天国や神の国とは、イエスご自身であり、
王キリストの統治(とうち)や支配の及ぶ範囲
(はんい)のことです。
だから、
イエスの先駆者(せんくしゃ)ヨハネと、初期の頃の
イエスは「天国は近づいた」と言い、
後に、彼が人々に囲まれていた時
「神の国はあなた方の間(among)にある」と
言われました。(ルカ17の21、新共同訳、NLT訳)
そして復活後、無制限になられたキリストは
彼を受け入れた者の霊の中に(in)おられます。
だから天国は人々に対して
「近づき」⇒「間におり」⇒「中へと」来られた
ことになります。
したがって、聖書で言う天国とは、ある日突然「行く」
かも知れない、あるいは「行きたい」所などではなく、
むしろ今日とても具体的に「来る」のです。
しかし
私が「自分を自分の主や王とする」ことを
完全にあきらめ、ただキリストだけを
実際的に私の主や王としなければ
彼がその支配(神の国)の実際を
私において表現することは不可能です。
なぜなら彼は、人の意志を
とても尊重(そんちょう)されるからです。
だから私達は、ゼヒとも祈らねばなりません。
「御国が来ますように!」(「主の祈り」)
そして「天国が私から人々へと
流れ出て行きますように!」と。
★
止水栓開閉器の製作は完全に失敗でした。
クギがいとも簡単に折れ曲がってしまったのです。残念ですが、
今日はその道具を船引まで買いに行かねばなりません。
2011年6月9日木曜日
2011年6月8日水曜日
2011年6月7日火曜日
止水栓開閉器を手作りする
昨日から水道工事にかかっています。
奥の沢から長距離流れて来る山の水は、先ずは
中村さんの家の敷地(しきち)にある水槽(すいそう)
にたまり、 それが落下してこの山小屋に
至(いた)るのです。
ところが、その水槽手前の道路下の水道管の一か所に
小さなモレが出来たと見えて、水がその道路に
流れ出ているのです。
これはどうしても止めなければなりません。
先ずは、水道管がハルバル奥の沢に向かう
遠くの山道にある大きな止水栓(しすいせん)をしめて、
その漏水(ろうすい)か所に水が来ないように
しなければ なりません。そうでないと工事が
やっかいです。
ところが止水栓は、どうも器械で開けたらしく、
しめようとしても、私の握力(あくりょく)ではビクとも
しないのです。 (止水栓は直けい10数センチの塩ビ管の
下の方にあるので、器械がなければ、とても「きゅうくつな」
カッコウで、かた手をのばし開閉しなければなりません。)
それで今日は、どうしてもその「止水栓開閉器」を
木と釘で手作りしなければなりませんでした。試行錯誤
(シコウサクゴ)のすえ、午前中で何とか完成したのですが、
しかし果たしてこれで、あの大きな止水栓がしめられる
ものでしょうか。 しかしその実行は明日にしましょう。
(ただ一人の作業、根をつめての労働はかたくキンモツです)
このように、山で暮らしていると、時々思いもよらない事を、
どうしてもしなければならなくなるのです。
午後は、地下の
大地震で崩壊(ほうかい)したタナの修復にとりかかりたい
のですが・・(基礎と土台はすでに全部完成しております。)
奥の沢から長距離流れて来る山の水は、先ずは
中村さんの家の敷地(しきち)にある水槽(すいそう)
にたまり、 それが落下してこの山小屋に
至(いた)るのです。
ところが、その水槽手前の道路下の水道管の一か所に
小さなモレが出来たと見えて、水がその道路に
流れ出ているのです。
これはどうしても止めなければなりません。
先ずは、水道管がハルバル奥の沢に向かう
遠くの山道にある大きな止水栓(しすいせん)をしめて、
その漏水(ろうすい)か所に水が来ないように
しなければ なりません。そうでないと工事が
やっかいです。
ところが止水栓は、どうも器械で開けたらしく、
しめようとしても、私の握力(あくりょく)ではビクとも
しないのです。 (止水栓は直けい10数センチの塩ビ管の
下の方にあるので、器械がなければ、とても「きゅうくつな」
カッコウで、かた手をのばし開閉しなければなりません。)
それで今日は、どうしてもその「止水栓開閉器」を
木と釘で手作りしなければなりませんでした。試行錯誤
(シコウサクゴ)のすえ、午前中で何とか完成したのですが、
しかし果たしてこれで、あの大きな止水栓がしめられる
ものでしょうか。 しかしその実行は明日にしましょう。
(ただ一人の作業、根をつめての労働はかたくキンモツです)
このように、山で暮らしていると、時々思いもよらない事を、
どうしてもしなければならなくなるのです。
午後は、地下の
大地震で崩壊(ほうかい)したタナの修復にとりかかりたい
のですが・・(基礎と土台はすでに全部完成しております。)
主の口から出る二つのものは一つです
私達は
主の口から出る息
すなわち「聖霊である言葉」を
先ずは
①私の命、生活、人生(life)の源として吸い込み、
次に、それを
②剣(つるぎ)として手に取り、
悪霊達にするどく突(つ)きつけるべきです。
主の口から出るものは、
「彼の語りかけ」として
私たちに対しては、
命の息(命・聖霊を含む言葉)となりますが、
不思議なことに敵に対しては
剣となって殺すか、敵を退(しりぞ)かせます。
私達は「かたく立って」(すなわち意志を用いて)
それを手に受け取り、悪霊の前に立ちふさがり、
その剣をするどくつきつけ、彼等を退かせるべきです。
(今の時代においては悪霊が退いたその分だけ、
神の国が来るからです。マタイ12の28)
聖書:
・「私(主イエス)があなた方に話したことばは
霊であり、また命です。」ヨハネ6の63
・「聖霊の剣である神の言葉(真理)を受け取りなさい。」
エペソ6の17
・「イエスは彼等に息をふきかけて言われた。聖霊を受けよ。」
ヨハネ20の22
・「(主の)口からは、するどい・もろ刃(ハ)の剣が
出ている。」黙示録1の16
・「主はみ口の息をもって彼(反キリスト)を殺す。」
Ⅱテサロニケ2の8
・「私達の格闘(かくとう)は血肉(人)に対するものでは
ない。・・もろもろの悪霊に対するものです。」エペソ6の12
頭のよい悪霊は、人を人と、キリスト者をキリスト者に
対して日夜戦わせ、すなわち「どうし打ち」をさせ、
ついには人生の総てを消耗(しょうもう)させることに成功し、
(今日、地球上に見られる光景の総てはこれです)
自分は「かくれみの」を着て笑っています。
・「では、しっかりと立ちなさい。」エペソ6の14
なぜなら私達の前には
主の軍の大将であられる一人の人が、ぬき身の剣を手に持って
立っておられるゆえに、勝利は確実であるからです。
(ヨシュア記5章)
*
以上述べたことは
「いわゆる悪霊追い出し」とは全く別のものです。
主の口から出る息
すなわち「聖霊である言葉」を
先ずは
①私の命、生活、人生(life)の源として吸い込み、
次に、それを
②剣(つるぎ)として手に取り、
悪霊達にするどく突(つ)きつけるべきです。
主の口から出るものは、
「彼の語りかけ」として
私たちに対しては、
命の息(命・聖霊を含む言葉)となりますが、
不思議なことに敵に対しては
剣となって殺すか、敵を退(しりぞ)かせます。
私達は「かたく立って」(すなわち意志を用いて)
それを手に受け取り、悪霊の前に立ちふさがり、
その剣をするどくつきつけ、彼等を退かせるべきです。
(今の時代においては悪霊が退いたその分だけ、
神の国が来るからです。マタイ12の28)
聖書:
・「私(主イエス)があなた方に話したことばは
霊であり、また命です。」ヨハネ6の63
・「聖霊の剣である神の言葉(真理)を受け取りなさい。」
エペソ6の17
・「イエスは彼等に息をふきかけて言われた。聖霊を受けよ。」
ヨハネ20の22
・「(主の)口からは、するどい・もろ刃(ハ)の剣が
出ている。」黙示録1の16
・「主はみ口の息をもって彼(反キリスト)を殺す。」
Ⅱテサロニケ2の8
・「私達の格闘(かくとう)は血肉(人)に対するものでは
ない。・・もろもろの悪霊に対するものです。」エペソ6の12
頭のよい悪霊は、人を人と、キリスト者をキリスト者に
対して日夜戦わせ、すなわち「どうし打ち」をさせ、
ついには人生の総てを消耗(しょうもう)させることに成功し、
(今日、地球上に見られる光景の総てはこれです)
自分は「かくれみの」を着て笑っています。
・「では、しっかりと立ちなさい。」エペソ6の14
なぜなら私達の前には
主の軍の大将であられる一人の人が、ぬき身の剣を手に持って
立っておられるゆえに、勝利は確実であるからです。
(ヨシュア記5章)
*
以上述べたことは
「いわゆる悪霊追い出し」とは全く別のものです。
2011年6月5日日曜日
小さな言葉をくり返し「となえる」祈り2
従ってその「自治を守ること」はあなたがしなければ
なりませんし、それは完全にあなたの責任です。その限りに
おいては神は、あなたを助けることをしません!そこには常に
「あなたの意志」が存在していなければならないのです。
何故なら真の神は人の自由意志をとても重んじられるからです。
宇宙の歴史の中で「一度神はその原則、神の法を定められた」
のであり、従って神ご自身でさえそれを安易に破ることは
出来ません。法とはそのようなものではないでしょうか。
この事実を明示する絵は、創世記3章に大きくかかげられて
おります。そこにあるのは、神とヘビと人間の「独立した
3つの意志」です。(それゆえ神は、エバとヘビの間に
割って入ることは出来ませんでした。)
①
しかしながら、悪霊のやりかたは全く異なります。
ある集会の中などでヘビは「そのあなたの自由意志」をさえも
放棄させ、全くの受身状態にならせ、あなたを完全に無防備
(むぼうび)にし「あるものの上に自分をフワフワとただよわ
せる」ことが深い信仰であるかのように思わせたいのです。
そのようにして悪魔はむしろ「道を求める真剣なキリスト者」を
誘惑するでしょう。悪魔とは誘惑者という意味であり、
その際の有力なエサは、ある種の美や「心地よさ」です。
くりかえしますが、悪霊は、常に何とかして人に意志を
放棄(ほうき)させ、人の中に入り込みたいのです。
そのようにして最後には邪霊の意志のまま、機械かあやつり
人形のようにキリスト者を動かし、次に今度はキリスト者を
大いに苦しめ、そのあげく、出来れば自分の「ともづれ」に
することを切望しているのです。(彼は、破滅というさけ
得ない自分の運命を感じているからです。)
かように、人が自分の頭・思いをふりはらい、二、三の単語を
早口にくりかえすことによって受身状態になり、何かを呼び込む
ように「となえ続ける」時に、そこにある現象(げんしょう)が
発生せざるを得ません。
(何故ならその時人は結果的に、それとは知らず、悪霊が
取り付く条件を満たしてしまうからです。)
以上の事実を見るとき
①の原則から「聖霊が来る」などということは
絶対にあり得ません。
しかし、②の原則のゆえに、その人に、待ってましたとばかりに
飛来し・とどまり、時に「すばらしい恍惚(こうこつ)経験」を
人に与えるのは悪霊達以外にはありません。
対キリスト者であればこそ、
悪鬼、邪霊達はしばしば、美しい「光の天使」をよそおい、
聖霊のマネをし、キリスト者に一時(とき)大きな幸福感や奇跡
をさえ与えるのが、とても上手であることを私達は知るべきです。
付け加えますが
「私は聖霊体験をした、私は不思議を行う能力がある」などと
言って誇る人たちの私生活をよく見るならば、その霊がどういう
種類の霊であるかは容易にサッシがつくでしょう。
なりませんし、それは完全にあなたの責任です。その限りに
おいては神は、あなたを助けることをしません!そこには常に
「あなたの意志」が存在していなければならないのです。
何故なら真の神は人の自由意志をとても重んじられるからです。
宇宙の歴史の中で「一度神はその原則、神の法を定められた」
のであり、従って神ご自身でさえそれを安易に破ることは
出来ません。法とはそのようなものではないでしょうか。
この事実を明示する絵は、創世記3章に大きくかかげられて
おります。そこにあるのは、神とヘビと人間の「独立した
3つの意志」です。(それゆえ神は、エバとヘビの間に
割って入ることは出来ませんでした。)
①
しかしながら、悪霊のやりかたは全く異なります。
ある集会の中などでヘビは「そのあなたの自由意志」をさえも
放棄させ、全くの受身状態にならせ、あなたを完全に無防備
(むぼうび)にし「あるものの上に自分をフワフワとただよわ
せる」ことが深い信仰であるかのように思わせたいのです。
そのようにして悪魔はむしろ「道を求める真剣なキリスト者」を
誘惑するでしょう。悪魔とは誘惑者という意味であり、
その際の有力なエサは、ある種の美や「心地よさ」です。
くりかえしますが、悪霊は、常に何とかして人に意志を
放棄(ほうき)させ、人の中に入り込みたいのです。
そのようにして最後には邪霊の意志のまま、機械かあやつり
人形のようにキリスト者を動かし、次に今度はキリスト者を
大いに苦しめ、そのあげく、出来れば自分の「ともづれ」に
することを切望しているのです。(彼は、破滅というさけ
得ない自分の運命を感じているからです。)
かように、人が自分の頭・思いをふりはらい、二、三の単語を
早口にくりかえすことによって受身状態になり、何かを呼び込む
ように「となえ続ける」時に、そこにある現象(げんしょう)が
発生せざるを得ません。
(何故ならその時人は結果的に、それとは知らず、悪霊が
取り付く条件を満たしてしまうからです。)
以上の事実を見るとき
①の原則から「聖霊が来る」などということは
絶対にあり得ません。
しかし、②の原則のゆえに、その人に、待ってましたとばかりに
飛来し・とどまり、時に「すばらしい恍惚(こうこつ)経験」を
人に与えるのは悪霊達以外にはありません。
対キリスト者であればこそ、
悪鬼、邪霊達はしばしば、美しい「光の天使」をよそおい、
聖霊のマネをし、キリスト者に一時(とき)大きな幸福感や奇跡
をさえ与えるのが、とても上手であることを私達は知るべきです。
付け加えますが
「私は聖霊体験をした、私は不思議を行う能力がある」などと
言って誇る人たちの私生活をよく見るならば、その霊がどういう
種類の霊であるかは容易にサッシがつくでしょう。
2011年6月4日土曜日
私は年間2・4ミリシーベルトか
私の計算では
今実行している「実家と山の二重生活」では
年間大体2・4ミリシーベルトくらいを浴びる
ことになりそうです。
これは「理想の」1と比べると2・4倍に
なりますが
「年間100ミリシーベルト」と比べたら相当少ない
ことになります。
この100ミリシーベルトとは
「ガンになるリスクが起り始める」という値です。
*
実家での屋外と屋内の生活は、
大まかですが「0・1マイクロシーベルト毎時」とします。
計算:
0・1×24時間×185日として=
年間444マイクロシーベルト、
即ち年間0・444ミリシーベルトです・・・・・・①
また山小屋内での値は、
イモクボ氏の助言から、平均して0・3位のようです。
山小屋はオール二重窓であり、2バイ4建築ですので
気密性は結構高いはずです。
計算:
0・3マイクロ×屋内にいる21時間×年180日として=
1134マイクロ、即ち1・134ミリシーベルトです。・・②
前に書いたように山における
屋外活動時間(一日3時間として)は
年合計:0・81ミリ・・・・③
①②③の合計は2.388ミリシーベルト、
約2・4ミリシーベルトということです。
☆
ケサの値:1・45マイクロシーベルト
今実行している「実家と山の二重生活」では
年間大体2・4ミリシーベルトくらいを浴びる
ことになりそうです。
これは「理想の」1と比べると2・4倍に
なりますが
「年間100ミリシーベルト」と比べたら相当少ない
ことになります。
この100ミリシーベルトとは
「ガンになるリスクが起り始める」という値です。
*
実家での屋外と屋内の生活は、
大まかですが「0・1マイクロシーベルト毎時」とします。
計算:
0・1×24時間×185日として=
年間444マイクロシーベルト、
即ち年間0・444ミリシーベルトです・・・・・・①
また山小屋内での値は、
イモクボ氏の助言から、平均して0・3位のようです。
山小屋はオール二重窓であり、2バイ4建築ですので
気密性は結構高いはずです。
計算:
0・3マイクロ×屋内にいる21時間×年180日として=
1134マイクロ、即ち1・134ミリシーベルトです。・・②
前に書いたように山における
屋外活動時間(一日3時間として)は
年合計:0・81ミリ・・・・③
①②③の合計は2.388ミリシーベルト、
約2・4ミリシーベルトということです。
☆
ケサの値:1・45マイクロシーベルト
2011年6月3日金曜日
小さな言葉をくり返し「となえる」祈り
①
それは「ハレルヤ」「イエス」などの単語を何度も
何度も早口でくり返しとなえ、自分から自分を追い出し、
忘我の境(ぼうがのきょう)に入るというものです。
それをするネライは、理性や意志を追い出し、遂には
自分を完全無防備、無抵抗にすることです。この
「忘我」(失我かな?)は、キリストの十字架をわが身に
適用する所の、パウロの言う「生きるはワレにあらず」とは
全く似ても似つかぬものです。
今日、そのようなやり方が、簡単に「聖霊に満たされる」
便利な方法としてもてはやされてようですが、それは
聖霊に満たされるどころか、極めて危険な火遊びである
と言わなければなりません。
実はそのような方法はキリスト教に限らず、古今東西、
邪霊を呼び込む超能力者達、民間信仰、また殆どの宗教
において、奥義的で不思議な経験に入る方法として
受け入れられているものです。
当然そこには、
キリスト者が「みこころ」に向かう時、キリストと共に
「神から与えられる制限を深く喜んで受け入れる」という
本来の十字架は全く不要です。
実際これ以上に、人々の宗教心にとって
魅惑的(みわくてき)なものは他にはないでしょう。
なぜならそこには時に「霊的」と見られる超自然現象さえ
現れるからです。
悪霊とは実は、宗教的な魅力をちらつかせ、人をして
「キリストの十字架」から遠ざけることを目的として、人を
巧みに誘惑する頭のよい「だまし」の本家本元なのです。
そのワナにかかる人々は、初めきっと「私はスゴイ」と内心
思うことでしょう。しかし「宗教的に私はスゴイや、スゴク
なって人々に尊敬されたい」の源は深い深い暗やみの世界です。
マタイ4章前半をお読み下さい。悪魔は「奇跡を行う」ようにと
イエスをさえ誘惑したのです。
聖書で見る奇跡とは決して「行う」もの、パフォーマンスとして
あなたが「実行する」ものではありません。故にあなたが「奇跡を
行って人の注目を受けたい」という願望をいだくとするならば、
その願望の源にすばやく気付き、その申し出を断固否(いな)ま
なければなりません。
キリスト者は日々多くの事物を「否む」意志を必要とします。
「真の自由と喜び」はその拒否の後ろからついて来るのです。
実の所エバはその拒絶に失敗したのです。あの時の彼女の
「小さな心の向き」は何ととてつもない結果(人類の苦痛と
悲しみ)を生んでしまったことでしょう!それは私たちの個人の
歴史においても全く同じことです。
②
以上のことから「真の神」は
私たちがそのような方法で祈ることを絶対に望まれません。
何故なら彼は、私たちが「神が人に与えた自由意志」を用い、
神の敵に対抗して立ち上がり、シッカリと神のみこころを
「自分で」選び取ることを「強く望まれる」からです。
この時代、神は愛の中で人にすすめ、うながし、命ずることは
あっても決して「強制」することはありません。この微妙
(びみょう)と見える違いは実は大きいものであり、
それゆえ、とても重要です。
それは「ハレルヤ」「イエス」などの単語を何度も
何度も早口でくり返しとなえ、自分から自分を追い出し、
忘我の境(ぼうがのきょう)に入るというものです。
それをするネライは、理性や意志を追い出し、遂には
自分を完全無防備、無抵抗にすることです。この
「忘我」(失我かな?)は、キリストの十字架をわが身に
適用する所の、パウロの言う「生きるはワレにあらず」とは
全く似ても似つかぬものです。
今日、そのようなやり方が、簡単に「聖霊に満たされる」
便利な方法としてもてはやされてようですが、それは
聖霊に満たされるどころか、極めて危険な火遊びである
と言わなければなりません。
実はそのような方法はキリスト教に限らず、古今東西、
邪霊を呼び込む超能力者達、民間信仰、また殆どの宗教
において、奥義的で不思議な経験に入る方法として
受け入れられているものです。
当然そこには、
キリスト者が「みこころ」に向かう時、キリストと共に
「神から与えられる制限を深く喜んで受け入れる」という
本来の十字架は全く不要です。
実際これ以上に、人々の宗教心にとって
魅惑的(みわくてき)なものは他にはないでしょう。
なぜならそこには時に「霊的」と見られる超自然現象さえ
現れるからです。
悪霊とは実は、宗教的な魅力をちらつかせ、人をして
「キリストの十字架」から遠ざけることを目的として、人を
巧みに誘惑する頭のよい「だまし」の本家本元なのです。
そのワナにかかる人々は、初めきっと「私はスゴイ」と内心
思うことでしょう。しかし「宗教的に私はスゴイや、スゴク
なって人々に尊敬されたい」の源は深い深い暗やみの世界です。
マタイ4章前半をお読み下さい。悪魔は「奇跡を行う」ようにと
イエスをさえ誘惑したのです。
聖書で見る奇跡とは決して「行う」もの、パフォーマンスとして
あなたが「実行する」ものではありません。故にあなたが「奇跡を
行って人の注目を受けたい」という願望をいだくとするならば、
その願望の源にすばやく気付き、その申し出を断固否(いな)ま
なければなりません。
キリスト者は日々多くの事物を「否む」意志を必要とします。
「真の自由と喜び」はその拒否の後ろからついて来るのです。
実の所エバはその拒絶に失敗したのです。あの時の彼女の
「小さな心の向き」は何ととてつもない結果(人類の苦痛と
悲しみ)を生んでしまったことでしょう!それは私たちの個人の
歴史においても全く同じことです。
②
以上のことから「真の神」は
私たちがそのような方法で祈ることを絶対に望まれません。
何故なら彼は、私たちが「神が人に与えた自由意志」を用い、
神の敵に対抗して立ち上がり、シッカリと神のみこころを
「自分で」選び取ることを「強く望まれる」からです。
この時代、神は愛の中で人にすすめ、うながし、命ずることは
あっても決して「強制」することはありません。この微妙
(びみょう)と見える違いは実は大きいものであり、
それゆえ、とても重要です。
2011年6月2日木曜日
カリマンの線量です
6:00と20:00の二回測量
(マイクロシーベルト毎時)
5月
27日:1・45、1・41
28日:1・46、1・34
29日:1・35、1・15
30日:1・27、1・38
31日:1・41、1・43
6月
1日:1・31、1・40
2日:1・38、1・41
田村市は原発から近いのに、
その割には線量は低いのです。
しかしここカリマンは山の上にあるせいでしょうか
高い値(郡山市なみ)です。
おおよその田村市がとても低い(0・2位)のは、
まことにちょうどよく、原発からの風が山にさえぎられる
と言うほぼ真西方向にあるから、かも知れません。
懸念していた
初夏の原発方向から吹く風「やませ」の影響は
今の所なさそうですね。
改めて
「カリマン測候所」の毎日のレポートには感謝です。
http://white.ap.teacup.com/imokubo/
ps:
現実問題として
(即ち、これからの時代、どこにいようとも
もはや無菌状態の中で生きることなど望み得ないと言う
逃げ場のない現実の中)シッカリと腹をくくり
「どう放射能とおりあいをつけて、より楽しく生きる
べきか」は重要です。
(危ないのは放射能だけではないようですが)
その中でも
「幼い人達、またこれから子供を生もうとする人たち」と
私のような「高齢者」とでは全然話が異なると思います。
私達老人は要するに、これから悪条件の中で
生きざるを得ないと言うありのままを冷静に受け入れ
そんなに長くはない残された年月をどうすれば
「より値打ちのある生き方が出来るだろうか」
という視点から測り、考え、実行すればよいと
考えております。
しょせん、この世は天国ではなく、
この世を改善することなど基本的には不可能です。
むしろこの世界は、これから一定数の浮沈をくり返しつつ
徐々に、しかしながら確実に悪化の道をたどるであろう
という「人類の運命」を回避(かいひ)することは不可能です。
だからと言って
過剰(かじょう)に恐れる必要は全くありません。
(マイクロシーベルト毎時)
5月
27日:1・45、1・41
28日:1・46、1・34
29日:1・35、1・15
30日:1・27、1・38
31日:1・41、1・43
6月
1日:1・31、1・40
2日:1・38、1・41
田村市は原発から近いのに、
その割には線量は低いのです。
しかしここカリマンは山の上にあるせいでしょうか
高い値(郡山市なみ)です。
おおよその田村市がとても低い(0・2位)のは、
まことにちょうどよく、原発からの風が山にさえぎられる
と言うほぼ真西方向にあるから、かも知れません。
懸念していた
初夏の原発方向から吹く風「やませ」の影響は
今の所なさそうですね。
改めて
「カリマン測候所」の毎日のレポートには感謝です。
http://white.ap.teacup.com/imokubo/
ps:
現実問題として
(即ち、これからの時代、どこにいようとも
もはや無菌状態の中で生きることなど望み得ないと言う
逃げ場のない現実の中)シッカリと腹をくくり
「どう放射能とおりあいをつけて、より楽しく生きる
べきか」は重要です。
(危ないのは放射能だけではないようですが)
その中でも
「幼い人達、またこれから子供を生もうとする人たち」と
私のような「高齢者」とでは全然話が異なると思います。
私達老人は要するに、これから悪条件の中で
生きざるを得ないと言うありのままを冷静に受け入れ
そんなに長くはない残された年月をどうすれば
「より値打ちのある生き方が出来るだろうか」
という視点から測り、考え、実行すればよいと
考えております。
しょせん、この世は天国ではなく、
この世を改善することなど基本的には不可能です。
むしろこの世界は、これから一定数の浮沈をくり返しつつ
徐々に、しかしながら確実に悪化の道をたどるであろう
という「人類の運命」を回避(かいひ)することは不可能です。
だからと言って
過剰(かじょう)に恐れる必要は全くありません。
2011年6月1日水曜日
グズとは「愚かな図」?
今「朝の儀式(ぎしき)」がほぼ終えて、
これから午前の仕事です。
ケサその仕事は先ずは「シュガー式まとめ料理」です。
朝の儀式とは「霊的なものからピアノまで」いろいろある
のですが、 私は相当グズ人間なので、これまでは
ダラダラとずい分時間が かかっていたのです。
でも今日はとても早く終わりました。
グズとは愚図であり「愚(おろ)かな図」なんですね。
とは言え、何も ものすごい効率(こうりつ)のよさをねらって
「魂をフル動員(どういん)」するのでは決してありません。
逆にそれは神を妨害(ぼうがい)することになるでしょう。
要(よう)は「安らかに淡々(たんたん)と」今やるべきこと
「私の分」を行って行けばよいのですが、
愚図はやはりだめですね。
祈りとは「霊を動かすこと」「霊の機能(きのう)を働かせる
こと」なのでしょうが、さらに具体的に言うと
「意志を用い、自分の霊を外に向けて押し出すこと」かな
と思います。
敵は外から、私たちの霊をおさえこみ、閉じこめよう、
霊が働かないようにしようと 46時中フルに働いている
のですから、もしもキリスト者が祈らなかったら それは
それは大変なことになります。
したがって祈りにおいて「神の敵を意識(いしき)しない」
と言うことは 決してあり得ないことでしょう。
その意味において
「たえず祈る」ことによって「総ての霊的なまどろみ」を
取りのぞくことができたらいいな、とけさ思ったことでした。
聖書にある「目を覚まして祈る」と言うのは実は
そういうことなのかも知れませんよ。
これから午前の仕事です。
ケサその仕事は先ずは「シュガー式まとめ料理」です。
朝の儀式とは「霊的なものからピアノまで」いろいろある
のですが、 私は相当グズ人間なので、これまでは
ダラダラとずい分時間が かかっていたのです。
でも今日はとても早く終わりました。
グズとは愚図であり「愚(おろ)かな図」なんですね。
とは言え、何も ものすごい効率(こうりつ)のよさをねらって
「魂をフル動員(どういん)」するのでは決してありません。
逆にそれは神を妨害(ぼうがい)することになるでしょう。
要(よう)は「安らかに淡々(たんたん)と」今やるべきこと
「私の分」を行って行けばよいのですが、
愚図はやはりだめですね。
祈りとは「霊を動かすこと」「霊の機能(きのう)を働かせる
こと」なのでしょうが、さらに具体的に言うと
「意志を用い、自分の霊を外に向けて押し出すこと」かな
と思います。
敵は外から、私たちの霊をおさえこみ、閉じこめよう、
霊が働かないようにしようと 46時中フルに働いている
のですから、もしもキリスト者が祈らなかったら それは
それは大変なことになります。
したがって祈りにおいて「神の敵を意識(いしき)しない」
と言うことは 決してあり得ないことでしょう。
その意味において
「たえず祈る」ことによって「総ての霊的なまどろみ」を
取りのぞくことができたらいいな、とけさ思ったことでした。
聖書にある「目を覚まして祈る」と言うのは実は
そういうことなのかも知れませんよ。
2011年5月31日火曜日
山に来ております
今日は9時頃・実家を出ました。
「いわき」から、好きな山道399を走りました。
この道は 「物すごい山奥に来た」と言う感じがいい
のです。 (ホンとはそうでもないのに。)
小屋に着いて少し疲れていましたが、片付けをし、
インスタントコーヒーを 飲んでから「ピアノ」に触れました。
今やこれも確かに山での私の楽しみと なってますね。
月光の一楽章は「一応」終わりまで来ましたので、今
ショパンのノクターンの初めの所に触れて見ています。
これは「チョー」難しそう! 特に左手が・・。どこまで
行けますか。行ける所まで行って見ましょう。
二人の兄弟のやりとりを拝見していたら
なんだかとても嬉しくなりました。ホンとに
「キリストをいただいた」という感じでした。
*
今回下山中、
幾つかのことを感じさせられました。特にマタイ
12と ルカ10から。
悪霊を追い出し、喜んで帰って来た70人に対してイエスは
「喜んではなりません」といわれました。
そういえばイエスも使徒達も、悪霊をいくら 追い出した
としても、有頂天になる、などと言うことは絶対
ありませんでした。多分その原因は、彼等の日常が正に
戦いそのものであったからでしょうね。 即ち24時間、
彼らが生きると言うことは即ち激しい戦い
(極めて強力な 宇宙的暗闇の陣営との)であったからでしょう。
決して「対ひと」ではありません。
そのようにして
「彼等のゴク普通の生活」のところどころがしばしば、
超自然的な表れを示したのです。それは即ち、彼等にとっては
当たり前の人としての生活から・時に奇跡として「天的能力が
こぼれ落ちた」とでも言えるのではないでしょうか。
ですから、よく誤解されているように
それは絶対に、デモンストレーション的に力をふりしぼり
顔をゆがめて、エイヤッと悪霊を追い出す、
などというのではまるでないと私は確信しているのです。
*
もう6時です。今日はあと食事をし、寝るだけに
しましょう。こん回は中15日の長い滞在となる予定です。
「いわき」から、好きな山道399を走りました。
この道は 「物すごい山奥に来た」と言う感じがいい
のです。 (ホンとはそうでもないのに。)
小屋に着いて少し疲れていましたが、片付けをし、
インスタントコーヒーを 飲んでから「ピアノ」に触れました。
今やこれも確かに山での私の楽しみと なってますね。
月光の一楽章は「一応」終わりまで来ましたので、今
ショパンのノクターンの初めの所に触れて見ています。
これは「チョー」難しそう! 特に左手が・・。どこまで
行けますか。行ける所まで行って見ましょう。
二人の兄弟のやりとりを拝見していたら
なんだかとても嬉しくなりました。ホンとに
「キリストをいただいた」という感じでした。
*
今回下山中、
幾つかのことを感じさせられました。特にマタイ
12と ルカ10から。
悪霊を追い出し、喜んで帰って来た70人に対してイエスは
「喜んではなりません」といわれました。
そういえばイエスも使徒達も、悪霊をいくら 追い出した
としても、有頂天になる、などと言うことは絶対
ありませんでした。多分その原因は、彼等の日常が正に
戦いそのものであったからでしょうね。 即ち24時間、
彼らが生きると言うことは即ち激しい戦い
(極めて強力な 宇宙的暗闇の陣営との)であったからでしょう。
決して「対ひと」ではありません。
そのようにして
「彼等のゴク普通の生活」のところどころがしばしば、
超自然的な表れを示したのです。それは即ち、彼等にとっては
当たり前の人としての生活から・時に奇跡として「天的能力が
こぼれ落ちた」とでも言えるのではないでしょうか。
ですから、よく誤解されているように
それは絶対に、デモンストレーション的に力をふりしぼり
顔をゆがめて、エイヤッと悪霊を追い出す、
などというのではまるでないと私は確信しているのです。
*
もう6時です。今日はあと食事をし、寝るだけに
しましょう。こん回は中15日の長い滞在となる予定です。
2011年5月26日木曜日
私が山で戸外活動の際に浴びる放射線
それは
年間0・81ミリシーベルト(810マイクロシーベルト)
ほどのようです。
仮に
・山小屋の数値がこれから1・5マイクロシーベルト毎時
とします。
・山小屋に滞在している時
戸外で年中一日も欠かさないで3時間ずつ
散歩や大工仕事をしたとします。
・また私が一年間の中で、
山小屋で暮らす日数が6ケ月くらい、
180日とします。
以上で計算すると
1・5×3時間×180日=
年間810マイクロシーベルト、
即ち0・81ミリシーベルトとなります。
当然、これにプラスして
・実家(千葉、茨城の境目)にいるときと
・窓を閉じた山小屋の中にいる時
また、
・夏分小屋の中にいるとしても窓を開けている
場合(ここは寒いので多くはないが)
の値を、810に加えないといけません。
結論としては皆さんよりは年間、相当多く
浴びることにはなるでしょう。
☆
悲観的、否定的な専門家も含め、
殆どの学者が共通して認めることは
「ガンになるリスクが高まる」
という数字は
年間100ミリシーベルトだそうです。
(必ずガンになる、というのではない)
だから今「一応安全」とされるのは
以下の3つの数字と言うことになります。
・100(年間、ミリシーベルト)
・20
屋外活動を制限する基準として
国が定めた毎時3・8マイクロシーベルトがこれ。
・1
即ち、事故前の基準
さて
野口邦和・日大講師(放射線防護学)は
次のように言っているそうです。
100、20、1、いずれもICRPから
「安全」の根拠を得ているが、
さらに「そのもとは何か」と言われれば、
本当に妥当なラインはよく分からないのです。
ここから先は科学の話ではなく、研究者の哲学、
人生観、立ち位置が反映されると思います。
当たり前ですが
今後、カリマンが1・5に安定せず、
急激に上昇に転ずる場合が来るようであるならば
よく考えなければならないことは明らかです。
いずれにしろ
私の健康について心配されている皆様方には
本当に感謝しております。
*
同じカリマンの住人
イモクボさんの今朝の計測では1・47だそうです。
イモクボさん、
ログハウス建築の再開、おめでとうございます。
さてさて、
我々のしめっきった建物内ではどんな値が
大よその平均値でしょうか。
また、オープンした窓での屋内の値も・・。
ずうずうしくてスミマセンね。
年間0・81ミリシーベルト(810マイクロシーベルト)
ほどのようです。
仮に
・山小屋の数値がこれから1・5マイクロシーベルト毎時
とします。
・山小屋に滞在している時
戸外で年中一日も欠かさないで3時間ずつ
散歩や大工仕事をしたとします。
・また私が一年間の中で、
山小屋で暮らす日数が6ケ月くらい、
180日とします。
以上で計算すると
1・5×3時間×180日=
年間810マイクロシーベルト、
即ち0・81ミリシーベルトとなります。
当然、これにプラスして
・実家(千葉、茨城の境目)にいるときと
・窓を閉じた山小屋の中にいる時
また、
・夏分小屋の中にいるとしても窓を開けている
場合(ここは寒いので多くはないが)
の値を、810に加えないといけません。
結論としては皆さんよりは年間、相当多く
浴びることにはなるでしょう。
☆
悲観的、否定的な専門家も含め、
殆どの学者が共通して認めることは
「ガンになるリスクが高まる」
という数字は
年間100ミリシーベルトだそうです。
(必ずガンになる、というのではない)
だから今「一応安全」とされるのは
以下の3つの数字と言うことになります。
・100(年間、ミリシーベルト)
・20
屋外活動を制限する基準として
国が定めた毎時3・8マイクロシーベルトがこれ。
・1
即ち、事故前の基準
さて
野口邦和・日大講師(放射線防護学)は
次のように言っているそうです。
100、20、1、いずれもICRPから
「安全」の根拠を得ているが、
さらに「そのもとは何か」と言われれば、
本当に妥当なラインはよく分からないのです。
ここから先は科学の話ではなく、研究者の哲学、
人生観、立ち位置が反映されると思います。
当たり前ですが
今後、カリマンが1・5に安定せず、
急激に上昇に転ずる場合が来るようであるならば
よく考えなければならないことは明らかです。
いずれにしろ
私の健康について心配されている皆様方には
本当に感謝しております。
*
同じカリマンの住人
イモクボさんの今朝の計測では1・47だそうです。
イモクボさん、
ログハウス建築の再開、おめでとうございます。
さてさて、
我々のしめっきった建物内ではどんな値が
大よその平均値でしょうか。
また、オープンした窓での屋内の値も・・。
ずうずうしくてスミマセンね。
2011年5月25日水曜日
余震がありました
★6:26
浜どおり5弱とのことですが、
大して大きいとは感じませんでした。
(この小屋にしてはめずらしい)
それにしても
今日もすばらしい緑と日の光です。
*
ヨシュア記を見ておりました。
1の3
(主は「サタンが占拠している地」を私達に与えては
いるが、キリスト者は それを時空の中で、実際に
その中に入り込み、その地を 踏まなければならない。)
1の6
律法(神の法、真理のことば)を口から離さず、
昼も夜もそれを口ずさまなければならない。
1の6
強く、雄々しくあれ。
2の24
主は、あの地をことごとく私たちの手に渡されました。
(これは十字架と復活における永遠的主の勝利と獲得
を意味しており1の3と同じです。)
この世を占領している住民(悪しき霊達)は、
私たちのことで、震えおののいています。
(これが悪霊達の心理状態とは!)
