2010年11月16日火曜日

解経系列

今、カレブさんの20数冊に及ぶ
「例の注解書(ちゅうかいしょ)」の中の一冊が手元にあります。
その表紙の最上部に「解経系列」と書いています。
ですからこれが多分この注解書のタイトルなのでしょう。
(私にはその意味は分りません)

先回の記事で私は 
「正しい訳の聖書と歴代の聖徒が残したことばとを
組み合わせた本」をカレブさんは意図(いと)された
と書きました。

そこで少しだけこの本を具体的に見てみましょう。
(私はカレブさんから聞いただけなのですが・・)
私が先ず驚くことは この注解書は
①新約聖書各書の各章の解説のみならず 
②その章の中の全部の節一つ一つをまな板に乗せている
と言うことです。これでは 新約聖書全体となると
膨大(ぼうだい)な分量になってしまうのは当然のことです。

その一つ一つの節にかんして
「原文直訳」
「原文字義」・・大切な言葉の意味
「背景注釈」
「文意注釈」
「霊意注釈」・・霊的な意味
「問題改正」・・問題となる箇所の説明
「話中乃光」・・歴代の聖徒達が神から得た光
が総てに取り扱われているのです。これらが
この注解書の中心です。

ここで直感的に私が感じることは 
確かにこの本はキリスト者にとって
ずい分便利なものであろうと言うことです。

私達が本当に知りたいのは 
日本語として美しい聖書の翻訳(ほんやく)よりは
無骨(ぶこつ)だとしても「聖書の直訳的で正確な意味」であり、
またそれに関して歴代の神によって真に重く用いられた
キリスト者達が その箇所(かしょ)から実際的にどういう
教えを得たのか、ということではないでしょうか。

(当然それらを知る私達の目的は それらを通して
今度は「神が直接私の霊に語りかけること」
でなければなりません。)

真に神の「みこころ」を求める人にとって
この注解書は「多くの手間」がはぶける 
実に「簡便(かんべん)な本」であると言えるでしょう。

真理を求める中国の地下教会の多くの聖徒達が 
この本を今大歓迎している理由は
容易(ようい)に理解できると言うものです。

4 件のコメント:

鳩 さんのコメント...

それはとても興味深い本ですね。

Mr.Sugar さんのコメント...

ハイ、確かに。

Michael さんのコメント...

英語か日本語で読めるといいのですが。今は中国語しかないのですね。

Mr.Sugar さんのコメント...

そうなんですね。

潜在的な需要は大きいと思います。

どなたか翻訳に負担を持つ方々が

現われることを願っております。