2010年11月30日火曜日

小屋に着きました

今3時過ぎ
ついさっき小屋に着いたばかりです。
とても静かです。
穏やかな山の空気が小屋を包んでいます。

今朝9時前 実家を出て今日もオール下でした。
日立の海岸線で海辺に車を止めて海を眺めることが出来ました。
いわきからは 買い物の関係で49号線を走りました。

小屋に着いて片付けを終え 一息ついたら、
何故そうなったのかは分りませんが
賛美が溢れて来ました。

「価値があるのはただあなただけです、
総てはむなしい中
《本当の実質》はただあなただけです」と
祈ると言うよりはただ神を賛美しました。

このような神を信じ、このような神と一つとなりえる
特権を何と感謝しましょうか。
私達の人生は、だから、むなしくありません。

2010年11月29日月曜日

今達し得ている所に従って

「キリスト者の霊的学びにおける到達点」には
明確な神のみこころがあり、その目標が揺らいだり、
変更されたりすることはあり得ません。
キリスト者達に対する神の働きの特徴は 
その目的の明確さ・手順の厳格さ、
そして美しさにあるからです。

しかし、それへと至らしめる
一人一人の兄弟姉妹への神の導きには
一つとして同じやり方はあり得ません。
この時代、神はキリスト者を一くくりにし、
大きな教室で 画一的に導くようなことは
決してされません。

なぜなら私達の
「命の成長の度合い」を初めとした様々な状況は
一人一人が著しく異なるからです。
そのように著しく異なるキリスト者を 
正当にしかも美しく導く極めて偉大な能力は
ただ神のみが所有し得るものです。

ですから、霊的成長の為にキリスト者が 
一人の人間、或いはある特定の人間達の
指示に従って一斉に行動するなどは決して
正常な姿であるとは言えません。

確かに言えることは 神は先ず
「私達一人一人が今達し得ている所」を良くご覧になられ、
次におのおのの内側に ある霊的な関心、興味、憧れを
生じさせることによって
今その人にとって必要な「ある神の真理」の
①啓示と②経験に 導こうとされることです。
そうやって神は私達を順次 前進させられるのです。

その神の導きは 
総ての真に新しく生まれたキリスト者に対して
真理A→B→Cから開始され、いずれ必ず→X→Y→Z の
①啓示と②経験へと至るでしょう。

私達が 多くの証人や先人達のように この時代、
即ち この肉体に留まる一定期間において もしも
・・Y→Z にまで到達できるならば
それは何と幸いなことでしょう。

とは言え 
ここで私達が確認しておきたい極めて大切な事実は
私達が霊的学びの過程に置いて獲得して行くものは
初めから終わりまで「ただ一つの事物」であり
その事物とは「キリストというお方」以外の何物でもないと
言うことです。何故ならキリストこそ 
A(アルファ) でありZ(オメガ)であるからです。
(黙示録1の8)

今大切なのは
その神の働きかけに対して「私がどう応じるか」です。
その「応じ方」(今の私の応じ方)によって 私の
「この時代における」霊的成長のスピードと
「この時代における」私の到達点が 決定されてしまうとすれば、
それは極めて厳粛なことではないでしょうか。

このような神ご自身だけが
「教会」(エクレシア)における
唯一人の先生であり、父です。


「それはそれとして、私達は既に達している所を基準として、
進むべきです。」(ピリピ3の16)

2010年11月25日木曜日

天王山

午前中、あまり良い天気なので
夏に遭難しかけた あの天王山まで行って来ました。
この辺の阿武隈の山は
里山に近い低山(千メートル未満)なのですが、
それでも油断するとやはり危険です。

でも今日はよかった。
木の葉の積もった冬枯れの明るい雑木林の尾根を登り
「下の頂上」まで行ってきました。(「上の頂上」もあるのです)
原生林がわずかに残る頂上あたりの林、
フカフカの枯葉に寝転び、しばらく青空を眺めておりました。
今日はただそれだけ。

今後の為に、
ルートをシッカリと確認したので、
これから天気さえ良ければ、真冬でも行けるでしょう。

この小屋が登山口みたいなものだから、
半日もあれば十分往復が可能です。
足腰が普通の人ならば(一寸健脚ならば、かな)
都会からのお客さんでも
結構 楽しんでもらえるだろうと思います。