6章
・「万軍の大将」の確かな守り、
・契約の箱(主ご自身)との一つの中で、
・角笛を吹く、
・ときの声を上げる
(この二つは、キリスト者の霊から真理を外に向かって
言わば発射、発砲することです。黙示録にある、ラッパを吹く、
ハチをぶちまける、また詩篇最後の、大いに楽器をかきならす
等も基本的には同じことでしょう。それをおこたると私たちの霊は
いつの間にか、敵によってとりかこまれ、幾重にも圧迫されます)
・敵が守っている城壁の周りを回る(キリスト者の敵とは誰か、
どこにいるのかを明確に知り意識し、霊の中で敵と対抗しつつ)
以上のことで、最も基本的に大切なことは、キリスト者の
霊の姿勢です。 私たちはシッカリと敵(絶対に人ではない)に
対立して 立つ、という霊(最も深い私の存在)の態度を
取るべきです。
それは決して(よく誤解されているように)魂や体における
「いわゆる勇ましさ」等ではなく、むしろ「落ち着きや
静けさ」の中でこそ表現されるものでしょう。
神に従いなさい。悪魔に立ち向かいなさい。(ヤコブ4の7)
*
今日は1・47マイクロシーベルト:
「やませ」・おおよそ原発方向からの初夏の風
の状況はどうなのでしょうか。・・あ、明日は東からですね。
明日に注目です。
浜どおり5弱とのことですが、
大して大きいとは感じませんでした。
(この小屋にしてはめずらしい)
それにしても
今日もすばらしい緑と日の光です。
*
ヨシュア記を見ておりました。
1の3
(主は「サタンが占拠している地」を私達に与えては
いるが、キリスト者は それを時空の中で、実際に
その中に入り込み、その地を 踏まなければならない。)
1の6
律法(神の法、真理のことば)を口から離さず、
昼も夜もそれを口ずさまなければならない。
1の6
強く、雄々しくあれ。
2の24
主は、あの地をことごとく私たちの手に渡されました。
(これは十字架と復活における永遠的主の勝利と獲得
を意味しており1の3と同じです。)
この世を占領している住民(悪しき霊達)は、
私たちのことで、震えおののいています。
(これが悪霊達の心理状態とは!)
6章
・「万軍の大将」の確かな守り、
・契約の箱(主ご自身)との一つの中で、
・角笛を吹く、
・ときの声を上げる
(この二つは、キリスト者の霊から真理を外に向かって
言わば発射、発砲することです。黙示録にある、ラッパを吹く、
ハチをぶちまける、また詩篇最後の、大いに楽器をかきならす
等も基本的には同じことでしょう。それをおこたると私たちの霊は
いつの間にか、敵によってとりかこまれ、幾重にも圧迫されます)
・敵が守っている城壁の周りを回る(キリスト者の敵とは誰か、
どこにいるのかを明確に知り意識し、霊の中で敵と対抗しつつ)
以上のことで、最も基本的に大切なことは、キリスト者の
霊の姿勢です。 私たちはシッカリと敵(絶対に人ではない)に
対立して 立つ、という霊(最も深い私の存在)の態度を
取るべきです。
それは決して(よく誤解されているように)魂や体における
「いわゆる勇ましさ」等ではなく、むしろ「落ち着きや
静けさ」の中でこそ表現されるものでしょう。
神に従いなさい。悪魔に立ち向かいなさい。(ヤコブ4の7)
*
今日は1・47マイクロシーベルト:
「やませ」・おおよそ原発方向からの初夏の風
の状況はどうなのでしょうか。・・あ、明日は東からですね。
明日に注目です。
2011年5月24日火曜日
今日の作業
寒い朝です。
ストーブをつけています。
今回、滞在の目標は:
外に放りぱなしの板等の大量の建材を
収納するための棚作りが可能なように
前回まで修復した基礎、土台を仕上げることです。
そうでないと小屋の周辺に散在している大量の建材が
片付かないからです。
(3・11に殆どの地下の棚が崩落)
具体的には
・基礎土台の垂直と水平を確認し、修正する。
・最後の締めをする。
・釘打ちをする、
ということになります。
言うは簡単ですが、この目標、今日終わるのでしょうか。
やってみないと分かりませんね。
*
本日は1・42マイクロシーベルトとのことです。
ここは高地なので「平地」岩井沢より高い数字なのでしょうか。
明らかにここの方が高いようです。
ストーブをつけています。
今回、滞在の目標は:
外に放りぱなしの板等の大量の建材を
収納するための棚作りが可能なように
前回まで修復した基礎、土台を仕上げることです。
そうでないと小屋の周辺に散在している大量の建材が
片付かないからです。
(3・11に殆どの地下の棚が崩落)
具体的には
・基礎土台の垂直と水平を確認し、修正する。
・最後の締めをする。
・釘打ちをする、
ということになります。
言うは簡単ですが、この目標、今日終わるのでしょうか。
やってみないと分かりませんね。
*
本日は1・42マイクロシーベルトとのことです。
ここは高地なので「平地」岩井沢より高い数字なのでしょうか。
明らかにここの方が高いようです。
2011年5月23日月曜日
したたる緑
先ほど山に着きました。
四方八方、どこもかしこも
したたるような緑です。
今年もまた小屋が、
緑の海に沈むような初夏が来ました。
居間の窓から見ると今回は
展望が実によく開けており
樹木に妨げられずに遠くの山が美しい。
冬、この時期の葉の茂りを考えて
彼がちょうどいいアンバイに
木々を伐採してくれたことがよく分かる。
今回は中3日だけの山暮らし、
もう週末には下山しなければならない。
相変わらず
3・11の後始末を少しだけ前に進められれば
それだけでいいでしょう。
*
「いもくぼブログ」はありがたい。
今日のカリマンは1・33マイクロシーベルト毎時とのこと。
夢の世界から現実へ、ですね。
四方八方、どこもかしこも
したたるような緑です。
今年もまた小屋が、
緑の海に沈むような初夏が来ました。
居間の窓から見ると今回は
展望が実によく開けており
樹木に妨げられずに遠くの山が美しい。
冬、この時期の葉の茂りを考えて
彼がちょうどいいアンバイに
木々を伐採してくれたことがよく分かる。
今回は中3日だけの山暮らし、
もう週末には下山しなければならない。
相変わらず
3・11の後始末を少しだけ前に進められれば
それだけでいいでしょう。
*
「いもくぼブログ」はありがたい。
今日のカリマンは1・33マイクロシーベルト毎時とのこと。
夢の世界から現実へ、ですね。
2011年5月22日日曜日
何を信じるかです
心配してくれて有難う。
でも結局のところ、
「何を信じるか」ということではないでしょうか。
で、私の場合は
「学校での戸外の活動の基準は3・8マイクロシーベルト毎時」
を信じますし、これで行きますよ。
今、色んな人がさまざまなことを言っていますが、そんな
際限の無い情報にいちいち振り回されていたら、実家にいても
和歌山に逃げても、いずれノイローゼになってしまうでしょう。
それは楽しくないし、とてもソンな生き方ではないでしょうか。
しかし、
「間違いなく、一年後に動けなくなるほど」の健康被害がある
という状況になった場合はスタコラ山をおります。それは当たり
前ですし、山小屋などどうなってもかまいません。
さて現実問題、放射能によって私が「不自由な健康状態」になる
よりも、今既に私の体のどこかにガンが発生しているという
可能性の方が、ハルかにハルかに高いのです。要するに、
放射能等と関係なく私はもうすぐ確実に死にますが、その確率は
100%であり、このこと以上に重要で確かな「情報」はありません。
いずれにしろ私の場合、主の恵みを得て
これから10年間、元気で活動できるとすれば
他に言うことは全くないと思っております。
それに、今一日一日、
私の霊は不思議なほどに安らかです。
そのようにして死ぬ日も迎えられたら素敵ですね。
でも結局のところ、
「何を信じるか」ということではないでしょうか。
で、私の場合は
「学校での戸外の活動の基準は3・8マイクロシーベルト毎時」
を信じますし、これで行きますよ。
今、色んな人がさまざまなことを言っていますが、そんな
際限の無い情報にいちいち振り回されていたら、実家にいても
和歌山に逃げても、いずれノイローゼになってしまうでしょう。
それは楽しくないし、とてもソンな生き方ではないでしょうか。
しかし、
「間違いなく、一年後に動けなくなるほど」の健康被害がある
という状況になった場合はスタコラ山をおります。それは当たり
前ですし、山小屋などどうなってもかまいません。
さて現実問題、放射能によって私が「不自由な健康状態」になる
よりも、今既に私の体のどこかにガンが発生しているという
可能性の方が、ハルかにハルかに高いのです。要するに、
放射能等と関係なく私はもうすぐ確実に死にますが、その確率は
100%であり、このこと以上に重要で確かな「情報」はありません。
いずれにしろ私の場合、主の恵みを得て
これから10年間、元気で活動できるとすれば
他に言うことは全くないと思っております。
それに、今一日一日、
私の霊は不思議なほどに安らかです。
そのようにして死ぬ日も迎えられたら素敵ですね。
2011年5月21日土曜日
ポイントは今後10年間?の私の健康です
「都路はセシウム137だけだと6Ci/km2
チェルノブイリの第二区分(保障付き任意移住)に相当する」
との情報、有難うございます。
しかし、さらに深刻なのはこれから数値は確実に上昇する、
とのことですね。
*
それで教えてください。
これから5年~10年、一年の半分近くを都路の岩井沢で暮らした
場合、私の体、健康は具体的にどのように悪化するのでしょうか。
その確率も知りたいのです。(可能性がある、ではなく)
「この場合」福島や日本がこれからどうなるか等はどうでもよい
ことであって、ポイントは正にそこ(神に仕える為の「私の」
体力状態)なのです。
もう10年で80歳、私に残された時間は僅かです。
これからの10年間?ひたすら祈りとエクレシアの為にささげた
生活をしたいだけであり、他に欲しいものは全く何もありません。
(その点、山は祈りに最適)
だから、確実に健康が損なわれることがハッキリしているのに
「自分好みの山暮らし」をしたいから、というので私が山に通い
続けるならば、それは明らかに理屈に合わないことであり
明らかに「みこころ」にも反します。また当然、そこには十字架も
何もないのです。
さらにキリスト者は「聖霊の宮、自分の体」のを重んじる
べきであり、そのような好き勝手な生き方は、
キリスト者として神の前に当然・非常によくないことは明白です。
「イエスこそ私の主」であり「私が私の主」ではないのです。
そうした場合、この時代において、或は次の時代において
この違反のゆえに、私が「神からの悪い報い」をまぬがれる
ことは決してあり得ないでしょう。
それは私にとっては更に深刻な大問題です。
だからよろしくお願いします。
チェルノブイリの第二区分(保障付き任意移住)に相当する」
との情報、有難うございます。
しかし、さらに深刻なのはこれから数値は確実に上昇する、
とのことですね。
*
それで教えてください。
これから5年~10年、一年の半分近くを都路の岩井沢で暮らした
場合、私の体、健康は具体的にどのように悪化するのでしょうか。
その確率も知りたいのです。(可能性がある、ではなく)
「この場合」福島や日本がこれからどうなるか等はどうでもよい
ことであって、ポイントは正にそこ(神に仕える為の「私の」
体力状態)なのです。
もう10年で80歳、私に残された時間は僅かです。
これからの10年間?ひたすら祈りとエクレシアの為にささげた
生活をしたいだけであり、他に欲しいものは全く何もありません。
(その点、山は祈りに最適)
だから、確実に健康が損なわれることがハッキリしているのに
「自分好みの山暮らし」をしたいから、というので私が山に通い
続けるならば、それは明らかに理屈に合わないことであり
明らかに「みこころ」にも反します。また当然、そこには十字架も
何もないのです。
さらにキリスト者は「聖霊の宮、自分の体」のを重んじる
べきであり、そのような好き勝手な生き方は、
キリスト者として神の前に当然・非常によくないことは明白です。
「イエスこそ私の主」であり「私が私の主」ではないのです。
そうした場合、この時代において、或は次の時代において
この違反のゆえに、私が「神からの悪い報い」をまぬがれる
ことは決してあり得ないでしょう。
それは私にとっては更に深刻な大問題です。
だからよろしくお願いします。
2011年5月19日木曜日
コメントをいただきました
・・・
そう
①みこころ②十字架③万物への宣べ伝への中で。
*
アーメンです。
今日は、創世記34、35章を聞いていました。
「そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。
私はそこで、私の苦難の日に私に答え、
私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に
祭壇を築こう。」(創世記35:3)
ここに至るまでも、ヤコブは主の御心の内を
歩み続けられたわけではなく、
多くの問題行動がありました。
しかしそれでも
「私たちは真実でなくても、神はいつも真実」
ですから感謝です。
「いつも私とともにおられた神」
この神の故に私はホッと肩の荷が下ります。
事実「聖霊は私のような者の内に
住み続けてくれている」
のですから本当に感謝以外にありません。
イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりに
感謝し、また今日は、ブログのことばの内に
兄弟との交わりを頂いて感謝です。
これから老犬と
ノソノソと家の周りを散歩です。
☆
この兄弟は、とても大きな心臓の手術のあと、
生活上、極めて制限された行動をよぎなくされて
おります、自宅でお仕事をなさりながら。
さて、十字架とは他でもない
人が「自発的に主からいただく」制限や不自由
のことです。
また神のみこころは他でもない
主が私に下さる十字架を
生活のささいと見える場面で、人知れずに黙って
受け入れることの中にあります。
しかしその「3日後」私達は確実に
「キリストにある真の自由」を
主と共に密(ひそ)かに楽しみ、そして
一人深い礼拝をするでしょう。(復活とは、
十字架の死を経過した後、神からいただく無制限です)
また大切なことは
本来十字架と復活は人々に隠されており、
世界がそれを見ることは不可能である、
という事実です。
それも大きな神のみこころです。
(それにしても多くの人々は十字架について
何とヒドイ誤解をしていることでしょう。
「十字架の実質」は決して目には見えないものなのに
十字架の外側のみを見て、それを迷信的に自分や他人に
適用しています。そのような思いと行為は間違いなく
「邪悪な霊達」によって用いられるでしょう)
そう
①みこころ②十字架③万物への宣べ伝への中で。
*
アーメンです。
今日は、創世記34、35章を聞いていました。
「そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。
私はそこで、私の苦難の日に私に答え、
私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に
祭壇を築こう。」(創世記35:3)
ここに至るまでも、ヤコブは主の御心の内を
歩み続けられたわけではなく、
多くの問題行動がありました。
しかしそれでも
「私たちは真実でなくても、神はいつも真実」
ですから感謝です。
「いつも私とともにおられた神」
この神の故に私はホッと肩の荷が下ります。
事実「聖霊は私のような者の内に
住み続けてくれている」
のですから本当に感謝以外にありません。
イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりに
感謝し、また今日は、ブログのことばの内に
兄弟との交わりを頂いて感謝です。
これから老犬と
ノソノソと家の周りを散歩です。
☆
この兄弟は、とても大きな心臓の手術のあと、
生活上、極めて制限された行動をよぎなくされて
おります、自宅でお仕事をなさりながら。
さて、十字架とは他でもない
人が「自発的に主からいただく」制限や不自由
のことです。
また神のみこころは他でもない
主が私に下さる十字架を
生活のささいと見える場面で、人知れずに黙って
受け入れることの中にあります。
しかしその「3日後」私達は確実に
「キリストにある真の自由」を
主と共に密(ひそ)かに楽しみ、そして
一人深い礼拝をするでしょう。(復活とは、
十字架の死を経過した後、神からいただく無制限です)
また大切なことは
本来十字架と復活は人々に隠されており、
世界がそれを見ることは不可能である、
という事実です。
それも大きな神のみこころです。
(それにしても多くの人々は十字架について
何とヒドイ誤解をしていることでしょう。
「十字架の実質」は決して目には見えないものなのに
十字架の外側のみを見て、それを迷信的に自分や他人に
適用しています。そのような思いと行為は間違いなく
「邪悪な霊達」によって用いられるでしょう)
2011年5月18日水曜日
みこころ、十字架、万物への宣べ伝への中で
言われるように
今の時代が黙示録の中であることは論を待ちません。
今生きている総ての人は、もうスグ確実に死にます。
その、他人や人類でなく「自分が死ぬ」ことこそが
「大艱難」そのものです。それは明日かも知れません。
しかし、
死ぬこと自体は大した問題ではなく、
「どういう内面(霊)で死ぬか」こそ極めて重要です。
ですから
福島、日本、世界に「漂う空気」が
今どうであろうと、またどうなろうと、
みこころ、十字架、万物への宣べ伝への中で、
今主が私に与えられた場所に身を置き
日々淡々として、今日与えられる「私の生活」を
生き、また死ねばいいのです。
それこそが、絶対に確実不変な人にとっての
最上の暮らしであるからです。
そう、
①みこころ、②十字架、③万物への宣べ伝への中でです。
今の時代が黙示録の中であることは論を待ちません。
今生きている総ての人は、もうスグ確実に死にます。
その、他人や人類でなく「自分が死ぬ」ことこそが
「大艱難」そのものです。それは明日かも知れません。
しかし、
死ぬこと自体は大した問題ではなく、
「どういう内面(霊)で死ぬか」こそ極めて重要です。
ですから
福島、日本、世界に「漂う空気」が
今どうであろうと、またどうなろうと、
みこころ、十字架、万物への宣べ伝への中で、
今主が私に与えられた場所に身を置き
日々淡々として、今日与えられる「私の生活」を
生き、また死ねばいいのです。
それこそが、絶対に確実不変な人にとっての
最上の暮らしであるからです。
そう、
①みこころ、②十字架、③万物への宣べ伝への中でです。
2011年5月16日月曜日
土台修復工事進行中
このところ、土台の修復をがんばっています。
(フショクした独立基礎1本の取りかえは既に終わっています。)
今分かっているダメな土台は4本、
これもかなり腐食(ふしょく)いていた上に、あの大地震に
よって結構な損傷(そんしょう)を受けてしまったのです。
(正直、初め発見した時はややゾッとしましたね。
それに、家の完成は遠い先だと言うのに
もう土台がクサっていた、というのはあまり聞かない面白い話
です。この理由の説明は長い話になりますので・・)
なにしろ事は土台、早く何とかしないと大変なことになる。
下手すると家屋がドサッと落下して、もう住めなくなってしまう
かな、と思ったほどでした。
しかし不幸中の幸い、
その部分は、そんなにスゴイ重量がかかる
ところではなかったのです。(南デッキの床部分です)
方法としては、
土台をすっかり取りかえるということはあきらめ、
その土台のスグそばに新しい土台をはめ込み、
それを太い鉄パイプ(単管)で支えることを考えました。
工事中、実に面白いことがいろいろと出て来ましたが、
それらの話は全部ハショッて手ミジカに書きますと・・
1地面に穴を掘り、車のホイールを埋める。
2それに鉄パイプを立ててホイールに固定する。
(後日ホイールにコンクリートを流し込んで安定を更に堅固にする)
3単管の上部を新しい「土台ケン、ネタ」に固定する
というすんぽうです。
今日までで、地下に5本の単管が立ち上がり、明日はもう
2本を立てます。(長いのは1・5mほど)
この方法は、比較的作業が楽であり
お金もそんなにかかりません。
われながらグッドアイディアだと思っております。
それにしても、孤軍奮闘(こぐんふんとう)は疲れます。
(フショクした独立基礎1本の取りかえは既に終わっています。)
今分かっているダメな土台は4本、
これもかなり腐食(ふしょく)いていた上に、あの大地震に
よって結構な損傷(そんしょう)を受けてしまったのです。
(正直、初め発見した時はややゾッとしましたね。
それに、家の完成は遠い先だと言うのに
もう土台がクサっていた、というのはあまり聞かない面白い話
です。この理由の説明は長い話になりますので・・)
なにしろ事は土台、早く何とかしないと大変なことになる。
下手すると家屋がドサッと落下して、もう住めなくなってしまう
かな、と思ったほどでした。
しかし不幸中の幸い、
その部分は、そんなにスゴイ重量がかかる
ところではなかったのです。(南デッキの床部分です)
方法としては、
土台をすっかり取りかえるということはあきらめ、
その土台のスグそばに新しい土台をはめ込み、
それを太い鉄パイプ(単管)で支えることを考えました。
工事中、実に面白いことがいろいろと出て来ましたが、
それらの話は全部ハショッて手ミジカに書きますと・・
1地面に穴を掘り、車のホイールを埋める。
2それに鉄パイプを立ててホイールに固定する。
(後日ホイールにコンクリートを流し込んで安定を更に堅固にする)
3単管の上部を新しい「土台ケン、ネタ」に固定する
というすんぽうです。
今日までで、地下に5本の単管が立ち上がり、明日はもう
2本を立てます。(長いのは1・5mほど)
この方法は、比較的作業が楽であり
お金もそんなにかかりません。
われながらグッドアイディアだと思っております。
それにしても、孤軍奮闘(こぐんふんとう)は疲れます。
2011年5月14日土曜日
コメント有難う3
いまだに
コメント欄に私のコメントが載らない状態が続いて
おります。私のパソコンが古いせいかな。
*
主はそう言う「しつこい」祈りを喜ばれるのでしょうか。
↓
はい、ルカ福音の「やもめ」によると確かにそのようですね。
さて
1・神がキリスト者に御自身の「みこころ」を啓示される
2・キリスト者がそれを「自分の願いとして」 神に「しつこく」
懇願する
3・神がそれをかなえられる
どうも、以上は神が意図された定めのようです。 だから、
シッカリと「みこころを知ること」が 総てのよきことの
始まりなのでしょう。 それにしてもキリスト者の祈り無しに、
神は何事もなさらないとは実に不思議なことですね。
だから今私達にとって「真の祈り」を学ぶことが
緊急の課題であるはずです。
さて
私は物すごく健康であるというわけでもありません。今年は
新年に風邪をひいて寝込んだし、きのうあたりまで
花粉症で結構不快な時を過ごしておりました。
熱心なキリスト者は霊を重んじるあまり、肉体を軽視、または
蔑視する傾向があるように思いますが、「私の霊の真の状態」は
私の肉体を通して現れざるをえません。即ち、私が肉体において
行う総ては私の霊の現れ、真相である、ということです。私が
断定できることは、神の目から見て 人間の体は本来、とても
すばらしいものに違いない、ということです。
だから私は「聖霊と共なる私の霊」が無理なく自然に
私の魂と体に対して、その聖なる支配を表現する、
というような キリスト者でありたいのです。
もしもそうであれば、彼はキリストと共に 今でさえ万物をも
治めるでしょう。その時、彼は「キリストを王にいただいた
天国の一表現」そのものに違いないのです。
(「支配」は非常に重要な聖書のテーマです。また神の言葉に
よると「支配」は人民によってでなく、王によります。だから
聖書に民主主義はありません。そしてそのような天的な
王による支配を天国、御国、神の国と呼んでおります。また
「キリスト者が死ぬと天国に行く」という記述も、少なくも
聖書では、どこを捜しても見出すことが出来ません。)
*
サスケさん
今御座におられるキリストは、今度は「彼の総ての達成」すなわち
キリストの完全な勝利とサタンの全き敗北・滅亡(福音の中身)をさえ
含んだ聖霊として今、私達の最も深い部分におられます。
しかし言われるように、その「天国としてのキリスト」は
とても隠されており、あたかも小さな種か、黙示録に出てくる
あの封印された小さな巻物のようです。
(こんな神秘なことが他にあるでしょうか!)
しかし更にすばらしい事実は
もしもある人が、日常において、喜んで土に埋められるという
「自分の十字架」を否むことが無ければ、
その隠された永遠の種は、今度は時空の中でさえ 発芽、成長を
経(へ)、キリストが支配される御国として彼から徐々に現れ、
遂には開花に至る、ということです。(永遠と時空は対比され
ます。また「完全な全き開花」は次の時代において、
でしょうが・・)
その時に彼はキリストと共に 命と愛の中で 万物
(彼の魂や体をも含めた彼をとりまく総ての環境)をも、何事も
無いかのように自然に支配し、治めることが出来るはずです。
(しかし普通見られる光景は、魂や体が、その荒々しい自分の
欲望のままに「霊からの繊細で聖なる主張」を抑圧し無視して
います。これは混乱、混沌であり、聖なる王の「不到来」を表して
おります。それは逆に「神の敵・この世の王」の支配を示す
ものでしょう)
そのように私達は、もともと神が意図されたように、
サタンの支配を退け、万物を支配する存在でありたいのです。
聖書によると、キリスト者とは本来その身分上何と「王達」でも
あるのですから!むろんキング、オブ、キングスは
ただ一人、主イエスキリスト以外にはあり得ませんが・・。
コメント欄に私のコメントが載らない状態が続いて
おります。私のパソコンが古いせいかな。
*
主はそう言う「しつこい」祈りを喜ばれるのでしょうか。
↓
はい、ルカ福音の「やもめ」によると確かにそのようですね。
さて
1・神がキリスト者に御自身の「みこころ」を啓示される
2・キリスト者がそれを「自分の願いとして」 神に「しつこく」
懇願する
3・神がそれをかなえられる
どうも、以上は神が意図された定めのようです。 だから、
シッカリと「みこころを知ること」が 総てのよきことの
始まりなのでしょう。 それにしてもキリスト者の祈り無しに、
神は何事もなさらないとは実に不思議なことですね。
だから今私達にとって「真の祈り」を学ぶことが
緊急の課題であるはずです。
さて
私は物すごく健康であるというわけでもありません。今年は
新年に風邪をひいて寝込んだし、きのうあたりまで
花粉症で結構不快な時を過ごしておりました。
熱心なキリスト者は霊を重んじるあまり、肉体を軽視、または
蔑視する傾向があるように思いますが、「私の霊の真の状態」は
私の肉体を通して現れざるをえません。即ち、私が肉体において
行う総ては私の霊の現れ、真相である、ということです。私が
断定できることは、神の目から見て 人間の体は本来、とても
すばらしいものに違いない、ということです。
だから私は「聖霊と共なる私の霊」が無理なく自然に
私の魂と体に対して、その聖なる支配を表現する、
というような キリスト者でありたいのです。
もしもそうであれば、彼はキリストと共に 今でさえ万物をも
治めるでしょう。その時、彼は「キリストを王にいただいた
天国の一表現」そのものに違いないのです。
(「支配」は非常に重要な聖書のテーマです。また神の言葉に
よると「支配」は人民によってでなく、王によります。だから
聖書に民主主義はありません。そしてそのような天的な
王による支配を天国、御国、神の国と呼んでおります。また
「キリスト者が死ぬと天国に行く」という記述も、少なくも
聖書では、どこを捜しても見出すことが出来ません。)
*
サスケさん
今御座におられるキリストは、今度は「彼の総ての達成」すなわち
キリストの完全な勝利とサタンの全き敗北・滅亡(福音の中身)をさえ
含んだ聖霊として今、私達の最も深い部分におられます。
しかし言われるように、その「天国としてのキリスト」は
とても隠されており、あたかも小さな種か、黙示録に出てくる
あの封印された小さな巻物のようです。
(こんな神秘なことが他にあるでしょうか!)
しかし更にすばらしい事実は
もしもある人が、日常において、喜んで土に埋められるという
「自分の十字架」を否むことが無ければ、
その隠された永遠の種は、今度は時空の中でさえ 発芽、成長を
経(へ)、キリストが支配される御国として彼から徐々に現れ、
遂には開花に至る、ということです。(永遠と時空は対比され
ます。また「完全な全き開花」は次の時代において、
でしょうが・・)
その時に彼はキリストと共に 命と愛の中で 万物
(彼の魂や体をも含めた彼をとりまく総ての環境)をも、何事も
無いかのように自然に支配し、治めることが出来るはずです。
(しかし普通見られる光景は、魂や体が、その荒々しい自分の
欲望のままに「霊からの繊細で聖なる主張」を抑圧し無視して
います。これは混乱、混沌であり、聖なる王の「不到来」を表して
おります。それは逆に「神の敵・この世の王」の支配を示す
ものでしょう)
そのように私達は、もともと神が意図されたように、
サタンの支配を退け、万物を支配する存在でありたいのです。
聖書によると、キリスト者とは本来その身分上何と「王達」でも
あるのですから!むろんキング、オブ、キングスは
ただ一人、主イエスキリスト以外にはあり得ませんが・・。
2011年5月12日木曜日
コメント有難う2
なぜか再三の試みにも関わらず、私のコメントが
コメント欄に載りません。やむなくここに掲載する
ことをお許し下さい。
*
匿名さん、感謝です。お会いすればもう互いに知って
いる人なのでしょうか。
心から・またのコメントをお待ちしております。
サスケ兄弟
真に「御国」(サタンに代わるキリストの統治、支配)
が「近づく」だけでなく、そのリアリティが今の時代、
実際にこの地上に現れますように!
