2009年2月26日木曜日

有季姉妹から、そのファイルです

下記は、発作が起こった時から、CCUでの治療、また祈りについて、
父が病床で自分の携帯電話から自分のパソコンに分割してメールで
送信したものを一つのファイルにまとめたものです。

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2月7日土曜日午後8時ロイス(犬)の散歩から帰宅してロイスの足を
洗い始めたところ胸の重苦しさを感じ始めた。ロイスの足を洗うのに
大した時間を必要としないが、ロイスの足を洗って家に入る頃には
胸の痛みが激しく二の腕の痺れがひどくなった。ひどい狭心症か
心筋梗塞の発症であろうと想像した。脈をみると緊実である。
漢方では激しい疼痛に見舞われたときに現れる脈の一つである。
しかしその後脈は沈遅微弱に変わった。胸部の痛みは益々激しく
その痛みは形容し難い。両腕は全体的に痺れている。
ブクリョウシギャクトウを服用しニトロダームを貼った
(ニトログリセリン舌下錠を探したが見つからなかった故)。しかし、
好転せず痛みは悪化していく。薬で治せる病態ではない。
緊急を要する状態である。急いで妻のいる二階へ行き、もう一度脈を
確認したらもう脈はかすかに触れる程度となっていた。妻に客観的に
理解してもらうためテーブルの近くにあった手首で測る血圧計で
計って見せた。ショック状態のように低下しているようで最高血圧が
50になってもまだ数値が出なかった、と妻は後で教えてくれた。
妻には電話で救急車を依頼してもらい、私は救急隊員にすぐに
搬送してもらうために一階の玄関のところに行こうと思った。

しかし、意識がはっきりしていたのはこのあたり迄であった
ということを後で娘から聞いた。私が二階のエレベータの前に
立っているところに娘が来たそうである。その時、娘の見た光景は、
私がエレベータのボタンの前で手と体を震わせ左手で胸を叩いて
いたとのことです。私は自分でエレベータのボタンを押しエレベータに
乗ったと思ったがそうではなかったのである。そうすると犬を家に
入れてからエレベータの前で意識を失うまでは
3-4分位のことであったと思う。

さて、エレベータの前で私が意識を失っていた時何が行われていたのか。
これも聞いた話であるが、妻は消防署との話、娘は私の体を支えて
いる時に主イエスから「祈りなさい」というみ声を聞き、声を出して
「お父さんを強めてください。」と祈ったというのです。
私には娘が祈った記憶はありません。ただエレベータの中で足に力が
入って自分で立っているという感覚は覚えています。その時娘は
何で私を支えているのだろう?と不思議で、お父さんは自分で
立っていられるよ、という意味のことを言ったことを覚えています。

娘の話を聞き、恐れを感じた。
自分で何かをしていると思ってもそれは他の人の祈りによる答えである
場合があるということを如実に体験したのである。今までは知識として
であったが。これと同じことは今までどれだけあったのか?霊的知覚の
鈍さ故…ただただ低くさせていただくのみである。

私は、エレベータからでて救急車が来る迄玄関の前の廊下に横になった。
玄関の前に横になり痛みの為に唸っていた。救急車が到着し救急隊員が
自分で動けますか?と聞いてきたがその時には自分の体を自分では
動かせなくなっていた。只唸っているだけである。息を吸い、
息を吐くときに「主よ」と主の御名を呼ぶことを痛みが軽くなるまで
続けていた。聖書に「主の御名を呼ぶ者は誰でも救われるのです。」
「主に信頼する者は失望させられることがありません。」とあるからです。

救急車に乗ってから出発するのに30-40分位かかったそうですが私には
15分位にしか感じられませんでした。どうやらちょくちょく意識が
遠のいていたようです。救急隊員の人が頻繁に「声が聞こえますか?」
とか「しっかりしてください」みたいなことを語りかけてくるのです。
あとになって意識が時々途切れていたのだなと理解しました。
相変わらず胸部の疼痛は激甚です。呼吸と共に祈りは意識があっても
なくても続いていたようである。救急車が走り始めたらあっという間に
ついてしまった。瀬谷から浦舟なのであっという間に到着するはずは
ないのである。妻の話では救急車はかなり揺れたとのことであるが、
私にはゆりかごの中にいるようで気持ちよくゆらゆらしている
ようであった。胸の疼痛は強いが痛みとはまた分離した感覚である。
生死の境をさ迷っているのに、痛みは激しくても死の不安を感じない。
かえってイエスさまから永遠の命を与えられていることを感謝した。

