2010年12月31日金曜日

無題

本格的な山の冬の中にいます。
この時期のキッパリと妥協を許さない山の 
さびしさ、厳しさ、
すがすがしさ、清らかさがいいです。

2010年12月29日水曜日

凍結レポート5

今日29日 寒風の中だが 完全防寒装備をし 
どうしてもやらねばならない作業が
少なくも二つある。
①雪の中 貯水槽の水の調整バルブを探して、調整すること。
②検査のため切断した土の中の水道管の接合。

先ず①を片付けないといけない。何故ならそうでないとせっかく
貯水槽そばまで来ている水を 下に導入できないのである。
今この時点ではまだ ここの数軒の別荘に水は全く無いのだ。

今日も長い一日になってしまうのかな、
と言う思いの中、一人貯水槽に出かけて見たら
何とまあ 林産関係の人々が3人来ているではないか、
間もなく社長も駆けつけて、社員を叱ったりなどしている。

当然、そこで私がするべきことは何も無い。
私は意外に早く小屋に戻り
②の切断した地下の水道管の接合にかかることが出来た。

そのようにして早くも10時前には遂に 
この小屋に待ちに待った水が復活したのである。ヤレヤレ
私にもようやく普通の人の暮らしが戻って来たのだ。

人間の思惑はしばしばはずれる。実に意外にも
断水の原因は凍結とは全く別のところに存在していたのだ。
おととい、小屋についてスグ
「原因は手ごわい深く強烈な凍結である。とても手に負えない、
一冬春まで山はあきらめよう」と早急な断定を下し、その日そく
トンボ帰りしなくて本当によかったのである。


この三日間、このような文章を書くことで
乱れそうな心を調整出来たことは 私にとって
小さなことではなかったと言う
ささやかな発見をここに申し添えておきます。

凍結レポート4

まあなるようにしかならない。
今日は葛尾村のお風呂にでも行ってノンビリしようと
腹を決めたら 何と間もなく林産から電話が来た。
そして社員の武田さんが「それならスグ行きます」と言う
私にとっては法外に嬉しいお言葉。
と言うわけで、
彼等二人は水源地を調べに行ってくれたのです。
その結果 水源地の大きな水道管が
イノシシか何かの仕業ではずれていた、と。

次なる問題は あたりは既に暗くなり
小屋の上の方にある共同の貯水槽の調整弁が
彼等には見つけられない、それで
貯水槽にチョロチョロの水しか来ないと言うのです。
彼等は「明日にするべきその弁の調整」を何と私に託し、
引き上げて行きました。彼等は私を林産の
言わば外部社員のように思っているのかな?
でもこの年末、彼等にも父を待っている家族がいるのだ。

というわけで
まだまだ問題は解決していませんが
以上が「もう今日はヤメタ」と決心してから起った
予想と期待をはるかに越えた嬉しい出来事であったのです。

2010年12月28日火曜日

凍結レポート3

水道管が集中するボイラー室の室内へ 土の中から
おおもとの水道管が立ち上がって来るわけですが、
今しがたその部分の土を掘り、塩ビの水道管を
カットして見たのです。(聖書にあるように
土を掘るのはホンとに骨が折れる。)

そうするとその部分に凍結はなく、そして根本的に
何と水がそこまで来ていないのです!
これは何ということでしょう。
もしもそれが正しければ、今回のトラブルの原因は
私の責任の外に存在すると言うことになります。

それはこうです:
ここの水の源は奥の沢にあります。そこから中村さんの
敷地にある 水を配る貯水槽までの数キロの水の行程に 
或いは本当の原因があるのかも知れないのです。

水源からの工事者は都路林産なのですが
年末のこの時期、彼等を当てにすることは
難しいでしょう。電話をしても誰も出ないし、
社長はどこにいるか分らない・・

こういう「おおらかさ」は都会では
考えられないことでしょう。
しかしここで暮らす選択をした私としては 
こういう都路風お付き合いを
けしからんと息巻くわけには行かないと思っております。
まだこの段階では
責任は必ず彼等にあると断定するわけにも行かないしね。

さて午後何をするか。
雪をかき分け、奥の沢まで原因を探しに出かけるか、
それとも もう今日はこれまでと
葛尾村のお風呂に行ってしまうか、です。

激しい土堀りのせいかな、先ほど脚にコムラガエリが
起こりました。もうスグ70歳になる身、
あまりムリするべきではないでしょう。
アーメン!

