2009年2月28日土曜日

よきサイト発見

例の青年が紹介して下さったのです:
「ジェシー・ペン-ルイス、ガイオン夫人、マーレー
等の著作が日本語で読めるサイトです。」
http://nakamurafamily.net/library/
から開始。


彼らは、私達に正しく真理を告げていることでしょうが、
それ以上に、それらの言葉の多くがイエスによって
死の水から変えられたよぶきどう酒の「純度」
を保有している所に価値があるのです。
しかし
「この世界と人の能力、その汗と熱」から「切り離された」
彼らの言葉が今、多くのキリスト者達の視界から
遮断されている事実は何たる悲劇でしょう。

今日大村兄弟が退院する!

昨晩、有季さんからのメールです。

****
菅原さま
今日は横浜でも雪がちらつく寒い一日でした。
身を強張らせる寒さの中、神様は暖かい知らせを送ってくださいました!
父が明日の午前中に退院することになりました!!

多くの兄弟姉妹の熱く、そして温かいお祈りをいただき、
術後の回復も驚異的なほどに順調でした。
手術した次の日には、入院期間中ずっと外すことができなかった点滴と
モニタリングされている心電図が外れ、少し長めの歩行訓練、
階段の昇降訓練が行われました。
本日は、治療も特に行われなかったとのことです。

「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」と聖書にはありますが、
私には今回のことが大きすぎて、主のすばらしさのごくごく
一部しか味わえていないように思います。

このたびの父のことを通して、私も菅原さまと主にあるお交わりを
させていただき、また、菅原さまを通して多くの主にある兄弟姉妹に
お祈りしていただき、神様のなさることは実に奇しく、人の思いを
はるかに超えていらっしゃることか、とただただ驚きとともに、
神様に感謝するばかりです。

これから時間をかけて神様のすばらしさを十分に味わい、
見つめることがゆるされるよう求めつつ、
一つ一つ感謝していきたいと思います。

あまりにも興奮しているために、文章がまとまりません。
父からもご連絡させていただきますが、
取り急ぎ心からの感謝とともにご報告いたします。

菅原さまと主にある多くの兄弟姉妹のお祈りに感謝しつつ、
神様からの豊かな豊かな祝福が注がれますよう
お祈りさせていただきます。
主にありて

大村 有季

2009年2月27日金曜日

「霊の人」と言う本

ある青年:
本は「見事に」本棚にありました。
その中で、第一巻 第二部の(3)十字架と聖霊、が
目に止まったので読んでみました。

はじめの私の思いは「あれ、俺は聖書と言うか、実際の歩み方
において相当な勘違いをしていたなあ」という示しとでも
言うのか、啓示とでも言うのか、とにかく「あれ、そうだったの」
てな感じでした。
ただもちろん総てを理解できたわけではありません。しかし少しずつ
今までの歩み方が是正されていくだろう、と言う感じを受けたのです。

何とこの本はその小項目一つ一つでも完結しています。これは
確かにこの本の一つの部分が全体であり全体が部分なので、
ゆっくりと読み続けて行く間に、聖霊が少しずつ真理を開いて
行ってくれるような気がしております。
それも当然、日常生活の中での経験とおり混ぜながらでしょう。
聖霊の導きに合わせて読んで行きたいと思っています。

また、第三巻の「思い」の項に私の長年の問題の答が
あったことは感謝です。

Sugar:
とてもアーメンです。
あなたがこの間言われた「この本の著者とゆったり対話する
積もりで、或いは一人の兄弟と交わりをし続ける積もりで
読んで見ます」と言う言葉は確かにその通りだと思います。
聖書を読む時も同じなのですが、この本を読破してやろうとか、
人に先んじて理解して人々に尊敬されようとか、
「霊的成長」を速やかに達成してしまおうとかと言う読み方は
むしろ敵の介入を招く原因になるでしょう。そのようにして
この本は 幾多のとんでもない誤解を受けて来たのです。

読書の目的とは:
「私達普通のキリスト者」が
「神の真理を真に見、経験し、実際的にこの時空の中に、
今は見えないキリスト御自身の現象を日常的に現し出すようになる」
こと以外にはあり得ない筈です。

