことでは
ありません。それは主の主権のもとで起こったことだったのです。

Watchman Nee in prison

(by Wu Yo-Chi)
Dear brothers and sisters, I am from Shanghai, China. My name is Wu Yo-Chi. I turned 68 (2003) this year. I used to be a high school teacher. I was accused of anti-revolutionism in 1960 because I was against "three red flags" and sentenced 7 years. I was jailed in the largest prison in the far east -- Ti Lan Chau Prison in Shanghai.
Brother Nee was arrested in 1952. After that it seemed that this person disappeared from the earth. Nobody knows what happened to him. Praise the Lord. The Lord had mercy on a lowly person like me. He loved me and kept me so that I'd have the chance to tell you all what I know about Watchman Nee in prison.
I was with Brother Nee 9 years in total (1963-1972). We were separated for about 2 years in between. Praise the Lord that He eventually brought us back together until 3 days before He was taken by the Lord. There are a lot of testimonies in all these years. Brother Nee is also a human being. Today I'd like to testify this on the human aspect about him.
In 1963, because of some adjustments, I was moved to the same floor, same group and sleep in the same cell with Brother Nee. From then on our relationship would not be break apart.
Ti Lan Chau Prison was very big. There were 10 buildings in total. Every building had 5 floors. In every floor there were 90 cells. If you had 3 people per cell, each building would contain more than 1000 inmates. In such a huge prison, among tens of thousands of people, to meet a particular person was not easy. I met Brother Nee in cell number 3 and this was the Lord's sovereignty.
In our cell, there was Uncle Nee, myself, and a 20-year-old guy. He had mental problem and thus could not speak clearly. He could only say "O - O - O...". He was also an anti-revolutionist.
Dear saints, I want to tell you: When I got into this cell, I was not friendly to Brother Nee at all. I didn't like him. I was hostile to him. I despised him. I did not want to talk to him. Why? Because back then he was the group leader. In the prison, there were group leaders over inmates. To me all group leaders were flattering the guards. They were the informants for the government. They moved ahead by taking advantage of others to reduce their own sentences while increasing the sentences of others. On top of that, I wondered why was I in the prison? I didn't steal, I didn't rob, I didn't kill... All I did was just saying something and you wouldn't let me go. So I was afraid of him. I did not want to talk to him. There were 3 inmates in our cell; one had mental problem and couldn't talk, Nee was the other one, and I was the last one. He was writing everyday. If he was not reporting me then who was he reporting? How would I ever want to talk to him? 24 hours a day I didn't say a word with him. He was writing right by the door. Why the door? Our cell was about 1.5-1.6 meters wide. If I stretched my arms I could touch the walls. It was about 2 meters long. Walls on 3 sides without window. An iron door at the front. There was some light near the door. When Brother Nee was writing anything he sat by the iron door. The meal and water were placed right in front of the door. You don't need to open the door. All we needed to do was to stick out our hand and we could bring them in. He sat by the door so he passed all the stuff to us. I didn't want to talk to him and never thanked him. He did that himself. Our relationship was really bad.
Later something happened by the Lord's arrangement. My only family was my wife. She graduated from the Maritime College in Shanghai and was teaching chemistry in high school. We had one girl. Inmates' families could visit us once a month and send us some stuff. My wife loved me a lot. She visited me every month. I thought she was still teaching out there but actually something happened to her.

One day, the school principle asked her: "Miss Chou, I heard you husband is a anti-revolutionist and is currently in prison?" She said: "Yes." He said: "You have to divorce him." My wife said: "Why?" He said: "It's the government's policy. Anti-revolutionists' families cannot be people's teachers. Your husband is a anti-revolutionist. His thinking has problem. If you contacted him, how can you teach students? So you must divorce him." My wife said: "When I married him, he was not an anti-revolutionist. He was a boxer. He represented Shanghai for international competition. He became an anti-revolutionist after we married. If I divorce him now and marry someone else, there is no guarantee that the other man would also become an anti-revolutionist in the future. Then should I divorce him and marry again? Plus we already had a girl and I am young. If I got married again I'll have more children. That will not be good for kids. Moreover, Wu Yo-Chi was sentenced 7 years. I can wait for him and then continue building socialism. We can still be husband and wife." What she said made perfect sense. The principle couldn't argue with her. But would they give up? Impossible. Soon after, the principle asked her again: "Have you decided on that issue?" She answered: "There is no chance." The principle said: "Then there is no chance from us too. This is the policy. Give us your work permit. You get out of this school if you don't divorce." Back then the situation was entirely different. There was no job once she left the school. She could not do anything by herself. My wife cried her way home. Her future was blank. What can I do? What can I do for a living? What can I do for my daughter? When she got back home she cried holding our daughter and nobody was there to comfort her.