凍結レポート2

雪の中、水道のない窮乏生活が始まった。
トイレは150メーター歩いて森の中の原始的トイレで。

最初の作業は 
外の簡易水道の支柱を灯油ストーブで加熱して見ること。
もしもこれに成功すれば そこから
ホースを南のデッキまで引いて来て、そこから水を常時
出しっ放しにすればいい。この水さえ出れば 
極めて不便ながら何とか ここで暮らせないことはないと思う。

洗面はしない。可能なら夕方 村のお風呂に行けばいい。
昼は早めにして 例の「シュガー鍋」でキャベツを沢山蒸して
食すべし。こんな時 健康管理は大切である。
そのための水は 100メートル先の水道まで汲みに行く。
この簡易水道が出たことはとてもラッキー。
今 南の空に、
カリマンの夜明けが美しい。


カリマンとは
今は使用されない昔からのここの地名、
獣を捕る人々が住んでいたとか。

2010年12月27日月曜日

水が出ない!

今日午後2時ころ小屋に着きました。
「着いてホッとしています」と言いたい所ですが 
ただ今 エライことになっております。
それは案の定 水道の完全凍結!
どこからも全く水は出ません。

水道管が入り組んで沢山通っている
ボイラー室を 数時間30度くらいまで
暖めて見たのですが、全くダメですね。
だから凍結はボイラー室でないのかも知れない。

明日 水道管が地下から上がってボイラー室に入り
それが三つに分岐している所を開いて見ましょう。
凍結がそのアトなのか、その前なのかが 
それで分かるはず。

今回はどうも雲行きが怪しい感じです。
もうスグ正月、職人さんは来てくれないだろうから
もう一日二日孤軍奮闘努力し、それでも出なかったら
今回はあきらめて下山するか、
雪は沢山あるが水のない、不便この上ない
真冬の山暮らしを一人楽しむかですね。

2010年12月25日土曜日

冬将軍到来

利根川のほとりは
少し寒いが実に気持ちのよい快晴です。
昔 秋田から出てきた頃、真剣に
これが冬だって?太平洋側の人々は何を考えているのだろう
と思ったものです。

田村市は今日、昼から雪とある。
あさって入山するが 水道は大丈夫かな。
でもこれからの約ふた月、山の中で一人
冬将軍と「対決」出来ると言うある種の期待感や
楽しみのような気持ちも無いわけではないのです。

2010年12月24日金曜日

神の意図(いと)

主人が
びっくりするくらい回復が早いのです。
熱も下がっています。

そして何よりも
度重(たびかさ)なる脳梗塞のために 
脳の機能が殆(ほとん)どない と言えるような主人が
今私の事が良く分かるのです。
これは凄いことです!


すばらしいです。
それは間違いなく神がされたことでしょう。
私はこの喜びを兄弟姉妹に
次のように伝えました。


この夫婦に何が起っているのでしょう。
神が真に彼ご自身の御業(みわざ)をされる時には
人はただ傍(かたわら)に立って
見ているだけのようです。

「神が働かれるために」人はどうであるべきか、
これだけが今日キリスト者が学ぶべき
ただ一つの学課(がっか)です。

多分それを一言で言えば
「神に対する私の従順(じゅうじゅん)」でしょう。
更に具体的に言えば
「神が私のために用意する十字架」を受け入れることです。

ただそのさい、神はしばしば
「私に対するサタンの攻撃(こうげき)」でさえ
用いられるので 私はアワテふためき 自分を失い
「神のみこころ」がどこかに行ってしまうことが多いのです。

「神は サタンの働きに乗じて御業を行われる」、
これは聖書全体が教えている極めて大きな原則であり、
ここにおいてこそ、この時代においても
十字架と復活が現実のものとなり得るのです。

イエスに起った原則は 私達にも起るべき原則です。
私達は「神の意図」を誤解せず、
静かに神の救いを待つべきです。

2010年12月23日木曜日

精神病の家族を持つ知り合いへ

○○さん
先日はよくぞ電話をして下さいました。
有難う、感謝しますよ。
あの時はちょうど「洋服屋しまむら」の着替えの箱の中で
ズボンを試していたところでしたので失礼しました。