先日の小野君、
とてもよい交流が出来ました。
今度は 奥さんを連れてくるかな。


明日下山し、30日あたりまた入山の予定です。

2010年11月22日月曜日

小野君

今日 秋田は本荘高校時代の友人、
小野君から電話があり、
明日船引駅に 昼ごろ着くとのことです。

いやいや何十年ぶりだろう。
69歳にもなってしまった相手の顔を見てお互い、
相当のショックはどうしても禁じ得ないことでしょう。

しかしあした そのショックは内に秘め 
最初何と言う言葉を発しようか。

家族と福島の温泉に来たというのに、
家族をどこかに置いて一人
この山奥まで来てくれるのだと言う。
主よ彼に祝福を。

2010年11月21日日曜日

月見

昨日夕方の山散歩は近所の「ダビデの丘」まででした。
ネライの一つは14日の月。(正確な月齢は13・9)

一昨日はまだ月の出は早く、夕日を十分受けるので
私の好きな「白い月」でしたが 
昨日になると まだ僅かに(わずか)に
ピンクの夕焼けが残る東の空に昇るのは
「透明な明るい月」でした。

今日の月齢は14・9、明日は15・9ですので、
ほぼ満月が二日に渡って 見られそう。
それはスッカリ暗くなった空に昇る月、
だから「煌々(こうこう)と輝く月」となるでしょう。

今晩 もし晴れていたら
「霜月(しもつき)の月見」などはいかがでしょう。

★午後5:50

まだ6時まえなのに、スッカリ夜です。
冬の前、この時期の静かな山の深い落ち着きも
なかなかいいものです。
こんな感じで冬を待つのは 今年が初めてかな。
・・・
それでは
ロフトのデッキに上がって月を見て来ましょう。
出てるかな。・・・
出てました、出てました!真東に昇る煌々たる満月が。
・ ・
一つのことをお教えします。それは 明日の早朝まだ夜中、
西の空に孤独に傾く満月です。 しかし夜が明けるよほど前 
あの夢のように美しい 満月を愛(め)でる人など、
めったにいないことでしょう。
 

2010年11月18日木曜日

雲の「いたずら」でした

おととい夕方 山散歩に行こうとして林道に立ち
何心無く東の方角(ほうがく)を見て
ビックリ仰天(ぎょうてん)。

五十人山の向こうに
長い屏風(びょうぶ)のように ミゴトなばかりの山脈が
北東から南東へと高く高く聳(そび)えているではないか!
えっあんなところにあんな山なみが、でもマサカと
正にあっけに取られる。

しかしどう見ても 
あれは山脈(さんみゃく)以外の何物でもない。
色や形状といい 他の風景とのバランスといい。それに
ある箇所には確かに山頂にありそうな物体、岩?
それとも建築物?が確かに確認できるのだ。
目をこすってもう一度みる、どう見てもあれは正しく山脈だ。

でもあり得ない、バカバカしい。
だとすれば目の錯覚?それともついに
私の頭がおかしくなったのか!

その時行くはずの散歩は急きょ取りやめ、
確認のため、全く別方向の「眺め山」頂上へと急ぐ。
或いは蜃気楼(しんきろう)か、昔秋田で見たオーロラか、
それとも前代未聞(ぜんだいみもん)
天変地異(てんぺんちい)の怪現象か?!


結局 何のことはない、
「あの山なみ」、単なる「雲のいたずら」だったのですが、
それにしても 極めてよく出来た自然の模擬絵(もぎえ)、
どんな名画伯(がはく)でもあんなに上手には描けまい。

昔、人が一人山に入り あるまれな自然現象に驚ろき恐れ、
下山後 うわさを通り越して代々語り継(つ)がれるほどの
伝説となってしまうほど迫真(はくしん)の描写を 
彼が行ったとしても彼には罪はないと思う。


★カレブさん情報です

  基督徒文摘
CHRISTIAN DIGEST

Caleb K.Huang(黄迦勒)
E-mail:
huangcd@msn.com
Web site:
www.ccbiblestudy.org

2010年11月17日水曜日

ヨシヤよ!