2009年2月26日木曜日

有季姉妹から、そのファイルです

下記は、発作が起こった時から、CCUでの治療、また祈りについて、
父が病床で自分の携帯電話から自分のパソコンに分割してメールで
送信したものを一つのファイルにまとめたものです。

*******
2月7日土曜日午後8時ロイス(犬)の散歩から帰宅してロイスの足を
洗い始めたところ胸の重苦しさを感じ始めた。ロイスの足を洗うのに
大した時間を必要としないが、ロイスの足を洗って家に入る頃には
胸の痛みが激しく二の腕の痺れがひどくなった。ひどい狭心症か
心筋梗塞の発症であろうと想像した。脈をみると緊実である。
漢方では激しい疼痛に見舞われたときに現れる脈の一つである。
しかしその後脈は沈遅微弱に変わった。胸部の痛みは益々激しく
その痛みは形容し難い。両腕は全体的に痺れている。
ブクリョウシギャクトウを服用しニトロダームを貼った
(ニトログリセリン舌下錠を探したが見つからなかった故)。しかし、
好転せず痛みは悪化していく。薬で治せる病態ではない。
緊急を要する状態である。急いで妻のいる二階へ行き、もう一度脈を
確認したらもう脈はかすかに触れる程度となっていた。妻に客観的に
理解してもらうためテーブルの近くにあった手首で測る血圧計で
計って見せた。ショック状態のように低下しているようで最高血圧が
50になってもまだ数値が出なかった、と妻は後で教えてくれた。
妻には電話で救急車を依頼してもらい、私は救急隊員にすぐに
搬送してもらうために一階の玄関のところに行こうと思った。

しかし、意識がはっきりしていたのはこのあたり迄であった
ということを後で娘から聞いた。私が二階のエレベータの前に
立っているところに娘が来たそうである。その時、娘の見た光景は、
私がエレベータのボタンの前で手と体を震わせ左手で胸を叩いて
いたとのことです。私は自分でエレベータのボタンを押しエレベータに
乗ったと思ったがそうではなかったのである。そうすると犬を家に
入れてからエレベータの前で意識を失うまでは
3-4分位のことであったと思う。

さて、エレベータの前で私が意識を失っていた時何が行われていたのか。
これも聞いた話であるが、妻は消防署との話、娘は私の体を支えて
いる時に主イエスから「祈りなさい」というみ声を聞き、声を出して
「お父さんを強めてください。」と祈ったというのです。
私には娘が祈った記憶はありません。ただエレベータの中で足に力が
入って自分で立っているという感覚は覚えています。その時娘は
何で私を支えているのだろう?と不思議で、お父さんは自分で
立っていられるよ、という意味のことを言ったことを覚えています。

娘の話を聞き、恐れを感じた。
自分で何かをしていると思ってもそれは他の人の祈りによる答えである
場合があるということを如実に体験したのである。今までは知識として
であったが。これと同じことは今までどれだけあったのか?霊的知覚の
鈍さ故…ただただ低くさせていただくのみである。

私は、エレベータからでて救急車が来る迄玄関の前の廊下に横になった。
玄関の前に横になり痛みの為に唸っていた。救急車が到着し救急隊員が
自分で動けますか?と聞いてきたがその時には自分の体を自分では
動かせなくなっていた。只唸っているだけである。息を吸い、
息を吐くときに「主よ」と主の御名を呼ぶことを痛みが軽くなるまで
続けていた。聖書に「主の御名を呼ぶ者は誰でも救われるのです。」
「主に信頼する者は失望させられることがありません。」とあるからです。