復職のメドさえつかない息子さんのこと、
それはそれは大変でしょう。
精神病の子供を持つ親の心労は並大抵ではありません。
私の人生の総てが壊れてしまったような気持ちになり
自分自身でさえ何かに押しつぶされてしまうように感じます。
簡単に言うと それは解決のない絶望感と言えるものかも
知れません。

息子さんも 大変ですが
私は○○さんがまず心配です。
もしもあなたが倒れてしまったら家族はそここそ大変です。

ですから先ずは
あなたの心が おだやかにされることが必要です。
そうする時に 必ずその影響が息子さんにも及んで行きます。

それでどうでしょうか。一度 あなたの所から程遠くない
我孫子にあるクリスチャンの集まりに来て見ませんか。
これは単に 私達普通の人が数名 月一で集まって、
人としてどう生きて行けばいいのかを
気楽に話し合い、交流する集まりです。
牧師さんのいる「~教会」というのではないのですが・・

今度は25日(土)の昼頃からです。
もし今回 都合が悪ければ、そのうちゼヒ一度来て見てください。

人には全く不可能なことでも
本当に生きている神・イエスキリストに心を総てまかせる時に
奇跡も十分あり得るのです。 光は必ず見えて来ます。
決して絶望することなどありません。

それではまた。

★  ★

利根川のほとりの家、
強風に雨戸がガタガタ音を出す冬至の夜が終わった。
でも今日一日は風が強いらしい。
あまり気温は低くないのだが
体感的に寒い日となるのかも知れない。

朝6:47から16:32、
これが一年で一番日が短い時の昼間の時間である。
もうこれ以上 日が短くなることはない、嬉しい。

2010年12月22日水曜日

イエスキリストの骨

創世記によると
「キリストの絵であるアダム」、そのアダムの骨が、
彼が熟睡中に取り出され、そしてその骨からエバが創られたと
あります。また福音書によると
十字架上のイエスの肉は裂かれましたが、彼の骨は神によって
守られたことを見ます。

さて十字架上のイエスの肉体も一面 絵や説明ですが
イエスの骨とは 
イエスの中にあった永遠の命を説明(せつめい)しています。

ですから大切なのは 骨が説明している実体「霊的な命」です。
極めて尊い事実として、彼の肉が裂(さ)かれ、彼の肉の中にあった
霊の中の永遠の命が、イエスの体から解(と)き放(はな)たれ、
解放(かいほう)された正にその時、
本当の骨・永遠の命が私達(真のエバ)の中に入って来る備えが
総て完成したのです。

ですから私達・その事実を信じ受け入れた者は誰でも
イエスの中の骨が指し示すもの、すなわち永遠の霊的な命を
いただいているのです。この事実こそが大切です。
絵は一つあれば十分です。大事なのは 本当の命です。
私やあなたは今その骨の本物・真の命をいただいているのです。

誰の骨でも私達の骨はいずれ 朽(く)ち果(は)てます。
しかしイエスキリストの骨、永遠の命が朽ち果てることなど
絶対にありません。(もしも仮にそういうことがあるならば
神は神でなくなってしまいます!)

しかし、復活の時
私たちの骨や肉でさえ 霊の命の力によって復活し、
永遠に朽ちない体に変えられるでしょう。

それは将来における私達の大いなる栄光であり、また今でさえ 
私達が恥(は)じなければならないものは何一つありません。

私達の罪と恥じに対する神の刑罰は イエスの身の上で
既に完結しているからです。

2010年12月21日火曜日

恥をもいとわずに

私達は罪人ですから 多くの罪の恥(はじ)を
隠(かく)し持っています。 しかし神は彼の義の故に 
その私達の総ての罪の恥に対する刑罰 (けいばつ)として 
ある日 総ての御使いの前において私達の恥を 
全部さらし出さなければなりません。

しかし神は何とその「恥じのさらし」を2千年前に 
あのイエスの身の上で執行(しっこう)されたのです。
イエスの十字架の上での苦しみは種々ありますが
その一つがその「恥にまみれること」でした。

当時 十字架刑(けい)は 逃亡(とうぼう)した
奴隷(どれい)に対して行われたものでした。
それは最低の刑罰(けいばつ)であり、最も苦しく
むごい刑罰でした。 それは一つに その奴隷の恥を太陽の下に
すえ、人類の歴史のど真ん中に高く掲(かか)げ「あらわに」し
「さらしつくす」ものだったのです。

