2010年10月31日日曜日

パッとしない天気です

今日は終日曇りの予報。
(でも今 雨が降っていますよ。
これでは朝の「山散歩」はムリですね、残念。)
気温は最高12度。明日もまた雨。
最近どうもパッとしませんね。

それにしても
人の感覚や気分というものは
何とたやすくそれらの影響を受けることでしょう。

「雲の上」には
必ず輝く青空と太陽、
そのはるか上には
決して動くことのない「神の素晴らしい事実」がある、
と言うのに。

2010年10月30日土曜日

午後はシチューを作ります

昨日は三春の病院へ:
ゼンソク予防の吸入薬をもらって来ました。
大きな病院は 
夕方終了時間ギリギリに飛び込んで受付をするのが
コツのようです。
昨日もとても早く見てもらえました。

その帰り道、
ピアノ室用の灯油ストーブをコメリで買いました。
7千円何がしでした。だから今日は部屋を暖かくして、
ピアノでも弾きましょう。
曲はモチロン「一生一曲の」あれです。

ピアノと言えば不思議なことがありました。
小屋をスルに 当然ピアノに触れる機会など
相当な期間、一ヶ月以上もなかったのに、
ナンだか、かえって少しうまくなっていたこと、
これ何故? 年寄りの錯覚(さっかく)?

今 昼の12時半。
午後はユーウツな冷たい雨の音を聞きながら
一人 シチュー作りですね。
ジャガイモ、ネギ、たまねぎ、ハクサイ、
豚肉、ニンジン等は昨日買って来てあります。

その後は
地下室の水道管をどうするか:
厳冬時の凍結防止工事です。
真冬、長いルスのあとに小屋に帰って見ると
L D K のシンクだけですが、出ないことがあるのです。
どうするのがいいのかなー、
これは地下室の現場で考えることにしましょう。

2010年10月28日木曜日

山はもう冬の気配(けはい)

今 朝5時ちょうど。
今日の日の出は5:59
日の入りは 4:51
これから冬至まで 
この日の出と日の入りの時間の変化が面白い。
そのようにして遂に 冬至の日の出を
目撃(もくげき)するのは一寸した感動です。

朝の「山散歩」は
日の出のころであれば理想的ですが
今日は曇りなので
日の出に合わせてもあまり意味がないでしょう。

もう阿武隈の朝はずい分寒いです。
ロフトのわが個室は既にストーブ、
これから朝食の焼きイモです。

2010年10月26日火曜日

発芽現象(2)

これは主イエスが
ご自身とキリスト者の経験に関して
「一粒の麦」にたとえられた現象です。

その麦のカラとは人の魂であり、そして
カラの中の「死を通過してさえ破壊されることのない成分」とは
人の霊と一つとなられた「聖霊」です。
当然この発芽現象とは「キリストの復活」に他なりません。

旧約聖書において キリストの復活は
祭壇(さいだん)の上にしばられ 強力な神の火の
加熱によって焼きつくされた生き物が 煙となって
天にかけ上り 神のための芳香(ほうこう)となった煙、
すなわち死を経過(けいか)し、今は悪魔を足の下にし
総てのものを超越(ちょうえつ)した存在、
として描(えが)かれております。
またイエスに加えられた死の圧迫はパプテスマの「水」等
によっても象徴(しょうちょう)されております。

聖書の全編(ぜんぺん)において 水と火は 
総ての旧(ふる)きものを死に至らしめ終わらせ、その様にして
「朽(く)ちることのない永遠のもの」を導入するための 
神にとって極めて重要な手段(しゅだん)
であったと言えるでしょう。

もしもそうであるならば、今日でさえ 
私達が 日々自分の実生活において 
真に「キリストにある死」を経(へ)ているのでなければ 
私達の経験において、真の命の発芽現象は存在し得ないでしょう。

発芽現象(はつがげんしょう)

私(sugar)が生まれた1941年ころ
中国のキリスト教徒はわずか2~300万人でした。
その中で
「ただ場所を根拠(こんきょ)に現われた地方教会」
にぞくす兄弟姉妹はわずか数10万人でした。

ところが今はこうです:
中国の全人口13億人中何と
キリスト教徒は その一割に当たる1・3億人です。
これはちょうど今の日本の全人口に相当します。
(その中には一部 本当には救われていない人、
「永遠の命」を持っていない人も
含(ふく)まれているでしょうが・・。)

正確な算定(さんてい)は不可能ですが
「地方教会」に属(ぞく)するキリスト者は
最も少なく見積(みつ)もっても100万人、おそらくは
数100万人に上るであろうと言われております。

更にその上 当然無名の全中国にわたって実在する
おびただしい数の家庭集会の存在をあげなければなりません。
しかしその実態(じったい)を知るいかなる方法もありません。
(私はその中のわずか2、3の「実情」を
後日 報告することが出来るだけです。)