Later when she visited me, she told me everything. I was angry after hearing it. How does that make any sense? I was already accused as an anti-revolutionist without reasons and they wouldn't even let my wife and my daughter go. My wife said: "Today I sold my watch and then came. I don't know what to do in the future." Dear saints, I didn't do any bad things, I was not a Nationalist, nor a spy, nor a land lord. What kind of anti-revolutionist was I? I didn't post a piece of anti-revolution flyer. How am I "anti-"? I didn't understand. But what could I do? My wife cried a lot, but I didn't shed a tear. I grew up under Communist regime and Communists taught me no tears in front of enemy. Today I will not shed a tear. I was not your enemy; I supported you. I was only 12 years old when Communists took over. I even celebrated for the People's Army. But you pushed me to the enemy's side. 5 minute visiting time was soon over. My wife left with the kid. I stood there looking at her and didn't know what to do. I am not sure if she'd divorce me. Suddenly she turned back and shouted: "You take care of yourself!" This shout is still in my ears now and it was heartbreaking. I could not do anything. I can't just run out and fight with them. I can only let them torture us.
I was pushed back to my cell by the prison guard. I shed some tears. In our cell there was no desk nor chair nor bed. I was weeping against the wall. Then I found out someone was holding my hand. I knew it was got to be that annoying Uncle Nee. I was angry. He was the most despised person to me. What was he doing holding my hand? I wouldn't even talk to him. I didn't need his sympathy. I was going to shake off his hand. I was a boxer and I was young. He was old and had heart disease. All I needed to do was to shake in order to throw against the door. But, dear saints, it was strange. It was a miracle. I could not lift up my hand. Uncle Nee was not strong, and I tried at least 3 times and just couldn't lift up my hand. And then I heard Uncle Nee said: "Yo-Chi, just cry. It's better crying out loud and you'll feel better." This really moved me. Because the policy in the prison is that you cannot cry out loud. Because all inmates were depressed. If you cry he'd cry and the entire prison would be crying. That's bad for re-education. I thought Uncle Nee would say to me: "Yo-Chi, don't cry. It's wrong to cry. You need to follow the re-education." He was the group leader and should be at the government's side. I really wouldn't think that he'd tell me to cry out. Because of this I started to change my view toward him. Then I started to wail. I didn't care about anything and i was loud. I didn't care even if the prison guard came and beat me and shoot me. My family has been to this point. I don't care if I die. It's strange that the prison guard didn't even come. Later I was entirely exhausted. Uncle Nee gave me towel to clean up and gave me water. From then on I started to talk to him. I told him what happened to me. And i didn't expected how frank he was that he also told me what happened to him and his family. From this day on, we had more and more conversation. He told me he was very busy. He was a Christian. He also told me that his wife loved him very much. His w ife had serious high blood pressure. (140+ /200) over. She might go anytime. It's all the Lord's support and His mercy. He wished his sentence will be fulfilled soon so he could get out and still see his wife. If his sentence was longer and his wife left early, he will never see his wife in this age. His wife is just like wife in loving their husbands. He also told me many other things. He said a Christian will not oppose a county leader, because country leaders were all set by the Lord. He was preaching gospel to me. Then I thought, I know I was innocent; now looks like he's innocent too. He was not against the government but you said he's anti-revolutionist. Isn't he obviously innocent? So I asked him: Do you still believe the Lord? He said: "You don't believe, I believe; you don't see, I see." This is his quote. I still remember.