「キリストの完全な支配、統治」は次の時代に、
この世界にも「公に」(誰の目にも分かるように)出現しますが、
「この時代における御国の現れ」に関しては
そのカギを握るのが、今現在のキリスト者達の姿・実際です。
即ち
今この時代、少数のキリスト者達を通してであったとしても
ある程度「その御国のリアリティ」が現に地上に出現するか
どうかはとても重要であると言うことです。
その理由は
その分量(キリストの実際的な支配の分量)がある一定に
達する時点で、初めて教会時代は終結し、時代が転換する
からです。
*
そのために必要なのがひたすら祈りです。
それは「キリスト教宗教」のように、人の願望、欲望を
かなえていただくための「お祈り」であってはならない
でしょう。(そういう祈りはダメだとか、そういう祈りを
神は決してかなえない、とは言いませんが)
この時代、神が心からキリスト者に要求されている祈りとは・・
・悪らつなサタンに対して神が報復して下さることを
神に日夜懇願する(しつっこいあきらめない)祈り。
(ルカ福音18の「やもめ」のように)
・キリスト者が直接、サタンを糾弾する証しの言葉(黙示録12)
・サタンが万物を用いてキリスト者の目前に構築する
「山」(御国の現れの上で、殆ど不可能であり、極めて困難と
見える状況)さえ移すキリスト者の言葉(マタイ17)などです。
(以上を「祈り」と総称することは可能でしょう)
そして
それらは日夜、キリスト者が自分の口を開き、自分の霊を
前面に押し出し、外の世界(霊的な神の敵の支配)に向け、
神の言葉(キリストの勝利、即ち福音)が、自分を含めた
総ての創られたモノ達に対して発せられねばなりません。
その際、当然のことながら
敵は霊であるゆえ、私達も霊の中に入り、霊によって
対抗し、また攻撃する必要があります。(攻撃は最大の防御
であり抵抗でもあるからです。真に神の国をこの世に出現させる
ためには、「祈り」が実は「祈り風、魂のツブヤキ」であるならば
殆ど何の意味もなさないでしょう。)
さて、先ほどのルカ18によると、イエスはその時、
この最後の時代において「地上にそのような信仰が見られる
であろうか」と言われましたが、それは決してイエスの
ため息ではなく、そのようなキリスト者の祈りこそ、今再臨を
願われる神の子キリストにとって、切迫した切実な願いであった
ことを意味しているのではないでしょうか。
しかし、そのようにして今の時代に「隠された方法で」
この地上に現れるであろうキリストの統治(神の国、天国)は
決して、この世やキリスト教世界によって賞賛されることはなく、
むしろ迫害されるであろうという事実を
私達は今から知っておく必要があるでしょう。
また以上のような祈りにおいては
「人の魂を源泉とする血肉の熱心」は絶対的に
退けられねばならないことも肝に銘じるべきです。
コメント欄に載りません。やむなくここに掲載する
ことをお許し下さい。
*
匿名さん、感謝です。お会いすればもう互いに知って
いる人なのでしょうか。
心から・またのコメントをお待ちしております。
サスケ兄弟
真に「御国」(サタンに代わるキリストの統治、支配)
が「近づく」だけでなく、そのリアリティが今の時代、
実際にこの地上に現れますように!
「キリストの完全な支配、統治」は次の時代に、
この世界にも「公に」(誰の目にも分かるように)出現しますが、
「この時代における御国の現れ」に関しては
そのカギを握るのが、今現在のキリスト者達の姿・実際です。
即ち
今この時代、少数のキリスト者達を通してであったとしても
ある程度「その御国のリアリティ」が現に地上に出現するか
どうかはとても重要であると言うことです。
その理由は
その分量(キリストの実際的な支配の分量)がある一定に
達する時点で、初めて教会時代は終結し、時代が転換する
からです。
*
そのために必要なのがひたすら祈りです。
それは「キリスト教宗教」のように、人の願望、欲望を
かなえていただくための「お祈り」であってはならない
でしょう。(そういう祈りはダメだとか、そういう祈りを
神は決してかなえない、とは言いませんが)
この時代、神が心からキリスト者に要求されている祈りとは・・
・悪らつなサタンに対して神が報復して下さることを
神に日夜懇願する(しつっこいあきらめない)祈り。
(ルカ福音18の「やもめ」のように)
・キリスト者が直接、サタンを糾弾する証しの言葉(黙示録12)
・サタンが万物を用いてキリスト者の目前に構築する
「山」(御国の現れの上で、殆ど不可能であり、極めて困難と
見える状況)さえ移すキリスト者の言葉(マタイ17)などです。
(以上を「祈り」と総称することは可能でしょう)
そして
それらは日夜、キリスト者が自分の口を開き、自分の霊を
前面に押し出し、外の世界(霊的な神の敵の支配)に向け、
神の言葉(キリストの勝利、即ち福音)が、自分を含めた
総ての創られたモノ達に対して発せられねばなりません。
その際、当然のことながら
敵は霊であるゆえ、私達も霊の中に入り、霊によって
対抗し、また攻撃する必要があります。(攻撃は最大の防御
であり抵抗でもあるからです。真に神の国をこの世に出現させる
ためには、「祈り」が実は「祈り風、魂のツブヤキ」であるならば
殆ど何の意味もなさないでしょう。)
さて、先ほどのルカ18によると、イエスはその時、
この最後の時代において「地上にそのような信仰が見られる
であろうか」と言われましたが、それは決してイエスの
ため息ではなく、そのようなキリスト者の祈りこそ、今再臨を
願われる神の子キリストにとって、切迫した切実な願いであった
ことを意味しているのではないでしょうか。
しかし、そのようにして今の時代に「隠された方法で」
この地上に現れるであろうキリストの統治(神の国、天国)は
決して、この世やキリスト教世界によって賞賛されることはなく、
むしろ迫害されるであろうという事実を
私達は今から知っておく必要があるでしょう。
また以上のような祈りにおいては
「人の魂を源泉とする血肉の熱心」は絶対的に
退けられねばならないことも肝に銘じるべきです。
2011年5月11日水曜日
昨日のコメント、有難う
こんなことを感じました:
「宣言する」はやはり
「神につかわされ外国に出て行って宣教をする」
と言う意味も持っているでしょう。
しかしながら
ある人が真の命を神からいただいた 本当のキリスト者
であるならば、彼は 例外なくそのミッションを神から
託された 正式で公的な布告者「ミショナリー」(宣教師)
でもあるはずです!
なぜでしょう。それは
「全世界という外国」はすでに日常の私達の身の回りに
存在しているからです。(私達は実は外国人です!)
人々が「つまらない」ものと見ている日常生活は、
決してつまらなくもスモールワールドでもなく、
「あるネットワーク」で全世界とつながっているからです。
さて
「その外国」に住んでいる無数の、人の目には見えない
「極めて知的で高度な住人達」は常に
私の体と魂を通して
私の霊(私の中の「最も奥深い私」)を 圧迫、抑圧し、
私をユーウツにし、私の霊をマヒさせ眠らせるか、
あるいは「さまざまなこの世界のモノ」へと
私達の心をそらすようにと 働いております。
ですから、私が「そのミッション」を達成しようと
するならば 24時間・目を覚まし、心のナマケをしりぞけ、
戦うために積極的に霊を外に向ける意志、
私の霊を「その外国」へとおし出す意志が
どうしても必要なのです。なぜなら
彼等は極めて勤勉(きんべん)であり、
眠ることさえしないからです。
出て行って
全世界の
総ての創られたもの達に
福音(キリストの勝利とサタンの敗北の確定した事実)を
宣べ伝える、は一句一語
イエスが天に帰られる際に、総てのキリスト者に
残された 「あの極めて重要な命令」を
形成(けいせい)しているはずです。
「宣言する」はやはり
「神につかわされ外国に出て行って宣教をする」
と言う意味も持っているでしょう。
しかしながら
ある人が真の命を神からいただいた 本当のキリスト者
であるならば、彼は 例外なくそのミッションを神から
託された 正式で公的な布告者「ミショナリー」(宣教師)
でもあるはずです!
なぜでしょう。それは
「全世界という外国」はすでに日常の私達の身の回りに
存在しているからです。(私達は実は外国人です!)
人々が「つまらない」ものと見ている日常生活は、
決してつまらなくもスモールワールドでもなく、
「あるネットワーク」で全世界とつながっているからです。
さて
「その外国」に住んでいる無数の、人の目には見えない
「極めて知的で高度な住人達」は常に
私の体と魂を通して
私の霊(私の中の「最も奥深い私」)を 圧迫、抑圧し、
私をユーウツにし、私の霊をマヒさせ眠らせるか、
あるいは「さまざまなこの世界のモノ」へと
私達の心をそらすようにと 働いております。
ですから、私が「そのミッション」を達成しようと
するならば 24時間・目を覚まし、心のナマケをしりぞけ、
戦うために積極的に霊を外に向ける意志、
私の霊を「その外国」へとおし出す意志が
どうしても必要なのです。なぜなら
彼等は極めて勤勉(きんべん)であり、
眠ることさえしないからです。
出て行って
全世界の
総ての創られたもの達に
福音(キリストの勝利とサタンの敗北の確定した事実)を
宣べ伝える、は一句一語
イエスが天に帰られる際に、総てのキリスト者に
残された 「あの極めて重要な命令」を
形成(けいせい)しているはずです。
70歳になりました
この5月5日で満70歳になりました。
これで私は
名実(めいじつ)ともに老人・おじいさんになったのだ、
と言ってもいいでしょう。(今の日本ではそれは
75歳だよという人もおりますが・・)
実はある意味、私はこの日を楽しみにしていたのです。
それは、老人であるとは一体どんなものであるか、
その実体験をこれから日々味わうことができるからです。
さて
これから80歳までが一区切りです。
それまでの、多分アッと言う間の10年間、
その一日一日、その日々の刻一刻は一体
どんなスリリングなものとなるのでしょうか。
☆☆
前回の記事に
コメントをいただきました。
有難うございます。
↓
>人の口が何を発するかは極めて重要です。
ほんとうに!
主を語るために備えられたであろう「口」という器官を、
今までいかに、この世に同調するために使ってきたことか!
マルコ:16-15
『全世界に出て行き、すべての造られた者に、
福音を宣べ伝えなさい。』
宣べ伝える=宣言する、これなら何時でもどこでも、
一人でも、出来ますね♪
これで私は
名実(めいじつ)ともに老人・おじいさんになったのだ、
と言ってもいいでしょう。(今の日本ではそれは
75歳だよという人もおりますが・・)
実はある意味、私はこの日を楽しみにしていたのです。
それは、老人であるとは一体どんなものであるか、
その実体験をこれから日々味わうことができるからです。
さて
これから80歳までが一区切りです。
それまでの、多分アッと言う間の10年間、
その一日一日、その日々の刻一刻は一体
どんなスリリングなものとなるのでしょうか。
☆☆
前回の記事に
コメントをいただきました。
有難うございます。
↓
>人の口が何を発するかは極めて重要です。
ほんとうに!
主を語るために備えられたであろう「口」という器官を、
今までいかに、この世に同調するために使ってきたことか!
マルコ:16-15
『全世界に出て行き、すべての造られた者に、
福音を宣べ伝えなさい。』
宣べ伝える=宣言する、これなら何時でもどこでも、
一人でも、出来ますね♪
2011年5月10日火曜日
7日、カリマン(小屋付近)の線量です
イモクボさんが実際に線量計で計っています。
それによると
(小中学校等で、外で体育などをするときの安全基準が
3・8マイクロ・シーベルトですので)
この小屋は安全と言えるでしょう。
*
イモクボさんのブログ
↓
Sさんから、線量計を一日借りて遊んでしまいました。
・国道(288)で0.8~1.0マイクロシーベルト位。
・カリマンのMさんちの田んぼ脇(地表)の
タンポポの横で1.5マイクロシーベルト位です、
・家の中では0.5~0.8マイクロシーベルト、
本日午前11頃の測定です。
☆・☆
今朝のメールから:
昨日(9日)小屋に戻りました。
今ようやく黄緑一色の若葉の山小屋です。
今ロフトの窓から、
何と言う名前なのでしょうか
「山桜」の花びらが風に舞っています。
Yさん、Tさん達のこと教えてくれて感謝です。
そのような
このごろの出来事に接するときに
私達が出て行き(即ち、自分の霊を前面に押し出し)
日常生活のささいな場面で、自分の小さな十字架を負い
総ての創られた者達
(特に見えない被造物達、そして自分にも)に対して
福音(十字架、復活、御座に関する
イエスの勝利とサタンの敗北の事実)を
宣べ伝える(宣言する)時に初めて
神が御使いを遣(つか)わされ
神の敵達を追い払われる、
という現象(法則、法、定め)を見る思いです。
「あなたは
幼子、乳飲み子達の口によって
「とりで」を設けられました。
それは、あなたに敵対する者の為に
敵と復讐(ふくしゅう)する者をしずめるためでした。」
(詩篇8篇より)
即ち、
(か弱き)キリスト者の口が
神の真理を宣告することによって
「とりで」(小さな城)を設けるならば、
初めて神が敵を静められるのです。
人の口が「何を発するか」は極めて重要です。
それによると
(小中学校等で、外で体育などをするときの安全基準が
3・8マイクロ・シーベルトですので)
この小屋は安全と言えるでしょう。
*
イモクボさんのブログ
↓
Sさんから、線量計を一日借りて遊んでしまいました。
・国道(288)で0.8~1.0マイクロシーベルト位。
・カリマンのMさんちの田んぼ脇(地表)の
タンポポの横で1.5マイクロシーベルト位です、
・家の中では0.5~0.8マイクロシーベルト、
本日午前11頃の測定です。
☆・☆
今朝のメールから:
昨日(9日)小屋に戻りました。
今ようやく黄緑一色の若葉の山小屋です。
今ロフトの窓から、
何と言う名前なのでしょうか
「山桜」の花びらが風に舞っています。
Yさん、Tさん達のこと教えてくれて感謝です。
そのような
このごろの出来事に接するときに
私達が出て行き(即ち、自分の霊を前面に押し出し)
日常生活のささいな場面で、自分の小さな十字架を負い
総ての創られた者達
(特に見えない被造物達、そして自分にも)に対して
福音(十字架、復活、御座に関する
イエスの勝利とサタンの敗北の事実)を
宣べ伝える(宣言する)時に初めて
神が御使いを遣(つか)わされ
神の敵達を追い払われる、
という現象(法則、法、定め)を見る思いです。
「あなたは
幼子、乳飲み子達の口によって
「とりで」を設けられました。
それは、あなたに敵対する者の為に
敵と復讐(ふくしゅう)する者をしずめるためでした。」
(詩篇8篇より)
即ち、
(か弱き)キリスト者の口が
神の真理を宣告することによって
「とりで」(小さな城)を設けるならば、
初めて神が敵を静められるのです。
人の口が「何を発するか」は極めて重要です。
2011年5月6日金曜日
北デッキを切り落とした
昨日、北デッキを、文字通り切り落とした。
よく見るとデッキの東半分はチャンと土台の上に根太が乗っかって
いるではないか。だったらその部分は廃棄(はいき)することは
ない。あとで下に壁を作り、薪小屋の屋根にでもするとよい。
というわけで、ネタがはずれている西半分のみを
切り落とすことにした。
デッキに足を踏み入れ、ネタが土台に乗っている部分と、
乗っていない部分の境目におそるおそる丸ノコを入れた。
デッキの奥行き1・5間を切ると、最後に、二坪以上のデッキが
3m近い下の地面にフワリ、ドサリとばかりに落下した。
うまく行った、これでよい。
それにしても早くその薪小屋の建築にとりかかりたいものである。
実は今、小屋の西部分に何と大量の薪が地面に散乱している。
と言うのはこの冬、ある人が小屋に来てくれて、周囲の森を
一部伐採(ばっさい)し、たった2日で雪の中、一年分の薪を
作ってくれたのである。(これは本当の話です)
このように一人老人が、山奥で山小屋などを作っていると神は
時々不思議なエンジェルを遣(つか)わしてくれるのである。
今度の冬
ストーブに連日マキをドンドンくべるために、
早く3・11の痕跡(こんせき)を小屋から完全に
消し去り、その薪小屋の中に、芸術的な美しさで薪を
積み重ねて見たいものである。
よく見るとデッキの東半分はチャンと土台の上に根太が乗っかって
いるではないか。だったらその部分は廃棄(はいき)することは
ない。あとで下に壁を作り、薪小屋の屋根にでもするとよい。
というわけで、ネタがはずれている西半分のみを
切り落とすことにした。
デッキに足を踏み入れ、ネタが土台に乗っている部分と、
乗っていない部分の境目におそるおそる丸ノコを入れた。
デッキの奥行き1・5間を切ると、最後に、二坪以上のデッキが
3m近い下の地面にフワリ、ドサリとばかりに落下した。
うまく行った、これでよい。
それにしても早くその薪小屋の建築にとりかかりたいものである。
実は今、小屋の西部分に何と大量の薪が地面に散乱している。
と言うのはこの冬、ある人が小屋に来てくれて、周囲の森を
一部伐採(ばっさい)し、たった2日で雪の中、一年分の薪を
作ってくれたのである。(これは本当の話です)
このように一人老人が、山奥で山小屋などを作っていると神は
時々不思議なエンジェルを遣(つか)わしてくれるのである。
今度の冬
ストーブに連日マキをドンドンくべるために、
早く3・11の痕跡(こんせき)を小屋から完全に
消し去り、その薪小屋の中に、芸術的な美しさで薪を
積み重ねて見たいものである。
2011年5月5日木曜日
南デッキの修復
次に南デッキであるが、それは角(かど)部分でないから
三脚(さんきゃく)は使えない。
つり上げ(or押し広げ)にはどうしてもジャッキを使うしかない。
そのためには、ジャッキを安定的に置く台を作らねばならない。
これは相当の手間がかかり出来ればさけたい、と思っていた
のだが、フト「この前買ったサポートを地面にうめ込んで、
それにジャッキを置いたらどうか」と気がついた。結果的に、
これが実にうまく行ったのである。ジャッキもかなりな力が
出るものであると感心した。
①ジャッキでデッキを押し上げて少しの間隔(かんかく)余裕を作る。
②二枚重ねの「数メートルの重い2バイ8」をはずして
一枚ずつにする。
③一枚ずつを丸ノコでわずかに細くする。
④デッキと基礎の間に一枚ずつはさみこむ。
⑤わずかに生じたデッキとの隙間(すきま)は、後でクサビを
打ちこめばいい。
南西と南の二つのデッキの修復が、何とわずか半日あまりで
終わってしまったのである(5/3)。正に「案(あん)ずる
より生むが易(やす)し」であった。
☆
さて突然・話題は変わりますが
どうして永遠に対して
今のような「時間・空間の時代」があるのでしょうか。
それは:
一点に凝縮(ぎょうしゅく)され、
隠(かく)されている「ある実在」を
引き出し、詳(くわ)しく見せるため、
ではないでしょうか。
なぜなら
「ある実在」とは、確定ずみの
「完全なイエスの勝利とサタンの滅び」のことですが
それは(十字架と復活という)①一点であると共に
②経過(けいか)や過程でもある、からだと思います。
(当然①と②は全く同質です)
即ち、十字架と復活そして御座という隠された永遠は
今度は時空の中においても、
総ての創られたもの達に対して
くわしく展覧されることを、
神は大いなる喜びとされるからでしょう。
それは
①一粒の小さな小さな金と
②それを広大な面積にまで押し広げた金の紙(金ぱく)
のようなものかも知れませんし、あるいは簡単に言って
①種と
②その萌芽(ほうが)、開花、結実
のようなものではないでしょうか。
私達が目にする一粒の種とは、
その後の莫大な時間と空間をさえ含むところの永遠
を指し示すための一つの絵なのかも知れません。
従って、私の中にまかれた「永遠の性質を持つ一粒の種」
(イエスの十字架と復活、御座を含む)も
「私の死」を経て初めて現れ、その中に含まれる永遠の真実を
この時間と空間の中に萌芽、開花、結実させるのです。
三脚(さんきゃく)は使えない。
つり上げ(or押し広げ)にはどうしてもジャッキを使うしかない。
そのためには、ジャッキを安定的に置く台を作らねばならない。
これは相当の手間がかかり出来ればさけたい、と思っていた
のだが、フト「この前買ったサポートを地面にうめ込んで、
それにジャッキを置いたらどうか」と気がついた。結果的に、
これが実にうまく行ったのである。ジャッキもかなりな力が
出るものであると感心した。
①ジャッキでデッキを押し上げて少しの間隔(かんかく)余裕を作る。
②二枚重ねの「数メートルの重い2バイ8」をはずして
一枚ずつにする。
③一枚ずつを丸ノコでわずかに細くする。
④デッキと基礎の間に一枚ずつはさみこむ。
⑤わずかに生じたデッキとの隙間(すきま)は、後でクサビを
打ちこめばいい。
南西と南の二つのデッキの修復が、何とわずか半日あまりで
終わってしまったのである(5/3)。正に「案(あん)ずる
より生むが易(やす)し」であった。
☆
さて突然・話題は変わりますが
どうして永遠に対して
今のような「時間・空間の時代」があるのでしょうか。
それは:
一点に凝縮(ぎょうしゅく)され、
隠(かく)されている「ある実在」を
引き出し、詳(くわ)しく見せるため、
ではないでしょうか。
なぜなら
「ある実在」とは、確定ずみの
「完全なイエスの勝利とサタンの滅び」のことですが
それは(十字架と復活という)①一点であると共に
②経過(けいか)や過程でもある、からだと思います。
(当然①と②は全く同質です)
即ち、十字架と復活そして御座という隠された永遠は
今度は時空の中においても、
総ての創られたもの達に対して
くわしく展覧されることを、
神は大いなる喜びとされるからでしょう。
それは
①一粒の小さな小さな金と
②それを広大な面積にまで押し広げた金の紙(金ぱく)
のようなものかも知れませんし、あるいは簡単に言って
①種と
②その萌芽(ほうが)、開花、結実
のようなものではないでしょうか。
私達が目にする一粒の種とは、
その後の莫大な時間と空間をさえ含むところの永遠
を指し示すための一つの絵なのかも知れません。
従って、私の中にまかれた「永遠の性質を持つ一粒の種」
(イエスの十字架と復活、御座を含む)も
「私の死」を経て初めて現れ、その中に含まれる永遠の真実を
この時間と空間の中に萌芽、開花、結実させるのです。
2011年5月4日水曜日
西南デッキの修復
小屋のデッキ(ベランダ)は全部で4つあり、内3つが
3・11でヒドイ損傷(そんしょう)を受けた。
北デッキは、今無残にも中空にぶら下がっており、
これはとても修復できそうにない。
いずれ何らかの方法で、危険ではあろうが
地面にドサリと数メートル落下させなければならない。
居間に直接接している西デッキであるが、これのみが健在である。
南デッキに続く、西南デッキは基礎からはずれ、大きく傾いて
しまった。
一番大きな南デッキ
(この上を歩いて、小屋の「玄関」にいたる)は、
「2バイ8を二枚重ねた土台」が、西南デッキに
合わせて斜めになってしまったのである。しかし、デッキ
そのものは全く健在であったことはとても感謝であった。
さて昨日昼から、南西デッキの修復にとりかかった。
その作戦とは:
まずは、鉄パイプ三本のアタマを太い針金でくくって、
大きな三脚を作る。そこにイモクボさんから借りた
レバーブロックを取り付け、私を乗せたままデッキを
つり上げるのである。
いろいろと試行錯誤(しこうさくご)した結果、
(機械の威力は偉大)重い重いデッキはつり上がった。
初体験の私にはこれは一寸した感動であった。
後は
基礎の上に適当なライナーを置き、水平機を見ながら
デッキ全体が水平になるようにつり下ろすのだ。
そのようにして、遂にしばらくぶりで、私は春の西の森を
見下ろす、地球に水平なデッキの上に立つことが出来たのであった。
そういえばダビデも
「主は私を水平なところに立たせられる」
見たいなことを言ってましたね。
(水平感、安定感の無い場所に人は暮らせないのだ。)
3・11でヒドイ損傷(そんしょう)を受けた。
北デッキは、今無残にも中空にぶら下がっており、
これはとても修復できそうにない。
いずれ何らかの方法で、危険ではあろうが
地面にドサリと数メートル落下させなければならない。
居間に直接接している西デッキであるが、これのみが健在である。
南デッキに続く、西南デッキは基礎からはずれ、大きく傾いて
しまった。
一番大きな南デッキ
(この上を歩いて、小屋の「玄関」にいたる)は、
「2バイ8を二枚重ねた土台」が、西南デッキに
合わせて斜めになってしまったのである。しかし、デッキ
そのものは全く健在であったことはとても感謝であった。
さて昨日昼から、南西デッキの修復にとりかかった。
その作戦とは:
まずは、鉄パイプ三本のアタマを太い針金でくくって、
大きな三脚を作る。そこにイモクボさんから借りた
レバーブロックを取り付け、私を乗せたままデッキを
つり上げるのである。
いろいろと試行錯誤(しこうさくご)した結果、
(機械の威力は偉大)重い重いデッキはつり上がった。
初体験の私にはこれは一寸した感動であった。
後は
基礎の上に適当なライナーを置き、水平機を見ながら
デッキ全体が水平になるようにつり下ろすのだ。
そのようにして、遂にしばらくぶりで、私は春の西の森を
見下ろす、地球に水平なデッキの上に立つことが出来たのであった。
そういえばダビデも
「主は私を水平なところに立たせられる」
見たいなことを言ってましたね。
(水平感、安定感の無い場所に人は暮らせないのだ。)
2011年5月2日月曜日
山ではまだ桜が
ついさっき、小屋に着きました。
今日はまず午前、千葉ニュータウンのジョイフルホンダで
鉄パイプ(単管と言うのかな)を買いました。
3・4メートルを1本、3メートルを二本です。
(そこではパイプの切断や穴あけもやってくれるのです)
それを積んでから出発したので、こちらに着いたのは
5時半でした。やはり少々疲れましたね。
でもこれから片付けて、食事を作らねばなりません。
山はようやく木々から新緑が出始めたといった所です。
こちらの平地ではまだ桜が咲いているのですから。
*
聖書について大切なことは、
ただ「そこに重要な真理が書いてある」ということ
だけではなく、
それらの事実が「総ての創られたもの達」に対して明確に
宣告されなければならない、と言う点にあるように思われます。
「みことばを宣べ伝える」と言うフレーズは今日
全くいいフルされ、しかもとてもせまい意味で
使用されています。しかしその本来の意味は決して
そうではないでしょう。
その真意は、
神の重要真理(十字架、復活、御座に関する事実、即ち福音)は
本来(イエスが言われたように)対人のみならず
「総ての創られた者たちに」対して
「いちいち日々」明確に宣言されなければならない
と言うことです。
「宇宙の法」の制定者である神は、人によって随時(ずいじ)
それらの真理がハッキリと宣告されることをとても
重んじられるのです。(そして神は「宣言を聞く」
ことがとてもお好きであるはずです。)
また、実際的に言って、どんなにすばらしい法であっても
ただ存在するだけでは「その力と効果」は
殆ど現れないのではないでしょうか。
以上のようなことを
今日道々考えておりました。
今日はまず午前、千葉ニュータウンのジョイフルホンダで
鉄パイプ(単管と言うのかな)を買いました。
3・4メートルを1本、3メートルを二本です。
(そこではパイプの切断や穴あけもやってくれるのです)
それを積んでから出発したので、こちらに着いたのは
5時半でした。やはり少々疲れましたね。
でもこれから片付けて、食事を作らねばなりません。
山はようやく木々から新緑が出始めたといった所です。
こちらの平地ではまだ桜が咲いているのですから。
*
聖書について大切なことは、
ただ「そこに重要な真理が書いてある」ということ
だけではなく、
それらの事実が「総ての創られたもの達」に対して明確に
宣告されなければならない、と言う点にあるように思われます。
「みことばを宣べ伝える」と言うフレーズは今日
全くいいフルされ、しかもとてもせまい意味で
使用されています。しかしその本来の意味は決して
そうではないでしょう。
その真意は、
神の重要真理(十字架、復活、御座に関する事実、即ち福音)は
本来(イエスが言われたように)対人のみならず
「総ての創られた者たちに」対して
「いちいち日々」明確に宣言されなければならない
と言うことです。
「宇宙の法」の制定者である神は、人によって随時(ずいじ)
それらの真理がハッキリと宣告されることをとても
重んじられるのです。(そして神は「宣言を聞く」
ことがとてもお好きであるはずです。)
また、実際的に言って、どんなにすばらしい法であっても
ただ存在するだけでは「その力と効果」は
殆ど現れないのではないでしょうか。
以上のようなことを
今日道々考えておりました。
2011年4月28日木曜日
基礎、土台とデッキの修復
4/26
何と南東側の一本の短い独立基礎(電柱)が完全に腐って
ブカブカ状態! 取り去って見ると、幸いその上の土台は
継ぎ目なしの 一本の角材であった。これは 建物全体にとって
致命傷にはならない。これは大いによかったことである。
だから今この基礎は応急的に簡単な金属の支柱で済まそう。
次は4本の土台の補強であるが
良く見ると、その部分は建物の中で、そんなに大きな力が
かかる所ではないことが判明。これは少し安心である。
従ってどうしてもと 今アワテテやることも無いようである。
と言うわけで、後日の工事になるだとうと思っていた
南西のデッキの修理にかかることができた。ところが
「サポート」を使って「力わざで」持ち上げようとしたのだが、
とてもムリである。(面積は3坪以上、高さは2m近くある
デッキが基礎からはずれて相当程度傾いてしまっている)
やはりイモクボ氏の言うように、滑車の原理で デッキ本体を
持ち上げることを考えないといけないらしい。それではこれから
イモクボ氏の所に出かけて機材を借りて来るとしようか。
(ところがイモクボ氏は実家へ帰られてルスでした)
4/28
重い重い南西デッキの持ち上げの為の、小さなクレーン
(チェーンブロックorレバーブロック)のフックを取り付ける為の
鉄パイプの三脚を作る準備をした。
(車のジャッキを2つ3つ使ってやった方がいい
と言う意見もあるが、しかしそのジャッキをのせる台を
作るのが面倒である。)
実際の鉄パイプは、次回下山のおり、千葉の
ジョイフルホンダで買う。いやはやこれは大仕事になって
来たものである。以上が昨日の作業であった。
今日はその長ーい鉄パイプが実際に私の車にのせられるか
の検討をしなければならない。3m40cm位をのせたい
のだが、それではドアは閉まらない。この車には屋根の
キャリアもないし、ひと工夫必要のようである。
それが終われば、
ようやく、地下の片付けに着手できるだろう。
明日は下山、山に戻るのは2日であろうか。
(今また小さな地震です。まーホンとに高感度な山小屋です。
なにしろ弥生時代的?高床式建物ですので・・)
★あるコメントから
↓
基礎と土台については、わからず無知でした。
ネットで検索しました。
同じように捉えていましたが、地に埋もれた基礎があって、
その上に土台を据えるのですね。土台は建物と基礎をつなぐ
部分ですね。
聖書では検索すると、新約で基礎はわずかしか出てこないですが、
エズラ記は宮の基礎という表現で出て来ますね。
土台は新約に結構出て来ます。
土台自体はキリストご自身であって、据えて建物をたてるのは
私たちの働きなのでしょうか?
何と南東側の一本の短い独立基礎(電柱)が完全に腐って
ブカブカ状態! 取り去って見ると、幸いその上の土台は
継ぎ目なしの 一本の角材であった。これは 建物全体にとって
致命傷にはならない。これは大いによかったことである。
だから今この基礎は応急的に簡単な金属の支柱で済まそう。
次は4本の土台の補強であるが
良く見ると、その部分は建物の中で、そんなに大きな力が
かかる所ではないことが判明。これは少し安心である。
従ってどうしてもと 今アワテテやることも無いようである。
と言うわけで、後日の工事になるだとうと思っていた
南西のデッキの修理にかかることができた。ところが
「サポート」を使って「力わざで」持ち上げようとしたのだが、
とてもムリである。(面積は3坪以上、高さは2m近くある
デッキが基礎からはずれて相当程度傾いてしまっている)
やはりイモクボ氏の言うように、滑車の原理で デッキ本体を
持ち上げることを考えないといけないらしい。それではこれから
イモクボ氏の所に出かけて機材を借りて来るとしようか。
(ところがイモクボ氏は実家へ帰られてルスでした)
4/28
重い重い南西デッキの持ち上げの為の、小さなクレーン
(チェーンブロックorレバーブロック)のフックを取り付ける為の
鉄パイプの三脚を作る準備をした。
(車のジャッキを2つ3つ使ってやった方がいい
と言う意見もあるが、しかしそのジャッキをのせる台を
作るのが面倒である。)
実際の鉄パイプは、次回下山のおり、千葉の
ジョイフルホンダで買う。いやはやこれは大仕事になって
来たものである。以上が昨日の作業であった。
今日はその長ーい鉄パイプが実際に私の車にのせられるか
の検討をしなければならない。3m40cm位をのせたい
のだが、それではドアは閉まらない。この車には屋根の
キャリアもないし、ひと工夫必要のようである。
それが終われば、
ようやく、地下の片付けに着手できるだろう。
明日は下山、山に戻るのは2日であろうか。
(今また小さな地震です。まーホンとに高感度な山小屋です。
なにしろ弥生時代的?高床式建物ですので・・)
★あるコメントから
↓
基礎と土台については、わからず無知でした。
ネットで検索しました。
同じように捉えていましたが、地に埋もれた基礎があって、
その上に土台を据えるのですね。土台は建物と基礎をつなぐ
部分ですね。
聖書では検索すると、新約で基礎はわずかしか出てこないですが、
エズラ記は宮の基礎という表現で出て来ますね。
土台は新約に結構出て来ます。
土台自体はキリストご自身であって、据えて建物をたてるのは
私たちの働きなのでしょうか?