救急車に乗ってから出発するのに30-40分位かかったそうですが私には
15分位にしか感じられませんでした。どうやらちょくちょく意識が
遠のいていたようです。救急隊員の人が頻繁に「声が聞こえますか?」
とか「しっかりしてください」みたいなことを語りかけてくるのです。
あとになって意識が時々途切れていたのだなと理解しました。
相変わらず胸部の疼痛は激甚です。呼吸と共に祈りは意識があっても
なくても続いていたようである。救急車が走り始めたらあっという間に
ついてしまった。瀬谷から浦舟なのであっという間に到着するはずは
ないのである。妻の話では救急車はかなり揺れたとのことであるが、
私にはゆりかごの中にいるようで気持ちよくゆらゆらしている
ようであった。胸の疼痛は強いが痛みとはまた分離した感覚である。
生死の境をさ迷っているのに、痛みは激しくても死の不安を感じない。
かえってイエスさまから永遠の命を与えられていることを感謝した。

病院に到着した。イエス様が迎えに来ない。
まだ地上にいるのかな?と思った。
救急車が病院に到着した。
直ちに治療が始まった。相変わらずイエスさまは迎えに来ない。

治療している医師たちの話声が聞こえる。「うわー、太い血管だ」
右側が太くて長い。話し声からすると何か大変そう。
相変わらず私は胸部疼痛激甚の為「主よ」と唸っていた。
治療開始からどのくらいたったのかわからないが22:00頃には痛みが
大分減少してきた。妻のことが心配になった。きっと動悸がひどいに
違いない。妻はバセドー病だから死ぬときは心不全のことが多い。
治療を受けながら妻のことを祈り続けた。治療が終わりCCUに移動した
頃には痛みはなくなって胸部の圧迫感のみとなっていた。
CCUへ移動する途中、医師の会話が聞こえた。
「この人は○○先生の友人のお父さんで薬剤師なんだ。」
息子が、横浜市立大医学部時代の同級生に連絡をとってくれていた
のである。息子の出身校の附属病院であったので医師や看護師は
とてもよくしてくれた。病棟の教授までお話ししに来られた。

CCU2日目
担当医や看護師たちは頻繁に心電図をとりに来、胸部の疼痛はどうか、
圧迫感はどうかとしつこく尋ねる。先生の説明を聞くとそれもそのはずで
心筋は広範囲に壊死し、左側の環状動脈には90%詰まっている
ところがあり、そこが詰まったら死んでしまうということでとても
気をつかっているということです。今の状態でも排便の時にいきんだら
心筋の壊死で心臓の筋肉が薄くなっているので心臓が破裂する
場合があるというのです。

さて、無事3日目に入ってCCUから一般病棟に移ることが出来ました。
その翌日200mの歩行テストを受けて無事通過したのです。これに
合格しないと自分でトイレに行くことができません。


さて、問題は翌翌日から起こり始めました。心不全を併発したのです。
肺に水が溜まり、深呼吸をしても空気が少ししか入って行かないのです。
この時から毎日胸部のレントゲンをとり、一回はCTをとるということで
毎日放射線被爆です。利尿剤を二種類内服してもお小水は増えません。
それゆえ利尿剤の内服を続けながらさらに利尿剤の静脈注射を
併用しました。対象療法ですが一週間で肺に溜まっていた水は
無くなりました。しかし、この治療をしないとまた溜まるかもしれません。
25日には90%詰まっているところを治療します。それ以外にも四ヶ所
ボロボロのところがあるのだけれどそれは治療不可能とのことです。

<祈りについて>
(ローマ8:34)「よみがえられた…キリスト・イエスが、神の右の座に着き、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。」
(エペソ2:6)「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、
ともに天の所にすわらせてくださいました。」
(コロ3:3)「あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、
キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。」

今回の入院で横浜シオンの兄姉やシオン・キリスト教団の兄姉方、
イムマヌエルの知り合いの教職や信徒、大村塾のクリスチャンの塾生や
その兄姉方の所属している教会の兄姉方、メールで恵みの分かち合いを
している兄弟と私の会ったこともないその兄弟の知り合い多数。
なんと多くの兄姉方に祈られていることだろう。キリストがキリストに
ある兄姉方のうちに働いて祈りを導いていかれる。目には見えない
けれどもキリストのからだのキリストの愛による有機的働きの
素晴らしさに驚嘆する。