24 years ago, I brother visited me and I told him this miracle. I said, I don't understand. Why couldn't I lift up my hand? I was strong, but he just held me like that and I couldn't shake him off. This brother said: You will never be able to lift it up. The Lord will not let you lift it up. Then I understood. I was just a lowly person. The Lord found me. The Lord chose me. I will never be able to life up my hand.
Now our relationship improved and we talked a lot. The other mental guy became happy too, standing there laughing. He actually said a lot, but I understood not a word, the most 50%. But Uncle Nee understood everything and he translated for me. So we three poorly lived together.
However, peaceful time didn't last long. One day, the prison guard called Uncle Nee out. It lasted for a long time, even passed lunch. Now we have good relationship so i wrapped up his lunch with a sheet. I wouldn't care in the past and would have just thrown it away. When he came back, he was a bit upset sitting on the floor. I asked him: "What happened?" He said: "They wanted me to give up my belief." I said: "Did you agree?" "No i didn't." He then said: "They wanted me to give up my belief. If I agreed, they'll let me go home." I said: "And you didn't agree?" He said: "I didn't. There were 2 other people. One of them was named Lang. The other one was named Chang. Lang was the president of a major hospital in Shanghai. Chang was a mayor of a province. They both are the prominent ones in Catholic Church." I asked him: "How about those 2?" He said: "They both gave up. You'll know soon." Soon the speakers in the prison turned on. The warden announced: Now we have 2 inmates, through the government's re-eudcation, have changed their thought and will openly give up their past believes and anti-revolution stand. Now they will speak." Lang and Chang then spoke. They firstly blamed themselves and then blamed the Catholic Church, saying Catholic Church is the intelligence agency
under imperialism and is anti-revolution. They were deceived, but through the government's re-education they'll openly give up superstition and leave this anti-revolution group and thoroughly repent. They were both crying. After they finished, the warden announced, now under the approval, these 2 get released early. They can go home today. Dear saints, when we heard this, the entire prison was shocked, including me. Uncle Nee was right in front of me, and I was staring at him. You just told me a few days ago that your wife was nice to you and you love each other. Plus your wife was not healthy at all and you miss her so much. Today the People's Government is releasing you. All you needed to do was to say a word that you give up. Just open your mouth and you are going home and you wouldn't do that! What kind of person are you? You believe the Lord to such an extend! I do not understand you....
Freedom is (precious). But today People's Government is giving Uncle Nee freedom and he doesn't want it. For the Lord Uncle Nee gave up life, love, and even freedom. He loved the Lord and believed the Lord so much. I was really impressed. What the communists did was eroding the soul and really effected Uncle Nee. Since you don't give up, I'll release 2 on your face. But Uncle Nee was not touched. It did not erode his soul. But my soul was eroded. I knew this person was not dumb or mental. There was a reason that he believe the Lord so much. It's got to be a good thing to believe in Jesus, so I wanted to believe Jesus too, just like Uncle Nee. From then on I felt I had to believe in the Lord. Everybody should believe in the Lord. For redemption you need the Lord. For salvation you need the Lord.

Some saints asked me, which book did you read from Uncle Nee to turn to the Lord. I said I never read his article to believe the Lord. I didn't believe because I read his article. When I knew him I didn't believe yet. I read his person then I believed the Lord. An Chinese idiom says, education by word is less effective than education by action. I saw his action and was effected and believed. Uncle Nee was a human being. I believed because of my subjective knowing to this person. And this matter deeply influenced me.
So I was saved in such a way through Uncle Nee. Uncle Nee in the prison never stood up high and lifted his hand and shouted: Friends, you all have to believe! And then thousands believed. Neither did Uncle Nee fight and fight to the end with communists and became a hero in the prison. This is lie. It was not like that. I simply never gave up his belief. We have to tell the truth and I am telling you the truth in Christ. My conscience is moved by the Holy Spirit and testifying to me.
The second time we met was in Bai-Mao Ling Labor Camp in province of Ann Huey. There we stayed together for another 5 years. When we met we were both impressed.... He was already very weak, old, and could barely walk. Where we lived is about 60-70 meters away from the cafeteria. And we lived at the lower side. Cafeteria was on the upper side near the road. To get good from cafeteria you have to climb over 2 hills and go across the road. To Uncle Nee that was impossible to do. So everyday I'd get 3 meals back to him. One day, the prison guard called me to the office and asked why get food for Watchman Nee everyday. I said: "He's old and weak. No way he can climb over 2 hills. It is right to help him and get food for him." However, the guard turned serious and said: "Nonsense. He pretends being sick. Tell him to get food himself. You will not do that again." It was clear that they were just giving Uncle Nee trouble, so I didn't even listen to them.