形に表れたキリスト「教」はその殆(ほと)んどが
破壊(はかい)されました。しかし私達はここに
人間の政治的圧力などではむろんのこと 
神の敵でさえ絶対に破壊不可能な素晴らしいものの
存在を指摘(してき)しなければなりません。
それはキリスト者の中の霊に実在(じつざい)する聖霊です。

しかしその当時 いやおう無しに
目に飛び込んでくる恐ろしい状況(じょうきょう)と
更に魂や肉体に加えられる脅迫(きょうはく)を実体験する時
「キリスト者の霊」と言えども
大いに圧迫されたに違いありません。

ところがここに 
ある不思議な「命の現象」が現われたのです。
それは全中国において
人の霊の中の聖霊による おびただしい数の
「発芽現象」とでも言うべきものでした。

キリスト者達に対して ものすごい恐怖(きょうふ)が押し迫り
その様にして人の魂までが破壊され、人の霊でさえ
押しつぶされたかに見えたその瞬間(しゅんかん)何と
何も見えない真っ暗な地中において
「土中熱」(どちゅうねつ)と土が含む水の作用によって
霊的な「命の発芽現象」が発生しました。すなわち それまで
あの「麦つぶの中に秘(ひ)められた命」をおおっていた
硬(かた)いカラが水と熱の力によって 
ついに崩壊(ほうかい)したのです!

2010年10月22日金曜日

真性なキリスト者の霊

聖書の主張からすると 人の魂も
「目に見えるもの」(感覚できるもの)に数えられます。
その意味は 人の魂でさえ実は被造物の類(たぐい)
すなわち物質に属(ぞく)するものである、と言うことです。

そして被造物(その殆どは古い創造になってしまった!)は 
この時代、神の敵が破壊(はかい)を許されている一つの
領域(りょういき)・場所であると言えるでしょう。

しかしここで 私達はこの世の神・
あの龍(りゅう)すなわち極めて残酷(ざんこく)な者でさえ
決して破壊することの出来ない一つの尊(とうと)いものを
高くかかげなければなりません。

それは
聖書の中で
「目に見えないもの」「一時的でないもの」「永遠のもの」
の中に数えられる、
神と人に属(ぞく)する唯一のもの、すなわち
キリスト者の体と魂の、
更にその奥底に潜(ひそ)んでいる 
聖霊によって神の国に生まれた、
「真性なキリスト者」の霊です。

2010年10月21日木曜日

とても困難な時代

中国において キリスト者が
「ひどい」迫害(はくがい)を受けた時期(じき)は、
およそ30年間に及び、
1950年ころから 80年ころまでと言えるでしょう。
(しかし今でさえ迫害は十分に存在しています。)

それではこの間に何があったのでしょう。
それは要するに
「おもて・形に表れた宗教的な一切」が破壊(はかい)
された、と表現できるかも知れません。

それでは
「形に表れた宗教的なもの」とは何でしょうか。
それは先ずは物であり建物であり看板(かんばん)です。

そして更(さら)にそれは 宗教的な組織(そしき)に及
(およ)び 宗教の中の様々な役職(やくしょく)についている
人々に及びました。(あるいは人に付随(ふずい)した宗教的な
役職と言うべきかも知れませんが・・)
それらはとても目立ちハッキリしているものなので
サタンの怒りはそれらをイトも簡単に破壊したはずです。
そのようにして遂(つい)に迫害は「目に見える物」である
「キリスト者の肉体」にまで及(およ)んで行ったのです。

そのような中
おそろしい破壊を目の当たりにした時 キリスト者の魂は
必ず大いに揺(ゆ)さぶられたに違いありません。
人の魂は感情、思い、意志から成っているのですが・・

まずは彼らの「感覚、感情」は簡単に
動揺(どうよう)したはずです。
そしてそのような時 彼らの思い、思考があれやこれやと
自分の「人生の損得(そんとく)」について思い
めぐらせるならば もう勝負はついたも同様です。

最後に彼らの意志でさえ 
見えない ほえたけるシシの脅迫(きょうはく)に
あえなく屈(くっ)したことでしょう。
「総ての人のありかた」は最後に人の意志が決定するからです。
そのようにして
「人の魂である人自身」が悪魔の前に
完全に敗北してしまった、と言えるでしょう。

2010年10月20日水曜日

戴(タイ)姉妹の場合


乳がんになった
この女性は共産党幹部(かんぶ)の奥さんであり
キリスト者を迫害する立場の人でした。

病院で薬の治療を受けたのでしたが それがかえって
症状を悪化させたのです。薬物の影響から手足のタダレが
物すごい状態(じょうたい)になり、筋肉が開き、肉内部の
スジが見えるほどだったと言います。それは極めて絶望的な
状況でした。もはや 何にもすがることの出来ない彼女は 
ついに主を信じました。

