2009年2月13日金曜日

今日下山します

パソコンについて:
先回の更新後、案の定やはり我がパソコンは完全にダウン、即ち
死に体状態になってしまいました。当然メールもだめでした。それで
私も全くあきらめてしまったのですが、今日になってこれから下山する
にさいして試しにオンにして見たところ、この通り何とか動くのです。

それでもやはりこれは時間の問題であることは明らかです。
出来れば、今日中に柏の修理屋さんに持って行きたいと思っております。
これは「或るディスクがあれば、治るかも知れない」と言う修理屋さんの
言葉にすがって最後の賭けをする、と言うことでしょうね。
と言うわけで、次回のブログ更新はいつになるのでしょうか。

さて、霊的な領域のことに一言触れるならば:
今主は明らかにある新しい段階へと進みつつあるように思われます。
当然神の業はキリストにおいて二千年前に完成しております。
今神が事を進められると言うのは、その完成された御業に基づき、
神の命を所有する稀有な人々(即ち真のキリスト者)を神が
取り扱われることに関してです。

今私達は、聖霊がキリスト者の「霊の中の直覚」を通してなされる
聖霊のデリケートな語りかけにとても敏感にならなければなりません。
(直覚とは神の油塗りが個人個人のキリスト者に教える場所です。)それが
「目を覚ましているように」と言う御言葉の意味であろうと思われます。

もしそうでなければ、私達は必ず乗り遅れるでしょう。(たとえ
「次の時代」には乗車するとしても)それはキリスト者を無感覚の
心地よい眠りに誘いこむ多くの強力な力が日に日に増し加わって
いるからです。それに抗するのは容易なことではありません。
それには神の大きな憐れみが(或いは切実な人の願いが)
どうしても必要とされることでしょう。

その主の業は必ずある隠れた方法で実行される筈です。
(ですから人の覚醒と探し出す意欲が必要なのです。)一世紀から今日に
至るまで「その主の業の流れ」は決して途絶えたことはありません。
それは黙示録を見る時、あの暗黒の時代においてさえ「勝利者」が存在して
いた事実を知れば明らかです。私達の深い感覚は「その流れが今日一体
どこにあるのか」を感知出来るほどまでに敏感でなければなりません。

今日この日、実行的に私達がもしも「あの龍」を足の下にしていなければ、
いずれキリスト者と言えども必ず実際的にあの龍の無慈悲で残酷な迫害に
遭遇するでしょう。そうであってほしいと言う思いがないではありませんが、
残念ながら?艱難の時代の前に全キリスト者がある日、自動的に
無意識的にのん気に空中に携え上げられる等ということは
決してあり得ません。(携挙には幾つかの段階があるからです)
これがキリスト者に対する新約聖書の明確な警告です。

私達が相手にしているのは神です。神は神です。

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