Few days later I was getting food from the cafeteria. The clerk in the kitchen told me: the guard notified, nobody was allowed to get food for Watchman Nee. He had to come by himself. So I could only go back to my room and told Uncle Nee everything. I knew he was a knowledgeable person. So I told him to do something. I sat right by him and wait for his ideas. After a long time, he finally said: "I would just let it be." I was very surprised. Let it be. Obey to the Lord's arrangement. I was worried and angry. How could he just say that? "Don't you want to eat?" I didn't want to argue with him so I just shared with my my food. At that moment, praise the Lord, the Lord gave a good idea to a dumb person like me: I used to get only 5 grams (Chines measurement) of food. Now I can tell the clerk that I labored a lot today and need one more gram. Cafeteria would suspect that. And I can share with Uncle Nee 2 grams. He's old so that'll be enough for him. I get 4 grams. It was less than usual, but I could survive. Everyday we shared food like this and finally passed through the difficulty.
One day in 1971, the guard let me bring a letter to Uncle Nee. The letter wrote, his wife Untie Nee fell from the chair and broke 2 ribs. She's currently in emergency room. I told Uncle Nee don't worry and at the same time requested visiting family in Shanghai. I was planning to go with him. Actually, Uncle Nee and myself have both fulfilled our sentence. But in 1966, there was Cultural Revolution in China. None of the prisoners could be released. But the policy said we can visit family once a year and half a month each time. I thought, such a major thing happened at home and we should be allowed to go.
In the beginning the guard told Uncle Nee that they'll think about it. And then they said you have serious heart disease and could not even walk. How can you go to Shanghai? Uncle Nee told them that I could go with him. So the guard said we'll think about it. We waited for 2 weeks. When we asked the guard again, the guard just gave us serious face and said: "What can you do anyway? You are not a doctor. Plus your wife is doing find now. We know that. We considered your request and we don't approve it." Uncle Nee didn't argue a word. Neither did he let me to argue with them. We just went back to our room together. He prayed silently. Some saw his lips were moving and asked me: "Nee is praying, right?" I said: "No. He's just doing Chi."
Guard asked me also and I said the same thing. But I knew, Uncle Nee didn't stop praying for a day.

Finally on one day, I came back from work and saw Uncle Nee with tears all over his face. Untie Nee passed away. Uncle Nee was very sad. I told him don't be sad and try to request again for the funeral. I thought this time it's got to be approved. But i couldn't believe that after waiting for a long time it was still not approved. The guard said: "She's dead anyway so what can you do to go back?" Dear saints, who has suffered more like this? Uncle Nee's heart was broke. But he wanted the Lord and was firm in the Lord. He bore the whole thing.
Uncle Nee love the Lord for his whole life and suffered a great deal. After a few days he was out of the agony. His life was back to normal and persisted to pray everyday.
After 9 months, he was moved to Bai Yun Mountain. That was a countryside of the east of the province. A patient of heart disease like him said farewell to us, sitting along on a tractor. 3 days later, we heard the news that he passed away.
Other than physical suffering, Uncle Nee suffered more psychologically. He suffered all these and gained nothing in his life. But he gained the Lord. Through him we see the Lord. He is a vessel, but there is treasure in this vessel.
Today in here we can shout out freely: "Lord, I love you." In China you can also shout "Lord, I love you." But back then under the ruling of extreme left, you can't just do that. Uncle Nee loved the Lord in his whole life, but for 20 years he was under limitation. People wouldn't let him say "Lord I love you." Imagine, if for 20 years you don't get to say "Dear mother, I love you." nor "Dear daughter, I love you." nor "Wife, i love you." Can you bear that? However, Uncle Nee bore all that. Because of this, let us shout 3 times: "Lord, I love you." "Lord, I love you." "Lord, I love you."

