私たちの監房には、ニー兄と、私と、20歳余りの青年がいました。
この青年は精神疾患のために、はっきりとしゃべることができません。
「おー、おー、おー」と声を出すことしかできず、
頭をいつも垂れて、右手は胸元から離しませんでした。
なのに、彼も反革命分子とされていたのです。
兄弟姉妹、私は正直に言いましょう、この監房に入った時、
私はニー兄弟に少しも友好的ではありませんでした。
私は彼に反感を持っていました。彼に敵意を抱いていたのです。
彼を軽蔑していました。彼と話したくなかったのです。
なぜって?彼が小組長だったからです。
監獄には、何人かの囚人に対して、小組長がおりました。
私の目から見ると、あらゆる小組長が、政府のご機嫌取りをしていました。
彼らは政府のスパイでした。彼らは他の囚人を踏みつけ、踏み台にして
出世し、自分が減刑されるためならば、他人の刑期を増やすことを
いといません。
そもそも、一体どうして私が監獄にいなければならないのでしょうか。
私は窃盗も、強盗もしていませんし、殺人も、放火もしていません。
ささいなことを喋っただけなのに、逮捕されたのです。ですから
私は彼を恐れました。あえて話しかけようとは思いませんでした。
☆
Sugar:
幸いなことにこの度 この証の訳出の上で ある強い助け手が
与えられました。その方によると この証の文章を比べて見ると 英語
よりも中国語の方がより詳しく正確であるようです。従って
(3)以後、中国語からの情報も加味して訳出いたします。
・上海の監獄「ティーランチャウ」の漢字は「提籃橋」です。
・(1)で「3つの赤い旗」と訳したものは正確には「三面赤旗政策」
であり、毛沢東が推進した三つの政策、大躍進、人民公社の創設、
文化大革命を包含する呼称であるとのことです。
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