私は、自分自身に対しては、良くなるようにとか癒されるようにとか
祈っていなかった。「生きることはキリスト、死ぬことは益」、
私はどちらでも良かった。妻がとても具合が悪そうだったので
「よく休んで元気になって」と言ったら「富栄が元気になることが
私の元気につながる」と言うのでそれはもっともだと思い、自分自身で
元気になるようにと祈ったらどうも霊的に調子が悪い。自分のことは
いつも主に委ねてあるので、それによっていつも主との間が具合が
良いのに自分の肉の思いで祈り始めたことにより、霊調を崩してしまった。
それでまた、癒しについては祈らなくなった。
癒しについては多くの兄姉方が祈っている。

「キリストとともに死に、キリストとともによみがえらせられた」
(コロ3:1-3)私。主の用意してくださっておられる恵みの素晴らしさ。
主は一人一人にそれぞれ祈りのことばを与えているのでしょう。
キリストは天にいる、同時に私の内にも兄姉の内にもいる。
私たちキリスト者はキリストと共に天の所に座している。
「(御)霊によって祈りなさい」
「私たちには、キリストの思いがある」
「キリストは私たちに志を立てさせ、事を行わせてくださる」
キリストは、祈りの思いを一人一人に与え、祈らせてくださる。
しかも、キリストと共に。霊の世界は見えないけれど、
御言葉はそのように語っているとすると、
私たちの霊の活動の範囲の何と広いことか。

****

吉報!有季姉妹から

菅原さま

主の御名を心から賛美します。
父のこと、心に深く留めて、お祈りしてくださり、
ありがとうございます。
そして、私のメールをブログに載せていただき、主にある
多くの兄弟姉妹から神様にお祈りを届けていただいて
ありがとうございます!

多くの兄弟姉妹のお祈りに支えられ、父だけでなく、
母も私も強められ、一日一日を過ごさせていただいていること、
神様のすばらしさをただただ感謝するばかりです。
お祈りしてくださった兄弟姉妹お一人お一人に神様からの溢れる
ばかりの豊かな祝福が注がれますようお祈りいたします。

本日、父の容態が落ち着いていたので、予定通り狭窄していた
血管のステント拡張術が行われました。
拡張術は二時間かかりましたが、元気に病室に戻って来ました。
今までも、主の平安に満たされ、穏やかな表情をしていましたが、
今日の術後では、父の表情から、苦しさ、というか痛みを堪えて
いるような様子が消えており、また、深呼吸ができるようになった
とのことです。さらに、前回の心筋梗塞で視力がだいぶ落ちて
しまったのですが、血の巡りがよくなって、
視力が回復しつつあるとのことでした。

このまま順調に経過していけば、今週末には退院も
可能であるとのことでした。
引き続き回復のためにお祈りいただけますと幸いです。


前回のメールで、父が病床で倒れた時のことなどを
まとめている話をさせていただきました。
父に菅原さまとのメールでのお交わりやブログに載せてお祈り
いただいていることなどを話したところ、まとめたものを読んで
いただきたいとのことでした。

このメールにMS Word 2003ファイルを添付させていただきます。
ファイルが開かないなど何か不具合がありましたら、ご連絡ください。
お送りしているファイルは、父の携帯電話から自分のパソコンに
分割してメールを送っているものを私が一つのファイルにまとめた
ものです。文章が前後していたり、つながっていないことも
あるかもしれませんが、ご了承くださいませ。

主ゆるしたまわば、次のメールは父から菅原さまに
お送りできることを祈りつつ。
主にありて

大村 有季

2009年2月25日水曜日

純度の高い言葉

私たちは純度の高い言葉を語らなければなりません。
何と私の言葉は純度が低く、混ざり物が多いことでしょう。
私達に神の言葉や神の力が無いのではありません。
しかし最も大切なものが欠落しているのです。
それは私の言葉の純度です。

聖書の言葉はなぜ時を超え、空間を超えて常に新鮮な様で必要な
人に届くのでしょうか。それはその一字一句の純度が極めて
高いからです。その一字一句の内容は完全に聖霊そのものです。
聖霊と聞くとき私たちはその極めて高い純度を感じるのです。
その純度の極限的な高さのゆえに聖霊は神の御心を完全に達成
し得るのです。これこそ今日の神の働きの方法です。

