1971年のある日、役人がニー兄弟宛てに 彼の家から送られた
一通の手紙を 私に手渡しました。
その手紙は何と、彼の妻アンティー ニーが椅子から転げ落ちて、
骨折し、 緊急入院したとの知らせだったのです。
私はニー兄弟に先ずは「心配しないように」と伝えました。次に
私は彼に対して、請願書を書くように、即ちニー兄弟の上海にいる
家族への訪問許可を求める申請書を書くようにと勧めました。
私は 彼に付き添って上海へ行くつもりだったのです。
さて実際の所、ニー兄弟と私は、とうに刑期を満了しており、正しい
権利の上では、もはや囚人ではないのでした。
所が、あろう事か 1966年、中国に文化大革命が起こり、
たとえ刑期満了した囚人でも、一切の釈放と言う釈放が禁じられて
しまっていたのです。
それでも、ある規則によれば、私たちは年一回、家族のもとを訪れ、
半月間だけ 家族のもとに滞在することが許されていました。
妻が重傷を負うと言う大きな事が起こったのだから、当局も一度
くらいは、彼を家に帰らせてくれるだろう、と私はふんだのです。
初めのうち役人は、よく考慮しようと、ニー兄弟に告げました。
ところが後になって、彼らはニー兄弟に対して
「あんたは重い心臓病で歩くこともできないのに、
どうやって上海まで行くんだ?」と言いました。
その時ニー兄弟は、私(友琦)が彼に同行します、と伝えました。
すると役人は、それでは、このことについては更に考慮しなければ
ならない、と答えました。
私たちは半月も待たされたあげく、尋ねると、彼は
今度は 眉を釣り上げて言ったのです、
「あんたたちが行ってどうなるんだ?あんたらは医者じゃないだろう。
それに あんたの妻の病状はもう回復している、そう報告を受けている。
請願は考慮したが、認可するわけにはいかない。」
ニー兄弟は一言も抗議しませんでした。そして私にもそうさせません。
私たちは ただ黙って私達の場所に帰ったのです。
その時 ニー兄弟は人に気づかれないように祈っておられたのです。
幾人かの人や役人は、彼の唇が動くのを見ていぶかり、私に尋ねました。
「ニーは祈っているのではないのか?」
私は答えました「違います。彼は気功をやっているだけです。」
しかし私は知っていました、その時アンクル ニーは一日中
祈ることをやめなかったのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