そうそう、
今Ⅱ列王記の、私の好きな「若きヨシヤ王」のところを
読んでいるのですが、

Ⅱ歴代誌35章を参照してみると、ヨシヤは
エジプト王パロ・ネコを通して語る神の声を聞くべきであった。
しかし 律法に忠実であり 神を畏(おそ)れる王ヨシヤも
その時 パロ・ネコのことを「何を言うかこの異邦人め」等と
思ってしまったに違いない。

新約的に言うならば、ヨシヤはその時
「冷静に環境の背後に立つ」ことを忘れてしまったのだ。
鼻息を荒くし、即ち「魂を荒くし、遂には血肉までも
煮(に)えたぎらせ」てしまったヨシヤは
「その時点での自分の本分は何か」
即ち「みこころ」は何であるのか、を告げ知らせる
「静かな内なる人」の声が聞えなかった、と言えるだろう。

死の傷(きず)を負い
出血の体を ゆれ急ぐ車に委(ゆだ)ねるばかりのヨシヤは 
わずか39才にして世を去らねばならない自分の最後を
どう見つめたのであろうか。

「かわいそうなヨシヤ、
それまでの君はとても素晴らしかったから、
なお更あなたの最期(さいご)が残念でならないのです。」

2010年11月16日火曜日

解経系列

今、カレブさんの20数冊に及ぶ
「例の注解書(ちゅうかいしょ)」の中の一冊が手元にあります。
その表紙の最上部に「解経系列」と書いています。
ですからこれが多分この注解書のタイトルなのでしょう。
(私にはその意味は分りません)

先回の記事で私は 
「正しい訳の聖書と歴代の聖徒が残したことばとを
組み合わせた本」をカレブさんは意図(いと)された
と書きました。

そこで少しだけこの本を具体的に見てみましょう。
(私はカレブさんから聞いただけなのですが・・)
私が先ず驚くことは この注解書は
①新約聖書各書の各章の解説のみならず 
②その章の中の全部の節一つ一つをまな板に乗せている
と言うことです。これでは 新約聖書全体となると
膨大(ぼうだい)な分量になってしまうのは当然のことです。

その一つ一つの節にかんして
「原文直訳」
「原文字義」・・大切な言葉の意味
「背景注釈」
「文意注釈」
「霊意注釈」・・霊的な意味
「問題改正」・・問題となる箇所の説明
「話中乃光」・・歴代の聖徒達が神から得た光
が総てに取り扱われているのです。これらが
この注解書の中心です。

ここで直感的に私が感じることは 
確かにこの本はキリスト者にとって
ずい分便利なものであろうと言うことです。

私達が本当に知りたいのは 
日本語として美しい聖書の翻訳(ほんやく)よりは
無骨(ぶこつ)だとしても「聖書の直訳的で正確な意味」であり、
またそれに関して歴代の神によって真に重く用いられた
キリスト者達が その箇所(かしょ)から実際的にどういう
教えを得たのか、ということではないでしょうか。

(当然それらを知る私達の目的は それらを通して
今度は「神が直接私の霊に語りかけること」
でなければなりません。)

真に神の「みこころ」を求める人にとって
この注解書は「多くの手間」がはぶける 
実に「簡便(かんべん)な本」であると言えるでしょう。

真理を求める中国の地下教会の多くの聖徒達が 
この本を今大歓迎している理由は
容易(ようい)に理解できると言うものです。

2010年11月14日日曜日

ある海賊版(かいぞくばん)

カレブ・ファンさんがウイットネス・リーから
離脱(りだつ)した時、ある人がカレブに言いました、
「あなたはウイットネスリーを離れて一体 どこから
霊的な糧(カテ)を得ることが出来ると言うのだ」と。

カレブは答えました、
「そんなことは全く問題ではない。
私には聖書と
歴代(れきだい)の聖徒達が残した多くの言葉がある」と。

その時 彼に一つのことが主から示されたといいます。
それは
正しい訳の聖書と
歴代の聖徒が残したことばとを
組み合わせた本を書くということでした。

ですから 20数冊からなる
今ほぼ完成しつつある全新約聖書の注解書(ちゅうかいしょ)
の表紙には
カレブ・ファン「著」(ちょ)ではなく 
カレブ・ファン「編」(へん)と書かれているのです。
それは この本を書いたのは私でなく歴代の聖徒達です、
と言う意味です。