サタンと人の方法はおおむね勢いやパワーを多用します。しかし、
神が私に要求するものは、諸々の強力なパワーよりも純粋さです。
光ほど純度の高いものは他にありません。もしも私の言葉の純度が
高ければ、たとえ私の力が「微弱」であったとしても地球にいる
人間の目にさえ届く億万年光年かなたの星の光のように、私の
光を帯びた小さな言葉はいずれ必ずターゲットに達し、それは
神によってさえ真の働きとして数えられるでしょう。

純度の高い言葉を発するには、絶対的に「私自身そのもの」の
純度が高くなければなりません。そして私自身の純度を得るには
私があのキリストの十字架の不純物除去の作用を
いただく以外に他の方法はありません。

しかしそれは、私への十字架の除去の力の作用の適用によって
「私に付着した神にふさわしくないもの」を一つ一つ「捨て去る」
と言う私の実際的な意志の発動と私の行為をも要求するのです。
これは必ず大きなテストとなります。しかしただ私の「意志の発動」
と十字架への信頼があって、初めて除去の力は私に作用し、
ちょうどその分だけ私の純度は高くされるのではないでしょうか。

これが今朝、私が語られたことばです。

2009年2月22日日曜日

再度緊急な祈りのお願い

シュガー様
先日はメールをいただきありがとうございました。
少しご無沙汰しておりました。

主にある多くの兄弟姉妹のお祈りのおかげで
父も今日まで守られています。
祈りに支えられ、父は精神的に大変安定しており、
病院へ行くと、明るくたわいない話をします。
病床で時間をもてあまし気味なので、倒れた時のことなどを
文章にしてまとめたり、同室の方とおしゃべりしたりしています。

本日は、お祈りに覚えていただけたらと思い、
メールさせていただきました。
今週の水曜日(2/25)に、もう一つの狭窄している血管の
ステント拡張術を行います。
現在、心不全をおこして、肺に水が溜まっているため、容態をみて
行われる予定ですが、主の最善の時に最善のことがなされますよう
お祈りいただけますと幸いです。

寒暖の差が激しい今日この頃ですので、シュガー様もお体どうぞ
ご自愛くださいませ。
主にありて。
有季

2009年2月21日土曜日

今度こそパソコンが直りました

柏の修理屋さんが私のpcに移植手術でもしたのかな、とにかく
直りましたよ。反応が格段に早くなり、パソコンがグンと若返った
感じです。少しお金はかかったけれど、まあよかったかなと
思っております。

明日、山です。今回は少し頑張って小屋の床と壁を貼る積もりです。
以前から壁は断然漆喰と決めていたのですが、あちこちの漆喰を観察して
見ると、漆喰や人気の珪藻土も思ったほどキレイでないなー、
と感じたのです。下手をすると塗り壁はうす汚くなってしまう恐れさえある。
それよりも杉の板を縦張りにしてペンキを塗る方が私好みに合うし、第一
工事が比較にならないほど楽なのです。それで今日、ホンダへ行って
日本では一番安い無垢の板・ノジ板を買って来ます。
リチギな日本の大工さんは、野地板など畳の下材などにしか使わない。
人目に触れる場所にこれを使うことは絶対に無いのではないか。
みっともないし?フシが至る所にある。乾燥が十分でないから後で
どうしても隙間が出来てしまう。しかし、野地板はとにかく安いのです。
山小屋だから隙間やフシももいい味になるだろうと私は踏んでいるのです。

アンクルウエート、やってますよ。最初は片方0.5キロでしたが
昨日から1キロにしました。片足1キロとなると実にズッシリ来ます。
計2キロなのですが、2キロ体重が増えた場合はこんな実感は絶対に
無いでしょう。この両者の感覚の差は著しい。これは当たり前と言えば
当たり前ですが、私達は体重が3キロ増えたとか何とかと平気で
言っている。しかしそれは大変なことですよ。なにしろ24時間3キロの
ウエートを身につけて動き回っていることになるのですから。その差は
いつの間にか3キロ増えるのと急に3キロ増えるのとの
違いなのでしょうが・・。とにかくことウエートに限らず
「いつの間にか」と言うのは恐ろしい。