2011年4月26日火曜日
小屋、危ないかも
メール有難うございました。
先回の~のこと・・
そうだったのですか、それはホンとによかったです。
5/7のこともS姉妹から聞きました。
必ずや皆様の上に再び
主の祝福が豊かに注がれるであろうことを
かたく信じております。
*
さて
昨日25日午後、実家から山に来たのですが
先回、下山の前、
何と家を支える肝心の基礎と土台の一部が
それまでの腐食(ふしょく)もあって
「極めて危うい状態」であることを発見したのですよ。
これはホンとにえらいことです。
にもかかわらず、奇妙なことに家の本体そのものは
あの3・11地震から完全に守られたことは
やはり不思議です。
しかし、もう一度、大きな余震でも来ると、小屋の本体が
二箇所くらい決定的に傾いてしまうことも十分あり得る
でしょう。もしそうなったら、工事は大変なものになるし
もう住めないと思った方がいいでしょう。
というわけで、
今日から基礎と土台の補強工事を開始します。急きょ、
いかれた4本の土台のスグそばに補強の土台を入れるのです。
道具、機材はジョイフルホンダから買って来ました。
今回は29日に帰る必要がありますが、数日で戻って、
しばらくはこの工事にかかりっきりになるでしょう。
(聖書にも出て来ますが、基礎と土台は違います)
例のカタヅケの方・・地下部分は全く手付かずです。
それと二つのデッキの修理は後回しですね。
*
さてお尋ねの私の花粉症ですが、
今年の物すごい花粉の量には閉口しております。
実は4月、5、6日あたりは相当苦しかったのです。
(ハナのかみっぱなしでハナの中が傷つくほど)
ところがです、4月22日(下山の日)から
突然・症状が、私・花粉症だっけ?と思うくらい
ウソみたいに軽くなってしまったのです。
(22日、花粉が減り始めたのかな、
でも情報によるとそれはまだのようですが・・)
さて先回、イモクボさんが来てくれたおかげで
薪ストーブ、直りましたよ。これはよかったです。
ホンとに人生、面白いことが絶えません。
(あ今余震です。6:15AM)
PS:
5月1日、松戸のマルシア家に行くことになりました。
先回の~のこと・・
そうだったのですか、それはホンとによかったです。
5/7のこともS姉妹から聞きました。
必ずや皆様の上に再び
主の祝福が豊かに注がれるであろうことを
かたく信じております。
*
さて
昨日25日午後、実家から山に来たのですが
先回、下山の前、
何と家を支える肝心の基礎と土台の一部が
それまでの腐食(ふしょく)もあって
「極めて危うい状態」であることを発見したのですよ。
これはホンとにえらいことです。
にもかかわらず、奇妙なことに家の本体そのものは
あの3・11地震から完全に守られたことは
やはり不思議です。
しかし、もう一度、大きな余震でも来ると、小屋の本体が
二箇所くらい決定的に傾いてしまうことも十分あり得る
でしょう。もしそうなったら、工事は大変なものになるし
もう住めないと思った方がいいでしょう。
というわけで、
今日から基礎と土台の補強工事を開始します。急きょ、
いかれた4本の土台のスグそばに補強の土台を入れるのです。
道具、機材はジョイフルホンダから買って来ました。
今回は29日に帰る必要がありますが、数日で戻って、
しばらくはこの工事にかかりっきりになるでしょう。
(聖書にも出て来ますが、基礎と土台は違います)
例のカタヅケの方・・地下部分は全く手付かずです。
それと二つのデッキの修理は後回しですね。
*
さてお尋ねの私の花粉症ですが、
今年の物すごい花粉の量には閉口しております。
実は4月、5、6日あたりは相当苦しかったのです。
(ハナのかみっぱなしでハナの中が傷つくほど)
ところがです、4月22日(下山の日)から
突然・症状が、私・花粉症だっけ?と思うくらい
ウソみたいに軽くなってしまったのです。
(22日、花粉が減り始めたのかな、
でも情報によるとそれはまだのようですが・・)
さて先回、イモクボさんが来てくれたおかげで
薪ストーブ、直りましたよ。これはよかったです。
ホンとに人生、面白いことが絶えません。
(あ今余震です。6:15AM)
PS:
5月1日、松戸のマルシア家に行くことになりました。
2011年4月21日木曜日
その時、私は80歳?
セージ&マルシア
マルシアが持ってきてくれたコーヒーメーカーは
ガラスの器が完全に壊れたので、もう使えないであろうし、
大きな電子レンジも電気が通じません。
今度ケーズ電気に持って行って見ましょう。
(直るといいけど)
人々のためにも
あなた達が山に来るのは
アイリちゃんが大きくなってからの方がいいでしょう。
その時、私は80歳かな?
シュガー
マルシアが持ってきてくれたコーヒーメーカーは
ガラスの器が完全に壊れたので、もう使えないであろうし、
大きな電子レンジも電気が通じません。
今度ケーズ電気に持って行って見ましょう。
(直るといいけど)
人々のためにも
あなた達が山に来るのは
アイリちゃんが大きくなってからの方がいいでしょう。
その時、私は80歳かな?
シュガー
永遠を時空に引き出す
「あそこ」(キリスト)に現に存在する
永遠の真理(事実)を
この時空の中へと(今、ここに)
信仰によって
あなたが
・引き出す・再現する、or
聖霊の力によって
・引き出し・再現していただく。
☆コメントを頂きました。
↓
そのようにしたら主は喜んでくださいますね。
それどころかそのようにすることを期待してくれていますね。
でも、これは驚くべき愛というか気前の良さですね。
ヨハネ14:13;16:24を思い出します。
*
感謝です。
そうされることを期待して
キリストは十字架に行かれ、復活し、今総てに超越して
おられるのです。
そう、総てにです、地震にもツナミにも、そして死にも。
永遠の真理(事実)を
この時空の中へと(今、ここに)
信仰によって
あなたが
・引き出す・再現する、or
聖霊の力によって
・引き出し・再現していただく。
☆コメントを頂きました。
↓
そのようにしたら主は喜んでくださいますね。
それどころかそのようにすることを期待してくれていますね。
でも、これは驚くべき愛というか気前の良さですね。
ヨハネ14:13;16:24を思い出します。
*
感謝です。
そうされることを期待して
キリストは十字架に行かれ、復活し、今総てに超越して
おられるのです。
そう、総てにです、地震にもツナミにも、そして死にも。
2011年4月20日水曜日
大地震、後始末
昨日は
3・11大地震による小屋の中の「万物崩壊」に対して
ロフトと納戸の片付けが(意外に早く)終わってよかったです。
マルシアが持ってきてくれたコーヒーメーカーは
ガラスの器が完全に壊れたので、もう使えないであろうし、
大きな電子レンジも電気が通じません。
今度ケーズ電気に持って行って見ましょう。
しかし直るといいけど。
*
そのあとは、面倒な作業がひかえている、即ち
・薪ストーブの位置直し:
これは今日か明日、イモクボさんが来てくれるらしいので
一緒に「エイヤッ」とやってくれるように頼んでみよう。
微調整は一人で車のジャッキを使ってやる。
(これは先輩からの知恵です)
・ピアノ室の掃きだし大ガラス窓の枠はずれ:
これは南西デッキを直してからでないとダメかも知れない。
(ピアノ室と南西デッキは繋がっているからです)
・地下物置の大パニック状態:
これは相当の面積がある。ひたすら力仕事オンリーで、
二日はかかるかな。
・南西デッキの大傾き:
サポという道具(伸縮する支柱)を買ってやるのがよさそうだ。
小さなジャッキでは危ないであろう。
船引までサポの注文をしに行かねばならない。
・北デッキの大へんな傾き
(傾きどころか、3坪以上のデッキが3/4、母屋から
ぶら下がっている、と言うべきかも知れない。デッキから
地面までは3m近くはあるかな?):
長ーいサポを使っても、復元は実際問題可能であろうか。
むしろこのデッキは廃棄を考えるべきかも知れない。しかし
撤去するにしても、たった一人での母屋からの切り離しは
相当危険。よく考えてやらないと命が危ない。
以上ですが、いつゼンブが終わるのでしょうか。
いずれ総ては次回入山以後ですね。
3・11大地震による小屋の中の「万物崩壊」に対して
ロフトと納戸の片付けが(意外に早く)終わってよかったです。
マルシアが持ってきてくれたコーヒーメーカーは
ガラスの器が完全に壊れたので、もう使えないであろうし、
大きな電子レンジも電気が通じません。
今度ケーズ電気に持って行って見ましょう。
しかし直るといいけど。
*
そのあとは、面倒な作業がひかえている、即ち
・薪ストーブの位置直し:
これは今日か明日、イモクボさんが来てくれるらしいので
一緒に「エイヤッ」とやってくれるように頼んでみよう。
微調整は一人で車のジャッキを使ってやる。
(これは先輩からの知恵です)
・ピアノ室の掃きだし大ガラス窓の枠はずれ:
これは南西デッキを直してからでないとダメかも知れない。
(ピアノ室と南西デッキは繋がっているからです)
・地下物置の大パニック状態:
これは相当の面積がある。ひたすら力仕事オンリーで、
二日はかかるかな。
・南西デッキの大傾き:
サポという道具(伸縮する支柱)を買ってやるのがよさそうだ。
小さなジャッキでは危ないであろう。
船引までサポの注文をしに行かねばならない。
・北デッキの大へんな傾き
(傾きどころか、3坪以上のデッキが3/4、母屋から
ぶら下がっている、と言うべきかも知れない。デッキから
地面までは3m近くはあるかな?):
長ーいサポを使っても、復元は実際問題可能であろうか。
むしろこのデッキは廃棄を考えるべきかも知れない。しかし
撤去するにしても、たった一人での母屋からの切り離しは
相当危険。よく考えてやらないと命が危ない。
以上ですが、いつゼンブが終わるのでしょうか。
いずれ総ては次回入山以後ですね。
2011年4月18日月曜日
山に来ました
先ほど小屋に着きました。
国道245が途中・通行止めだったので
あちこち大回りをして再び245へ。
それで今日は時間がかかったのです。
今日も実家からオール下。
小屋はブジでした。
再三の大きな余震で「あるいは」と思ったのでしたが
何もなくてよかったです。 ライフラインも大丈夫。
曇天(どんてん)に、森閑(シンカン)として
静まりかえるばかりのただ一人のカリマン。
あたりに誰もいないこんな「独(ひと)りじめ」の感覚も
またいいものです。(岩井沢全体では
人々は結構自宅にもどっているという話ですが・・)
もうスグ5時、今日は何もしないで・・
とは言っても身の回りの整理と簡単な夕食だけで
早めに寝るとしましょう。
今回も中3日の短い滞在です。
(あ、今17時2分、余震です。福島県沖、震度3。)
国道245が途中・通行止めだったので
あちこち大回りをして再び245へ。
それで今日は時間がかかったのです。
今日も実家からオール下。
小屋はブジでした。
再三の大きな余震で「あるいは」と思ったのでしたが
何もなくてよかったです。 ライフラインも大丈夫。
曇天(どんてん)に、森閑(シンカン)として
静まりかえるばかりのただ一人のカリマン。
あたりに誰もいないこんな「独(ひと)りじめ」の感覚も
またいいものです。(岩井沢全体では
人々は結構自宅にもどっているという話ですが・・)
もうスグ5時、今日は何もしないで・・
とは言っても身の回りの整理と簡単な夕食だけで
早めに寝るとしましょう。
今回も中3日の短い滞在です。
(あ、今17時2分、余震です。福島県沖、震度3。)
2011年4月12日火曜日
山小屋は緊急時避難準備地域に
この意味は、これから山小屋で暮らしてもいいから
「もしも何かあったら」
小屋の中に閉じこもるか、安全な所に逃げなさい
ということです。
国際放射線防護委員会(ICRP)と
国際原子力機関(IAEA)は
年間2万マイクロシーベルトから10万マイクロシーベルト
という数字を出しているそうです。
これは逆に言うと、一年間で
最大10万マイクロシーベルトまでは浴びてもいい
ということになります。しかし
政府は最も厳しい2万の方を採用しています。
その基準から見ても
先回4日~8日の5日間の山滞在で私は、おおよそ
計3・1マイクロシーベルト(毎時)を浴びていますが
これはかなり安心な数字と言えるでしょう。
何故なら私が仮に
1年中小屋にいて、一日それも多目の1マイクロシーベルトを
浴びた場合でも、年間では計365マイクロシーベルトです。
(山小屋のある岩井沢は殆ど1未満)
しかしそれは一時間当たりですから
一日も欠かさず、それも毎日10時間外にいたとして
(10倍して)年間3650マイクロシーベルトを
浴びることになります。
結論としては、2万対3650ですから、
これは一応安心と言えるのではないでしょうか。
(でももしも、数字に弱い私に何かカン違いでも
ありましたら、どなたか教えて下さったらあり難いです。)
こうなるとやはり自家用線量計が欲しいですね。
そういうことですので、
一番大変な作業員の皆様におきましては、
今後「原子炉の爆発」などにならないように
主イエスに祈りながら頑張って欲しい
と私は願っているのです。
*
15日か16日、入山の予定です。
「もしも何かあったら」
小屋の中に閉じこもるか、安全な所に逃げなさい
ということです。
国際放射線防護委員会(ICRP)と
国際原子力機関(IAEA)は
年間2万マイクロシーベルトから10万マイクロシーベルト
という数字を出しているそうです。
これは逆に言うと、一年間で
最大10万マイクロシーベルトまでは浴びてもいい
ということになります。しかし
政府は最も厳しい2万の方を採用しています。
その基準から見ても
先回4日~8日の5日間の山滞在で私は、おおよそ
計3・1マイクロシーベルト(毎時)を浴びていますが
これはかなり安心な数字と言えるでしょう。
何故なら私が仮に
1年中小屋にいて、一日それも多目の1マイクロシーベルトを
浴びた場合でも、年間では計365マイクロシーベルトです。
(山小屋のある岩井沢は殆ど1未満)
しかしそれは一時間当たりですから
一日も欠かさず、それも毎日10時間外にいたとして
(10倍して)年間3650マイクロシーベルトを
浴びることになります。
結論としては、2万対3650ですから、
これは一応安心と言えるのではないでしょうか。
(でももしも、数字に弱い私に何かカン違いでも
ありましたら、どなたか教えて下さったらあり難いです。)
こうなるとやはり自家用線量計が欲しいですね。
そういうことですので、
一番大変な作業員の皆様におきましては、
今後「原子炉の爆発」などにならないように
主イエスに祈りながら頑張って欲しい
と私は願っているのです。
*
15日か16日、入山の予定です。
2011年4月10日日曜日
カレブさんの本の英語訳
Dear Sugar
その後どうしておられますか?
7・1 の余震がありましたが影響はありませんでしたか?
ほんとうにたいへんでしたね。
さて、今南京の二人の姉妹たち( Sharonともう一人の姉妹) が
カレブ兄弟の書いた新約聖書注解書 を英文に翻訳しています。
( 二人とも李 潔 の生徒です。)
中文から英文に翻訳しています。
一週間一人一章訳するので二人で一週間に二章できます。
今は一人はマタイ、もう一人はヨハネを訳しています。
それぞれ十章までできました。
三年間で全新約聖書注解書を英文に翻訳する予定です。
もしよかったら参考にして下さい。
Web site: www.ccbiblestudy.org. です。
では。
すべてにおいて主のみ名があがめられますように。
リベカより
★
カレブ、リベカさん達は息子のエズラさんを伴ない
今日、明日当たり、ソウル経由で上海に入るようです。
カレブさんは5月15日まで中国に滞在されるとのことです。
一つ前のリベカさんからのメールです。
↓
中国の各地の教会を訪問します。
すべては主の働きです。
主こそ始めであり終わりでありすべてのすべてです。
主のみ名に栄光が帰せられますようお祈り下さい。
日本においても主が更に働かれますように。
Rebecca
その後どうしておられますか?
7・1 の余震がありましたが影響はありませんでしたか?
ほんとうにたいへんでしたね。
さて、今南京の二人の姉妹たち( Sharonともう一人の姉妹) が
カレブ兄弟の書いた新約聖書注解書 を英文に翻訳しています。
( 二人とも李 潔 の生徒です。)
中文から英文に翻訳しています。
一週間一人一章訳するので二人で一週間に二章できます。
今は一人はマタイ、もう一人はヨハネを訳しています。
それぞれ十章までできました。
三年間で全新約聖書注解書を英文に翻訳する予定です。
もしよかったら参考にして下さい。
Web site: www.ccbiblestudy.org. です。
では。
すべてにおいて主のみ名があがめられますように。
リベカより
★
カレブ、リベカさん達は息子のエズラさんを伴ない
今日、明日当たり、ソウル経由で上海に入るようです。
カレブさんは5月15日まで中国に滞在されるとのことです。
一つ前のリベカさんからのメールです。
↓
中国の各地の教会を訪問します。
すべては主の働きです。
主こそ始めであり終わりでありすべてのすべてです。
主のみ名に栄光が帰せられますようお祈り下さい。
日本においても主が更に働かれますように。
Rebecca
2011年4月9日土曜日
スクリーニングを受けましたよ
昨日下山しました。
まだガレキやゴミの残る、3月11日、あるいはその時
私が走っていたかも知れない、ツナミの現場に接する
いわきの国道を通りました。
さて
スクリーニングは田村市の体育館が会場でした。あたりは
防御服や自衛隊などが目に入る、一種独特の雰囲気です。
検査は丁寧(ていねい)親切で、靴の裏までも調べます。
私がいた時の岩井沢は0.9や0.8マイクロシーベルト毎時、
でしたので、スクリーニングで「陽性」になる可能性は
あり得ないのですが、
「原発25キロ」から来た人間(私)と接触する人々の「心」
のために検査を受けたのです。
しかしながら
「いわきナンバーのトラックは拒否します」と言った
東京の社長さんがおられる、というのが今の現実です。
(いわきの人はホンとに気の毒)
今世の中にただようフンイキによって右往左往するのではなく
あくまで「科学的な測定による数字」に基づいて物事を
判断するべきではないでしょうか。
一昨日夜の余震は震度5強でしたが、ミラーが一つ倒れただけで、
大したことはなかったです。(山小屋の片付けは
まだまだ終わっていません。)
まだガレキやゴミの残る、3月11日、あるいはその時
私が走っていたかも知れない、ツナミの現場に接する
いわきの国道を通りました。
さて
スクリーニングは田村市の体育館が会場でした。あたりは
防御服や自衛隊などが目に入る、一種独特の雰囲気です。
検査は丁寧(ていねい)親切で、靴の裏までも調べます。
私がいた時の岩井沢は0.9や0.8マイクロシーベルト毎時、
でしたので、スクリーニングで「陽性」になる可能性は
あり得ないのですが、
「原発25キロ」から来た人間(私)と接触する人々の「心」
のために検査を受けたのです。
しかしながら
「いわきナンバーのトラックは拒否します」と言った
東京の社長さんがおられる、というのが今の現実です。
(いわきの人はホンとに気の毒)
今世の中にただようフンイキによって右往左往するのではなく
あくまで「科学的な測定による数字」に基づいて物事を
判断するべきではないでしょうか。
一昨日夜の余震は震度5強でしたが、ミラーが一つ倒れただけで、
大したことはなかったです。(山小屋の片付けは
まだまだ終わっていません。)
2011年4月7日木曜日
計1.2マイクロシーベルト浴びました(毎時)
山で楽しくやっておりますよ。
御安心下さい。
各部屋の「ガレキ」片付けですが、
今日の午前の予定は・・・
地下室(離れ)の大きなフィックス窓ですが、これが完全に
破損したのですよ。そのガラスの片付けはきのう
やったので、今日はその窓を何かでカバーしなければ
なりません。
後はロフトのロビー部分ですが
ここは大変です、タンスと本棚が完全に
崩壊状態ですから・・。今日の午前ではとてもムリでしょう。
午後は外出、明日は下山ですから、残りは次回でしょうね。
きのうまでで居間、和室、ピアノ室
(ピアノは大丈夫、鳴ります)と
玄関、南デッキは終わっております。
*
山に入ってから私が浴びた放射能ですが:
4日は入山日で、半日もないから0.3マイクロシーベルト
くらいでしょう。5日は0.9で、計1.2です。
(でもこれは、24時間私が外にいたとしての
数字でしょうから、実際は更に割り引くことが出きる筈です。)
昨日のものはまだ出ておりません。
(ちなみに、4/4の東京は0・1)
このように山に来た時は、
必ずこの合計数字を記録しておけばいいでしょう。
私の場合は山と下を行ったり来たりであり、
それに5月5日で70歳になる身、
これからの余生の合計がどうなるとしても
大したことはなさそうです。
(ただしこれは、これから原発からの飛散が大きく悪い方に傾く
ことがなければの話です。それにしても一番大変なのは作業員の
方々です。あなた方の為に主に祈っていますよ。)
大切なのは、要するに正しい数字です。このことは
余計なことに時間と心を奪われないためにも
最低必要なことでしょう。
PS
そうそう、ガス屋の石井さんが見回りに来てくれましたよ。
奥さん同伴で、相変わらずの元気さと「博学ぶり」でした。
彼等も岩井沢ですが、もう避難所は切り上げたそうです。
御安心下さい。
各部屋の「ガレキ」片付けですが、
今日の午前の予定は・・・
地下室(離れ)の大きなフィックス窓ですが、これが完全に
破損したのですよ。そのガラスの片付けはきのう
やったので、今日はその窓を何かでカバーしなければ
なりません。
後はロフトのロビー部分ですが
ここは大変です、タンスと本棚が完全に
崩壊状態ですから・・。今日の午前ではとてもムリでしょう。
午後は外出、明日は下山ですから、残りは次回でしょうね。
きのうまでで居間、和室、ピアノ室
(ピアノは大丈夫、鳴ります)と
玄関、南デッキは終わっております。
*
山に入ってから私が浴びた放射能ですが:
4日は入山日で、半日もないから0.3マイクロシーベルト
くらいでしょう。5日は0.9で、計1.2です。
(でもこれは、24時間私が外にいたとしての
数字でしょうから、実際は更に割り引くことが出きる筈です。)
昨日のものはまだ出ておりません。
(ちなみに、4/4の東京は0・1)
このように山に来た時は、
必ずこの合計数字を記録しておけばいいでしょう。
私の場合は山と下を行ったり来たりであり、
それに5月5日で70歳になる身、
これからの余生の合計がどうなるとしても
大したことはなさそうです。
(ただしこれは、これから原発からの飛散が大きく悪い方に傾く
ことがなければの話です。それにしても一番大変なのは作業員の
方々です。あなた方の為に主に祈っていますよ。)
大切なのは、要するに正しい数字です。このことは
余計なことに時間と心を奪われないためにも
最低必要なことでしょう。
PS
そうそう、ガス屋の石井さんが見回りに来てくれましたよ。
奥さん同伴で、相変わらずの元気さと「博学ぶり」でした。
彼等も岩井沢ですが、もう避難所は切り上げたそうです。
2011年4月5日火曜日
今までと変わらないのかな
これからも私の山暮らしは
実際的には今までとそんなに変わらないものになる、
のかも知れない。
小屋に来て見て分かったことは
小屋は十分使用可能であるということである。
(「ガレキ」の片付け、デッキの修理等は今あわてることもない
だろう。そのうちボチボチやればいい。)
後は放射能であるが、
この30キロ以内の地域に関しては「今の所」政府は
「なるべく家の中にいなさい。しかし避難したければしなさい」
と言っていることになる。
途中のおまわりさんも私に「岩井沢(カリマンはその一部)に行く
のですね、どうぞ、どうぞ」と言った。
と言うことは、実家と小屋を行き来する私のような者にとっては
要するに、今までとあんまり変わらない生活ができる、
ということではなかろうか。
(もちろん、この見解を他人に強要する積りはないが)
25キロの岩井沢に住むことに関して、政府の態度はこれから
変わる可能性はある。しかしそれは、その時に考えれば
よいではないか。
一番いいのは、小屋に、或は体に常時「放射能計」を
くっつけておいて それを見ながら行動することである。値段が高く
なかったらいずれ購入してもよいかも知れない。 だから、今日から
の3日間は、ノンビリと自由に楽しく過ごそう、と思っている。
★
芋クボさんがよいサイトを紹介しております。
↓
2011/4/4「20~50k圏の放射能濃度」
福島県の第一原発付近市街地(20m~50km圏)の放射能濃度の
サイトが 更新されました。
http://atmc.jp/fukushima_town/
これを見ると今のところ岩井沢は全くオーケーですよね。
(所で、風の関係で、素人目にも、原発の北西方向は
不利な条件なのかも知れません。岩井沢は真西。)
実際的には今までとそんなに変わらないものになる、
のかも知れない。
小屋に来て見て分かったことは
小屋は十分使用可能であるということである。
(「ガレキ」の片付け、デッキの修理等は今あわてることもない
だろう。そのうちボチボチやればいい。)
後は放射能であるが、
この30キロ以内の地域に関しては「今の所」政府は
「なるべく家の中にいなさい。しかし避難したければしなさい」
と言っていることになる。
途中のおまわりさんも私に「岩井沢(カリマンはその一部)に行く
のですね、どうぞ、どうぞ」と言った。
と言うことは、実家と小屋を行き来する私のような者にとっては
要するに、今までとあんまり変わらない生活ができる、
ということではなかろうか。
(もちろん、この見解を他人に強要する積りはないが)
25キロの岩井沢に住むことに関して、政府の態度はこれから
変わる可能性はある。しかしそれは、その時に考えれば
よいではないか。
一番いいのは、小屋に、或は体に常時「放射能計」を
くっつけておいて それを見ながら行動することである。値段が高く
なかったらいずれ購入してもよいかも知れない。 だから、今日から
の3日間は、ノンビリと自由に楽しく過ごそう、と思っている。
★
芋クボさんがよいサイトを紹介しております。
↓
2011/4/4「20~50k圏の放射能濃度」
福島県の第一原発付近市街地(20m~50km圏)の放射能濃度の
サイトが 更新されました。
http://atmc.jp/fukushima_town/
これを見ると今のところ岩井沢は全くオーケーですよね。
(所で、風の関係で、素人目にも、原発の北西方向は
不利な条件なのかも知れません。岩井沢は真西。)
2011年4月4日月曜日
しかし他はガレキ状態!
しかしながら、全く損傷(そんしょう)がなかったのは
建物本体だけであり、建物に付随(ふずい)した設備や
物品の状態は正に惨憺(さんたん)たるありさまです。
私には小屋の中、どこもかしこも、ガレキに見えてしまいます。
(モチロン本当のガレキではありませんが・・)実際
足の踏み場もないのですよ。これでは、とてもとても今
手をつける気になどなりません。
いくつか例をあげてみると・・
百何十キロの重さの薪ストーブは45度、位置を変えています。
(これは後で、2・3人で「セーノ」とやらないと直りません。)
しかし煙突が大丈夫であったことは感謝です。
立てかけておいたものは殆どが倒れております。
二つの大きなミラーもそうです。
しかし破損(はそん)がなかったのであり難い。
倒れなかったのは冷蔵庫くらいかな。しかし
おるべき所にはおらず、ドアは開きっぱなし、
3月11日から、ずうっと
ピーピーと音楽をかなで続けていたのでしょう。
ダイニングの食器戸棚は完全に倒れており、ロフトのホン立てと
タンスは、ロフトで十分に踊りを踊ったあと、ロフトの
階段に落下したと見え、そして階段を完全にふさいだのです。
(それを突破して自室に行くのが一苦労でした)
南デッキに立てかけておいた大きなサッシのガラスは
コナゴナにわれ、あたりに飛び散って
南デッキは危険な状態です。
南西のデッキと北デッキの二つは基礎がはずれ、
倒壊しかけております。(この修理には相当時間が
かかるでしょう)
壁の「おじいさんの古時計」をはじめ
時計と言う時計は全部床に落ち、
マルシアの電子レンジとコーヒーメーカーは
棚から転がり、電話は棚からブラ下がっておりました。
そして何とあの電子ピアノも・・・。
*
しかし、私のこんな「苦労」?など全くの遊びに過ぎません。
ここからさして遠くないあの海辺で、今も展開している
あの未曾有(みぞう)の惨事(さんじ)を思うならば・・
建物本体だけであり、建物に付随(ふずい)した設備や
物品の状態は正に惨憺(さんたん)たるありさまです。
私には小屋の中、どこもかしこも、ガレキに見えてしまいます。
(モチロン本当のガレキではありませんが・・)実際
足の踏み場もないのですよ。これでは、とてもとても今
手をつける気になどなりません。
いくつか例をあげてみると・・
百何十キロの重さの薪ストーブは45度、位置を変えています。
(これは後で、2・3人で「セーノ」とやらないと直りません。)
しかし煙突が大丈夫であったことは感謝です。
立てかけておいたものは殆どが倒れております。
二つの大きなミラーもそうです。
しかし破損(はそん)がなかったのであり難い。
倒れなかったのは冷蔵庫くらいかな。しかし
おるべき所にはおらず、ドアは開きっぱなし、
3月11日から、ずうっと
ピーピーと音楽をかなで続けていたのでしょう。
ダイニングの食器戸棚は完全に倒れており、ロフトのホン立てと
タンスは、ロフトで十分に踊りを踊ったあと、ロフトの
階段に落下したと見え、そして階段を完全にふさいだのです。
(それを突破して自室に行くのが一苦労でした)
南デッキに立てかけておいた大きなサッシのガラスは
コナゴナにわれ、あたりに飛び散って
南デッキは危険な状態です。
南西のデッキと北デッキの二つは基礎がはずれ、
倒壊しかけております。(この修理には相当時間が
かかるでしょう)
壁の「おじいさんの古時計」をはじめ
時計と言う時計は全部床に落ち、
マルシアの電子レンジとコーヒーメーカーは
棚から転がり、電話は棚からブラ下がっておりました。
そして何とあの電子ピアノも・・・。
*
しかし、私のこんな「苦労」?など全くの遊びに過ぎません。
ここからさして遠くないあの海辺で、今も展開している
あの未曾有(みぞう)の惨事(さんじ)を思うならば・・
小屋本体はブジです
先ほど2時頃、小屋に着きました。
実に感謝なことに「小屋そのもの、その本体」は大丈夫、
殆ど損傷(そんしょう)はありませんでした。
それは人が生活する上では殆ど問題はない、ということです。
だから、
窓のガラス、ドアなどを含めて小屋自体は殆ど以前と同じです。
これは、
「このカリマンの地」の地盤が相当強い地層(ちそう)
であると言うことと、2バイ4建築物の頑丈
(がんじょう)さを物語るものでしょう。
小屋は遠くから見ると、ガケの上に建っているように
見えるのですが、そのガケにもクズレなど全く
ありませんでした。
またライフラインもオーケーです。
ただ水道が外の水抜き部分で漏水しているのですが
これは私でも直せるでしょう。明日にでもやりましょう。
ただ、20キロ範囲の
プロパンガス屋の石井さんは今
どこに避難しているのでしょう。
可愛そうに、私の為にガス工事をしてくれた
わずか数日後にあの地震だったのです。
実に感謝なことに「小屋そのもの、その本体」は大丈夫、
殆ど損傷(そんしょう)はありませんでした。
それは人が生活する上では殆ど問題はない、ということです。
だから、
窓のガラス、ドアなどを含めて小屋自体は殆ど以前と同じです。
これは、
「このカリマンの地」の地盤が相当強い地層(ちそう)
であると言うことと、2バイ4建築物の頑丈
(がんじょう)さを物語るものでしょう。
小屋は遠くから見ると、ガケの上に建っているように
見えるのですが、そのガケにもクズレなど全く
ありませんでした。
またライフラインもオーケーです。
ただ水道が外の水抜き部分で漏水しているのですが
これは私でも直せるでしょう。明日にでもやりましょう。
ただ、20キロ範囲の
プロパンガス屋の石井さんは今
どこに避難しているのでしょう。
可愛そうに、私の為にガス工事をしてくれた
わずか数日後にあの地震だったのです。
今日、入山します
これから、あたりに人が殆どいない
福島の自宅退避区域にある山小屋に向かいます。
8日に下山しますから今回、中3日の山暮らしです。
目的は、小屋がどうなっているかを見ることと
「必要物」を実家に持ち帰ることの二つです。
小屋が大きくこわれており、生活が不可能であるか、
それとも何とか住めるような状態であるかは
これからの私の生活に関して「主のみこころ」の
大よそを、うかがい知ることができるでしょう。
もしも小屋が大破(たいは)していれば、
これからは、山はあきらめ、実家を基盤(きばん)にした
暮らしに、シフトチェンジをしなければなりません。
それはやむを得ないことであり、「みこころ」も
そこにあると信じます。(その場合は、今日直ちに
実家に「とんぼ返り」することになります。)
またこれから、避難区域が拡大された場合も当然
小屋に行きにくくなるでしょう。
いずれにしろ、今日の入山はどうしても必要なのです。
今回小屋での数日の暮らしに、放射能についての恐れは
私の場合、実感として殆どありません。
要するに「何を信じるか」ですが、
これ以上あれやこれや考えてもそれは際限(さいげん)の
無いことであり、心配するだけ損(そん)でしょう。
今回においては、日本政府を信じて行動する以外には
無いのではないか、と思っております。
しかし最終的な判断においては、
以上の状況を総て目の前に置いて
主の前に出るとき、今日の山行きに関して
私の心に波風が立つことは全くなく、
ムリ感、不自然感も100%ないのです。
ですから、今回のこの旅行に、主も共にいて下さることを
確信することが出来るのです。
それでは。
福島の自宅退避区域にある山小屋に向かいます。
8日に下山しますから今回、中3日の山暮らしです。
目的は、小屋がどうなっているかを見ることと
「必要物」を実家に持ち帰ることの二つです。
小屋が大きくこわれており、生活が不可能であるか、
それとも何とか住めるような状態であるかは
これからの私の生活に関して「主のみこころ」の
大よそを、うかがい知ることができるでしょう。
もしも小屋が大破(たいは)していれば、
これからは、山はあきらめ、実家を基盤(きばん)にした
暮らしに、シフトチェンジをしなければなりません。
それはやむを得ないことであり、「みこころ」も
そこにあると信じます。(その場合は、今日直ちに
実家に「とんぼ返り」することになります。)
またこれから、避難区域が拡大された場合も当然
小屋に行きにくくなるでしょう。
いずれにしろ、今日の入山はどうしても必要なのです。
今回小屋での数日の暮らしに、放射能についての恐れは
私の場合、実感として殆どありません。
要するに「何を信じるか」ですが、
これ以上あれやこれや考えてもそれは際限(さいげん)の
無いことであり、心配するだけ損(そん)でしょう。
今回においては、日本政府を信じて行動する以外には
無いのではないか、と思っております。
しかし最終的な判断においては、
以上の状況を総て目の前に置いて
主の前に出るとき、今日の山行きに関して
私の心に波風が立つことは全くなく、
ムリ感、不自然感も100%ないのです。
ですから、今回のこの旅行に、主も共にいて下さることを
確信することが出来るのです。
それでは。
2011年4月3日日曜日
どこに逃げようか!