多分 イエスはピラトとヘロデ、兵士(へいし)達の前、
そしてあの十字架上で殆ど裸(はだか)であったことでしょう。
それはあまりにヒドイので、はるか後世に書かれた
「イエスの絵」には 小さな腰布(こしぬの)が
描(えがか)かれています。

ところが本当のところ
私達こそが恥じにまみれた罪人ではないでしょうか。しかし
当然神の子 イエスには、ただの一つの小さな恥、微小な恥の
影さえもありませんでした。

私達は更に彼はあの時 
その羞恥(しゅうち)と屈辱(くつじょく) の感覚を麻痺(まひ)
させようとする飲み物を断固拒絶されたことを知っています。
彼は死の直前まで その恥じの感覚を感じ尽くされ、その屈辱の
盃(さかずき)を完全に飲み干(ほ)されたのです。

イエスの肉体の上において恥が全世界にさらされた時に
神の目に映ったその恥とは 実は 私達の恥でした。
従って「私達の裸の罪の恥」への神の罰(ばつ)は 
あの時に既にイエスにあって終了したのです。
「私達の罪の恥」への刑罰は
イエスの中であの日完成されたのです。


それはひとえに
全く罪のないお方が
「恥をもいとわないで」
十字架を忍ばれた故です。
(ヘブル12の2)

2010年12月20日月曜日

THE JUST FOR THE UNJUST

Ⅰペテロ3の18の
「the just for the unjust」
という簡明な表現がいいです。
(正しくない者の為の正しき者)

これは、正しき者は正しからざる者 によって
死に至らせられるのであり
しかしその死は その正しからざる者の為である、
ということです。

しかしこの原則は あの時に始まり、
今でさえその継続の中にあるはずです。


「真にみこころの中を歩む願いを持つ人」
に対して 
聖霊は直ちに 十字架に向かわせます。
(これは法則です。)
なぜなら
①十字架を退けないこと 或いは
②積極的に十字架をわが身に迎えようとすることこそ、
私達に対する神の「みこころの基礎」であるからです。

従って
十字架を土台としない「みこころ」
と言うものはあり得ません。



この所 下で暮らしております。

2010年12月17日金曜日

カナダの冬便り

シュガーさん

いかがお過ごしですか?
ブログ、見せていただいています。
そちらも 寒そうですね。
シュガーさんの生活を見て励まされております。

凄いですね。私もあなたのように、
カナダの山奥に住みたいと、思うときがあります。
しかしまだ 定年まで3年半もあるのです。
仕事は毎日 本当に戦いです。

こちらも寒い時にはマイナス8度ぐらいにはなりますが 
そういうのはマレです。普段は10度前後でしょう。
ここは雨が多いのです。

しかしカナダの山は今大雪です。
いつも聞いているラジオで今日は
雪山キャンプのすすめと体験談を聞きました。
テント無しで 雪の中に洞穴(どうくつ)を作るとの事です。
私も「いつかやるぞ」と決意を新たにしている所です。

先回旅行した時には カリフォルニアの
暖かい所もいいなーと思いましたが、今は
やはり雪が降り 四季があるバンクーバーがいいや、
と思っています。

(寒い所、バンクーバーより)

2010年12月16日木曜日

水道凍結アレルギー?

今朝 6時現在で、小屋の外がマイナス7度、暖房なしの
居間がプラス5度 例の内外差は12度でした。
外の気温がマイナス10度には至りませんでした。

ここは東北とは言っても気候的には
いわば「関東圏」のような所なので 
零下7度というと、エッと思われるかも知れませんが、
北海道や長野県の戸隠などに比べたら大したことはないのです。
(しかしここから一寸はなれた隣の葛尾村などには 
ゆうにマイナス15度にもなる場所があります。)

水道の凍結も大丈夫でした。
しかし、私が小屋をしばらくルスにし、しかも
こんな気温が何日も続いた場合 いくら内外差が12度ある
と言っても今日のようには行かないかも知れません。

私的には 寒冷地の屋内の気温と言うのは無暖房の場合
「日々積み重なって下がって行く」ように感じられます。
今朝の場合は 暖房をしない部屋でも 暖房をしている
部屋からの僅かの暖かさが及び ある程度は暖かくなって
いる筈です。しかしその熱が全く途絶えてしまった時、
シンシンとした寒さが徐々に小屋全体の気温を 
押し下げて行くのではないのかな。

このことは
「氷が発生し、固くなり大きくなって行くこと」についても
言えるのではないでしょうか。
ですから一旦水道管の中で凍結が始まってしまうと 
その氷はなかなか解けてはくれないのです。

それにしても水道の凍結は怖い。
(数年前のあの経験が!・・)

2010年12月15日水曜日

明朝は氷点下10度?