2009年2月13日金曜日

今日下山します

パソコンについて:
先回の更新後、案の定やはり我がパソコンは完全にダウン、即ち
死に体状態になってしまいました。当然メールもだめでした。それで
私も全くあきらめてしまったのですが、今日になってこれから下山する
にさいして試しにオンにして見たところ、この通り何とか動くのです。

それでもやはりこれは時間の問題であることは明らかです。
出来れば、今日中に柏の修理屋さんに持って行きたいと思っております。
これは「或るディスクがあれば、治るかも知れない」と言う修理屋さんの
言葉にすがって最後の賭けをする、と言うことでしょうね。
と言うわけで、次回のブログ更新はいつになるのでしょうか。

さて、霊的な領域のことに一言触れるならば:
今主は明らかにある新しい段階へと進みつつあるように思われます。
当然神の業はキリストにおいて二千年前に完成しております。
今神が事を進められると言うのは、その完成された御業に基づき、
神の命を所有する稀有な人々(即ち真のキリスト者)を神が
取り扱われることに関してです。

今私達は、聖霊がキリスト者の「霊の中の直覚」を通してなされる
聖霊のデリケートな語りかけにとても敏感にならなければなりません。
(直覚とは神の油塗りが個人個人のキリスト者に教える場所です。)それが
「目を覚ましているように」と言う御言葉の意味であろうと思われます。

もしそうでなければ、私達は必ず乗り遅れるでしょう。(たとえ
「次の時代」には乗車するとしても)それはキリスト者を無感覚の
心地よい眠りに誘いこむ多くの強力な力が日に日に増し加わって
いるからです。それに抗するのは容易なことではありません。
それには神の大きな憐れみが(或いは切実な人の願いが)
どうしても必要とされることでしょう。

その主の業は必ずある隠れた方法で実行される筈です。
(ですから人の覚醒と探し出す意欲が必要なのです。)一世紀から今日に
至るまで「その主の業の流れ」は決して途絶えたことはありません。
それは黙示録を見る時、あの暗黒の時代においてさえ「勝利者」が存在して
いた事実を知れば明らかです。私達の深い感覚は「その流れが今日一体
どこにあるのか」を感知出来るほどまでに敏感でなければなりません。

今日この日、実行的に私達がもしも「あの龍」を足の下にしていなければ、
いずれキリスト者と言えども必ず実際的にあの龍の無慈悲で残酷な迫害に
遭遇するでしょう。そうであってほしいと言う思いがないではありませんが、
残念ながら?艱難の時代の前に全キリスト者がある日、自動的に
無意識的にのん気に空中に携え上げられる等ということは
決してあり得ません。(携挙には幾つかの段階があるからです)
これがキリスト者に対する新約聖書の明確な警告です。

私達が相手にしているのは神です。神は神です。

2009年2月11日水曜日

今朝のパソコン

昨晩は案の定、あの後 ダウン。
それで今朝も当然ダウン状態に違いないとは思いつつ、
オンにしてみると、英語の説明が何だかんだと出て来る。
その通り様子を見ていると何と立ち上がったのです。
しかしその間、たっぷりと1時間。これじゃーね。

と言うわけでまたダウンが来る前に急いでこれを書いているのです。
今日はカナからの変換等は正常です。でもいつダウンになるかは
一寸先も分かりません。これからメールへのレスをするつもりですが
中途半端になってしまう可能性が大です。その時はごめんなさい。

それにしても今回分かりましたよ。
ヤッパリ私にはこの小屋とパソコンは必要なのだ、と。
ですから、このパソコンがもし寿命だと分かったら、新しい
ノートパソコンを購入しようと思っております。


今朝のカリマン、エも言われない美しさです。
もう春ですねー、等と言っているとあした真冬が来たりして。

2009年2月10日火曜日

小屋に着きました

暖かい雨です。福島路、雪はどこにも殆ど見えません。
それでも道程最後の小屋へと至る「ロイヤルロード」は
しっかり雪の道でした。
さすが阿武隈の奥の細道カリマンです。

