主人が
びっくりするくらい回復が早いのです。
熱も下がっています。
そして何よりも
度重(たびかさ)なる脳梗塞のために
脳の機能が殆(ほとん)どない と言えるような主人が
今私の事が良く分かるのです。
これは凄いことです!
*
すばらしいです。
それは間違いなく神がされたことでしょう。
私はこの喜びを兄弟姉妹に
次のように伝えました。
↓
この夫婦に何が起っているのでしょう。
神が真に彼ご自身の御業(みわざ)をされる時には
人はただ傍(かたわら)に立って
見ているだけのようです。
「神が働かれるために」人はどうであるべきか、
これだけが今日キリスト者が学ぶべき
ただ一つの学課(がっか)です。
多分それを一言で言えば
「神に対する私の従順(じゅうじゅん)」でしょう。
更に具体的に言えば
「神が私のために用意する十字架」を受け入れることです。
ただそのさい、神はしばしば
「私に対するサタンの攻撃(こうげき)」でさえ
用いられるので 私はアワテふためき 自分を失い
「神のみこころ」がどこかに行ってしまうことが多いのです。
「神は サタンの働きに乗じて御業を行われる」、
これは聖書全体が教えている極めて大きな原則であり、
ここにおいてこそ、この時代においても
十字架と復活が現実のものとなり得るのです。
イエスに起った原則は 私達にも起るべき原則です。
私達は「神の意図」を誤解せず、
静かに神の救いを待つべきです。
2 件のコメント:
主のなさることはみな良い事で
私たちは皆、主をほめたたえます。
ペテロも
「主がなされることを私ごときが
どうこうできますか?」的なこと言ってますが、私たちは目撃者であってその方の技を証するだけ。
私たちは見栄えのない土くれであって
ただその中に宝があるだけ。
私たちは力のないロバの子の様であって、ただ主がもちいられ乗って下さるので、時には私たちに向けられているように人々は賛辞を言ったり、喜ばれたりするが主が乗ってなければそもそも、それすらも無く、全て主がほめたたえられているだけが真実。
それでも主と共にあるだけで私たちはとってもうれしい。
感謝です。
だから彼は神なんですよね。
「なにしろ彼は神なのです」
この事実の前に
ただひれ伏すばかりです。
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