2009年10月18日日曜日

獄中のウオッチマン ニー(4)

私達の監房には3人いました、一人目は精神疾患で話すことが
できない青年、二人目はニー、そして3人目が私です。
ニーは毎日、何かを書いていました。
もし彼が私のことを密告しているのでないなら、誰について報告して
いるのでしょう?私が彼に話しかけたいと思うはずがありません。
朝から晩まで、四六時中、私は彼と一言も口を利きませんでした。

彼は扉の前に座って書きものをしています。
なぜ扉のそばに座っているのでしょう?
私たちの監房の幅は1メートル50センチから60センチしか
ありません。両手を伸ばせば、壁に届きます。
長さも2メートルほどです。三方の壁には窓がなく、
正面に鉄の扉があるだけです。
扉の近くは少し明るかったのです。

ニーは何かを書いている間中、鉄の扉のそばに座っていました。
食事と飲み水は戸口付近に置かれました。
扉を開ける必要はありません。そこから手を突き出して、
食事を取って、中に入れるだけです。
ニーは扉のそばに座っていたので、食事はすべて
彼が私たちに手渡していました。

私は彼と口を利きたくなかったので、一度も彼にお礼を
言いませんでした。でも、彼の方ではお礼を言いたい様子でした。
とにかく私たちの関係はたいへん気まずいものでした。
その後、主の采配により、ある事件が起こりました。

私には一人の身内、妻がいました。
彼女は上海の水産大学を卒業し、高校で化学を教えていました。
私たちには幼い娘が一人いました。囚人の家族は、月に一度、
監獄に面会に訪れて、物資を届けることが許されていました。

妻は私をとても愛していましたので、毎月、必ず面会にやって来ました。
私の方では、無事彼女がまだ学校で教えていると思っていたのですが、
実際には、彼女に事件が起こっていたのです。

ある日、学校の校長が彼女に問いただしました。
「周(チョウ)先生、聞くところによれば、あなたのご主人は
反革命分子で今、監獄にいるそうじゃありませんか?」
彼女は「そうです」と答えました。
校長は言いました「あなたは彼と離婚しなければいけません。」
妻は問い返しました「なぜですか?」

校長、
「政府の規定によれば、反革命分子の家族は、人民の教師には
なれないのです。あなたの夫は反革命分子です。反動的な思想の
持ち主です。あなたはそんな人と接触を保ちながら、
どうやって生徒を教えられるでしょう。ですから、あなたは彼と
離婚しなければなりません。」

妻は次のように反論しました。
「私が彼と結婚した時、彼は反革命分子ではありませんでした。
彼はボクシングの選手だったのです。上海を代表して国際大会にも
出ていました。彼が反革命分子になったのは、結婚後のことです。
もし私が今、彼と別れて他の人と再婚したとしても、その夫も
また将来、反革命分子とならない保証はどこにもありません。
そうなった場合、私はその夫とも離婚して、
また再婚すべきなのでしょうか?

さらに、私たちには既に娘が一人おりますが、私はまだ若い身です。
再婚すれば、さらに子供が増えるでしょう。
でも、それは今の子供の成長にとって良くありません。

さらに、夫 友琦(ウ ヨウチ)の判決は懲役7年です。
私は彼の出所を待って、それから、国のために社会主義建設を
続行することができるのではないでしょうか。だから、
私たちは夫婦でいられるはずです。」

彼女の言い分は完全に道理にかなっていました。
その時 校長と教務主任は彼女を説得できませんでした。
しかし、彼らがあきらめたりするでしょうか?
そんなことはありえません。
間もなく、校長はもう一度彼女に尋ねました。
「あの問題について考慮されましたか?」
妻は答えました「考える暇がありませんでした。」
校長は言いました「それならば、私たちも、もうこれ以上
あなたに時間はあげられません。
これは国の政策なのです。あなたの身分証明書を返却しなさい。
あなたが離婚しないなら、学校を辞めるしかありません」

当時の中国大陸の状況は、現在の状況とは全く異なっていました。
一旦、学校を辞めれば、他の仕事はもうありません。
彼女には 他にできる仕事がないのです。
妻は学校を去り 泣きながら家に帰りました。

彼女の頭の中は真っ白でした。
「今後、私はどうすればよいのでしょう?どうやって生計を
立てればよいのでしょう?娘をどうすればよいのでしょう?」
彼女は家に帰ると、幼い娘を抱きしめて泣き崩れました。
その時、彼女を慰めてくれる人は誰一人としていませんでした。

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