この中国語で書かれた注解書は
いつの間にか中国大陸に渡り
遂には その「海賊版」(かいぞくばん)が
秘密裏(ひみつり)に、そして大量に出回るようになったのです。
今既に少なくも数十万部が全中国に行き渡っている
と推察(すいさつ)されます。

彼は私に言いました、
「私は台湾からアメリカに渡り、
一介(いっかい)のサラリーマンとして働いて来ただけですが
なぜか主は 私の生活と経済を豊かに祝福してくださいました。
ですから私には 
この本でお金を得たい気持ちはサラサラありませんし
その必要もありません。
私は多くの兄弟姉妹達が 
この本を通してキリストにある命の供給を
豊かに得ることが出来ればそれで十分です。」

長年に渡(わた)る彼の中国訪問のキッカケは 
実は この海賊版にあったのです。

2010年11月12日金曜日

アリがワシになる、のかな?

欲はなく、
オッと間違いました
欲を退(しりぞ)け
「何も考えず」
しかし命に従い
地面をはいつくばって歩き
その日その日をただコツコツと生きるアリのように、 
日常の実に些細(ささい)な場面で 
ただ主と命に生きる人だけが 

あのエノクのように、
天高く舞(ま)い上がる
ワシとされるのでしょうか。


先回、実家にいた時、しばらくぶりで近所の
リサイクルショップに寄ってみたら
5脚(きゃく)セットのイスが 
何と一個210円ではないか。
(2100円ではありません)

全部キャスターがついている所が気に入ったし、
銀いろ・ピカピカのアシとヒジもたせがカッコいいのです。
安い理由は明らかに 背もたれの上部が一部ホコロンで
いるからでしょうが こんなものはキレイなテープをはれば、
アッと言う間に美しく変身するのです。

シメシメこれは小屋のダイニングにピッタリだと、
5脚セット1050円で買って来たのでしたが、
小屋のダイニングに入れて見ると
イスの総てがスポッと食卓の下にもぐってくれないのです。
イス全体が完全にテーブルの下に隠(かく)れて
くれないとどうも私は面白くありません。

(というわけで本当に言いたい続きは次回と致します。)

2010年11月11日木曜日

近況(きんきょう)です

阿武隈の秋もずい分と深まり
紅葉は もう八割方終わってしまいました。
小屋から下がる南の森の小道が
その落葉(らくよう)でうめつくされ
ガサガサと 
音を立てて歩く足がうまりそう。

それでも、
山散歩の道筋(みちすじ)よく中村さんの別荘を
通らせてもらうのですが、そこの背の低い
モミジ達だけはまだ ケンランたる真紅(しんく)の
装(よそお)いを誇(ほこ)っているのです。
これが ここで暮らす私の晩秋期の楽しみの一つ。

この季節は山散歩には絶好(ぜっこう)です。
寒さは日に日につのりますが、
それはまたピリリとした心地よさでもあります。
空の濃(こ)い青は 夏とは比べられない
鮮(あざ)やかさですし、それに
あの虫達がどこにもいないと言うのは
わずらわしさが殆どない
晩秋アウトドアの大きな快感です。

今するべき第一のことは もうスグ来る
厳冬期(げんとうき)対策です。
まず水道の凍結(とうけつ)防止工事。
次は各部屋の保温上
細かい配慮(はいりょ)がいろいろと必要です。
これらに もう数日はかかるでしょう。