人は福島にいるよりは
茨城にでも逃げた方がよいと思うでしょう。
しかし茨城の人は、ここでも危ない
「関西の親戚に身を寄せようか」などと思います。
ところが心配性の関西の人は外国の方が
もっとよいと思うでしょう。
事実そう言って、多くの人々は日本から逃げ出しました。
しかし、結論から言って今日、
「特にこれからの時代」地球上に
完全に安全な場所など、決してどこにもありません。
安全だと信じ、のがれたその場所でいずれ、予期しえない
「ある災い」が彼を捕らえてしまうかも知れません。
*
しかし、感謝します。
神様は既に、総ての人間の為に
「絶対的に、永遠に、安全な場所」を
確保して下さっているのです。
①
それはどこでしょう。
それはほかでもない、
あの「天地にまたがるブドウの木」の中です。
人がそこに留まる限り、全く永遠に安全です。
宇宙広しといえども、ここ意外に
安全な所など決してあり得ません。
②
あと具体的には、
「神が私のために、みこころとされる場所」
(福島でも、茨城でも)に
安心して留まればばよいのです。
神はいずれそこから更(さら)なる場所に
あなたを移されるでしょう。
その方法についてあなたが
とやかく心配する必要はありません。
なぜなら、その時あなたは「その場所」「今日のキリスト」
(ヨハネ14、15章)に
もう植えられている(つながっている)からです。
(それは、真の命における、キリストとの結合によります)
茨城にでも逃げた方がよいと思うでしょう。
しかし茨城の人は、ここでも危ない
「関西の親戚に身を寄せようか」などと思います。
ところが心配性の関西の人は外国の方が
もっとよいと思うでしょう。
事実そう言って、多くの人々は日本から逃げ出しました。
しかし、結論から言って今日、
「特にこれからの時代」地球上に
完全に安全な場所など、決してどこにもありません。
安全だと信じ、のがれたその場所でいずれ、予期しえない
「ある災い」が彼を捕らえてしまうかも知れません。
*
しかし、感謝します。
神様は既に、総ての人間の為に
「絶対的に、永遠に、安全な場所」を
確保して下さっているのです。
①
それはどこでしょう。
それはほかでもない、
あの「天地にまたがるブドウの木」の中です。
人がそこに留まる限り、全く永遠に安全です。
宇宙広しといえども、ここ意外に
安全な所など決してあり得ません。
②
あと具体的には、
「神が私のために、みこころとされる場所」
(福島でも、茨城でも)に
安心して留まればばよいのです。
神はいずれそこから更(さら)なる場所に
あなたを移されるでしょう。
その方法についてあなたが
とやかく心配する必要はありません。
なぜなら、その時あなたは「その場所」「今日のキリスト」
(ヨハネ14、15章)に
もう植えられている(つながっている)からです。
(それは、真の命における、キリストとの結合によります)
From.China.3
2011年4月2日
Hi,Sugar
How are you? It's been a long time after I get
your E-maillast time.Some of us know that Lord
love you and you avoided earthquake.
Hope God's arm guard you forever and ever.
I pray that you will experience more His grace
in the circumstance in your country.
Sister,Jessica
*
From.Sugar.to.Jessica
(去年10月のものです)
↓
Hi, Jessica.
I am now in my cottage in the mountains
in Japan.
I came here yesterday for the first time
after the one month trip in CHina.
I come here very often.
Now I miss you all especially the saints
in your南京 church.
But I'll tell you the truth,
IN CHRIST I have you all now!
Even more I really believe that all things
are mine,whether Paul, or Apollos, or Cephas,
or the world, or life, or death, or things
present, or things coming.
All things are mine, and ofcourse yours.
The phrase 'In Christ' is a very little one,
But the meaning of IN CHRIST is
beyond wonderfu, isn't it ?
Ihave a lot of things I want to tell you
about this CHRIST. Because the very CHRIST
is my SECRET in my daily life in any situation.
How wonderful He is !
Now please greet
Sharon , your teather sister Lee, and
the broters that are with you.
Sister Rebbeca wants to know Sister Lee's
E mail adress.
Please let us know it.in your next e mail.
Now I have to say bye, 再会.
Your brother
Sugar.
Hi,Sugar
How are you? It's been a long time after I get
your E-maillast time.Some of us know that Lord
love you and you avoided earthquake.
Hope God's arm guard you forever and ever.
I pray that you will experience more His grace
in the circumstance in your country.
Sister,Jessica
*
From.Sugar.to.Jessica
(去年10月のものです)
↓
Hi, Jessica.
I am now in my cottage in the mountains
in Japan.
I came here yesterday for the first time
after the one month trip in CHina.
I come here very often.
Now I miss you all especially the saints
in your南京 church.
But I'll tell you the truth,
IN CHRIST I have you all now!
Even more I really believe that all things
are mine,whether Paul, or Apollos, or Cephas,
or the world, or life, or death, or things
present, or things coming.
All things are mine, and ofcourse yours.
The phrase 'In Christ' is a very little one,
But the meaning of IN CHRIST is
beyond wonderfu, isn't it ?
Ihave a lot of things I want to tell you
about this CHRIST. Because the very CHRIST
is my SECRET in my daily life in any situation.
How wonderful He is !
Now please greet
Sharon , your teather sister Lee, and
the broters that are with you.
Sister Rebbeca wants to know Sister Lee's
E mail adress.
Please let us know it.in your next e mail.
Now I have to say bye, 再会.
Your brother
Sugar.
2011年3月30日水曜日
6つの名前
人の一生は、
(クリスチャンでもクリスチャンでなくとも)
そのほとんどが苦しみの連続ですが
その苦しはおもに「いつわり」と死とによります。
人の弱さや病は死の前ぶれですが、人はいずれ(幸い病気になら
ないとしても)遅かれ早かれ「何らかの方法で」死に飲みこまれ
てしまいます。これこそが、総ての人にとって最も差し迫った
極めて実際的、かつ確実な事実であり情報です。
原則として、直接人にその「いつわりと死」を与えるのは、
神ではなく神の敵です。彼の目的は偽りによって人を 誘惑し、
死にいたらせることです。
聖書によると
神の敵には11の呼び名がありますが、その中の6つを
あげて見ると・・
「サタン」とは敵、憎む者であり、
「ヘビ」はだます者、「龍」とは残酷(ざんこく)な者、
「悪魔」は誘惑者であり、そしてとどのつまり、
彼は「この世の神」「この世の支配者」です。
(この世の支配者は神ではありません。神は宇宙の支配者です。)
この地上にはこのように、神に反対する、巨大な意志が
明確に働いているのですから、今世界全体に、そしてまた
個人に対しても、何らかの方法で憎しみ、だまし、誘惑、
そして残酷が次から次とやって来るのは当然のことです。残念
ながら、 これこそが総ての人に共通する確実な「運命」です。
再度言いますが、
それらの「不幸」は結局、この世の神、この世の支配者の意志に
由来(ゆら)いするものです。彼はそのだましと誘惑を用いて
人類を自分の道、すなわち「破滅(はめつ)への道」へと
共連(ともずれ)することを目的として、人をして
「命なる神から完全に切り離される死」の中へと、 連れ込もうと
しているのです。(それは「悪の法則」の一つです)
私達は神の敵とは結局、共犯者(きょうはんしゃ)を求めて、
いつわりの中で 働く「大いなる人殺し」であることを
知らなければなりません。
どうか「みこころ」が天で行われるように、
地においても行われますように。
(クリスチャンでもクリスチャンでなくとも)
そのほとんどが苦しみの連続ですが
その苦しはおもに「いつわり」と死とによります。
人の弱さや病は死の前ぶれですが、人はいずれ(幸い病気になら
ないとしても)遅かれ早かれ「何らかの方法で」死に飲みこまれ
てしまいます。これこそが、総ての人にとって最も差し迫った
極めて実際的、かつ確実な事実であり情報です。
原則として、直接人にその「いつわりと死」を与えるのは、
神ではなく神の敵です。彼の目的は偽りによって人を 誘惑し、
死にいたらせることです。
聖書によると
神の敵には11の呼び名がありますが、その中の6つを
あげて見ると・・
「サタン」とは敵、憎む者であり、
「ヘビ」はだます者、「龍」とは残酷(ざんこく)な者、
「悪魔」は誘惑者であり、そしてとどのつまり、
彼は「この世の神」「この世の支配者」です。
(この世の支配者は神ではありません。神は宇宙の支配者です。)
この地上にはこのように、神に反対する、巨大な意志が
明確に働いているのですから、今世界全体に、そしてまた
個人に対しても、何らかの方法で憎しみ、だまし、誘惑、
そして残酷が次から次とやって来るのは当然のことです。残念
ながら、 これこそが総ての人に共通する確実な「運命」です。
再度言いますが、
それらの「不幸」は結局、この世の神、この世の支配者の意志に
由来(ゆら)いするものです。彼はそのだましと誘惑を用いて
人類を自分の道、すなわち「破滅(はめつ)への道」へと
共連(ともずれ)することを目的として、人をして
「命なる神から完全に切り離される死」の中へと、 連れ込もうと
しているのです。(それは「悪の法則」の一つです)
私達は神の敵とは結局、共犯者(きょうはんしゃ)を求めて、
いつわりの中で 働く「大いなる人殺し」であることを
知らなければなりません。
どうか「みこころ」が天で行われるように、
地においても行われますように。
2011年3月28日月曜日
有難うございます
もみじ饅頭さんからコメントいただきました。
有難うございます。
パソコン音痴に近い私には結構難しいのですが・・
↓
コメントの件ですが、グーグルのアカウントに
サインインしてからコメントを残すと自動的に
ブログにコメントが載るようです。 それ以外のコメント、
(グーグルアカウントにサインインしてない人、
グーグルのアカウントを持っていない人)のコメントは
全てスバム欄に入ります。よってアカウント設定でスバムに
入っているコメントを‘スバムでない’と確認するまでは、
スバムに入ったままになっています:ダッシュボードへ行き、
コメントをクリックするとスバム欄に入ったままで
確認待ちのコメントが見つかります。それらをクリックして
‘スバムでない’と定めれば、記事に載ります。
もうすでにわかっていることでしたら、すみません。
有難うございます。
パソコン音痴に近い私には結構難しいのですが・・
↓
コメントの件ですが、グーグルのアカウントに
サインインしてからコメントを残すと自動的に
ブログにコメントが載るようです。 それ以外のコメント、
(グーグルアカウントにサインインしてない人、
グーグルのアカウントを持っていない人)のコメントは
全てスバム欄に入ります。よってアカウント設定でスバムに
入っているコメントを‘スバムでない’と確認するまでは、
スバムに入ったままになっています:ダッシュボードへ行き、
コメントをクリックするとスバム欄に入ったままで
確認待ちのコメントが見つかります。それらをクリックして
‘スバムでない’と定めれば、記事に載ります。
もうすでにわかっていることでしたら、すみません。
ことばの力
昨日、Marciaさんからのコメントです。
(コメントを入れるのがますます
難しくなっております。)
↓
私にとって山小屋は第二のふるさとです
(私が勝手に思っています)。ことが落ち着いても、
すぐには行けないけど、Sugarさんが戻れたら
必ず行きますよ(^-^)。
*
シュガー:
マルシア、有難う。
さて昨日
もうお一人からコメントをいただきましたが
やはり載りませんね。
そして何と今私のコメントもうまく行きません。
どこが壊れたのかな?
いただいたコメントです。
↓
電‐キーYAと書くと
グーグル八分の私はもうほとんどどこでも
コメントは無理なようです。
シュガーさんの所はセキュリティが
変わったのか、私のせいかやはり
コメント掲載は無理でした。
以下その内容です。載せても載せなくとも
構いません。
私の計算では福島第一からあの山小屋までは
直線だと25km程だとおもいました。
さて微妙な所でありますが、全て主はご存知です。
来る人は来ますし、来ない人は来ません。
(すみません、当たり前ですね)
あの原子の炎より
暖かく心地よい薪の炎をまた燃やしましょう。
人生の不思議さを今回もまた思わされました。
*
シュガー
↓
コメント有難うございます。
きのうは次のようなことを考えておりました。
今の騒ぎがないとしても
この地上、どこもかしこも
いつも億兆の人のことばで満ちている。
しかしどこに永遠に変わらない、真実の言葉が
あるのだろうか。
本当に今、「真のことばの力」を知りたいと願う。
(コメントを入れるのがますます
難しくなっております。)
↓
私にとって山小屋は第二のふるさとです
(私が勝手に思っています)。ことが落ち着いても、
すぐには行けないけど、Sugarさんが戻れたら
必ず行きますよ(^-^)。
*
シュガー:
マルシア、有難う。
さて昨日
もうお一人からコメントをいただきましたが
やはり載りませんね。
そして何と今私のコメントもうまく行きません。
どこが壊れたのかな?
いただいたコメントです。
↓
電‐キーYAと書くと
グーグル八分の私はもうほとんどどこでも
コメントは無理なようです。
シュガーさんの所はセキュリティが
変わったのか、私のせいかやはり
コメント掲載は無理でした。
以下その内容です。載せても載せなくとも
構いません。
私の計算では福島第一からあの山小屋までは
直線だと25km程だとおもいました。
さて微妙な所でありますが、全て主はご存知です。
来る人は来ますし、来ない人は来ません。
(すみません、当たり前ですね)
あの原子の炎より
暖かく心地よい薪の炎をまた燃やしましょう。
人生の不思議さを今回もまた思わされました。
*
シュガー
↓
コメント有難うございます。
きのうは次のようなことを考えておりました。
今の騒ぎがないとしても
この地上、どこもかしこも
いつも億兆の人のことばで満ちている。
しかしどこに永遠に変わらない、真実の言葉が
あるのだろうか。
本当に今、「真のことばの力」を知りたいと願う。
2011年3月27日日曜日
近況です
実家で元気にやっております。
小さなマウンテンバイクに乗って、近郊の田んぼ道や
小さな丘等を駆け回るのは今の私の楽しみの一つです。
それにしても
山小屋はどうなるのでしょう。
もしも小屋が
・再生不可能なほどにヒドク壊れているか
・今後、放射能の害が非常に大きくなり、末永く
小屋に近づけないほどになるとするならば、
その場合は小屋を放棄しキレイさっぱりあきらめましょう。
しかし私の感覚としてはかなり楽観的なのです。
それは大よそこうです:
「専門家、科学者達の教え」に従い、
山小屋近辺
(小屋は丁度あの30キロのボーダーラインくらいでしょう)
の「数値」が、健康に被害を及ぼす値を下回るほどに
「シッカリと安定する」ならば、
これまでと全く変わらない
山暮らしに早速戻りたいと思っております。
(しかし問題は、それがいつになるか、ですが・・)
この場合
世間のフンイキや私の気分ではなく
専門家、科学者達の言う数値に信頼を置くことが
重要であるはずです。
ここまで来ると
これは信仰の問題と似ていますね。
だからどうしても最後はやはり
「何を信じるか」ということになるのです。
最終的には
「何が本当に確かなものなのか」
と言う見きわめと
それに対する信仰ということになるのでしょう。
それだけはどんな人でも
自分でシッカリとやらなければならない筈です。
自分の将来と永遠を決定するのは
やはり自分以外にはありません。
*
私が小屋に戻れたとしても
今後、あえて山小屋に来てくれる人は
ずい分少なくなってしまうことでしょう。
ま、でもこれはやむを得ないことですね。
小さなマウンテンバイクに乗って、近郊の田んぼ道や
小さな丘等を駆け回るのは今の私の楽しみの一つです。
それにしても
山小屋はどうなるのでしょう。
もしも小屋が
・再生不可能なほどにヒドク壊れているか
・今後、放射能の害が非常に大きくなり、末永く
小屋に近づけないほどになるとするならば、
その場合は小屋を放棄しキレイさっぱりあきらめましょう。
しかし私の感覚としてはかなり楽観的なのです。
それは大よそこうです:
「専門家、科学者達の教え」に従い、
山小屋近辺
(小屋は丁度あの30キロのボーダーラインくらいでしょう)
の「数値」が、健康に被害を及ぼす値を下回るほどに
「シッカリと安定する」ならば、
これまでと全く変わらない
山暮らしに早速戻りたいと思っております。
(しかし問題は、それがいつになるか、ですが・・)
この場合
世間のフンイキや私の気分ではなく
専門家、科学者達の言う数値に信頼を置くことが
重要であるはずです。
ここまで来ると
これは信仰の問題と似ていますね。
だからどうしても最後はやはり
「何を信じるか」ということになるのです。
最終的には
「何が本当に確かなものなのか」
と言う見きわめと
それに対する信仰ということになるのでしょう。
それだけはどんな人でも
自分でシッカリとやらなければならない筈です。
自分の将来と永遠を決定するのは
やはり自分以外にはありません。
*
私が小屋に戻れたとしても
今後、あえて山小屋に来てくれる人は
ずい分少なくなってしまうことでしょう。
ま、でもこれはやむを得ないことですね。
2011年3月18日金曜日
地震酔い
・・・
視覚情報と平衡感覚とのズレが原因だ。
ストレスも一因といい、
専門家は「不安を和らげることが大切」という。
(朝日新聞)
この人の身体にさえ悪影響を及ぼす現象は
キリスト者に対しては、今さらに大きいと私は思います。
それは実に惜しいことです。
何故なら
キリスト者でさえ、否キリスト者であればこそ
(放射能よりもはるかに恐ろしい)「今この世にただよう
ある空気」(地下からの煙)を吸い込むならば
実に不思議なことに、
キリスト者の霊はたちまち弱められてしまい、
キリスト者に課せられた、キリスト者だけに可能な、
最も尊く効果的な、
人々のための、日本のための奉仕である祈り、
その祈りへの意欲そのものが、逆に
奪われ、どこかに行ってしまうからです。
従って私達が
テレビや、さまざま人々からの雑多な情報の渦に
多くの時間、埋もれ、まかれてしまうことは
とても残念であり、危険なことであると言うべきでしょう。
私にとって今大切なことは、
自分に可能な「みことばと祈り」の為の一定時間を確保し
むしろ淡々粛々(しゅくしゅく)として、
あたかも「何事も起っていない」かのごとくに、人としての
基本的な日々の日常生活を、堅実に送ることではないでしょうか。
*
情報とは「私の意志が主のために主体的に知る」ものであり、
当然「私の総て」が情報に引き込まれ、吸い込まれ、
飲み込まれるべきものではないはずです。
そして「そのボーダーライン」がどこにあるかは
ただキリスト者の霊だけが「あの悪しき者」の意図を主体的に、
そして密かに「見る」ときに初めて知ることが出来るものです。
そのようにして私の霊が、私に危険を告げる時に、
私がその場から速やかに身を引き、直ちに「神の高所」に
かけ上らなければ「その津波」は私をたちまちどこかに
連れ去ってしまうことでしょう。
視覚情報と平衡感覚とのズレが原因だ。
ストレスも一因といい、
専門家は「不安を和らげることが大切」という。
(朝日新聞)
この人の身体にさえ悪影響を及ぼす現象は
キリスト者に対しては、今さらに大きいと私は思います。
それは実に惜しいことです。
何故なら
キリスト者でさえ、否キリスト者であればこそ
(放射能よりもはるかに恐ろしい)「今この世にただよう
ある空気」(地下からの煙)を吸い込むならば
実に不思議なことに、
キリスト者の霊はたちまち弱められてしまい、
キリスト者に課せられた、キリスト者だけに可能な、
最も尊く効果的な、
人々のための、日本のための奉仕である祈り、
その祈りへの意欲そのものが、逆に
奪われ、どこかに行ってしまうからです。
従って私達が
テレビや、さまざま人々からの雑多な情報の渦に
多くの時間、埋もれ、まかれてしまうことは
とても残念であり、危険なことであると言うべきでしょう。
私にとって今大切なことは、
自分に可能な「みことばと祈り」の為の一定時間を確保し
むしろ淡々粛々(しゅくしゅく)として、
あたかも「何事も起っていない」かのごとくに、人としての
基本的な日々の日常生活を、堅実に送ることではないでしょうか。
*
情報とは「私の意志が主のために主体的に知る」ものであり、
当然「私の総て」が情報に引き込まれ、吸い込まれ、
飲み込まれるべきものではないはずです。
そして「そのボーダーライン」がどこにあるかは
ただキリスト者の霊だけが「あの悪しき者」の意図を主体的に、
そして密かに「見る」ときに初めて知ることが出来るものです。
そのようにして私の霊が、私に危険を告げる時に、
私がその場から速やかに身を引き、直ちに「神の高所」に
かけ上らなければ「その津波」は私をたちまちどこかに
連れ去ってしまうことでしょう。
From.China2
Dear brother:
I'm so glad to hear about the wonderful preservation
from the Lord, He is ever faithful, and so is ever
to be believed on!
May the Lord continue to manifest His exceeding power
and grace to you and all the saints in Japan!
He really loves and saves everyone of His to the uttermost!
In Him: Lijie
I'm so glad to hear about the wonderful preservation
from the Lord, He is ever faithful, and so is ever
to be believed on!
May the Lord continue to manifest His exceeding power
and grace to you and all the saints in Japan!
He really loves and saves everyone of His to the uttermost!
In Him: Lijie
2011年3月17日木曜日
大変だ!
今、
日本国中の人が一人残らず
「大変だ、大変だ」と言っているようです。
しかし、
もともと日本も、世界もそして私個人も
実に大変な状況の中にいることは
何も今に始まったことではありません。
例えば仮に
私達がこれからも今までのような「平和」を楽しむ
としても、今からわずか10年後、恐らく私を含め、
今生存している日本人の1/4は、この世のどこにも
存在していないことは明らかです。これも一つの
「大変な事実」であることは間違いないでしょう。
しかし実は、ここでの更に重大な問いと言うのは、
その時、そしてその後永遠に(10年間だけではない)
私の霊と魂は(即ち本当の私、私の実体は)
どこで何をしているのか、ということです。
聖書を見る時、人間にとって、いや万物やエネルギーに
とって「消滅」ということは絶対にあり得ません。
(人の死が本当に「人の存在の完全な消滅」ならば、
それは大して悲しむべきことではないでしょう。)
この真実こそ、遥かに、はるかに深刻な事実では
ないでしょうか。
人々が常に追い求めてやまない
人生や世界における「平和と見える現象」は
水面にただよう浮き草のようなものに過ぎません。それを
すえながく地上に留めおくことなど絶対に不可能です。それは
少しだけ、この世や個人の歴史を見るだけでも明らかでしょう。
私達は、今この世界に渦巻く
たやすく目に飛び込んでくる情報や事実(即ち物質世界)の
背後にひそむ世界にこそ目を向けるべきです。
そうしなければ、必ず私達は(何者かによって)
足をすくわれ、後世においてヒドイ損失をこうむるでしょう。
なぜならば、真に大切なものは、
物質と人の肉体が一皮むけたその向こうに、
即ち人の魂霊と、そして霊的な世界の中にこそ、
深く存在しているからです。私達はあまり
「モノ」に捕えられるべきではありません。
なぜなら
「私達の戦いは血肉に対するものではない」(パウロ)
からです。
日本国中の人が一人残らず
「大変だ、大変だ」と言っているようです。
しかし、
もともと日本も、世界もそして私個人も
実に大変な状況の中にいることは
何も今に始まったことではありません。
例えば仮に
私達がこれからも今までのような「平和」を楽しむ
としても、今からわずか10年後、恐らく私を含め、
今生存している日本人の1/4は、この世のどこにも
存在していないことは明らかです。これも一つの
「大変な事実」であることは間違いないでしょう。
しかし実は、ここでの更に重大な問いと言うのは、
その時、そしてその後永遠に(10年間だけではない)
私の霊と魂は(即ち本当の私、私の実体は)
どこで何をしているのか、ということです。
聖書を見る時、人間にとって、いや万物やエネルギーに
とって「消滅」ということは絶対にあり得ません。
(人の死が本当に「人の存在の完全な消滅」ならば、
それは大して悲しむべきことではないでしょう。)
この真実こそ、遥かに、はるかに深刻な事実では
ないでしょうか。
人々が常に追い求めてやまない
人生や世界における「平和と見える現象」は
水面にただよう浮き草のようなものに過ぎません。それを
すえながく地上に留めおくことなど絶対に不可能です。それは
少しだけ、この世や個人の歴史を見るだけでも明らかでしょう。
私達は、今この世界に渦巻く
たやすく目に飛び込んでくる情報や事実(即ち物質世界)の
背後にひそむ世界にこそ目を向けるべきです。
そうしなければ、必ず私達は(何者かによって)
足をすくわれ、後世においてヒドイ損失をこうむるでしょう。
なぜならば、真に大切なものは、
物質と人の肉体が一皮むけたその向こうに、
即ち人の魂霊と、そして霊的な世界の中にこそ、
深く存在しているからです。私達はあまり
「モノ」に捕えられるべきではありません。
なぜなら
「私達の戦いは血肉に対するものではない」(パウロ)
からです。
2011年3月15日火曜日
二種類の情報
震災に関する「適度な情報」は当然大切ですが、
永遠の情報は更に大切です。
前者の情報を
「私にとって必要以上に」摂取(せっしゅ)する時
私は必ず黄泉から侵入する「死の力」の影響を受け、
いつの間にか「天的安全な場所」から
引きずり出されてしまいます。
しかし後者は私に、恐怖や「なげやり」とは
全く無縁(むえん)な不思議な命を与え
さらに超越した天的な視界(しかい)をも
与えてくれるのです。
*
この場合の「死の力」とは
「真の命である神」から人を切り離す作用を言います。
命は神ご自身から、具体的にはその「ことば」から
人に伝達、注入されます。それは極めて実際的な力です。
また「天的安全な場所」とはイエスが、
ヨハネによる福音書14の2で言われた場所のことです。
それは「いわゆる天国」ではありません。
永遠の情報は更に大切です。
前者の情報を
「私にとって必要以上に」摂取(せっしゅ)する時
私は必ず黄泉から侵入する「死の力」の影響を受け、
いつの間にか「天的安全な場所」から
引きずり出されてしまいます。
しかし後者は私に、恐怖や「なげやり」とは
全く無縁(むえん)な不思議な命を与え
さらに超越した天的な視界(しかい)をも
与えてくれるのです。
*
この場合の「死の力」とは
「真の命である神」から人を切り離す作用を言います。
命は神ご自身から、具体的にはその「ことば」から
人に伝達、注入されます。それは極めて実際的な力です。
また「天的安全な場所」とはイエスが、
ヨハネによる福音書14の2で言われた場所のことです。
それは「いわゆる天国」ではありません。
2011年3月14日月曜日
From.China
Dear brother Sugars
we heard about the terrible earthquake in Japan
the day before yesterday?
How are u and ur family?
How are the brothers and sisters?
We do believe that the Lord will be responsible
to set apart and preserve every beloved one of His!
He is faithful! And what He has given us is
an unshakable kingdom!
If u can read this letter, please tell us ur
latest situation and ur prayer needs!
Nevertheless, we would pray for u and His saints
in Japan now!
your sister in the Lord: Lijie
Jehovah Shalom!
we heard about the terrible earthquake in Japan
the day before yesterday?
How are u and ur family?
How are the brothers and sisters?
We do believe that the Lord will be responsible
to set apart and preserve every beloved one of His!
He is faithful! And what He has given us is
an unshakable kingdom!
If u can read this letter, please tell us ur
latest situation and ur prayer needs!
Nevertheless, we would pray for u and His saints
in Japan now!
your sister in the Lord: Lijie
Jehovah Shalom!