その時から 症状は徐々に改善(かいぜん)に向かい、一年後 
乳がんと手足のタダレは完全に癒(いや)されたのです。
姉妹は私にズボンをまくって ヒドかったその脚(あし)を
見せてくれました。それは「むこうずね」あたりにあり、
相当広い部分にわたるものでした。

私は手で触らせてもらったのですが
最悪の状態であったその部分は 今完全に乾(かわ)ききり 
正に痕跡(こんせき)をとどめるだけでした。
今教会で主に仕える姉妹は 健康そのものという印象です。

別れぎわ 姉妹は言いました、
「正に人の絶望(ぜつぼう)こそ神の開始です。そして
この深い傷あとは 神が私に残してくれた 
神の愛のすばらしい記念なのです。」

2010年10月19日火曜日

戚兄弟の話


1970年前後は迫害がとてもひどくなりました。
しかしそのころはギャクに
人から人への福音を聞いて救われる人が
ますます増えて行った時期でもあったそうです。
そして実に興味深いことには
その時期 ひどい環境にもかかわらず
神を信じる兄弟姉妹の体、健康状態は
よくなって行ったというのです。

農村地帯の兄弟姉妹の間でその頃 
多くの奇跡が起こりました。
これはその一例に過ぎませんが ある姉妹は 
キリストを信じた者への見せしめの為に 三角ぼうしを
かぶらされ 罪状を書いた看板を胸にぶら下げ 村人の環視
(かんし)の中を 歩き回らなければなりませんでした。

さらに悪いことには
この姉妹はひどい関節炎に苦しんでいたのです。
そういう姉妹の唯一の頼みは一本のツエでした。
容赦(ようしゃ)なく後ろから役人がドナります
「早く歩け」と。
しかしどうして早くなど歩けましょう。
姉妹はとうとう つまずいて倒れてしまったのです。

正にその時です、この姉妹はなぜか
あの唯一の頼みのツエを完全に忘れてしまったのです。
そしてその時シッカリと立ち上がった姉妹は あんなに
ひどかった関節炎が完全に癒(いや)されてしまった
ことをその身に感じたのです。

この事実はそれを目撃(もくげき)した村人たちに
強い衝撃(しょうげき)を与えたことは
言うまでもありません。
迫害という悪魔の努力は 正に逆効果となって
しまったようです。

2010年10月18日月曜日

戚(セキ)兄弟の場合

中国、地下教会の迫害された聖徒達

彼は現在66歳、2万人ほどいる「ある地方教会」の
働き人※です。彼の場合は1983年と2003年に
それぞれ数ヶ月間 獄(ごく)に入れられました。

もともと学校の教員であった彼は、68年に主を信じました。
しかし福音を伝えたために 70年に教員をやめさせられました。 
その時は共産党の思想教育を受けたそうです。その教育とは
「あなたが神を信じたのはやむを得なかったとしても、
これからは人に伝えてはいけない」ということでした。

教員をやめさせられた彼は それから漢方医療
(かんぽういりょう)の勉強を始め、医者として収入を得る
かたわら 一方では 総ての生活の中で主に仕えるために
その身を主にささげられました。

彼が獄に入れられた理由は
3万冊の詩歌(クリスチャンの歌集)を配(くば)った
ためでした。入獄中、当局(とうきょく)が知りたがったことは 
その歌集の責任者の名前だったのですが 彼はとうとう 
その告白を拒(こば)み通したと言います。ここで彼は
笑いながら面白いことを言いました、「態度はハッキリ
している方がいいのです。そういう私のようすを見て
何と役人も私を尊敬したようです!」。

「牢獄生活とはどんなものでしたか」という質問に
「そんな時でも 主の慰めによって私は大いに慰められ
ました」と言い しかし最も辛(つら)かったのは 完全に
兄弟姉妹との交わりから絶たれたことだったそうです。

また夜寝る時には 隣に寝る人との間隔(かんかく)が
殆どないほどせまく、とてもあお向けになどなれない、
それで どうしても体を横にして寝なければならなかった
そうです。(これはヒドイ)

今の彼はしばしば山に入り 薬草をとってきては 
福音の為に人々の病をいやし
また教会に奉仕する生活を送っておられます。


地方教会:
地方教会とは教会の名称ではなく性質です。
それは単に「ある場所内で召しだされた聖徒達」という
意味です。ですから 集まる場所は看板もなく、
ゴク普通の建物で どこが正門かもハッキリしないほどです。
(この場合 地方教会はウイットネス リーとは無関係です。)

また「働き人」「同働者」と言われている人々のことですが
彼らに「賃金」というものは全く無く、完全に神に
より頼むばかりの生活だと言います。ですから中には
この兄弟のように一面 医師として働いている場合も
あるわけです。使徒パウロを思い出しますね。