今回はパソコンを治すためのディスクを取りに
はるばる来たのです。
それでパソコン、この通り、何とか動くのですが、
その反応は極めて奇妙です。
それにしても、実家では完全ダウンなのに、ここでは少しは動く、
これもヘンなことです。と言うわけで、
せっかくいただいたメールへのレスも思うにまかせません。
これだけ書くのに30分はかかっているでしょう。
そろそろここでも完全ダウンなのかも知れませんよ。

帰るのは多分、あさってでしょうか。
訂正:14日下山にしました。


続けて大村さんの為にお祈り下さい。
その後のことは分かっておりません。
主は分かっております。

2009年2月9日月曜日

大村兄弟の事など

先ずはパソコンについて、
昨晩のブログとメールは全く正常でした。
しかし今朝一番にもう既に異常が現れ始めております。
これまでの経過から判断するに、この更新を最後に、またまた
機能停止に陥る可能性が大いにあります。

修理屋さんは言います、何とかと言うディスクがあれば
治るかもしれない、と。そういうわけで、そのディスクを
取りにわざわざ小屋に行くことも今考えております。

もし機能停止になれば連絡は同番号のファックスか
電話しかありません。どうぞよろしくお願い致します。


さて、
大村兄弟と御家族の為に続けて祈りたいと思います。
私のブログによくコメントを下さった「でもクリさん」が
実は大村兄弟です。薬関係の自営をなさっている方で、
今回の私の風邪についても適切なアドバイスをして下さったのです。

敵の一切の企ては2千年前に既に「最後のアダム」(イエス)の
肉において木(十字架)に釘付けられました。その事実を根拠に、
「この神の勝利の真理」が今、兄弟の病と大村家において
再現されますように!
ウソと小ざかしい知恵を用いて「神の選民」をさえ惑わそうとする
神の敵がこのたびの出来事によって大いに恥辱を受けますように!
だから今 キリストの御業の大岩のような堅固さと確実性に信頼し、
ただ神に賛美を捧げたいと思います。

2009年2月8日日曜日

21時54分、有季さんから

早速返信をいただきありがとうございました。
菅原様のメールを拝見し、大変心を強められ、
神様の臨在を覚えます。
私とは初めてメールさせていただいているのにもかかわらず、
主にある兄弟姉妹としてお交わりさせていただき
ありがとうございます。

夕方、病院へ行ったところ、
主に守られ、このような状態に置かれても
神様からの平安をいただいて病床についている父の姿を見て、
家族で通っている教会の方々が祈っていてくださることを
強く感じました。菅原様のブログに載せていただき、主にある
兄弟姉妹の方々にお祈りしていただけたら感謝です。

お言葉に甘えまして、父の病気の発生と現在の状況、および
問題を少しお話させていただきます。私は父とは違い、
医療従事者ではないので、話が分かりづらいと思いますが、
ご了承ください・・・

昨晩、胸の重苦しさと詰まる感じを訴え、血圧の急低下を伴った
ため、救急車を呼び、急性心筋梗塞として集中治療室での治療が
始まりました。狭窄していた血管は、心臓に栄養を送る太い血管であり、
そこにカテーテルでステントを挿入し、血管を拡張しました。

一命は取り留め、現在は容態が安定していますが、病院搬送までに
一時間強の時間を要したこと、また、大きな心筋梗塞であったことを
考慮すると、その間のダメージがどれほど心臓に影響を与えているのか
現在ではまだ分かっていないとのことです。
さらにもう一本狭窄している血管が発見され、そちらは、
昨晩行った治療の経過次第で、ステントを挿入して
血管を拡張する治療を行うとのことです。

病床では明るい声で、時に微笑んだ表情で会話をしておりましたが、
予断は赦さない状況にあります。主にある兄弟姉妹の方々に
お祈りしていただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
主にありて