何も失うわけではない
仮にこれから
原発が最悪になり、放射能の汚染により
もう二度とあの美しいカリマンの地を踏むことが
出来ないとしても、またたとえ
最愛の者が目の前から消えたとしても、
私は何も失うわけではない。
イナむしろ、
そのような悲惨と見える喪失(そうしつ)は
この動かざる事実「私の永遠の所有」を単に
鮮明に浮き上がらせるだけである、
という不思議な感覚が深い深い心の奥底にある。
これは私であって私ではない。
だからこれは決して自慢話ではありません。
原発が最悪になり、放射能の汚染により
もう二度とあの美しいカリマンの地を踏むことが
出来ないとしても、またたとえ
最愛の者が目の前から消えたとしても、
私は何も失うわけではない。
イナむしろ、
そのような悲惨と見える喪失(そうしつ)は
この動かざる事実「私の永遠の所有」を単に
鮮明に浮き上がらせるだけである、
という不思議な感覚が深い深い心の奥底にある。
これは私であって私ではない。
だからこれは決して自慢話ではありません。
2011年3月12日土曜日
私は無事です
昨日、何故か
いつもより早めに小屋を出たのが幸いでした。
あの太平洋の海辺を走ったのですが、
午後ブジ実家に着きました。
今、実家におり、私も家内も無事です。
あの2時40分、
車はちょうど土浦の陸橋の上でした。
街全体が揺れ
あ今陸橋が崩壊するのか、と思いました。
実家も朝になって電気が復旧したので、
(昨日は携帯もダメで)
ようやく今こうやってパソコンに向かっているのです。
ガスはでます。しかし今でも断水は続いています。
山小屋がどうなっているかは全く分かりません。
しかし、総てのことの背後に主がおられるので
全部神におまかせして安心です。
それでは
いつもより早めに小屋を出たのが幸いでした。
あの太平洋の海辺を走ったのですが、
午後ブジ実家に着きました。
今、実家におり、私も家内も無事です。
あの2時40分、
車はちょうど土浦の陸橋の上でした。
街全体が揺れ
あ今陸橋が崩壊するのか、と思いました。
実家も朝になって電気が復旧したので、
(昨日は携帯もダメで)
ようやく今こうやってパソコンに向かっているのです。
ガスはでます。しかし今でも断水は続いています。
山小屋がどうなっているかは全く分かりません。
しかし、総てのことの背後に主がおられるので
全部神におまかせして安心です。
それでは
2011年3月5日土曜日
創世記三章の原則
創世記三章を見ると、
そこに「完全に独立した三つの意志」があるのを見ます。
それは神の意志、ヘビの意志、そして人の意志です。
この際、問題なのは人の意志です。
人はその時
「神の意志(みこころ)を自分の意志として取る」という
断固(だんこ)とした自分の選択(せんたく)を
しなければなりませんでした。
「神は恵み深い方であるから、何もしなくとも
(ボーっとしていても)そのうちに何かが起り
私を助け、救って下さる」ということは
この創世記三章に関するかぎり
全くの幻想(げんそう)であることが分かります。(しかし
この幻想は今日クリスチャンの間で普通に見られる光景です)
神はその時、
ご自身が定められた宇宙の法律に従い
(人に与えた自由意志を尊重し)
その場面に登場され、エバの手を取ってエバを救助し
ヘビを滅ぼすということは出来ませんでした。
(この意味で神は全く「全能」ではありません)
しかし、ヘビ(この世の神)は人の意志が明確でないならば
すなわち、浮き草のように「何か」に身を委(ゆだ)ね、
奇跡(きせき)にあこがれ「何となく幸いを待つ」
だけであるならば、人の魂と体の欲求に対して大いに働き、
やすやすと神の意志から人を遠ざけてしまうことは明白です。
*
しばらく実家におりました。
今雪は20センチほどありますが、強い日差しに、
これからドンドン少なくなることでしょう。
そこに「完全に独立した三つの意志」があるのを見ます。
それは神の意志、ヘビの意志、そして人の意志です。
この際、問題なのは人の意志です。
人はその時
「神の意志(みこころ)を自分の意志として取る」という
断固(だんこ)とした自分の選択(せんたく)を
しなければなりませんでした。
「神は恵み深い方であるから、何もしなくとも
(ボーっとしていても)そのうちに何かが起り
私を助け、救って下さる」ということは
この創世記三章に関するかぎり
全くの幻想(げんそう)であることが分かります。(しかし
この幻想は今日クリスチャンの間で普通に見られる光景です)
神はその時、
ご自身が定められた宇宙の法律に従い
(人に与えた自由意志を尊重し)
その場面に登場され、エバの手を取ってエバを救助し
ヘビを滅ぼすということは出来ませんでした。
(この意味で神は全く「全能」ではありません)
しかし、ヘビ(この世の神)は人の意志が明確でないならば
すなわち、浮き草のように「何か」に身を委(ゆだ)ね、
奇跡(きせき)にあこがれ「何となく幸いを待つ」
だけであるならば、人の魂と体の欲求に対して大いに働き、
やすやすと神の意志から人を遠ざけてしまうことは明白です。
*
しばらく実家におりました。
今雪は20センチほどありますが、強い日差しに、
これからドンドン少なくなることでしょう。
2011年2月23日水曜日
先祖(せんぞ)達の言い伝え
パリサイ人や律法学者達が
エルサレムからイエスの所に来て言った。
「あなたの弟子達は、
なぜ昔の先祖(せんぞ)達の言い伝えを
おかすのですか。」・・・
イエスは彼等に答えて言われた。
「なぜあなた方は、自分たちの言い伝えのために
神の戒めを犯すのですか。」・・
「彼等が私を拝んでもむだなことである。
人間の教えを、教えとして教えるだけだから。」
(マタイ15の2、3、9)
「先祖達の言い伝え」とは
聖書にないことがら総てです。
今の時代、「先祖の言い伝え」は
当時に負けないくらい多くて重いです。
なぜなら この二千年らい それは
ひどくつみ重なっているからです。
私達はすみやかに一切の「先祖達の言い伝え」を捨て
ただ「神の戒め」(聖書)にのみ従うべきです。
☆
イエスは旧約聖書を「律法と預言者」と表現しました。
ここではそれを単に「神の戒め」と呼んでいます。
また「先祖達の言い伝え」とは要するに
「歴史的キリスト教」の遺物(いぶつ、異物)総てです。
エルサレムからイエスの所に来て言った。
「あなたの弟子達は、
なぜ昔の先祖(せんぞ)達の言い伝えを
おかすのですか。」・・・
イエスは彼等に答えて言われた。
「なぜあなた方は、自分たちの言い伝えのために
神の戒めを犯すのですか。」・・
「彼等が私を拝んでもむだなことである。
人間の教えを、教えとして教えるだけだから。」
(マタイ15の2、3、9)
「先祖達の言い伝え」とは
聖書にないことがら総てです。
今の時代、「先祖の言い伝え」は
当時に負けないくらい多くて重いです。
なぜなら この二千年らい それは
ひどくつみ重なっているからです。
私達はすみやかに一切の「先祖達の言い伝え」を捨て
ただ「神の戒め」(聖書)にのみ従うべきです。
☆
イエスは旧約聖書を「律法と預言者」と表現しました。
ここではそれを単に「神の戒め」と呼んでいます。
また「先祖達の言い伝え」とは要するに
「歴史的キリスト教」の遺物(いぶつ、異物)総てです。
2011年2月21日月曜日
魂の力によらず
今朝の聖書:
黙示録8の9「魂を持つ被造物」(原語)※1
聖書は「生き物」を「魂を持つもの」としている。
これは創世記1の24の「地はその種類にしたがって
魂を生ぜよ」(原文) ※2も同様である。
何故か聖書はここで他の生物に対しても
人の魂と同じ語・魂を使用している。
ここで暗示されていることはまず
人の魂も被造物、旧創造のものに過ぎない
ということである。人の魂は素晴らしいものには違いない。
しかし最も大切なことは
神は人に対して(他の多くの生き物のように)
魂の力※3によって生きるのではなく、ただ新創造のもの、
即ち死を経過したキリストの命、復活の命、霊の命によってのみ
生きて欲しいということである。
※1新改訳では「命のあるもの」と訳している。
※2新改訳では魂を「生き物」と意訳している。
※3
「神の命の力」は
人の魂の機能を支配下に置き、それを用いるのです。
私達が十字架に向かわせなければならないのは
魂の命(力、エネルギー)であり「魂の機能」ではありません。
もしも魂の機能さえも死んでしまったら
人は人でなくなってしまうから大変です。
神はそのようなことはされません。私は
とこしえに至るまで人であり また私らしいでしょう。
私の魂の機能と個性は永遠に不滅です。
私達がもしも
自分の魂の命(力)を十字架に「連行する」ならば
キリストの命が直ちに「人の生来の命の力」に
取って変わり
神の力が私達の魂の「思い、意志、感情」(魂の機能)を
用いられるでしょう。
即ちあなたを動かす力の源がその瞬間 神の力に変わるのです。
これこそ最も素晴らしいことです。
またキリスト者が良く用いる命という言葉は
分かっているようで分からない言葉です。
それを上記のように「生きる力、エネルギー」と
変えて見ると分かりやすいのではないでしょうか。
黙示録8の9「魂を持つ被造物」(原語)※1
聖書は「生き物」を「魂を持つもの」としている。
これは創世記1の24の「地はその種類にしたがって
魂を生ぜよ」(原文) ※2も同様である。
何故か聖書はここで他の生物に対しても
人の魂と同じ語・魂を使用している。
ここで暗示されていることはまず
人の魂も被造物、旧創造のものに過ぎない
ということである。人の魂は素晴らしいものには違いない。
しかし最も大切なことは
神は人に対して(他の多くの生き物のように)
魂の力※3によって生きるのではなく、ただ新創造のもの、
即ち死を経過したキリストの命、復活の命、霊の命によってのみ
生きて欲しいということである。
※1新改訳では「命のあるもの」と訳している。
※2新改訳では魂を「生き物」と意訳している。
※3
「神の命の力」は
人の魂の機能を支配下に置き、それを用いるのです。
私達が十字架に向かわせなければならないのは
魂の命(力、エネルギー)であり「魂の機能」ではありません。
もしも魂の機能さえも死んでしまったら
人は人でなくなってしまうから大変です。
神はそのようなことはされません。私は
とこしえに至るまで人であり また私らしいでしょう。
私の魂の機能と個性は永遠に不滅です。
私達がもしも
自分の魂の命(力)を十字架に「連行する」ならば
キリストの命が直ちに「人の生来の命の力」に
取って変わり
神の力が私達の魂の「思い、意志、感情」(魂の機能)を
用いられるでしょう。
即ちあなたを動かす力の源がその瞬間 神の力に変わるのです。
これこそ最も素晴らしいことです。
またキリスト者が良く用いる命という言葉は
分かっているようで分からない言葉です。
それを上記のように「生きる力、エネルギー」と
変えて見ると分かりやすいのではないでしょうか。
2011年2月19日土曜日
今日の山暮らし
今日は我ながらよく頑張りました。
朝一段落してから 愛知県のKさんに葉書を書きました。
こんな時代でも 昔の私みたいに、メールもパソコンもやらない
人が結構おられるのです。それにしても字が書けなくなっている!
全く久しぶりに車に乗って街へ。ナンだか車の運転がなつかしい。
大越町まで行って石膏ボード(182センチ×91センチ)を4枚購入。
花粉症の耳鼻科はあまりの込みぐあいに恐れ入り 何もせずに
退散。今から あの患者の数はどうだ、これでは今年の最盛期は
どうなるのだろう。 最後はスーパーでリンゴ、納豆、さば、砂糖、
パン、お弁当を買う。
我が集落・岩井沢に着いて、運転のしあげは まだ雪深いロイヤル
ロード。何回もハンドルを取られたが「ここで止まってなる
ものか」と 右へ左へとヨタツク車にムチ打ちながら坂を登る。
遅い昼食後、天井に石膏ボードを張った。ボードを適当に
カットしてから 踏み台に上って、一人で高い天井に大きな
ボード張るのは結構キツイ仕事です。
最後は日課の山散歩:
無風快晴 夕暮れ時の「ダビデの丘」はとても美しかったです。
あ、今日は結構ピアノ(電子ピアに)もひきましたね。
例の曲、最近ようやく 最後の段階にたどり着いております。
(一年余りかかりました)
スゴイ低音で 終曲に向かう数小節が快感です。
朝一段落してから 愛知県のKさんに葉書を書きました。
こんな時代でも 昔の私みたいに、メールもパソコンもやらない
人が結構おられるのです。それにしても字が書けなくなっている!
全く久しぶりに車に乗って街へ。ナンだか車の運転がなつかしい。
大越町まで行って石膏ボード(182センチ×91センチ)を4枚購入。
花粉症の耳鼻科はあまりの込みぐあいに恐れ入り 何もせずに
退散。今から あの患者の数はどうだ、これでは今年の最盛期は
どうなるのだろう。 最後はスーパーでリンゴ、納豆、さば、砂糖、
パン、お弁当を買う。
我が集落・岩井沢に着いて、運転のしあげは まだ雪深いロイヤル
ロード。何回もハンドルを取られたが「ここで止まってなる
ものか」と 右へ左へとヨタツク車にムチ打ちながら坂を登る。
遅い昼食後、天井に石膏ボードを張った。ボードを適当に
カットしてから 踏み台に上って、一人で高い天井に大きな
ボード張るのは結構キツイ仕事です。
最後は日課の山散歩:
無風快晴 夕暮れ時の「ダビデの丘」はとても美しかったです。
あ、今日は結構ピアノ(電子ピアに)もひきましたね。
例の曲、最近ようやく 最後の段階にたどり着いております。
(一年余りかかりました)
スゴイ低音で 終曲に向かう数小節が快感です。
2011年2月18日金曜日
雨がザーザー降っている
*今朝の日記から*
今、朝の6時半。待望の雨だ。これがもう3時間続く。
これでようやくロイヤルロードも 車が通れるようになるのだ。
思えば今回入山した際内側に 食料の買いだめとは別に
「たとえ大雪が降っても今回は大丈夫」という安心があった。
その理由が今回の雨と高温だったのかな。
こういう安心感は他にもある(当然全部ではないが)。
「その見える現実」がたとえ「大変よういでない状況」
だとしてもである。まるで主が「その事は私にまかせなさい」と
言っておられるかのようである。
でも夕方から気温が下がる。
雪や雨が少しでも残っていると 舗装(ほそう)された
林道はテカテカ状態になる。これはたいそう危険である。
今日の和室の工事は天井張り。
昨日までは そのための下ごしらえであった。
この二日間、その下ごしらえにずい分 手間取ったものである。
(工事というのは こういうことが多いのです)
魂の放蕩(ほうとう)に注意。それへの誘い出しには
「そら来た」と スグにわれに戻るべし。
そのわれとは「最も内なる私」。
今、朝の6時半。待望の雨だ。これがもう3時間続く。
これでようやくロイヤルロードも 車が通れるようになるのだ。
思えば今回入山した際内側に 食料の買いだめとは別に
「たとえ大雪が降っても今回は大丈夫」という安心があった。
その理由が今回の雨と高温だったのかな。
こういう安心感は他にもある(当然全部ではないが)。
「その見える現実」がたとえ「大変よういでない状況」
だとしてもである。まるで主が「その事は私にまかせなさい」と
言っておられるかのようである。
でも夕方から気温が下がる。
雪や雨が少しでも残っていると 舗装(ほそう)された
林道はテカテカ状態になる。これはたいそう危険である。
今日の和室の工事は天井張り。
昨日までは そのための下ごしらえであった。
この二日間、その下ごしらえにずい分 手間取ったものである。
(工事というのは こういうことが多いのです)
魂の放蕩(ほうとう)に注意。それへの誘い出しには
「そら来た」と スグにわれに戻るべし。
そのわれとは「最も内なる私」。
2011年2月17日木曜日
雨よ降れ
夕方の山散歩から帰って来た所です。
感謝なことにロイヤルロードの雪も大分溶けていました。
とは言え、あの積雪では まだまだ 車は出られません。
(不精な私、結局ロイヤルロードの雪かきは
一度もせず 黙って雨を待っていたことになります。)
所が幸い予報によると明朝 気温が4、5度で
何と雨になるらしい。岩井沢が4、5度だとここは
零度か1、2度だろう。果たして雨になるかミゾレになるか。
ま、いずれにしろ明日あさってくらいで 大分溶けてくれる
だろう。もう数日で いよいよ陸の孤島から解放されるのだ。
とにかく今回は食料の買いだめが効いた。
人間 雪などにいくら閉じ込められたとしても
水と食べ物さえあれば生きられる。
都会の安い市場から食料をどっさり買い込んで
山に入る。これからは年中この手で行こう。
そうなると夏は大きな冷凍庫が いりますね。
*
ロイヤルロード:
除雪車の来る林道までの 小屋から250メートルくらいの
奥の細道。この辺では春 最も遅くまで雪が残る。
感謝なことにロイヤルロードの雪も大分溶けていました。
とは言え、あの積雪では まだまだ 車は出られません。
(不精な私、結局ロイヤルロードの雪かきは
一度もせず 黙って雨を待っていたことになります。)
所が幸い予報によると明朝 気温が4、5度で
何と雨になるらしい。岩井沢が4、5度だとここは
零度か1、2度だろう。果たして雨になるかミゾレになるか。
ま、いずれにしろ明日あさってくらいで 大分溶けてくれる
だろう。もう数日で いよいよ陸の孤島から解放されるのだ。
とにかく今回は食料の買いだめが効いた。
人間 雪などにいくら閉じ込められたとしても
水と食べ物さえあれば生きられる。
都会の安い市場から食料をどっさり買い込んで
山に入る。これからは年中この手で行こう。
そうなると夏は大きな冷凍庫が いりますね。
*
ロイヤルロード:
除雪車の来る林道までの 小屋から250メートルくらいの
奥の細道。この辺では春 最も遅くまで雪が残る。
エクレシアの看板(かんばん)
さきほど
聖書に暗示(あんじ)されている
模範(もはん)的なエクレシア(教会)の姿
について思いめぐらしていた時 フト
当時 キリスト者たちがよく集まっていた場所に
はたして「お店のような看板」があったのだろうか、と
思わせられた。答えは大きなイナである。
彼等は 時には公共の場で しかし殆ど大多数は
彼等の家々で集まっていた。
その意味は 彼等の礼拝の場所は
「普通の人間生活の場」であった、と言うことである。
(家とは 人間がとても「人らしく」ふるまう場所である)
従って彼等の中の正常なキリスト者たちは あたかも
呼吸でもするかのように 殆ど無意識のうちに、一日中
神を礼拝していた筈である。(呼吸を意識的にする
のは健康によくない。)
そのようにして見ると
ただ天の空気(キリスト)を呼吸することによって生きていた
当時の正常な兄弟姉妹達は 今度は絶えず とても自然に夜昼
天的な魅力をはき出していた、即ち彼等の持つ呼吸
(空気、即ち霊)は天的吸引力をたたえていたのである。
それだから 当時のキリスト者たちの特徴(とくちょう)とは
とても自然に、しかも強烈(きょうれつ)に
「互いに引きつけ合っていた」と言うことである。
彼等はあたかも「恋人どうしのようであった」に違いないと
私は ほとんど確信している。
そのような彼等が しばしば集まらないでおられようか!
個々のキリスト者が持っていた とても自然な深い吸引力、
それこそが彼等が 人の生活の中心である家々で
しばしば「集まってしまった」唯一の理由である。(当然
彼等の魅力の本体は復活のキリスト以外にはあり得ない)
このように考える時 彼等が
ある特別に美しい家を選んで 看板をかかげ、
魅力的な「出し物」を用意、陳列(ちんれつ)し
周到(しゅうとう)な演出によって
あまり来たくもない不特定多数の人々を
何とか かき集めなければならなかった とは
きわめて考えにくいことではなかろうか。
聖書に暗示(あんじ)されている
模範(もはん)的なエクレシア(教会)の姿
について思いめぐらしていた時 フト
当時 キリスト者たちがよく集まっていた場所に
はたして「お店のような看板」があったのだろうか、と
思わせられた。答えは大きなイナである。
彼等は 時には公共の場で しかし殆ど大多数は
彼等の家々で集まっていた。
その意味は 彼等の礼拝の場所は
「普通の人間生活の場」であった、と言うことである。
(家とは 人間がとても「人らしく」ふるまう場所である)
従って彼等の中の正常なキリスト者たちは あたかも
呼吸でもするかのように 殆ど無意識のうちに、一日中
神を礼拝していた筈である。(呼吸を意識的にする
のは健康によくない。)
そのようにして見ると
ただ天の空気(キリスト)を呼吸することによって生きていた
当時の正常な兄弟姉妹達は 今度は絶えず とても自然に夜昼
天的な魅力をはき出していた、即ち彼等の持つ呼吸
(空気、即ち霊)は天的吸引力をたたえていたのである。
それだから 当時のキリスト者たちの特徴(とくちょう)とは
とても自然に、しかも強烈(きょうれつ)に
「互いに引きつけ合っていた」と言うことである。
彼等はあたかも「恋人どうしのようであった」に違いないと
私は ほとんど確信している。
そのような彼等が しばしば集まらないでおられようか!
個々のキリスト者が持っていた とても自然な深い吸引力、
それこそが彼等が 人の生活の中心である家々で
しばしば「集まってしまった」唯一の理由である。(当然
彼等の魅力の本体は復活のキリスト以外にはあり得ない)
このように考える時 彼等が
ある特別に美しい家を選んで 看板をかかげ、
魅力的な「出し物」を用意、陳列(ちんれつ)し
周到(しゅうとう)な演出によって
あまり来たくもない不特定多数の人々を
何とか かき集めなければならなかった とは
きわめて考えにくいことではなかろうか。
2011年2月14日月曜日
今日は雪かきです
穏やかな曇り空です。昼ごろだけ晴れで 夜から
明朝にかけては再び雪である。しかし予報ではあさって
からは気温がグッと上がる模様。
とは言え10度に届くことはまず無い。
今日の作業は午前が調理で、そのあと北デッキから雪かき
である。ロイヤルロードはまだいいだろう。今どうしても
車を使わなければならない用事はないからである。
こうなると灯油と食料の買いだめが効いてくる。
ロイヤルロードは気温の上昇とお日様に期待しよう。
ただし大きな北デッキはどうしても 雪が溶けにくいし
あまりに雪の量が多くなると少し怖い。だから
どうしても雪かきは北デッキからということになる。
雪かきの優先順序:
北デッキ⇒東デッキ⇒(二つの西デッキは先回やって
あるので今回は手を抜く)⇒ロイヤルロード。
こうなって見ると デッキの作り過ぎかな!
明朝にかけては再び雪である。しかし予報ではあさって
からは気温がグッと上がる模様。
とは言え10度に届くことはまず無い。
今日の作業は午前が調理で、そのあと北デッキから雪かき
である。ロイヤルロードはまだいいだろう。今どうしても
車を使わなければならない用事はないからである。
こうなると灯油と食料の買いだめが効いてくる。
ロイヤルロードは気温の上昇とお日様に期待しよう。
ただし大きな北デッキはどうしても 雪が溶けにくいし
あまりに雪の量が多くなると少し怖い。だから
どうしても雪かきは北デッキからということになる。
雪かきの優先順序:
北デッキ⇒東デッキ⇒(二つの西デッキは先回やって
あるので今回は手を抜く)⇒ロイヤルロード。
こうなって見ると デッキの作り過ぎかな!
2011年2月12日土曜日
大雪です(3)
*バンクーバーから*
シュガー兄弟
そんなに積もった雪の中で、大丈夫ですか?
確かに、食料品と燃料が有れば安心でしょうが。
一度、そちらの写真をブログに添付して下さいな。
こちらは、8-10度で寒くは無いですよ。
*
モト兄弟
(と呼んでもいいんですよね?)
今お昼ご飯を食べて ホッとしている所です。
心配してくれてどうも有難う、私は大丈夫ですよ。
後日の雪かきは大変でしょうが・・。
今殆ど、雪はやんでいます。
少しですが 屋根からシズクが落ちている所を見ると
気温が高くなっているのでしょう。
阿武隈が大雪になるとそれは 春が近いシルシ、
どこかで心がおどっています。
写真ですが、カメラも持っているのに
どうやってブログに載せるのかが分からないのです。
面倒くさがりやの他に私ほとんどパソコンオンチです。
でも今度 誰かに聞いて見ますね。
バンクーバーって暖かいんですねー。
・・今少し眠くなってきました。
それでは また。
シュガー兄弟
そんなに積もった雪の中で、大丈夫ですか?
確かに、食料品と燃料が有れば安心でしょうが。
一度、そちらの写真をブログに添付して下さいな。
こちらは、8-10度で寒くは無いですよ。
*
モト兄弟
(と呼んでもいいんですよね?)
今お昼ご飯を食べて ホッとしている所です。
心配してくれてどうも有難う、私は大丈夫ですよ。
後日の雪かきは大変でしょうが・・。
今殆ど、雪はやんでいます。
少しですが 屋根からシズクが落ちている所を見ると
気温が高くなっているのでしょう。
阿武隈が大雪になるとそれは 春が近いシルシ、
どこかで心がおどっています。
写真ですが、カメラも持っているのに
どうやってブログに載せるのかが分からないのです。
面倒くさがりやの他に私ほとんどパソコンオンチです。
でも今度 誰かに聞いて見ますね。
バンクーバーって暖かいんですねー。
・・今少し眠くなってきました。
それでは また。
大雪です(1)
今12日(土)朝6時前、まだ外は真っ暗だが 相当の
積雪(せきせつ)であることは ロフトの窓からだけでも
十分にうかがえる。下の車がスッポリと雪にうもれた
ように見える。(しかし事実はどうか、明るくなったら
調べてみよう)これが 冬と春がせめぎあうこの時期に
降る阿武隈の大雪というものである。
しかし何故か気持ちはきわめて安らかである。恐らく、
一つに 灯油と食料をたくさん買いこんであるからであろう。
そうだ、灯油と食料の備蓄(びちく)がさらに完全
であれば、たとえ一冬小屋に閉じ込められたとしても
何とかならないことはないのだ。
予報によると、降雪(こうせつ)は昼までであり、
明日は気温は低いが晴れ。あさってはまた雪とあるが
火曜日からはお日様マークが続き 気温は確実に上がる。
しかし今日 雪がやむ午後は あさっての更なる降雪に
そなえ あるていど 雪かきをしておくべきであろう。除雪車
(じょせつしゃ)がくる林道までの「奥の細道」
わがロイヤルロードは多分200メートルはある。
積雪(せきせつ)であることは ロフトの窓からだけでも
十分にうかがえる。下の車がスッポリと雪にうもれた
ように見える。(しかし事実はどうか、明るくなったら
調べてみよう)これが 冬と春がせめぎあうこの時期に
降る阿武隈の大雪というものである。
しかし何故か気持ちはきわめて安らかである。恐らく、
一つに 灯油と食料をたくさん買いこんであるからであろう。
そうだ、灯油と食料の備蓄(びちく)がさらに完全
であれば、たとえ一冬小屋に閉じ込められたとしても
何とかならないことはないのだ。
予報によると、降雪(こうせつ)は昼までであり、
明日は気温は低いが晴れ。あさってはまた雪とあるが
火曜日からはお日様マークが続き 気温は確実に上がる。
しかし今日 雪がやむ午後は あさっての更なる降雪に
そなえ あるていど 雪かきをしておくべきであろう。除雪車
(じょせつしゃ)がくる林道までの「奥の細道」
わがロイヤルロードは多分200メートルはある。
2011年2月10日木曜日
マジックミラー
午後 和室と納戸の間の透明な大きなガラス戸に
あるフィルムを貼りました。これを貼ると和室から
納戸のみっともないボロが隠せるのです。
(それが目的)
しかし不思議なことに、納戸が和室よりも明るいと
(この納戸は結構明るい)納戸のボロが和室から丸見えに
なってしまいます。だからこれから納戸の窓を何かで
覆って、納戸を和室よりも暗くしなければなりません。
そうやって納戸が和室よりも暗くなると、
納戸の中は全く見えなくなる上に 和室側から見ると
そのガラス一面が鏡状になるのです。
(別名マジックミラー)
だからうまく行けば更に 和室を大きく見せる効果も
期待できるでしょう。
しかしフィルム貼りと言うのは 全く初めての経験。
不器用な私には相当難しい作業でした。
どう見ても美しい仕上げとは言えません。
それにしても世の中 色んな製品があるものです。
あるフィルムを貼りました。これを貼ると和室から
納戸のみっともないボロが隠せるのです。
(それが目的)
しかし不思議なことに、納戸が和室よりも明るいと
(この納戸は結構明るい)納戸のボロが和室から丸見えに
なってしまいます。だからこれから納戸の窓を何かで
覆って、納戸を和室よりも暗くしなければなりません。
そうやって納戸が和室よりも暗くなると、
納戸の中は全く見えなくなる上に 和室側から見ると
そのガラス一面が鏡状になるのです。
(別名マジックミラー)
だからうまく行けば更に 和室を大きく見せる効果も
期待できるでしょう。
しかしフィルム貼りと言うのは 全く初めての経験。
不器用な私には相当難しい作業でした。
どう見ても美しい仕上げとは言えません。
それにしても世の中 色んな製品があるものです。
何がどうであれ神を信じる
Kさんが亡くなられた。
普通、このような時、キリスト者の反応は
「彼は救われたであろうか」である。しかし、
このような時 私達人のとるべき基本的な態度は
「ただ神を信じる」でありたい。
土から造られた壊(こわ)れやすく 実にはなかい器(人)が、
「ことばによって全宇宙を創造された創造主」が行われる
全てにクビを突っ込むべきではないし それは 不可能である。
否、それは殆ど滑稽(こっけい)に近いであろう。
存在するもの総てに
それ独自(どくじ)の分というものがある。
神には神の分があり、人には人の分がある。
人の分とは何か、それは神のお手伝いすること
などではなく、唯神を信じることである。
私達は「何がどうであれ」神を信じるのである。
聖書は実に膨大(ぼうだい)な書ではあるが
そこに書かれてあることを一言でいうならば、
「神は神であるから 神を神としなさい」そして
「神を信じなさい」につきる。
神がそれまでして
「人に与えた唯一の分が神を信じることである」と
分からせようとしているからには
「信じる」には 人が計りがたい、途方(とほう)も
無い価値があるのではなかろうか。
私達はかの日、この目をもって(実感をもって)
詳細(しょうさい)にいたるまで「かつて時間の中で
神がされたことの完全さ」を知らしめられるであろう。
しかし今この時代においても、私達は「信仰を用い」
kさんを安心してこの素晴らしい神の御手に委ねる事が
出来るはずである。何故ならこの神は いつでも
どんな時でも私達が完全に十分に「信頼するにたる神」
であるからである。
今この時代における「信じることの価値」は 恐らく、
かの日に 実感を持って神の完全さを知ること以上に
大きな価値を持つのではなかろうか。
信仰によって今でさえ私達は知っている、
神のなさることは間違いなく
完全で美しく またベストであることを。
普通、このような時、キリスト者の反応は
「彼は救われたであろうか」である。しかし、
このような時 私達人のとるべき基本的な態度は
「ただ神を信じる」でありたい。
土から造られた壊(こわ)れやすく 実にはなかい器(人)が、
「ことばによって全宇宙を創造された創造主」が行われる
全てにクビを突っ込むべきではないし それは 不可能である。
否、それは殆ど滑稽(こっけい)に近いであろう。
存在するもの総てに
それ独自(どくじ)の分というものがある。
神には神の分があり、人には人の分がある。
人の分とは何か、それは神のお手伝いすること
などではなく、唯神を信じることである。
私達は「何がどうであれ」神を信じるのである。
聖書は実に膨大(ぼうだい)な書ではあるが
そこに書かれてあることを一言でいうならば、
「神は神であるから 神を神としなさい」そして
「神を信じなさい」につきる。
神がそれまでして
「人に与えた唯一の分が神を信じることである」と
分からせようとしているからには
「信じる」には 人が計りがたい、途方(とほう)も
無い価値があるのではなかろうか。
私達はかの日、この目をもって(実感をもって)
詳細(しょうさい)にいたるまで「かつて時間の中で
神がされたことの完全さ」を知らしめられるであろう。
しかし今この時代においても、私達は「信仰を用い」
kさんを安心してこの素晴らしい神の御手に委ねる事が
出来るはずである。何故ならこの神は いつでも
どんな時でも私達が完全に十分に「信頼するにたる神」
であるからである。
今この時代における「信じることの価値」は 恐らく、
かの日に 実感を持って神の完全さを知ること以上に
大きな価値を持つのではなかろうか。
信仰によって今でさえ私達は知っている、
神のなさることは間違いなく
完全で美しく またベストであることを。
2011年2月9日水曜日
ある姉妹の証し(2)
2月8日kさんは息を引き取られました。
お祈りを感謝します。
心拍数150以上で、ちょうど人がマラソンをしているような
状態でよく3週間も生かされたと感謝でいっぱいです。
主人とは親しかったのですが 私は一度しかお会いした
ことがなく私は 祈るにもどうにも 自分の心が伴(とも)わなく
実は苦しい数日間でした。
しかし
「主はわたしたちの主であるとともに、そのすべての人々の
主です」(第一コリント1:2)
当たり前のように受けていたこの御言葉を黙想(もくそう)
していたとき 出かける前日「すべてのものは私のもの
です」という主の声を聞いたような気がしたのです。
それまで祈ることもできないほどに冷(つめ)たかった私の
心が その瞬間(しゅんかん)から息を吹き返したように
喜びと感謝で祈ることができたのは 恥(は)ずかしい
ことですが、出かける前日でした。
主の恵みがなければ何一つできない自分の(みじめな?)
真の姿を 今回もまた思い知らされました。
今は、
主が触れてくださった奥様に 主への飢え渇きが
起こされますようにと祈るばかりですね。
「出かける前に みなさんと親しく交わり
主の栄光のために ともにお祈りできた事」※ は、
思い出すだけでも主の綿密(めんみつ)な恵みだったと
感謝でいっぱいです。
ほんとにありがとうございました。
※
奇(く)しくも主は 事前にこの姉妹を 二つの
「交わりと祈り」へと導いておられました。
主とエクレシアは
この姉妹と夫である兄弟と共に
その現場にも存在していたと信じております。
お祈りを感謝します。
心拍数150以上で、ちょうど人がマラソンをしているような
状態でよく3週間も生かされたと感謝でいっぱいです。
主人とは親しかったのですが 私は一度しかお会いした
ことがなく私は 祈るにもどうにも 自分の心が伴(とも)わなく
実は苦しい数日間でした。
しかし
「主はわたしたちの主であるとともに、そのすべての人々の
主です」(第一コリント1:2)
当たり前のように受けていたこの御言葉を黙想(もくそう)
していたとき 出かける前日「すべてのものは私のもの
です」という主の声を聞いたような気がしたのです。
それまで祈ることもできないほどに冷(つめ)たかった私の
心が その瞬間(しゅんかん)から息を吹き返したように
喜びと感謝で祈ることができたのは 恥(は)ずかしい
ことですが、出かける前日でした。
主の恵みがなければ何一つできない自分の(みじめな?)
真の姿を 今回もまた思い知らされました。
今は、
主が触れてくださった奥様に 主への飢え渇きが
起こされますようにと祈るばかりですね。
「出かける前に みなさんと親しく交わり
主の栄光のために ともにお祈りできた事」※ は、
思い出すだけでも主の綿密(めんみつ)な恵みだったと
感謝でいっぱいです。
ほんとにありがとうございました。
※
奇(く)しくも主は 事前にこの姉妹を 二つの
「交わりと祈り」へと導いておられました。
主とエクレシアは
この姉妹と夫である兄弟と共に
その現場にも存在していたと信じております。
2011年2月8日火曜日
皆さんお祈り下さい
*ある姉妹の証し*
土曜日5日 主人が親しかった元同僚(どうりょう)の
Kさんを見舞ってきました。彼は今 意識がなく
延命装置(えんめいそうち)によってかろうじて
生きているという状態です。
出かける朝
主に願っていた御言葉が与えられたので、喜んで
主人とともに その言葉で祈ってから出かけました。
しかし気になることがありました。それは
集中治療室に入れられているので どの程度
彼に近づけるのか、またそばにおられる未信者の
奥様に はたして祈る機会を与えてもらえるかどうか、
ということでした。
ところが感謝なことに
今回と同様 以前 植物状態の知人を見舞った時の
ことを 主人が奥様に話した時 自然に無理なく
祈りに入ることが出来たのです。
そして
朝いただいた詩篇139篇の通り祈っていると
奥様がすすり泣き出されたのです。
奥様が御言葉に触れられているのを知って、ここは
一番大事なところと思い
139篇全部を 思い切り(思いを切って)
大きな声で お祈りしたのです。
祈り終わると 奥様は一言
「ありがとうございました。これでほんとにスッキリしました。
最後まで あきらめないで主人に話しかけます。」と
泣きながらおっしゃって下さいました。
とても嬉しかった一言でした。
ここで不思議なことが起きました。
意識(いしき)が全くなく あと2週間のいのちと
宣告(せんこく)されているにもかかわらず
さまざまなチューブでがんじがらめになって 横たわっている
Kさんの左目から 一筋(ひとすじ)大きな
涙が流れ出て来たのです。
前回同様に、未信者の霊にさえ 主がふれてくださった、
としか思えない 出来事でした。
主と主の言葉が この先どのように実を実らせていくのかは
主だけがご存知です、それでいいのですね。
私たちの役割(やくわり)はここまでですが、
それでも希望を持って祈り続けたいと思っています。
土曜日5日 主人が親しかった元同僚(どうりょう)の
Kさんを見舞ってきました。彼は今 意識がなく
延命装置(えんめいそうち)によってかろうじて
生きているという状態です。
出かける朝
主に願っていた御言葉が与えられたので、喜んで
主人とともに その言葉で祈ってから出かけました。
しかし気になることがありました。それは
集中治療室に入れられているので どの程度
彼に近づけるのか、またそばにおられる未信者の
奥様に はたして祈る機会を与えてもらえるかどうか、
ということでした。
ところが感謝なことに
今回と同様 以前 植物状態の知人を見舞った時の
ことを 主人が奥様に話した時 自然に無理なく
祈りに入ることが出来たのです。
そして
朝いただいた詩篇139篇の通り祈っていると
奥様がすすり泣き出されたのです。
奥様が御言葉に触れられているのを知って、ここは
一番大事なところと思い
139篇全部を 思い切り(思いを切って)
大きな声で お祈りしたのです。
祈り終わると 奥様は一言
「ありがとうございました。これでほんとにスッキリしました。
最後まで あきらめないで主人に話しかけます。」と
泣きながらおっしゃって下さいました。
とても嬉しかった一言でした。
ここで不思議なことが起きました。
意識(いしき)が全くなく あと2週間のいのちと
宣告(せんこく)されているにもかかわらず
さまざまなチューブでがんじがらめになって 横たわっている
Kさんの左目から 一筋(ひとすじ)大きな
涙が流れ出て来たのです。
前回同様に、未信者の霊にさえ 主がふれてくださった、
としか思えない 出来事でした。
主と主の言葉が この先どのように実を実らせていくのかは
主だけがご存知です、それでいいのですね。
私たちの役割(やくわり)はここまでですが、
それでも希望を持って祈り続けたいと思っています。
2011年2月7日月曜日
「風邪引き部屋」を作るのかな?