今日 ここ阿武隈.田村市の気温予報であるが 
明朝はマイナス7度だと言う。

ここは
普通の田村市よりも標高が高い旧都路村の岩井沢、
私の小屋は 更にその岩井沢の山の上にある。 
だから明日の朝、氷点下10度もあり得るわけだ。

人の体は寒さには徐々に慣れるので 
意外にどう言うこともないのだが
(今年も もう大分なれました)
問題は水道の凍結である。
対策は施したが、さて本番はどうであろうか。
その本番がいよいよ来た。

2010年12月12日日曜日

「遅ければ遅いほどよい」

この世界では
「スピーディであればあるほどよい」のです。
しかし 主にあっては本当に
「主と共に遅ければ遅いほどよい」のかも知れません。

その結果「天から与えれれるスピード」
によってなされたものだけが
初めて真の存在価値を持つのでしょう。

アーメンです!
「主と共に遅ければ遅いほどよい」、そうですよね、
焦る必要はないのですよね。
当たり前の生活を送っていく過程で、神に照らされ、
「天から与えられるスピード」で成長していければいいのですね。

そうだと思います。
「天から与えられるスピード」によって
成長することこそ 重要なのでしょう。

「主と共にスロー」は本当の「スローライフ」です。
そのスローライフを本当に実践する人は 
いずれ 自分の生活(or人生)が不思議な方法で
実に能率的であったことを知るでしょう。
何故なら彼にとっては
「イエスそのもの」が「能率」であり
神ご自身がその人を運んでおられたからです

2010年12月10日金曜日

内外差

この小屋にもいよいよ
気持ちのよい ピリリとした冬が来ましたよ。

パソコンで見る今日の田村市の気温予報は
最低が1度と最高が6度。しかし これではまだまだ
本格的な阿武隈の寒さとは言えません。

さて、
この小屋の 先ほど七時前の気温はと言うと:
デッキにつるした寒暖計がマイナス2.5度で 
夜通し暖房をしなかった一階の居間は8度でした。
(ここも田村市の一部とは言っても結構な差です。ちなみに、
小さな灯油ストーブだけの ロフトにあるマイルームは28度!)
即ち自然な外と居間の気温差が 10度ということです。

この内外差が大きければ大きいほど この小屋の保温性が高い
ということになり、寒冷地の住まいとしてはよい状態である
と言えないだろうか、と考えております。

これから内壁を仕上げ、種々の工夫によって
その内外差を更に大きくしたいと思っているのですが・・

2010年12月4日土曜日

ツケは必ず来る

昨日のことです。
母屋から張り出した部分、後(あと)工事のピアノ室の
西側の壁に何と雨漏りが!

それにしてもどうして
今まで雨漏りが無く 今回初めてあったのか:
それは雨が昨日のように西の強風に伴なって
ピアノ室の西側面に 横なぐりに吹き付けたからです。
山では雨は必ず上から降る、というわけではありません。

いずれにしろ近く ピアノ室外側の防水工事を徹底して
やらないといけません。しかし この作業は
大したことではないのです。問題は壁内部です。

壁内部の断熱材が雨を一旦吸い込んだら、それが
自然に乾燥することはまずあり得ない。
(自然と乾いてくれる断熱材があったらいいのに!)
従ってピアノ室西側の内部の板を全部はがして
断熱材を取替えなければなりません。
ほおって置いたらいずれ土台が腐食してしまうからです。

それにしても
何故こんなことになってしまったのか、
その理由は単純:しばらく前に私が
「多分いずれここは雨漏りがあるだろうな」と感じながら
それをほったらかしにしたからです。
ツケは必ず来ますね。


今朝 森は完全な雪景色。
田村市の最低気温が3度でも ここは標高が高いから
雪になります。いよいよ来たね、と言う感じです。
ただ今日は 9時から晴れだし、
明日の最低は5度だと言うから 
この程度の淡雪は問題ないでしょう。