大村 有季

緊急な祈りのお願い

今まで一度も会ったことさえないある兄弟(大村兄弟)と
今週お会いし、御交わりの機会を持つことになって
おりました。

ところが先ほど、メールを開いて見たら大変なことに
なっていたのです。そのメールは大村兄弟の娘さんからの
ものでした。以下は彼女の文面です。


菅原様
はじめまして。父の代わりに娘(有季)がメールを送付させて
いただいております。
昨日(7日)、父が急性心筋梗塞のために倒れ、一命は取り留めて
おりますが、現在集中治療室で治療を行っております。
そのため、菅原様にお会いすることになっておりましたが、
お約束が叶わぬ状況となってしまいました。
せっかくお時間を作っていただいたのに、大変申し訳ございません。
父も菅原様とお会いすることを大変楽しみにしておりました。
お祈りいただけますと感謝です。
取り急ぎご連絡させていただきました。
有季


有季様
了解しました。

大変なことになりましたね。
ゼヒ、祈らせていただきます。

私は何故か今
お父様は必ず、主の御こころの中にあることを
信じていることが不思議なのです。そして「神の」平安さえ覚えます。
一度もお会いしたこともないのにとても不思議です。
それはきっと私達(お父様、有季さん、私)の一つが
主イエスとの完全な一つの中にあるからでしょう。
それは神の一つです。

仮に神の敵が働らいたのだとしても
敵は神の御手の中の小さな存在に過ぎません。
キリストの復活は既に敵の死を粉砕したのです。

この度のお父様のことにおいて
ただ主の御業、復活の御業が現されますように、
と祈ります。

「私達の交わりは父、ならびに主イエスキリストとの交わりです。」
(Ⅰヨハネ1の3)


多くのキリスト者達にも祈っていただくべく、
このことをブログに載せたいと思いますが・・

パソコンがまたまた変です!

本当に変です。
最初に現れたあの不調現象がパソコンにまたまた出現し、遂に
昨日機能停止になってしまったのです。この現象これで三度目です。
奇妙なのは修理屋さんに持って行くと、それだけで完全に
治ってしまうことです。しかし、それで「ああよかった」と、家に
持って帰るとまた数日でおかしくなってしまうというわけなのです。

ついさきほど、柏の修理屋さんから、勝手に治ってしまった
パソコンで今これをあわてて書いております。
と言うわけなので、我がパソコン、またまた変になる可能性が
大いにあると覚悟しなければなりません。

それで次の作業は、いただいたコメントやメールに返事を
書くということなのですが、
「パソコンよ、お願いだから
またおかしくなるのはどうか、その後にしておくれ。」

2009年2月6日金曜日

パソコンが本当に治った

長らくメールもブログも書かなかったのは
以下の二つの理由からでした。
①パソコンが動かなかったこと。
柏の修理屋さんに治してもらって1/15の最新の更新をしたら 
何とその直後すぐまた動かなくなってしまったのです。
更新するべくログインしようとすると、変な警告が貼りつき、
それがどうしても自力では除去できなかった、と言うことでした。

しかし、数日前メール機能は回復しました。
しかしブログは駄目、それもいつ治るのかトンと検討がつかない状況
だったのです。(山に戻ってイモクボさんに
お願いしないと駄目かな等、と)

②もう一つの理由は1/16以後
風邪をこじらせ、つい数日前まで寝ていたことです。
(仕事もない気楽な身、この際無理せず慎重にと言うことで・・)
でも体はもう大丈夫です。

それにしても67歳、健康には注意しなければなりませんね、
今回つくずくそう思いました。
これからは風邪をひかないように細心の注意をすること
と(数年ぶりの風邪でした)寄る年波に抗して
「体力の増強に努めなきゃ」等と思わされたのであります。
(それであの三浦雄一郎氏のまねをして、おととい足首に巻く
ウエイトを柏の東急ハンズに注文して来ましたよ。果たして
首尾はいかに!)


そして遂にとうとう
今日の午後、龍ヶ崎のパソコントラブル解決会社に来てもらって
目出度くブログも再開の運びとなったと言うわけなのです。


このたびの病気等によって、私の内側にはっきりしたある変化が
あったように思われます。今後このブログにその変化はどんなふうに
現れるでしょうか。私にとってもそれは一つの楽しみです。