それが終わったら ようやく工事です。
本格工事はもうしばらくやっていませんね。
でも最近ようやく
少し意欲(いよく)が出て来たところです。

明日もよい天気、
夏に遭難(そうなん)しかけた
あの天王山への急斜面(きゅうしゃめん)を
登ってみようかな。

2010年11月9日火曜日

山に戻りました

今回の山への道は
予定通り めったに通らない国道399号線。
国道とは言え道幅はせまく傾斜(けいしゃ)はきつく
踏み行く道はものスゴイ山また山。 

紅葉は終わりかけていましたね。
まだ残る紅葉を背景に
時々 強い風で空高く舞う枯葉に
もう晩秋なのかと。

このあたり 
海にも近い「いわき」の山なのに
正に深山幽谷(しんざんゆうこく)の
風情(ふぜい)なのは面白いし貴重です。 


無事着いて
今は小屋の自分のロフトで一休み。
今度は山小屋の紅葉を眺めながら
いわきで買った600円の寿司を
一人で食べました。

ロングドライヴのあとの
ささやかな幸せです。

2010年11月4日木曜日

中国本土へ

飛行機は いよいよ最終目的地、 
中国本土は「せっ江省」杭州(こうしゅう)市
上空に近づきます。

さてここで あることにビックリ。
目を下界に転(てん)じて見ると どうも
視界(しかい)がハッキリしないのです。
ボンヤリとした「カスミ」の下に
なんとか街が見える、と言う感じ。
あ、そうかこれはカスミではなくスモッグなのだと
間もなく気がついたのですが、

そう言えば
私が「大発展の」南部中国の沿岸地方(えんがんぶ)に
滞在中(たいざいちゅう)上空に「青空といえる青空」を
望むことが出来た日は極めて少なかったのです。


ハンジョウ(杭州)空港での諸手続きを終え
いよいよ出迎えのカレブ・ファン、レベッカ夫妻と
文字通り何十年ぶりかの再会です。
彼ら夫妻は今はアメリカ国籍(こくせき)で 
台湾と日本出身のキリスト者です。
既に前日 香港経由(ほんこんけいゆ)で
杭州に到着しておられたのでした。

カレブ ファン:彼はかつて、
かのウイットネスリーの側近(そっきん)中の側近でした。※
しかし今は、総ての束縛(そくばく)から解(と)かれ、 
南カリフォルニヤは ファウンテンバレーに居(きょ)を
構(かま)え、極めて自由な立場で著述(全新約聖書の注解)に
いそしむかたわら、請(こ)われれば諸教会でのメッセージの
奉仕にあたられる という「悠々自適(ゆうゆうじてき)の」?
生活を送っておられます。


「かの教会」での騒動(そうどう)以前
彼は中国語書籍(しょせき)の全責任をまかされていた。

2010年11月2日火曜日

出発

9月7日、午前9時、
韓国アシアナ航空のOZ107便は
まだまだ暑い成田を飛び立ちました。

千葉マリン球場、東京ドーム、東京湾、三浦半島などが
次々と眼下に飛び込んで来ます。そして間もなく伊豆半島、
そしてダークブルーの全容を見せる、端正(たんせい)
極まりない富士の山。まるで巨大な模型(もけい)を
見るようです。緑の山河と青い海、何て日本は美しい国だろう。

一時間半で、飛行機はソウル、
世界有数の巨大空港に降り立ちます。
乗り継ぎです。そして生まれて初めて 
ビジネスクラス用のラウンジなる所で
しばしの休憩(きゅうけい)。

今回 ある方の御好意で、
行き帰りとも何とこの私が全部ビジネスクラス!
ユッタリとした座席もさることながら、
総てがユトリそのもの。
大嫌いだったはずの飛行機の旅も
これだったら悪くはないか
と思いました。 

2010年11月1日月曜日

明日は晴れますか?

今日の昼過ぎ、ついさっき
ようやく重い重い腰をあげ、
しばらくルスにした大工仕事、
地下室の防寒工事に取りかかることが出来ました。

こういうの やって見ると大したことはないのに
私の場合 取りかかるまでが大変です。
ホンとに根っからの怠(なま)け者なのでしょう。
こんな人の行動にも物理で言う
「慣性(かんせい)」みたいなものが働いているのかな?

今日 窓わくは出来たので あとはそれに張る
ビニールの透明(とうめい)シートを買ってくれば
よいわけです。意外にわけのない作業でした。

あとは先輩(せんぱい)のアドバイスを受け
水道管に もう一巻きだけ、断熱材を巻きましょう。

最後は二つの入り口を板でシャットアウトすれば
万事はオーケー。これで厳冬時(げんとうじ)でも
L D K の水道の凍結(とうけつ)はもう無い、はず。


明日からは晴天という予報ですが、本当かいな 
というような湿(しめ)った空模様です。
今正に紅葉真っさかり、
どこもかしこも黄色とあわい緑いちめんの森に
シトシトと冷たい霧雨が落ちています。

でももうガマンがなりません、
カサをさしてこれから しばらくオアズケけだった
山散歩に出かけましょう。