2009年10月24日土曜日

獄中のウオッチマン ニー(最終回)

その 9ヶ月後、
あろう事か、彼の身柄は白雲山(バイユン山)に
移されることになりました。
白雲山、それは東方の 正に草深い僻地でした。

その日が来ました。
歩くことさえできない 心臓病に苦しむ老人、
アンクル ニーが 唯一人 トラクター(農耕機)
に乗せられ、私たちに別れを告げました。
・・・
そして、その僅か3日後 
私たちは 彼の訃報を聞いたのです。


肉体的な苦痛以上に、ニー兄弟は精神的に大いに
苦しんだと言えるでしょう。彼はその生涯、言語に絶する
様々な辛苦を味われ、しかしそれらを耐え忍ばれました。
にもかかわらず、その報いとして彼が 自分の手の中に獲得し 
また与えられたものは 何一つとしてありませんでした。

しかし、私達は確かに言うことが出来ます、
彼は「なければならない唯一のもの」また
「尊とさの極み、主御自身」を獲得したのである、と。
そのようにして彼は、その生活と人生を通して、
私達に「ただ主御自身のみを」指し示したのです。
彼は一個の はかなく貧しい土の器に過ぎませんでした。
しかし神を賛美します、
その土の器の中には、尊い 尊い宝、
主なるイエス・キリストが存在しておられたのです。

今日、私たちは自由です。
そして自由に叫ぶことが出来ます、「主よ、あなたを愛します」と。
私達は今 どこにいても「主よ、あなたを愛します」と
自由に叫ぶことができるのです。
しかし、極左政権の支配下において、彼には
それさえも許されませんでした。
ニー兄弟はその生涯をかけて、主を愛しました。
しかし、その20年間、厳しい制限の下に置かれ、ただの一度も、
声に出して、「主よ、私はあなたを愛します」と言うことさえ
許されなかったのです。
想像してみて下さい、もしあなたが20年もの間、母や、妻や、
子や、愛する家族に、「あなたが大好きです、あなたを愛しています」と
言うことができないとしたら!けれども、
アンクル ニーは黙って その全てを耐え忍ばれたのです。

しかし、今日私達には それが許されています、それが出来ます。
何と私達は幸いな者達でしょう。
ですから今 私達は彼に代わって叫びましょうか。

「主よ、私はあなたを愛します。」
「主よ、私はただあなたのみを愛します。」
「主よ、私はあなたを 心から愛します!」

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