病院に到着した。イエス様が迎えに来ない。
まだ地上にいるのかな?と思った。
救急車が病院に到着した。
直ちに治療が始まった。相変わらずイエスさまは迎えに来ない。

治療している医師たちの話声が聞こえる。「うわー、太い血管だ」
右側が太くて長い。話し声からすると何か大変そう。
相変わらず私は胸部疼痛激甚の為「主よ」と唸っていた。
治療開始からどのくらいたったのかわからないが22:00頃には痛みが
大分減少してきた。妻のことが心配になった。きっと動悸がひどいに
違いない。妻はバセドー病だから死ぬときは心不全のことが多い。
治療を受けながら妻のことを祈り続けた。治療が終わりCCUに移動した
頃には痛みはなくなって胸部の圧迫感のみとなっていた。
CCUへ移動する途中、医師の会話が聞こえた。
「この人は○○先生の友人のお父さんで薬剤師なんだ。」
息子が、横浜市立大医学部時代の同級生に連絡をとってくれていた
のである。息子の出身校の附属病院であったので医師や看護師は
とてもよくしてくれた。病棟の教授までお話ししに来られた。

CCU2日目
担当医や看護師たちは頻繁に心電図をとりに来、胸部の疼痛はどうか、
圧迫感はどうかとしつこく尋ねる。先生の説明を聞くとそれもそのはずで
心筋は広範囲に壊死し、左側の環状動脈には90%詰まっている
ところがあり、そこが詰まったら死んでしまうということでとても
気をつかっているということです。今の状態でも排便の時にいきんだら
心筋の壊死で心臓の筋肉が薄くなっているので心臓が破裂する
場合があるというのです。

さて、無事3日目に入ってCCUから一般病棟に移ることが出来ました。
その翌日200mの歩行テストを受けて無事通過したのです。これに
合格しないと自分でトイレに行くことができません。


さて、問題は翌翌日から起こり始めました。心不全を併発したのです。
肺に水が溜まり、深呼吸をしても空気が少ししか入って行かないのです。
この時から毎日胸部のレントゲンをとり、一回はCTをとるということで
毎日放射線被爆です。利尿剤を二種類内服してもお小水は増えません。
それゆえ利尿剤の内服を続けながらさらに利尿剤の静脈注射を
併用しました。対象療法ですが一週間で肺に溜まっていた水は
無くなりました。しかし、この治療をしないとまた溜まるかもしれません。
25日には90%詰まっているところを治療します。それ以外にも四ヶ所
ボロボロのところがあるのだけれどそれは治療不可能とのことです。

<祈りについて>
(ローマ8:34)「よみがえられた…キリスト・イエスが、神の右の座に着き、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。」
(エペソ2:6)「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、
ともに天の所にすわらせてくださいました。」
(コロ3:3)「あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、
キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。」

今回の入院で横浜シオンの兄姉やシオン・キリスト教団の兄姉方、
イムマヌエルの知り合いの教職や信徒、大村塾のクリスチャンの塾生や
その兄姉方の所属している教会の兄姉方、メールで恵みの分かち合いを
している兄弟と私の会ったこともないその兄弟の知り合い多数。
なんと多くの兄姉方に祈られていることだろう。キリストがキリストに
ある兄姉方のうちに働いて祈りを導いていかれる。目には見えない
けれどもキリストのからだのキリストの愛による有機的働きの
素晴らしさに驚嘆する。

私は、自分自身に対しては、良くなるようにとか癒されるようにとか
祈っていなかった。「生きることはキリスト、死ぬことは益」、
私はどちらでも良かった。妻がとても具合が悪そうだったので
「よく休んで元気になって」と言ったら「富栄が元気になることが
私の元気につながる」と言うのでそれはもっともだと思い、自分自身で
元気になるようにと祈ったらどうも霊的に調子が悪い。自分のことは
いつも主に委ねてあるので、それによっていつも主との間が具合が
良いのに自分の肉の思いで祈り始めたことにより、霊調を崩してしまった。
それでまた、癒しについては祈らなくなった。
癒しについては多くの兄姉方が祈っている。

「キリストとともに死に、キリストとともによみがえらせられた」
(コロ3:1-3)私。主の用意してくださっておられる恵みの素晴らしさ。
主は一人一人にそれぞれ祈りのことばを与えているのでしょう。
キリストは天にいる、同時に私の内にも兄姉の内にもいる。
私たちキリスト者はキリストと共に天の所に座している。
「(御)霊によって祈りなさい」
「私たちには、キリストの思いがある」
「キリストは私たちに志を立てさせ、事を行わせてくださる」
キリストは、祈りの思いを一人一人に与え、祈らせてくださる。
しかも、キリストと共に。霊の世界は見えないけれど、
御言葉はそのように語っているとすると、
私たちの霊の活動の範囲の何と広いことか。

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