2009年10月22日木曜日

獄中のウオッチマン ニー(8)

私はニー兄弟に言いました、
「そんなにまで 神を信じるなんて! 
私には あなたという人が分かりません…」と。


兄弟姉妹の皆さん、
若い頃、私は あるハンガリーの詩人(裴多菲)
による一つの詩を学びました。彼はこう書いています、

生命誠可貴,愛情價更高; 若為自由故,兩者皆可 。
人の命はまことに貴いが、愛情の値はさらに高い。
しかし、自由のためならば、私はそのどちらを捨てても構わない。

この詩は、自由がどんなに貴いかを物語っています。
本日、人民政府は ニー兄弟にその尊い自由を与えようとしました。
しかし、彼はそれを願わなかったのです。
ニー兄弟は唯一、ただ主のために、彼の生活も、愛も、
そして獄中からの自由さえも放棄したのです。
彼は その三つとも全部を 捨て去ったのです!

私はそのようなニー兄弟に接した時、それほどまでして 主だけを愛し、
主のみを信じる人がここにいる、と言う事実に 実のところ、
大きな感動を覚えていたのです。

共産主義者達は、どうにかして ニー兄弟の魂を脅やかし、彼の魂に
深刻な打撃を与えようと目くろんだのでしょう。彼がどうしても信仰を
捨てなかったので、敢えてニー兄弟の眼前で あの二人を釈放したのです。
けれども、ニー兄弟は動じませんでした。彼の魂は動かされませんでした。

しかし、私の魂は動かされたのです。
私は この人、ニー兄弟は 障害者や、精神を患っている人ではなく、
極めて正常な人であることを知っていました。だから、彼が それほどの
代価を払ってまで 主を信じるには、何か格別な理由があるに違いない
と思ったのです、言い換えればイエスを信じることには、きっと 
それほどまでの「値打ち」があるに違いない、と確信したのです。だから、
その時 私も ニー兄弟と同じように、イエスを信じたいと願うに
至りました。そして実際 その瞬間から、私は遂に主を信じ始めたのです。

どんな人でも 主を信じるべきです。
あなたの罪の贖いのために、主が必要です。
あなたの救いのために、主イエスが必要です。

ある兄弟姉妹は私に尋ねます、回心にあたって、あなたはニー兄弟の
どの著作、どの論説を読んだのですか、と。
私は答えます、「主を信じる前、私は彼の文章を読んだことは
一度もありません」と。
私は彼の文章を読んだから 主を信じたのではないのです。
彼と知り合った時、私はまだ信仰を持っておらず、それまで 
彼の文章を読んだことなど全くなかったのです。そうではなく、
私は言わば「彼の人格を読んだのです」それ故に、主を信じたのです。

中国のことわざに こうあります、
「言葉をもって教えることは、身をもって教えることに勝ることはない」 
私は 彼の実際の人間、その姿、行動を見、それが私に感染して、それで
主を信じたのです。ニー兄弟は一人の弱い普通の人間に過ぎません。
しかし私は 彼と言う人を 私の個人的な感性を通して知り、それで主を
信じたのです。このことは私に とても とても深い影響を与えました。

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