2010年12月24日金曜日

神の意図(いと)

主人が
びっくりするくらい回復が早いのです。
熱も下がっています。

そして何よりも
度重(たびかさ)なる脳梗塞のために 
脳の機能が殆(ほとん)どない と言えるような主人が
今私の事が良く分かるのです。
これは凄いことです!


すばらしいです。
それは間違いなく神がされたことでしょう。
私はこの喜びを兄弟姉妹に
次のように伝えました。


この夫婦に何が起っているのでしょう。
神が真に彼ご自身の御業(みわざ)をされる時には
人はただ傍(かたわら)に立って
見ているだけのようです。

「神が働かれるために」人はどうであるべきか、
これだけが今日キリスト者が学ぶべき
ただ一つの学課(がっか)です。

多分それを一言で言えば
「神に対する私の従順(じゅうじゅん)」でしょう。
更に具体的に言えば
「神が私のために用意する十字架」を受け入れることです。

ただそのさい、神はしばしば
「私に対するサタンの攻撃(こうげき)」でさえ
用いられるので 私はアワテふためき 自分を失い
「神のみこころ」がどこかに行ってしまうことが多いのです。

「神は サタンの働きに乗じて御業を行われる」、
これは聖書全体が教えている極めて大きな原則であり、
ここにおいてこそ、この時代においても
十字架と復活が現実のものとなり得るのです。

イエスに起った原則は 私達にも起るべき原則です。
私達は「神の意図」を誤解せず、
静かに神の救いを待つべきです。

2 件のコメント:

電気屋 さんのコメント...

主のなさることはみな良い事で
私たちは皆、主をほめたたえます。

ペテロも
「主がなされることを私ごときが
どうこうできますか?」的なこと言ってますが、私たちは目撃者であってその方の技を証するだけ。
私たちは見栄えのない土くれであって
ただその中に宝があるだけ。
私たちは力のないロバの子の様であって、ただ主がもちいられ乗って下さるので、時には私たちに向けられているように人々は賛辞を言ったり、喜ばれたりするが主が乗ってなければそもそも、それすらも無く、全て主がほめたたえられているだけが真実。
それでも主と共にあるだけで私たちはとってもうれしい。

感謝です。

Mr.Sugar さんのコメント...

だから彼は神なんですよね。

「なにしろ彼は神なのです」

この事実の前に

ただひれ伏すばかりです。