2009年10月14日水曜日

更なる光の必要

キリスト教宗教から真に離脱するには 神から来る光が
欠かせません。神の光のみが、この世と結合した
「ゆいしょ正しい」宗教から私達を離れさせることが出来るのであり、
他のいかなる方法も全く無効です。

時には 奇跡をさえ伴った神からの光を通して 私達は初めて 
キリスト教宗教の何たるかを見るのです。神からの光、そして更に何と
大きな神の憐れみの御手が 私をこれまで様々な窮地から救い出して
くれたことでしょう。

しかしここに一つの危険性があります。それは 私が神から初めて
到来したかのように見える大きな光に触れ 驚嘆する時、自分は
キリスト者として最大級の啓示を得たのかも知れない と思ってしまう
ことです。それは大きな誤解です。その光や御手はむしろ大きな神の
憐れみの故です。神がそうでもなさらなければ、私達が真に宗教を見、
そこから離脱することは不可能であったからです。

宗教から離脱することと「この道」を歩むことは完全に別の問題です。
キリスト教宗教の否定面を見るだけで、この道を歩むことは全く
不可能です。その為には 神から来る多くの更なる光と それを
期待し 神の憐れみを乞い願うへりくだった人の心は
どうしても欠かせないものでしょう。

エジプトを出、紅海を渡るだけでは完全に不十分です。もしそれだけで
あるならば いずれ私は確実にエジプトに戻るか、荒野の中で死にます。
今 私達には日々の更なる「天来の不思議な光や食物」が
何と必要なことでしょう。



今日これから山に向かいます。
小屋到着は恐らく夜になるでしょう。

2009年10月12日月曜日

獄中のウオッチマン ニー(1)

by ウー・ヨーチー

親愛なる兄弟姉妹、私の出身は中国、上海です。
私の名前はウー・ヨーチー、今年2003年現在、68歳となりました。

もともと私は高校の教師です。私は「3つの赤い旗」に反対したという
理由で、1960年に反革命のかどで告発され、7年の刑を宣告されました。
そして極東最大の刑務所・「上海ティーランチャウ刑務所」に
入れられたのです。

ニー兄弟は1952年に捕まりましたが その後は、あたかもこの人物が
この地上から消え去ってしまったかのようでした。なぜなら その時点から、
ニー兄弟に一体何が起こったのかを誰一人として知る者は
いなかったからです。

しかし主をほめたたえます。主は私のような いやしい者に恵みを与えて
下さったのです。主は私を愛され、私を守って下さいました。
それは獄中のウオッチマン・ニーに関して 私の知っていること総てを
皆さんに語るチャンスを与えるためだったのです。

2009年10月9日金曜日

美しい樹木を見よう

すっくと立つ一本の美しい樹木を前にすると、
その中の一枝のみを見るのは難しい。
それを試みるとしても、
一瞬、樹木全体の強烈な美しさが
一枝の存在をかき消す。
たとえ仮に
人が樹木の一枝を凝視するとしても、
その直後、人は直ちにその枝をも
樹木全体として認識してしまうだろう。

樹木がブドウの樹であれば尚更のこと、
即ちブドウ枝枝が即ちブドウの樹なのだ。

枝が樹木から切り離されることがもしあるならば、
枝はその時こそ 初めて一本の枝となり得るが、
いずれ必ず枯れて焼かれる。


キリストはブドウ樹全体であり、
ブドウの樹の幹だけではありません。

2009年10月4日日曜日

無数の王国(2)

無数の人の魂があり、それら一つ一つの魂がエネルギーを発し、総じて
人類は神の創造物を「神に無断で」借用、否 争奪、利用して 無数の
「事物」を作りあげています。(今の時代、神は殆どそれを黙って
見過ごしておられます。今この世界で最大の「お人よし」は
神のように見えます!)