先月の風邪は これからの私の生活設計に一石を投ずる
ものとなりました。
とても大きな問題は これからもあり得る厳冬期に引いて
しまうやっかいな「シュガー風邪」。
それへの対策とは:こらから一年をかけて地下に
冬ごもり部屋、風邪引き部屋を新築することかも知れない。
ワンルームにし、そこに壁のないむき出しのシャワーやトイレ、
流し、ベッド、デスクをポンポンと置くのです。こうすれば、
小さな灯油ストーブ一個で一日中 昼夜寒さ知らずの生活が出来、
真冬でも 一人安心して風邪を引けるというものです。
どうもこの方法が 老人が一人で冬を越すためには
最も現実的で しかも安上がりなアイデァなのかも知れない、
と思っているのです。
ものとなりました。
とても大きな問題は これからもあり得る厳冬期に引いて
しまうやっかいな「シュガー風邪」。
それへの対策とは:こらから一年をかけて地下に
冬ごもり部屋、風邪引き部屋を新築することかも知れない。
ワンルームにし、そこに壁のないむき出しのシャワーやトイレ、
流し、ベッド、デスクをポンポンと置くのです。こうすれば、
小さな灯油ストーブ一個で一日中 昼夜寒さ知らずの生活が出来、
真冬でも 一人安心して風邪を引けるというものです。
どうもこの方法が 老人が一人で冬を越すためには
最も現実的で しかも安上がりなアイデァなのかも知れない、
と思っているのです。
ある対話
昨日は本当に長い一日でした。
まずは朝の祈りから:
ある古い肉の思いが私をとらえ始めたそのとき
”いい逆らうあなたは何者ですか”という御言葉が思い
浮かびました。その瞬間、何とその思いがスーッと
無くなったのです。 こんなことは初めてでした。
これこそ、本当に「静かな神の働き」だったと思います。
その後は賛美賛美でした。
昨日午前 兄弟姉妹との交わりのあと、
久しぶりに妻と二人でパン裂きをしました。
そしてお昼を食べてから、
家でずーっと二人で キリストの話オンリー。
途中 みたらし団子など作って食べながら・・。
午前に交わった内容を再度分かち合い、
本当に神は神であるがゆえ、神の主権を再確認し、
そして今に導かれたことの恵み、そして これから
「熱いか冷たいか」どちらを歩むべきか
(もちろんキリストに熱くです!)
また一点十字架、キリストのみによって
「強く導かれて歩みたい」と切に二人で思いました。
そんなこんなで、なんとこれが夜まで続き、気がついたら
8時も過ぎていました。 それから、晩ご飯の支度して、
焼き魚を食べながら、またまたキリストの 話でした。
さすがにあきれるほどですね(笑)
☆
ハレルヤ!
キリストは「永遠そのもの」なので、常にフレッシュです。
だから「キリストにあきる」事など絶対にないだけでなく
彼の新鮮さは キリスト者達を今日よりは明日と
永遠に引きつけてやみません。
だからエクレシアの中において この時代の中でさえ
永遠が「物質の時間」を越える現象、その実感を
私達が経験することさえ十分あり得るのでしょう。
さらに私達が キリストの永遠の新鮮さを楽しむことは
加速度的に増し加わり、千年期をへて ついには
永遠の時代に至ります。今この時代における喜びと
楽しさは ホンのホンの前味に過ぎないはずです。
まずは朝の祈りから:
ある古い肉の思いが私をとらえ始めたそのとき
”いい逆らうあなたは何者ですか”という御言葉が思い
浮かびました。その瞬間、何とその思いがスーッと
無くなったのです。 こんなことは初めてでした。
これこそ、本当に「静かな神の働き」だったと思います。
その後は賛美賛美でした。
昨日午前 兄弟姉妹との交わりのあと、
久しぶりに妻と二人でパン裂きをしました。
そしてお昼を食べてから、
家でずーっと二人で キリストの話オンリー。
途中 みたらし団子など作って食べながら・・。
午前に交わった内容を再度分かち合い、
本当に神は神であるがゆえ、神の主権を再確認し、
そして今に導かれたことの恵み、そして これから
「熱いか冷たいか」どちらを歩むべきか
(もちろんキリストに熱くです!)
また一点十字架、キリストのみによって
「強く導かれて歩みたい」と切に二人で思いました。
そんなこんなで、なんとこれが夜まで続き、気がついたら
8時も過ぎていました。 それから、晩ご飯の支度して、
焼き魚を食べながら、またまたキリストの 話でした。
さすがにあきれるほどですね(笑)
☆
ハレルヤ!
キリストは「永遠そのもの」なので、常にフレッシュです。
だから「キリストにあきる」事など絶対にないだけでなく
彼の新鮮さは キリスト者達を今日よりは明日と
永遠に引きつけてやみません。
だからエクレシアの中において この時代の中でさえ
永遠が「物質の時間」を越える現象、その実感を
私達が経験することさえ十分あり得るのでしょう。
さらに私達が キリストの永遠の新鮮さを楽しむことは
加速度的に増し加わり、千年期をへて ついには
永遠の時代に至ります。今この時代における喜びと
楽しさは ホンのホンの前味に過ぎないはずです。
2011年2月6日日曜日
主の手の中の星
*今朝の通読から*
黙示録1の15、2の1
「右手に七つの星を持つ方」、このお方は当然主です。
主は常にその右手に星を持っておられます。
七は完全を意味しますから、この星は時空を越えた
エクレシアの中で輝く星々でしょう。
ところで時代も進み、黙示録になると
「人間の長老達」はどこにも出てきません。
(天使達の長老は出てきますが)
だから今現在この黙示録の時代においては
どんな肩書きや理屈よりも
キリスト者が「実際的に輝く星であるかどうか」
「現に発光能力があるかどうか」に 神は注意されるのです。
悪魔によって暗くされた時代の只中(ただなか)
において、私は真に輝く星でしょうか。
しかも、その星々は暗い空、離れ離れで一人
輝くのでは ありません。不思議なことですが
それらの星々は主の右手の中に堅(かた)く保護され
隠されて輝くのです。暗い大きな空の中に星は輝くのですが、
それらは 極めて安全な主の手の中に
堅く守られているのです。
夜、暗黒とは「何も分からない」を意味します。
今は 人が進むべき道、方向、自分はどこにいるのか、
明日何があるかさえ分からない時代です。
それは ひとえに光の欠如(けつじょ)によります。
即ち、太陽(キリスト)本来輝くべき月(教会)が
隠されて見えない時代における輝く星々の欠如です。
しかし、間もなく力強い義の太陽が昇り、時代は昼を迎
(むか)え 総てが明らかにされるでしょう。
主よ来たりませ!
黙示録1の15、2の1
「右手に七つの星を持つ方」、このお方は当然主です。
主は常にその右手に星を持っておられます。
七は完全を意味しますから、この星は時空を越えた
エクレシアの中で輝く星々でしょう。
ところで時代も進み、黙示録になると
「人間の長老達」はどこにも出てきません。
(天使達の長老は出てきますが)
だから今現在この黙示録の時代においては
どんな肩書きや理屈よりも
キリスト者が「実際的に輝く星であるかどうか」
「現に発光能力があるかどうか」に 神は注意されるのです。
悪魔によって暗くされた時代の只中(ただなか)
において、私は真に輝く星でしょうか。
しかも、その星々は暗い空、離れ離れで一人
輝くのでは ありません。不思議なことですが
それらの星々は主の右手の中に堅(かた)く保護され
隠されて輝くのです。暗い大きな空の中に星は輝くのですが、
それらは 極めて安全な主の手の中に
堅く守られているのです。
夜、暗黒とは「何も分からない」を意味します。
今は 人が進むべき道、方向、自分はどこにいるのか、
明日何があるかさえ分からない時代です。
それは ひとえに光の欠如(けつじょ)によります。
即ち、太陽(キリスト)本来輝くべき月(教会)が
隠されて見えない時代における輝く星々の欠如です。
しかし、間もなく力強い義の太陽が昇り、時代は昼を迎
(むか)え 総てが明らかにされるでしょう。
主よ来たりませ!
どこでもエクレシア
*ある若夫婦の証し*
今日は妻と一緒に町田にあるリス園に行ってきました。
実は昨日まで風邪を引いていましたが、良くなったので
散歩がてらに 町田からバスに乗って行きました。
リスが放し飼いにされていて、ヒマワリの種をやったり、
リスをおちょくったり、結構楽しめました。
近くには薬師池公園があって、結構大きな池のある公園で
ブラブラして帰ってきました。
こうやって過ごすときでも、何気ない会話の中に、
やはりキリスト話になってしまいます。
可愛らしいリスや池のコイなど見て話しても、結局
キリストなのです。
家にいるときだけでなく、道歩くときも、遊んだりしてる
ときも、景色を見ているときも、コーヒーを飲んでいるときも
ふたりでいるときはエクレシア(教会)なのだと思います。
今日は妻と一緒に町田にあるリス園に行ってきました。
実は昨日まで風邪を引いていましたが、良くなったので
散歩がてらに 町田からバスに乗って行きました。
リスが放し飼いにされていて、ヒマワリの種をやったり、
リスをおちょくったり、結構楽しめました。
近くには薬師池公園があって、結構大きな池のある公園で
ブラブラして帰ってきました。
こうやって過ごすときでも、何気ない会話の中に、
やはりキリスト話になってしまいます。
可愛らしいリスや池のコイなど見て話しても、結局
キリストなのです。
家にいるときだけでなく、道歩くときも、遊んだりしてる
ときも、景色を見ているときも、コーヒーを飲んでいるときも
ふたりでいるときはエクレシア(教会)なのだと思います。
2011年2月5日土曜日
天井が結露した
混合栓は首尾よく交換できて ヤレヤレよかったと
思ったのもつかの間、今度は・・
(天井裏のない)90度勾配(間違いました45度ですね)
ロフトの北側の天井の多くの部分に、どうも結露が生じて
いるらしく、このごろは高温?だったし、130ミリの
断熱材経由で何と水滴が落ちて来た!今年の超低温と
風呂からの大量の蒸気が主要な原因なのであろう。
どうするか、
とりあえずは なるべく風呂から蒸気が外に漏れないような
工夫をしてみる他はない。従って入浴時 これからは
換気扇を回しっぱなしにしなければならない。
いずれ根本的対策は春になってからですが、それにしても
根本的対策などあるのだろうか。
(まだ最後のボードを張っていなかったのはラッキーでした。)
断熱材は全部除去することになるのかな、
あの羊の断熱材はどんなものだろう、薪をガンガン
焚いたら結露は出ないのかな?
いずれにしろ結露というのは相当難しい問題です。
こんな具合ですから たった一人の山暮らし
退屈することなど決してあり得ません。
思ったのもつかの間、今度は・・
(天井裏のない)90度勾配(間違いました45度ですね)
ロフトの北側の天井の多くの部分に、どうも結露が生じて
いるらしく、このごろは高温?だったし、130ミリの
断熱材経由で何と水滴が落ちて来た!今年の超低温と
風呂からの大量の蒸気が主要な原因なのであろう。
どうするか、
とりあえずは なるべく風呂から蒸気が外に漏れないような
工夫をしてみる他はない。従って入浴時 これからは
換気扇を回しっぱなしにしなければならない。
いずれ根本的対策は春になってからですが、それにしても
根本的対策などあるのだろうか。
(まだ最後のボードを張っていなかったのはラッキーでした。)
断熱材は全部除去することになるのかな、
あの羊の断熱材はどんなものだろう、薪をガンガン
焚いたら結露は出ないのかな?
いずれにしろ結露というのは相当難しい問題です。
こんな具合ですから たった一人の山暮らし
退屈することなど決してあり得ません。
あるメール交換から
私は死ななければいけないことを知っただけでも、
大きな前進だと思っているのですが・・
↑
そうです。霊的事実を知ることは
間違いなく大きな前進です。
私達が死んでいなくなると
神はとても安心して 初めてキリストを流し出すことが
できます。私達が生きている間は
神は恐ろしくて何も出来ないのです。
その死に方ですが、
自分で死のうと決心するだけでは効き目がありません。
しかし、神があの十字架の上で
イエスの中に私を入れたので
イエスが死んだ時に私も死んだのです。
私はキリストと共に復活 昇天し、今あなたは
キリストと一緒に御座に座っているのです。
(だからサタンはあなたの足の下です)
以上のことを 信じ宣言することによって
それらの「神の真理」があなたの経験の中に現われます。
今日あなたの生活から その復活のキリストが
人々の内へと流れて行き あなたもその
キリストの流れ出を目撃(もくげき)しますように。
(ただし、あなたがそれを知り経験しビックリするのは
しばらく後になるかも知れません。だからあまり 経験しよう
経験しようとしない方がいいでしょう。あなたの役目は
ただ神の真理を見て、それを信じ、宣言することです。
あなたの経験へと導くこの世にはあり得ない不思議な力は
ただ聖霊から来るからです。)
大きな前進だと思っているのですが・・
↑
そうです。霊的事実を知ることは
間違いなく大きな前進です。
私達が死んでいなくなると
神はとても安心して 初めてキリストを流し出すことが
できます。私達が生きている間は
神は恐ろしくて何も出来ないのです。
その死に方ですが、
自分で死のうと決心するだけでは効き目がありません。
しかし、神があの十字架の上で
イエスの中に私を入れたので
イエスが死んだ時に私も死んだのです。
私はキリストと共に復活 昇天し、今あなたは
キリストと一緒に御座に座っているのです。
(だからサタンはあなたの足の下です)
以上のことを 信じ宣言することによって
それらの「神の真理」があなたの経験の中に現われます。
今日あなたの生活から その復活のキリストが
人々の内へと流れて行き あなたもその
キリストの流れ出を目撃(もくげき)しますように。
(ただし、あなたがそれを知り経験しビックリするのは
しばらく後になるかも知れません。だからあまり 経験しよう
経験しようとしない方がいいでしょう。あなたの役目は
ただ神の真理を見て、それを信じ、宣言することです。
あなたの経験へと導くこの世にはあり得ない不思議な力は
ただ聖霊から来るからです。)
2011年2月4日金曜日
春が来たのかな
しばらくぶりの阿武隈です。
これから一週間くらいは全国的にもよい天気だとか。
ここも今朝はまるで春のようです。
(それでも先ほど外は-3度)
今「ロイヤルロード」(林道から小屋までの奥の細道)
の積雪は10~20センチ程度ですが
これからドンドン解けるでしょう。
*
けさの聖書通読で感じたことです↓
黙示録1章:
ここには力強いイエスがある。イエスとは何と
すばらしい神であろうか!
さらに私は「このお方を内にいただき、
私はこのお方の中にある」のだ。
総ての「者、物、もの」はこのお方の手の中にある。
けさ何故か 私は家族、兄弟姉妹、環境に関し、
いかなる心配もうれいもない、
もしもこの神が私の神であるならば。
私は自分の過去と現在の思いは知りえるであろう。
しかし当然それとて ある程度であり、ゴクゴク一部に過ぎない。
しかしこれから私の「思いが向かうところ」を知ることは全く
不可能である。これから一時間13分後に一体私は何を思って
いるのであろうか。
ところがⅠ歴代誌28章には
「主は総ての心を探(さぐ)り、
総ての思いの向かうところを読み取られる」とある。
これは その生涯(しょうがい)この神を求め、また
「格闘」し続けたあのダビデ晩年のことばである。
彼は彼の人生の最後に このような
エホバ神を深く認識していた。
これから一週間くらいは全国的にもよい天気だとか。
ここも今朝はまるで春のようです。
(それでも先ほど外は-3度)
今「ロイヤルロード」(林道から小屋までの奥の細道)
の積雪は10~20センチ程度ですが
これからドンドン解けるでしょう。
*
けさの聖書通読で感じたことです↓
黙示録1章:
ここには力強いイエスがある。イエスとは何と
すばらしい神であろうか!
さらに私は「このお方を内にいただき、
私はこのお方の中にある」のだ。
総ての「者、物、もの」はこのお方の手の中にある。
けさ何故か 私は家族、兄弟姉妹、環境に関し、
いかなる心配もうれいもない、
もしもこの神が私の神であるならば。
私は自分の過去と現在の思いは知りえるであろう。
しかし当然それとて ある程度であり、ゴクゴク一部に過ぎない。
しかしこれから私の「思いが向かうところ」を知ることは全く
不可能である。これから一時間13分後に一体私は何を思って
いるのであろうか。
ところがⅠ歴代誌28章には
「主は総ての心を探(さぐ)り、
総ての思いの向かうところを読み取られる」とある。
これは その生涯(しょうがい)この神を求め、また
「格闘」し続けたあのダビデ晩年のことばである。
彼は彼の人生の最後に このような
エホバ神を深く認識していた。
2011年2月3日木曜日
またまた凍結トラブル
山小屋に来ております。
二時頃小屋に着いたのですが
先ほどまで一人で
あれやこれやの大童(おおわらわ)。
何とまー浴室の
「お湯と水の混合栓」の水抜きをしないで
下山してしまったので
混合栓内部が凍結で壊れてしまったのです。
(以前もこんなヘマをしたような)
小屋に着いて
水道の元栓を開いたら バッとばかりに水が飛び散り、
混合栓の内部の数個の部品と氷のカタマリが
漫画みたいに バラバラと床に散乱したのです!
こういう場合、
ジタバタ修理など考えない方がいいでしょう。
明日コメリに行って同じ品番の新品を買ってくるべし。
全く予想外の出費(1万7千円)ですが 責任は完全に私、
やむを得ません。
「対凍結」これにはこれからも
いろんな経験が必要のようです。
二時頃小屋に着いたのですが
先ほどまで一人で
あれやこれやの大童(おおわらわ)。
何とまー浴室の
「お湯と水の混合栓」の水抜きをしないで
下山してしまったので
混合栓内部が凍結で壊れてしまったのです。
(以前もこんなヘマをしたような)
小屋に着いて
水道の元栓を開いたら バッとばかりに水が飛び散り、
混合栓の内部の数個の部品と氷のカタマリが
漫画みたいに バラバラと床に散乱したのです!
こういう場合、
ジタバタ修理など考えない方がいいでしょう。
明日コメリに行って同じ品番の新品を買ってくるべし。
全く予想外の出費(1万7千円)ですが 責任は完全に私、
やむを得ません。
「対凍結」これにはこれからも
いろんな経験が必要のようです。
2011年2月2日水曜日
神の静かな力
「私は、律法に対して死にました。」(ガラテヤ2の19)
これはパウロの言葉です。その時、彼は何と言う自由を
覚えていたことでしょう。
しかし、更に私は
「私自作の律法、私の決心、壁に貼り付けた決意
(即ち私設立の義、人の義)」にさえ
完全に死んでいると信じているのです!
それら総てに対して私達は既に死に、のみならず
墓の中に葬られ 今それらとは全く関係ない
完全な自由の中にいるのです!
あなたが そのようにして何もかもを忘れ
全く人としての原点に戻り
「神のために何かをしなければ」という観念からさえ
完全に解放される日、
総ての「ねばならない」から解(と)き放たれる日
即ちあなたが 何ものにも束縛(そくばく)されなくなる日、
あなたは
「とても静かな神の力」に気付くでしょう。
この気づきには極めて価値があります。
その日初めて「神を信じると言う意味」がとても明らかに
なるからです。
(そうでなければ本当の意味で 人は神にだけ
100%の感謝をささげ、賛美することはあり得ないでしょう。
人はどこかで人や自分を賛美するからです。)
その力はあたかも 長い冬が去り、時いたってある日
ある不思議な力が、枯(か)れ木の中で 生命の営みを開始し、
日一日と静かにその復活の力を表すかのようです。
その命の静けさはとても美しいです。何故ならそれは
死からよみがえった「神そのものの美しさ」であるからです。
私達が信じている神とはこのような神です。だから
神は「あなたの手助け」など少しも望んでおられません。
むしろ神は
「あなたの力」を否(いな)み退(しりぞけ)るように
働かれるでしょう。
神は あなたとあなたの家族の為に
死から復活した命の方法によって
その総てに超越した力を しかし極めて美しく静かに
あなたのゴクありふれた生活の中において
表現することを望んでおられるのです。
アーメン!
主よ私達は
そのようなあなたの力を信じ経験したいのです。
シュガー
これはパウロの言葉です。その時、彼は何と言う自由を
覚えていたことでしょう。
しかし、更に私は
「私自作の律法、私の決心、壁に貼り付けた決意
(即ち私設立の義、人の義)」にさえ
完全に死んでいると信じているのです!
それら総てに対して私達は既に死に、のみならず
墓の中に葬られ 今それらとは全く関係ない
完全な自由の中にいるのです!
あなたが そのようにして何もかもを忘れ
全く人としての原点に戻り
「神のために何かをしなければ」という観念からさえ
完全に解放される日、
総ての「ねばならない」から解(と)き放たれる日
即ちあなたが 何ものにも束縛(そくばく)されなくなる日、
あなたは
「とても静かな神の力」に気付くでしょう。
この気づきには極めて価値があります。
その日初めて「神を信じると言う意味」がとても明らかに
なるからです。
(そうでなければ本当の意味で 人は神にだけ
100%の感謝をささげ、賛美することはあり得ないでしょう。
人はどこかで人や自分を賛美するからです。)
その力はあたかも 長い冬が去り、時いたってある日
ある不思議な力が、枯(か)れ木の中で 生命の営みを開始し、
日一日と静かにその復活の力を表すかのようです。
その命の静けさはとても美しいです。何故ならそれは
死からよみがえった「神そのものの美しさ」であるからです。
私達が信じている神とはこのような神です。だから
神は「あなたの手助け」など少しも望んでおられません。
むしろ神は
「あなたの力」を否(いな)み退(しりぞけ)るように
働かれるでしょう。
神は あなたとあなたの家族の為に
死から復活した命の方法によって
その総てに超越した力を しかし極めて美しく静かに
あなたのゴクありふれた生活の中において
表現することを望んでおられるのです。
アーメン!
主よ私達は
そのようなあなたの力を信じ経験したいのです。
シュガー
2011年2月1日火曜日
2011年1月31日月曜日
あるメールから2
しかし間もなく女は「イエスの言葉」(神の言葉)
に触れ 礼拝に関する光を得ます。
すなわち女は「ことば」を通し アタマではなく
上からの光によって 礼拝とは何かに「触れる」のです。
時いたって女は神からの啓示を得たのです。
さて この光とはどのようなものでしょうか。
それはイエスという源から流れ出した命の結果です。それは
ヨハネの1章に
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった」・・
そして「真の光が世(おんな)に来ようとしていた」
とある通りです。
だから大切なのは
「命と光の源と、それが生きたものとして
人の中へと実際的に流入すること」です。
更にまとめると その実体とは「命と光の流れ出としての
キリスト」である、と言えるでしょう。(このことは
ヨハネによる福音書の主要な主題でもあるのです。)
さて
「この流入」さえあるならば そこには必ず
驚きと喜びと満足が表れます。
だから28節によると 女は「物質的なこの世の水」を
忘れてしまったほどです。
そして次に
この実質(じっしつ)はとても自然に更に多くの
人々の中へと流れ込まないわけには行きません。
その記録が4章42節までに書かれています。
(その人々の様子はイエス復活後に現われたエクレシアの
一つの絵であるとも言えるでしょう。)
即ち女の中へと流入したイエスといういのちが、今度は
天からの光を発する命の川々として女の腹から流れ出、
遂に 命と光が多くの人々へと到達し、さらに川々の
流れは、多くの分岐(ぶんき)をくり返しつつ
地の四隅にまで拡大して行くのです。
だから最も簡単に言えば 礼拝とは交わり、流れ出、流れ入り、
交流であり、一言で言えば 光を発するいのちの行き来、
循環(じゅんかん)なのです。そして感謝なことに
「私達の交わりとは、御父および、御子イエスキリストとの
交わり」そのものなのです!(Ⅰヨハネ1の3)
*
私は今、この前の貴重な休日
お二人のくつろいだショッピングやお風呂の時間の中にさえ
きっとイエス御自身が介入しておられたであろうことを
信じないわけには行かないのです、アーメン!
に触れ 礼拝に関する光を得ます。
すなわち女は「ことば」を通し アタマではなく
上からの光によって 礼拝とは何かに「触れる」のです。
時いたって女は神からの啓示を得たのです。
さて この光とはどのようなものでしょうか。
それはイエスという源から流れ出した命の結果です。それは
ヨハネの1章に
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった」・・
そして「真の光が世(おんな)に来ようとしていた」
とある通りです。
だから大切なのは
「命と光の源と、それが生きたものとして
人の中へと実際的に流入すること」です。
更にまとめると その実体とは「命と光の流れ出としての
キリスト」である、と言えるでしょう。(このことは
ヨハネによる福音書の主要な主題でもあるのです。)
さて
「この流入」さえあるならば そこには必ず
驚きと喜びと満足が表れます。
だから28節によると 女は「物質的なこの世の水」を
忘れてしまったほどです。
そして次に
この実質(じっしつ)はとても自然に更に多くの
人々の中へと流れ込まないわけには行きません。
その記録が4章42節までに書かれています。
(その人々の様子はイエス復活後に現われたエクレシアの
一つの絵であるとも言えるでしょう。)
即ち女の中へと流入したイエスといういのちが、今度は
天からの光を発する命の川々として女の腹から流れ出、
遂に 命と光が多くの人々へと到達し、さらに川々の
流れは、多くの分岐(ぶんき)をくり返しつつ
地の四隅にまで拡大して行くのです。
だから最も簡単に言えば 礼拝とは交わり、流れ出、流れ入り、
交流であり、一言で言えば 光を発するいのちの行き来、
循環(じゅんかん)なのです。そして感謝なことに
「私達の交わりとは、御父および、御子イエスキリストとの
交わり」そのものなのです!(Ⅰヨハネ1の3)
*
私は今、この前の貴重な休日
お二人のくつろいだショッピングやお風呂の時間の中にさえ
きっとイエス御自身が介入しておられたであろうことを
信じないわけには行かないのです、アーメン!
あるメールから1
この前
私たち夫婦は、とても良い休みのときを過ごしました。
お風呂に行ったり、買い物したり、大したことはしていない
のですが、とても楽しいときを過ごしました。
↑
今朝、上のようなメールをいただきました。
この若い夫婦との それまでのやりとりから 私はこのメールに
こめられたある深い意味と喜びを知ることが出来ました。
それで次のような長い私の返信となってしまったのです。
☆
サマリヤの女が出てくるヨハネ4章は
「礼拝とは何か」を私達に見せています。
ヨハネによる福音書4章は 礼拝とは
先ずは「あそこでも この時間でもない」ということを見せ
次に のどが渇いて「水を飲ませてください」と言うような
ありふれた人間の生活が「礼拝の下地」であることを
見せているようです。
しかし、最も肝心(かんじん)なことは
そこにイエスが介入されていることです。
イエスが その人の生活の中に確かにおられるならば、
そのありふれた人の生活は直ちに礼拝の場面となると
聖書は告げているのではないでしょうか。(余談ですが、
イエスみずから予定を変更してまで?このサマリヤの女に
会いに来られたのかも知れません!4の4)
しかし初めのうちは 私達がよくするように
女の「礼拝に関する宗教的な固定観念」が表れます。
この段階における彼女は まだアタマの世界で右往左往
しているだけであり 真理は全く見えていません。
もう一度 余談ですが 聖書で女と言うとき
宇宙における唯一の男子である神に対する人、
を表すことがよくあります。だからこのサマリやの女は
私達の代表です。
私たち夫婦は、とても良い休みのときを過ごしました。
お風呂に行ったり、買い物したり、大したことはしていない
のですが、とても楽しいときを過ごしました。
↑
今朝、上のようなメールをいただきました。
この若い夫婦との それまでのやりとりから 私はこのメールに
こめられたある深い意味と喜びを知ることが出来ました。
それで次のような長い私の返信となってしまったのです。
☆
サマリヤの女が出てくるヨハネ4章は
「礼拝とは何か」を私達に見せています。
ヨハネによる福音書4章は 礼拝とは
先ずは「あそこでも この時間でもない」ということを見せ
次に のどが渇いて「水を飲ませてください」と言うような
ありふれた人間の生活が「礼拝の下地」であることを
見せているようです。
しかし、最も肝心(かんじん)なことは
そこにイエスが介入されていることです。
イエスが その人の生活の中に確かにおられるならば、
そのありふれた人の生活は直ちに礼拝の場面となると
聖書は告げているのではないでしょうか。(余談ですが、
イエスみずから予定を変更してまで?このサマリヤの女に
会いに来られたのかも知れません!4の4)
しかし初めのうちは 私達がよくするように
女の「礼拝に関する宗教的な固定観念」が表れます。
この段階における彼女は まだアタマの世界で右往左往
しているだけであり 真理は全く見えていません。
もう一度 余談ですが 聖書で女と言うとき
宇宙における唯一の男子である神に対する人、
を表すことがよくあります。だからこのサマリやの女は
私達の代表です。
2011年1月30日日曜日
第一級の事実
神が イエスを十字架の上で「殺した」時(あえてこう言います)
そのイエスの中に神は太郎、花子、ヒロシ・・を
入れこみました。
だから太郎、花子、ヒロシ・・はイエスと共に
神によって殺されてしまいました。
そして当然、その後イエスに起ったことは総て
太郎、花子、ヒロシ・・にも起ったのです。
イエスが黄泉(よみ)に下ったとき、太郎、花子も
イエスの中で黄泉に下りました。
イエスが死を破壊(はかい)し墓から復活した時、
太郎、花子、ヒロシもイエスの中で死を破壊しました。
イエスが第三の天に昇った時、太郎、花子、ヒロシも
天に昇りました。
イエスが父なる神の右の座に着いた時、太郎、花子、
ヒロシ・・も同時に天の座に着きました。
だから「今現在、総ての邪悪(じゃあく)な力を足の下
にして イエスと共に天の王座(おうざ)についている」
これが今 イエスを真に信じる者達の地位です。
以上の事実が第一級の事実です。
この事実と比べるなら「他の事実と見えることがら」の
重さは比較にならないくらいに低く軽いのです。
神は この第一級の事実を「真理」と呼んでいます。
だから私達は「他の事実」ではなく
先ずはこの真理をかたく信じるべきです。
*タロウ、ハナコ、ヒロシと同様
イエスとは当時のありふれた名前でした。
そのイエスの中に神は太郎、花子、ヒロシ・・を
入れこみました。
だから太郎、花子、ヒロシ・・はイエスと共に
神によって殺されてしまいました。
そして当然、その後イエスに起ったことは総て
太郎、花子、ヒロシ・・にも起ったのです。
イエスが黄泉(よみ)に下ったとき、太郎、花子も
イエスの中で黄泉に下りました。
イエスが死を破壊(はかい)し墓から復活した時、
太郎、花子、ヒロシもイエスの中で死を破壊しました。
イエスが第三の天に昇った時、太郎、花子、ヒロシも
天に昇りました。
イエスが父なる神の右の座に着いた時、太郎、花子、
ヒロシ・・も同時に天の座に着きました。
だから「今現在、総ての邪悪(じゃあく)な力を足の下
にして イエスと共に天の王座(おうざ)についている」
これが今 イエスを真に信じる者達の地位です。
以上の事実が第一級の事実です。
この事実と比べるなら「他の事実と見えることがら」の
重さは比較にならないくらいに低く軽いのです。
神は この第一級の事実を「真理」と呼んでいます。
だから私達は「他の事実」ではなく
先ずはこの真理をかたく信じるべきです。
*タロウ、ハナコ、ヒロシと同様
イエスとは当時のありふれた名前でした。
2011年1月27日木曜日
神のみこころ(2)
Ⅰヨハネ3の16
Jesus laid down his life for us; thus we ought to
lay down our lives for our fellow Christians.