まず人の魂があり、その人の魂のエネルギーが物を経由して
事物を作り上げます。そしてその事物の総和が「この世」
ということになるでしょう。魂→物→事物、即ち「この世」です。
そしてその人の魂に巧妙に静かに接近し、人の肉体を経由して
人に深い影響力を及ぼすことに成功した存在が あの神の敵、
サタンであったのです。従って、最終的には 
「サタン→人の魂→物→この世」と言うことになります。

さて、この世は人の魂にとって極めて魅力的なものです。
「悪魔はイエスに・・この世の総ての王国(all the kingdoms)と
その栄華を見せて言った。もし、ひれ伏して私を拝むなら、これら全部
(all these things)あなたに差し上げます。」
(マタイ4の8、9、ダービー)

このように「人の子」イエスを サタンが大真面目に誘惑した
くらいですから、いかに物、この世が 人にとって魅力的かが分かります。
魅力とは ある種の抗しがたい力です。それは恐らく 地球の引力の
ようなものでしょう。そしてその魅力の程度は多分 ひれ伏して拝みたい、
に近い はずです。従って「この世・物・物事」の魅力から逃れられる
人は誰一人としていません。なぜなら、
人の魂のそもそもの根源は物にあるからです。

無数の王国

その一大事物、系統だった組織・即ち「この世」は一つの巨大な
王国であると言うことが出来るのですが、その巨大な王国は 
更に無数の小規模なキングドム、王国から成り立っています。

その小規模の王国は 多くの「国々」(諸国、諸民族)を含むのは
当然ですが、その小規模の王国は いわゆる「何々界」をも含みます。
例えば、スポーツ界もその一つです。更に一つそのスポーツ界を
取り上げて見ると それはまた数多くのキングダムから成り立っており、
この地球全体について言うならば結局 この巨大なこの世は おび
ただしい数の王国によって構成されていると言うことが出来ます。
正にこの世は一幅の巨大な王国の系統図です。

人々は それらの中の自分の属する小さな王国の中において、何とか
「ある覇権」を握りたいと願います。簡単に言えば、出来ることなら
その小さなキングダムの中で 小さな王になりたいのです。もしも人が
その小さな王国(それは或いは、一つの会社の 更に小さなある部門
かも知れません)の中で「幸いにも」王の地位を確立出来るならば、
当然 彼は 更に上位の王になりたいと願うでしょう。
その人の願望に際限はありません。

さてその際 人々の魂が放出するエネルギーは相当なものです。
ごくごく小さな王国を見てもそうなのですから、この世の総ての
王国の中で費やされ、放出される人の魂のエネルギーの総和は何と
莫大なものとなることでしょう。その総ての人の魂の物凄い
エネルギーの交差、ぶつかりあい、また
妥協や結託等によって、この世は成り立っているのです。

2009年10月3日土曜日

万物の目的と変質

神は時空を創造し、その中に万物を置かれました。
本来、それら被造物、万物の目的は一つに「神、キリストを指し
示すこと」でした。従って太陽も、チューリップも、ライオンも
彼らの存在意義の一つはキリストを指し示すことです。

しかしここで大切なことは それらは単にキリストを指し示すもの
に過ぎず「キリストそのもの」を表現してはいない と言うことです。
当たり前ですが、チューリップやライオンに キリストそのものの
成分はありません。だから、彼らには 確かにキリストを指し示している 
という意味での「神の栄光」を見るでしょうが、キリストそのものが
彼らから現れているわけではありません。それらは キリストのある点や
面を描く絵に過ぎないのであり、万物はそのような限定された意味に
おいて、神、キリストを表現しているのです。

しかし実はここで 万物の中に ある決定的な変質が密かに進行し始めた
ことを見なければなりません。その発端はある時 神の被造物の中に 
神の敵が侵入したことです。彼は神の万物に勝手に触れ、何と神の
被造物を組織して、そこに「彼の物事」を作り上げたのです。彼は物を
彼の事物としたのです。その物事、組織の集大成を聖書では「この世」
(コスモス)と呼びます。その一大事物は敵によって組織され 
変質してしまった万物です。

この世は、なにしろサタンそのものによって経過されたので、
今やサタンの本質、即ち死と虚偽が この世の事物の総ての中に
浸透し尽くしているのです。ですからこの世のどの点、
面を切り出して見ても、そこに現れて来るのは 決まって
サタンの事物、死と虚偽なのです。

従ってライオンやチューリップ等の小さな被造物に接するだけでも
私達は そこにキリストのある面の他に 悲しみに満ちた死と虚偽を
見出し そして更に その両者間の深い闘争の絵図さえ
垣間見ることになるのです。

2009年10月1日木曜日

サウロとヤコブ

神がサウロに触れに行かれた もう一つの目的に注目する時、
サウロのケースは ある意味 ある範囲において あのイサクの子
ヤコブの場合と似ていることが分かります。

ヤコブの場合 
彼の生来の賢さ、計算高さ、強さがエスカレートするその頂点において 
即ち ヤコブの人生の闘争、その「くみうち」の頂点において 神は
ヤコブの現場に現れられ、ヤコブの魂の 最大の力が結集するポイント、
即ち 彼のもものつがいに触れたのです。

彼の長年のくみうちは実の所 決して「人と」ではなく
「神とのくみうち」でした。これまで多くの場合、私達も実は 神に
対して自分の主張を通すばかりであり、何と私達も 神をも打ち負かし
続けて来たのです。(私達こそ本当のヤコブです!)

従って仮に もしもある人の経歴に ヤコブやパウロのように
真に「神に負ける」経歴、即ち神に触れられ、倒され、歩行困難となり、
視力を失い、「障害者」とされる経歴が全くないとするならば それは
キリスト者として極めて残念なことではないでしょうか。何故なら、
彼は「自分のものと思っている」人生において自力で 思い通り自由に 
どこにでも歩いて行けるからです。それは何という不幸でしょう!

しかしながら私達もある時 神によって損傷され、その損傷によって
与えられた 不思議なある「不自由さ」をそれ以後 常に自覚せざるを
得ない「障害者」とされる必要があるのです。そのようにして私達も
神の憐れみを得て サウロからパウロに、自分のエネルギーに満ち満ちた
ヤコブから、杖なしでは一歩も歩くことが出来ないイスラエル(神と共に
支配するの意)へと変えられる あの「暗くされた真昼や夜」を
必ず必要とするのです。

(その彼が遂に神に負けた夜、即ち彼が本当に
弱くされた夜、彼のその最大の弱さの中で 何と神は彼によって掴まれた
のです。からしだねの様なかすかな信仰が かえって神を掴んだのです。
従って、とても不思議なことなのですが、正にその夜こそ、彼にとって
「真の勝利」を得る時となった と言うことが出来るのでは
ないでしょうか。創世記32の23~31)

サウロとサウロに迫害された聖徒達

神を賛美します。サウロに迫害された(殺され散らされた)
ステパノと数多くの聖徒達は 逆に サウロに強く深い影響を
与えました。サウロは彼らの体と持ち物に損傷を与えたに過ぎ
ません。しかし、彼らは 遂にはサウロをパウロと変えたのです。

サウロもその当時 彼らの中に「得体の知れないある力」を 
感じていたはずです。なればこそ サウロは 彼らの不思議な
しぶとさに触発され、キリスト者を迫害するという 彼の
「神への熱心さ」はいやが上にも エスカレートの度を加えて
行ったのでしょう。

ところが、聖徒達が内に秘める「神を起源とする高さと深さ」は
当時のパウロには全く理解出来ませんでした。何故ならその時
彼には まだ光が無かったからです。

しかし、時至って 天来の光が彼を照らした時、その光と それまで
「聖徒達がパウロに与え続けた深い印象」は 生きて直ちに結合し、
その結びつきの中に パウロは初めて「天地にある一人のお方」の声を
聞いたのです。その時 その天からの幻、即ち「天と地に今厳然と実在
される生ける一人の人」が彼の人生を真に捕らえ、根本的に彼の生涯の
奉仕の方向を決定するまでに至ったのです。