訳:
イエスは私達の為に彼の魂を放棄しました(犠牲にしました)
そのように、私達も仲間のキリスト者達の為に私達の魂を放棄
(犠牲)に するべきです。
新改訳でlife「命」と訳された原語は、
よく誤解されているように肉体の命ではなく、
魂(ψυχή psychē)です。(or魂の命)また
lay down「捨てる」とは「放棄する,犠牲にする,
…をやめる」ことです。
だから結局私達がエクレシア(キリストの体)の為にする
べきこと と言えば「自分の魂の力を捨てる、放棄する、
犠牲にすること」です。
それこそが 私達に対する神のみこころの根本である
と言ってもさしつかえないでしょう。
この御言葉を見る限り(実に驚くべきことですが)
それはイエスに対する神のみこころと基本的には全く
同じです。
だから神のみこころとは結局「私の魂の命をキリストの
死に重ね合わせること」であると言えるようです。
Jesus laid down his life for us; thus we ought to
lay down our lives for our fellow Christians.
訳:
イエスは私達の為に彼の魂を放棄しました(犠牲にしました)
そのように、私達も仲間のキリスト者達の為に私達の魂を放棄
(犠牲)に するべきです。
新改訳でlife「命」と訳された原語は、
よく誤解されているように肉体の命ではなく、
魂(ψυχή psychē)です。(or魂の命)また
lay down「捨てる」とは「放棄する,犠牲にする,
…をやめる」ことです。
だから結局私達がエクレシア(キリストの体)の為にする
べきこと と言えば「自分の魂の力を捨てる、放棄する、
犠牲にすること」です。
それこそが 私達に対する神のみこころの根本である
と言ってもさしつかえないでしょう。
この御言葉を見る限り(実に驚くべきことですが)
それはイエスに対する神のみこころと基本的には全く
同じです。
だから神のみこころとは結局「私の魂の命をキリストの
死に重ね合わせること」であると言えるようです。
2011年1月23日日曜日
何ておだやかな冬
明日 山では少し雪が降るとのこと。
少しでよかった。
ここ利根川のほとりの実家にいると
関東平野の気候の穏やかさをつくずくと実感する。
「何て平和な冬だろう」
山にいると絶対にこうは行かない。
それでも実は1月や2月は阿武隈に大雪が降ることは
少ない。太平洋に近い阿武隈に大雪が降るのは
むしろ冬型が終わりかける2月末から3月にかけてである。
山での勝負はこれからなのだ。
*
昨日考えておりました・・
誤解を恐れずに言うならば、
神は この世から私を完全に消し去りたいのです。
私をゼロにしたいのです。
その時 私に属する
「物、者、モノ、もの」など一切ありません。
私にはどんな所有物もないのです。
既に今墓の向こうへと過ぎ去った
無である私にどんな権利があるでしょう。
しかしそれは何と身軽なことでしょう、
それは何と自由でしょう。
空中を羽ばたく小鳥のようです。
私はその時あたかも 総てを
足の下にしているあの青空のように
とても高貴で豊かです。
十字架は
神が私達にそのような 実に軽快な人生を与えようとして
神の深い深い知恵の中から生み出されたものです。
だから私達は喜んであの古(いにしえ)の聖徒のように
十字架に口づけをさえするのです。
その十字架、あなたの死ぬ方法とは
自殺ではなく他殺、 そう「あの他殺」です。
即ち あなたは信仰によって
とても効き目のある 実に力強いイエスの死に
自分を重ねることによってのみ
永遠の死の効果があなたに伝達され、
あなたはこの世に対してゼロとされるのです。
これのみが 神と人にとって価値ある唯一の死です。
何故ならあなたが
そのように真に無とされる時
初めて神は安心して あなたを人々の為に
この世に遣(つか)わすことが出来るからです。
しかしここで不思議なことが起ります。
その日あなたは人としてとてもシッカリ
この世に存在するのです。
あなたは最も健全な方法で神と人の為に
日々嬉々として自分の分を果たすでしょう。
そのようにしてあなたが もしも
あの永遠のイエスの死を
この時間と空間の中でさえ
自分の死とするならば
あなたは生きながら 毎日死の中に存在し
死の中にありながら
日々生き生きと生きるのです。
あなたはその日
生と死のいずれに対しても
完全な自由を得るでしょう。
少しでよかった。
ここ利根川のほとりの実家にいると
関東平野の気候の穏やかさをつくずくと実感する。
「何て平和な冬だろう」
山にいると絶対にこうは行かない。
それでも実は1月や2月は阿武隈に大雪が降ることは
少ない。太平洋に近い阿武隈に大雪が降るのは
むしろ冬型が終わりかける2月末から3月にかけてである。
山での勝負はこれからなのだ。
*
昨日考えておりました・・
誤解を恐れずに言うならば、
神は この世から私を完全に消し去りたいのです。
私をゼロにしたいのです。
その時 私に属する
「物、者、モノ、もの」など一切ありません。
私にはどんな所有物もないのです。
既に今墓の向こうへと過ぎ去った
無である私にどんな権利があるでしょう。
しかしそれは何と身軽なことでしょう、
それは何と自由でしょう。
空中を羽ばたく小鳥のようです。
私はその時あたかも 総てを
足の下にしているあの青空のように
とても高貴で豊かです。
十字架は
神が私達にそのような 実に軽快な人生を与えようとして
神の深い深い知恵の中から生み出されたものです。
だから私達は喜んであの古(いにしえ)の聖徒のように
十字架に口づけをさえするのです。
その十字架、あなたの死ぬ方法とは
自殺ではなく他殺、 そう「あの他殺」です。
即ち あなたは信仰によって
とても効き目のある 実に力強いイエスの死に
自分を重ねることによってのみ
永遠の死の効果があなたに伝達され、
あなたはこの世に対してゼロとされるのです。
これのみが 神と人にとって価値ある唯一の死です。
何故ならあなたが
そのように真に無とされる時
初めて神は安心して あなたを人々の為に
この世に遣(つか)わすことが出来るからです。
しかしここで不思議なことが起ります。
その日あなたは人としてとてもシッカリ
この世に存在するのです。
あなたは最も健全な方法で神と人の為に
日々嬉々として自分の分を果たすでしょう。
そのようにしてあなたが もしも
あの永遠のイエスの死を
この時間と空間の中でさえ
自分の死とするならば
あなたは生きながら 毎日死の中に存在し
死の中にありながら
日々生き生きと生きるのです。
あなたはその日
生と死のいずれに対しても
完全な自由を得るでしょう。
2011年1月21日金曜日
神の第二の創造
Ⅱペテロ1の3
the one who called us by his own glory and excellence.
(彼自身の栄光と卓越性によって私達を召しだされたお方)
召し出されたのは「実に強大な粘着力をもつこの世界」
からである。そしてその召しだされたた時に費やされた
神の力とは この神のみが所有される栄光と卓越性の中に
存在している、とペテロは言う。
その神の力によって先ずは 私達の心がこの「第一級の事実」に
関心を寄せる日が用意された。そして遂に私達は何故か
人々が聞くことも見ることも出来ない、極めて信じ難い
それらの言葉を信じるに至ったのである。
この「あり得ない現象」の背後に「悪魔の粘着力に勝る」
卓越した神の力が働いていた、とペテロは言うのだ。
ここで目を転じて見ると
「神の初めの創造」は実に壮大無比な大スペクタクルであった。
しかし神が最も大切にされる第二の創造・いわゆる新創造は
(実に不思議なことであるが)その壮大無比な大スペクタクル
とは全く無縁であり、むしろそれと真逆の状態の中に存在する。
この第二の創造が開始された最初の日とは
あのゴルゴタで起った奇妙な事件の3日後、人々が
(さらに有名な弟子達でさえも)まだ深い眠りに落ちていた
あの夜明け前に実に密かに発生したのである。
さてしかし事は、前述の私達が人の目には信じ難いそのような
言葉を信じた際も全く同様であったのではないだろうか。その時
私達は決して そこに起った現象が壮大無比な大スペクタクル
であるとは感じなかったのである。
むしろ この新創造現象は 人の心の片隅で極めて密かに
発生するが故に、何とその本人でさえ気付かないことが多い
のである。それはあの三日目の夜明けのマグダラのマリヤの
経験と同様、むしろ何が何だか分らない状況の中で進行する
と言ってもよいのではなかろうか。
しかし確かにその時にこそ
私達の為に 神の最大の栄光と力とが(実にささやかと見える)
私の「回心と信仰」の背後において働いていたのである。
あの壮大なスペクタクルである旧創造は「神の口の言葉のみに
よってのみ」実現し得た。
しかし神の心の中心をさえ真に捕らえることが出来るこの
新しい創造は(イエスが十字架に向かわれた時の決心と神への
信仰において費やされた力をさえも含み)「神御自身の栄光と
卓越性」によってのみ初めて実現し得たのである。
今誰の目にも 神による第一の創造は明らかである。
殆どの人の目には そのような旧創造現象こそが「総ての総て
である」としか写らない。しかし私達は今 この種々雑多に
展開するこの世の現象の背後において あの最後の時代の開始の
時、神が密かに御子の命という最大の力を使い尽くして勝ち
得られた「第二の創造の意味」を霊的な目をもって
真に見る必要があるのではなかろうか。
しかし、
今この最後の時代のその終焉(しゅうえん)の時
イエスの復活の中で実現した新創造現象を
今日 自分の生活の中でこそ 日々密かに発見する目は
更に幸いであると言えるであろう。
「今のこの時代において」神はキリスト者達に対し 壮大な
スペクタクルのパフォーマンスを期待することなど断じて
あり得ない。神は正にその真逆 即ち、私達が何でもない
ささやかな日常生活において密かに発生するキリストの
新創造現象 即ち神の第二の創造現象のみを
高く高く評価されるに違いない。
the one who called us by his own glory and excellence.
(彼自身の栄光と卓越性によって私達を召しだされたお方)
召し出されたのは「実に強大な粘着力をもつこの世界」
からである。そしてその召しだされたた時に費やされた
神の力とは この神のみが所有される栄光と卓越性の中に
存在している、とペテロは言う。
その神の力によって先ずは 私達の心がこの「第一級の事実」に
関心を寄せる日が用意された。そして遂に私達は何故か
人々が聞くことも見ることも出来ない、極めて信じ難い
それらの言葉を信じるに至ったのである。
この「あり得ない現象」の背後に「悪魔の粘着力に勝る」
卓越した神の力が働いていた、とペテロは言うのだ。
ここで目を転じて見ると
「神の初めの創造」は実に壮大無比な大スペクタクルであった。
しかし神が最も大切にされる第二の創造・いわゆる新創造は
(実に不思議なことであるが)その壮大無比な大スペクタクル
とは全く無縁であり、むしろそれと真逆の状態の中に存在する。
この第二の創造が開始された最初の日とは
あのゴルゴタで起った奇妙な事件の3日後、人々が
(さらに有名な弟子達でさえも)まだ深い眠りに落ちていた
あの夜明け前に実に密かに発生したのである。
さてしかし事は、前述の私達が人の目には信じ難いそのような
言葉を信じた際も全く同様であったのではないだろうか。その時
私達は決して そこに起った現象が壮大無比な大スペクタクル
であるとは感じなかったのである。
むしろ この新創造現象は 人の心の片隅で極めて密かに
発生するが故に、何とその本人でさえ気付かないことが多い
のである。それはあの三日目の夜明けのマグダラのマリヤの
経験と同様、むしろ何が何だか分らない状況の中で進行する
と言ってもよいのではなかろうか。
しかし確かにその時にこそ
私達の為に 神の最大の栄光と力とが(実にささやかと見える)
私の「回心と信仰」の背後において働いていたのである。
あの壮大なスペクタクルである旧創造は「神の口の言葉のみに
よってのみ」実現し得た。
しかし神の心の中心をさえ真に捕らえることが出来るこの
新しい創造は(イエスが十字架に向かわれた時の決心と神への
信仰において費やされた力をさえも含み)「神御自身の栄光と
卓越性」によってのみ初めて実現し得たのである。
今誰の目にも 神による第一の創造は明らかである。
殆どの人の目には そのような旧創造現象こそが「総ての総て
である」としか写らない。しかし私達は今 この種々雑多に
展開するこの世の現象の背後において あの最後の時代の開始の
時、神が密かに御子の命という最大の力を使い尽くして勝ち
得られた「第二の創造の意味」を霊的な目をもって
真に見る必要があるのではなかろうか。
しかし、
今この最後の時代のその終焉(しゅうえん)の時
イエスの復活の中で実現した新創造現象を
今日 自分の生活の中でこそ 日々密かに発見する目は
更に幸いであると言えるであろう。
「今のこの時代において」神はキリスト者達に対し 壮大な
スペクタクルのパフォーマンスを期待することなど断じて
あり得ない。神は正にその真逆 即ち、私達が何でもない
ささやかな日常生活において密かに発生するキリストの
新創造現象 即ち神の第二の創造現象のみを
高く高く評価されるに違いない。
2011年1月20日木曜日
理想的暖房
朝5:58
小屋の外がマイナス8度で内が6度、差が14度。
これはいい数字だ。田村市はマイナス5度とマイナス1度。
曇り、風最大3m、降水量は零、これもいい。
即ち大量の雪はないと言うことだから。しかし実際には時々降る。
・
今日のメインの作業は二つのデッキの雪かき。これは
重労働である。その上、ロフトのデッキへの戸が外の雪で
開かないのでデッキに出られない。どうしようか。
何か方法があるのかな。
6:24
洗面所・トイレでの「朝の行事」一切を終える。この部屋、
小さな灯油ストーブ一個で短時間の内に17度くらいにはなる。
さらに天井の一つの穴をふさげば裕に20度以上になるであろう。
この小屋独特の?「そのツドの短時間局部的暖房」は極めて
省エネであり、私の灯油の消費は全体的に結構少ないのである。
しかし本音を言うならば 私が薪を大量に準備出来て
24時間全館暖房が可能であれば、それは正に理想的暖房である
ことは論を待たない。
しかしその実現の為には、
先ずは小屋の北側に大きな薪小屋を建設しなければならない。
そして冬以外の季節は総て 樹木の伐採、カット、薪割り、
薪小屋への搬入の為に相当部分の時間が費やされるという
ライフスタイルを十分に覚悟しなければならないのである。
しかし私にそんな覚悟があるであろうか。
8:01
Ⅱペテロ1の3
his own glory and excellence.
(彼・神自身の栄光と卓越性)
「神ご自身の栄光と卓越性」の「ご自身の」とは
「神にしかあり得ない、神のみが所有される栄光と卓越性」を
暗示しているはずである。それは即ち その他のどんなモノ、者、
物においても所有し得ない永遠の実質を意味しているのである。
この世界においてはここに
「ありとあらゆる種類の栄光と卓越性」が存在するように
見える。それ故 人々はそれらを我が物としようとして人生の
総ての時間を使い尽くすことに何らの疑問も持たないようである。
しかしそれらは真の意味で
栄光や卓越性の名に値するであろうか。
だまされてはなるまい、
真の栄光と卓越性はこの神の中にしかあり得ない。
※
「ご自身の」は
岩波訳では「自らに備わった」としています。
それは「神自らに備わった永遠の栄光と卓越した力」です。
小屋の外がマイナス8度で内が6度、差が14度。
これはいい数字だ。田村市はマイナス5度とマイナス1度。
曇り、風最大3m、降水量は零、これもいい。
即ち大量の雪はないと言うことだから。しかし実際には時々降る。
・
今日のメインの作業は二つのデッキの雪かき。これは
重労働である。その上、ロフトのデッキへの戸が外の雪で
開かないのでデッキに出られない。どうしようか。
何か方法があるのかな。
6:24
洗面所・トイレでの「朝の行事」一切を終える。この部屋、
小さな灯油ストーブ一個で短時間の内に17度くらいにはなる。
さらに天井の一つの穴をふさげば裕に20度以上になるであろう。
この小屋独特の?「そのツドの短時間局部的暖房」は極めて
省エネであり、私の灯油の消費は全体的に結構少ないのである。
しかし本音を言うならば 私が薪を大量に準備出来て
24時間全館暖房が可能であれば、それは正に理想的暖房である
ことは論を待たない。
しかしその実現の為には、
先ずは小屋の北側に大きな薪小屋を建設しなければならない。
そして冬以外の季節は総て 樹木の伐採、カット、薪割り、
薪小屋への搬入の為に相当部分の時間が費やされるという
ライフスタイルを十分に覚悟しなければならないのである。
しかし私にそんな覚悟があるであろうか。
8:01
Ⅱペテロ1の3
his own glory and excellence.
(彼・神自身の栄光と卓越性)
「神ご自身の栄光と卓越性」の「ご自身の」とは
「神にしかあり得ない、神のみが所有される栄光と卓越性」を
暗示しているはずである。それは即ち その他のどんなモノ、者、
物においても所有し得ない永遠の実質を意味しているのである。
この世界においてはここに
「ありとあらゆる種類の栄光と卓越性」が存在するように
見える。それ故 人々はそれらを我が物としようとして人生の
総ての時間を使い尽くすことに何らの疑問も持たないようである。
しかしそれらは真の意味で
栄光や卓越性の名に値するであろうか。
だまされてはなるまい、
真の栄光と卓越性はこの神の中にしかあり得ない。
※
「ご自身の」は
岩波訳では「自らに備わった」としています。
それは「神自らに備わった永遠の栄光と卓越した力」です。
2011年1月19日水曜日
焼きバナナ
4:26
田村市の今日、最低がマイナス3度、最高が0度、
晴れ、風なし。
昼間の時間は6:49~16:54。
冬至が6:47~16:32だったから、今日で日の出が2分間、
日の入りが 22分間伸びたことになる。
今日はほぼ満月である。今日 月見が出来るかな。
小屋は外がマイナス6度、内が4度で内外差が10度。
そんなに寒い日ではない。
5:03
たった今、居間から西の山に沈む明るい満月を
見てきた、美しい。
ここで焼きバナナの準備をする。芋もいいが、最近朝 バナナ
二本をフライパン で蒸して食べている。バナナは栄養の
バランスの取れたいい食品であると言う。
6:24
Ⅱペテロ1の3
through the rich knowledge of the one
(そのお方(神)を豊かに知ることを通して)
これまで述べた「素晴らしいもの」が私達に与えられるのは、
また神を豊かに「知ることを通して」である、とペテロは言う。
しかしこの「知る」とは(私達がよくするように)
メッセージのアウトラインを記憶して神の何かを知る
と言うようなことではない、ペテロがいう知識とは
脳ミソを働かせて得る知識などではない。
この「知る」とは 物質世界を超えた神からの光によって
初めて知り得る知識であり、それらの知識は本質的に学問的
知的知識等とは全く異なった性質のものである。更に
敢えて言うならばこの知識とは「全く別の世界から」直接私や
あなたに対し ただ神の憐れみによって神から送り届けられる
「ある確かな実体」とでも言うべきものである。
ある伝道者は言いました:
「私は長年聖書を学び 神に関する多くの知識をたくわえて来た。
だから私は それら無学文盲(もんもう)な田舎の婦人達に
神について十分教えることが出来ると思っていた。
ところが私は間もなく気付かされたのです、聖書を読むことさえ
出来ないそのおばあさん達はしかし「その聖書を書かれた
生ける神ご自身、そのお方そのもの」を深くそして実際的に
知っている、という事実に。私はひどく恥じ入りました。
田村市の今日、最低がマイナス3度、最高が0度、
晴れ、風なし。
昼間の時間は6:49~16:54。
冬至が6:47~16:32だったから、今日で日の出が2分間、
日の入りが 22分間伸びたことになる。
今日はほぼ満月である。今日 月見が出来るかな。
小屋は外がマイナス6度、内が4度で内外差が10度。
そんなに寒い日ではない。
5:03
たった今、居間から西の山に沈む明るい満月を
見てきた、美しい。
ここで焼きバナナの準備をする。芋もいいが、最近朝 バナナ
二本をフライパン で蒸して食べている。バナナは栄養の
バランスの取れたいい食品であると言う。
6:24
Ⅱペテロ1の3
through the rich knowledge of the one
(そのお方(神)を豊かに知ることを通して)
これまで述べた「素晴らしいもの」が私達に与えられるのは、
また神を豊かに「知ることを通して」である、とペテロは言う。
しかしこの「知る」とは(私達がよくするように)
メッセージのアウトラインを記憶して神の何かを知る
と言うようなことではない、ペテロがいう知識とは
脳ミソを働かせて得る知識などではない。
この「知る」とは 物質世界を超えた神からの光によって
初めて知り得る知識であり、それらの知識は本質的に学問的
知的知識等とは全く異なった性質のものである。更に
敢えて言うならばこの知識とは「全く別の世界から」直接私や
あなたに対し ただ神の憐れみによって神から送り届けられる
「ある確かな実体」とでも言うべきものである。
ある伝道者は言いました:
「私は長年聖書を学び 神に関する多くの知識をたくわえて来た。
だから私は それら無学文盲(もんもう)な田舎の婦人達に
神について十分教えることが出来ると思っていた。
ところが私は間もなく気付かされたのです、聖書を読むことさえ
出来ないそのおばあさん達はしかし「その聖書を書かれた
生ける神ご自身、そのお方そのもの」を深くそして実際的に
知っている、という事実に。私はひどく恥じ入りました。
2011年1月18日火曜日
本日午後
風呂の漏水の箇所は
風呂の排水口がボイラー室の天井で塩ビ管とジョイントする所
であると判明。水の量は少量なので 防水のコーキングを
ジョイント部分に塗りたくって それで終わりに出来ない
だろうか。もしもそれで済むならあり難いのだが。
あとトイレの外のデッキの雪下ろしをした。ここは気温が
低いので自然に解けることは期待できない。だから雪下ろしは
どうしても必要である。そうしないと そのツドの降雪は
少しであっても、チリも積もって山となってしまうのである。
また自室の模様替えをし、あまり使用しない物を皆外に
追い出した。それで今 部屋がスッキリしてとてもいい気持ち
である。どうして私を含め、人は殆ど使用しないものを周囲に
乱雑に抱え込んで 落ち着きのない生活をしてしまうのだろう。
それは苦しいことなのに。
昨日ようやく年賀状の返信を書いた。面倒だが これから下の
集落のポストまで投函しに行かなければならない。よく晴れては
いるが風があり、樹木が大きく揺れている。
風呂の排水口がボイラー室の天井で塩ビ管とジョイントする所
であると判明。水の量は少量なので 防水のコーキングを
ジョイント部分に塗りたくって それで終わりに出来ない
だろうか。もしもそれで済むならあり難いのだが。
あとトイレの外のデッキの雪下ろしをした。ここは気温が
低いので自然に解けることは期待できない。だから雪下ろしは
どうしても必要である。そうしないと そのツドの降雪は
少しであっても、チリも積もって山となってしまうのである。
また自室の模様替えをし、あまり使用しない物を皆外に
追い出した。それで今 部屋がスッキリしてとてもいい気持ち
である。どうして私を含め、人は殆ど使用しないものを周囲に
乱雑に抱え込んで 落ち着きのない生活をしてしまうのだろう。
それは苦しいことなのに。
昨日ようやく年賀状の返信を書いた。面倒だが これから下の
集落のポストまで投函しに行かなければならない。よく晴れては
いるが風があり、樹木が大きく揺れている。
今日は山散歩 出来るかな
朝4:30
田村市は最低マイナス3度、最高0度。晴れ、少し風3。
小屋は外がマイナス7度、内が3度で内外差が10度。
気温の点で、ここカリマンは北海道なみなのかも知れない。
少なくも田村市の中では別格と言えそうだ。
今 風の音が森に響く。今日 山散歩が出来るかな?
・
昨日見てみると
浴室の排水が大量にもれて、地下のボイラー室に流れ出ていた。
今日その原因を突き止めなければならない。このリークは厳冬期
以外には起らなかった。 だから外へ出た排水が、外の配水管の
どこかで凍結して詰まっているせいかも知れない。もしもそれが
原因ならばことは簡単なのだが・・。
*
Ⅰペテロ1の3
everything necessary for life and godliness
(①命と②神に似ることのために必要な総てのもの)
ここで分かることは:
神は「私達が必要であるもの」は総て与えて下さるが その目的は
「世に言う人の幸福」のため等ではなく①命と②神に似るため
である、と言うことである。
日本語ではよく「敬虔」(けいけん)と訳されているこの語は
英語ではgodliness と訳されていることが多いようだ。
(敬虔と言われても何のことか私には分らない)
さて
godliness、神に似ることは神の命から生ずる以外には
あり得ない。 逆に言えば神の命が人に与えられたのは神に
似るためである。「この目的のために 神は私達にとって必要な
総てを与えられるのです」と ペテロはこの箇所で暗示している
ようである。
更にその「総てのもの」中には私達から見て
好ましい環境だけでなく、 とてもしばしば
「あまり好ましくない環境」も含まれているはずである。
ペテロの手紙が非常に困難な環境の中にある兄弟姉妹に
向けて書かれたと言う事実を思うならば
それはなおさらの事ではなかろうか。
田村市は最低マイナス3度、最高0度。晴れ、少し風3。
小屋は外がマイナス7度、内が3度で内外差が10度。
気温の点で、ここカリマンは北海道なみなのかも知れない。
少なくも田村市の中では別格と言えそうだ。
今 風の音が森に響く。今日 山散歩が出来るかな?
・
昨日見てみると
浴室の排水が大量にもれて、地下のボイラー室に流れ出ていた。
今日その原因を突き止めなければならない。このリークは厳冬期
以外には起らなかった。 だから外へ出た排水が、外の配水管の
どこかで凍結して詰まっているせいかも知れない。もしもそれが
原因ならばことは簡単なのだが・・。
*
Ⅰペテロ1の3
everything necessary for life and godliness
(①命と②神に似ることのために必要な総てのもの)
ここで分かることは:
神は「私達が必要であるもの」は総て与えて下さるが その目的は
「世に言う人の幸福」のため等ではなく①命と②神に似るため
である、と言うことである。
日本語ではよく「敬虔」(けいけん)と訳されているこの語は
英語ではgodliness と訳されていることが多いようだ。
(敬虔と言われても何のことか私には分らない)
さて
godliness、神に似ることは神の命から生ずる以外には
あり得ない。 逆に言えば神の命が人に与えられたのは神に
似るためである。「この目的のために 神は私達にとって必要な
総てを与えられるのです」と ペテロはこの箇所で暗示している
ようである。
更にその「総てのもの」中には私達から見て
好ましい環境だけでなく、 とてもしばしば
「あまり好ましくない環境」も含まれているはずである。
ペテロの手紙が非常に困難な環境の中にある兄弟姉妹に
向けて書かれたと言う事実を思うならば
それはなおさらの事ではなかろうか。
2011年1月17日月曜日
山散歩に行きたい(ケサの日記から)
朝6:50
外マイナス7度、内2度で内外差は9度。
嵐は去ったと思っていたのだが 今激(はげ)しく雪が
降っている。これは日本海側の雪雲が阿武隈まで延(の)びて
いるためである。しかしレーダーを見ると多分ここは、
その雲のはじっこのように見える。予報も9時からは
晴れとなっている。いずれにしろ、これから数日は
お日様マークなので、大雪に閉じ込められる可能性は少ない
筈である。それにしても このレーダーの図というのはあり難い。
より高き事実は人に安らぎを与えることが出来るから。
(http://weather.excite.co.jp/img/mesh/)
今日は風邪引き後初めて 山散歩に出かける準備をしたい。
これは私にとって どうしても必要な日課なのだ。
だから今日は長靴の破れを修理しようと思う。
今日の山散歩はこれから風も出てくるらしいので
難しいかも知れないが・・。
*
Ⅰペテロ1の3
his divine power has bestowed on us
everything necessary
(神の神聖な力は 私達に対して 必要である総てを
既に与えられておられる。)
私達の必要は総てすでに与えれれているのだ。
それは全く無条件にである。これは第一級の崇高(すうこう)な
神の事実である。(事実には第一級もあれば、第3級や第4、5
・・級の事実もある。ただし神の目から見て、真に事実と言える
ものはただ第一級の事実のみであろうが・・)
ただ私達がこの時空の中においてその事実を
「経験、実感するためには」
私達が「この肉体の中において」果たすべき条件がある
ことも確実なことではある。
外マイナス7度、内2度で内外差は9度。
嵐は去ったと思っていたのだが 今激(はげ)しく雪が
降っている。これは日本海側の雪雲が阿武隈まで延(の)びて
いるためである。しかしレーダーを見ると多分ここは、
その雲のはじっこのように見える。予報も9時からは
晴れとなっている。いずれにしろ、これから数日は
お日様マークなので、大雪に閉じ込められる可能性は少ない
筈である。それにしても このレーダーの図というのはあり難い。
より高き事実は人に安らぎを与えることが出来るから。
(http://weather.excite.co.jp/img/mesh/)
今日は風邪引き後初めて 山散歩に出かける準備をしたい。
これは私にとって どうしても必要な日課なのだ。
だから今日は長靴の破れを修理しようと思う。
今日の山散歩はこれから風も出てくるらしいので
難しいかも知れないが・・。
*
Ⅰペテロ1の3
his divine power has bestowed on us
everything necessary
(神の神聖な力は 私達に対して 必要である総てを
既に与えられておられる。)
私達の必要は総てすでに与えれれているのだ。
それは全く無条件にである。これは第一級の崇高(すうこう)な
神の事実である。(事実には第一級もあれば、第3級や第4、5
・・級の事実もある。ただし神の目から見て、真に事実と言える
ものはただ第一級の事実のみであろうが・・)
ただ私達がこの時空の中においてその事実を
「経験、実感するためには」
私達が「この肉体の中において」果たすべき条件がある
ことも確実なことではある。
2011年1月16日日曜日
嵐が去りました
明るい一月の朝の光が森をつつんでいる。外マイナス11度、
内2度、内外差13度。幸い昨夜の新雪は5~6cmほど、
これだと雪かきは全く不要である。更にあり難いことには
「私が何をしなくとも」これから数日の太陽光が雪を大分
解かしてくれるだろう。幸い今回の全国的な嵐は
ここには殆ど関係がなかったようである。
*
Ⅱペテロ1の1~2
through the righteousness of our God and
Savior,Jesus Christ
(私達の神と救い主、イエスキリストの義を通して)
「イエスの義によって」(新改訳)よりも
「イエスの義を通して」の方が ずっとよい。それは、
「~を通して」の方が
「イエスの義が すなわち私達の義とされる」と
いう驚くべき神の見方をよく指し示すことが出来るから
である。 私はこの恵の前にただひれ伏し、この神を
礼拝する以外に取るべき他の行動を知らない。
続く二つの聖句が以上のことを更に裏づけている→
①have been granted a faith(信仰が与えられたのである)
②May grace ・・be lavished on you
(恵があなた方に惜しげもなく ゼイタクなほど与えられる
ように)
総ては惜しげもなく与えられたものであり、また
これからも 与えられるのである。
内2度、内外差13度。幸い昨夜の新雪は5~6cmほど、
これだと雪かきは全く不要である。更にあり難いことには
「私が何をしなくとも」これから数日の太陽光が雪を大分
解かしてくれるだろう。幸い今回の全国的な嵐は
ここには殆ど関係がなかったようである。
*
Ⅱペテロ1の1~2
through the righteousness of our God and
Savior,Jesus Christ
(私達の神と救い主、イエスキリストの義を通して)
「イエスの義によって」(新改訳)よりも
「イエスの義を通して」の方が ずっとよい。それは、
「~を通して」の方が
「イエスの義が すなわち私達の義とされる」と
いう驚くべき神の見方をよく指し示すことが出来るから
である。 私はこの恵の前にただひれ伏し、この神を
礼拝する以外に取るべき他の行動を知らない。
続く二つの聖句が以上のことを更に裏づけている→
①have been granted a faith(信仰が与えられたのである)
②May grace ・・be lavished on you
(恵があなた方に惜しげもなく ゼイタクなほど与えられる
ように)
総ては惜しげもなく与えられたものであり、また
これからも 与えられるのである。
2011年1月15日土曜日
極寒も楽しからずや
外マイナス7度、内3度で 内外差10度。今年の場合
マイナス7度位だと「なんだ今日はそんなに寒くない日だ」
と思ってしまう。
やはり昨晩 雪は無かった。今日は曇りで朝少し雪が降り、そして
また 今晩6時から明日の朝3時まで降り続くようだ。しかし、
降水量はせいぜい1なので今晩物すごく積もるということは無い
と見る。それに明日から4日間お日様マークが出ているから
たとえ今晩積もったとしても 数日雪かきをすればロイヤルロード
からの脱出は可能である。
(問題なのは 重い雪がシンシンと丸一日以上降り続く、
というような場合である。積雪が車のバンパーを越えてしまう
程にでもなれば たった一人での長距離の雪かきは相当辛い
ものになってしまう。)
以上のような状況を見ると 今日の午後あたりに
小屋を捨てて本格的に「脱出」しなければならない、
と言う可能性は少ないであろうと一人結論を下す。
「チバラギ」の実家にいれば、雪模様対してこんなに
神経をとがらせることなどあり得ない。しかし確かに、
どう雪と極寒を乗り切るか、もまた楽しからずや、
である。
マイナス7度位だと「なんだ今日はそんなに寒くない日だ」
と思ってしまう。
やはり昨晩 雪は無かった。今日は曇りで朝少し雪が降り、そして
また 今晩6時から明日の朝3時まで降り続くようだ。しかし、
降水量はせいぜい1なので今晩物すごく積もるということは無い
と見る。それに明日から4日間お日様マークが出ているから
たとえ今晩積もったとしても 数日雪かきをすればロイヤルロード
からの脱出は可能である。
(問題なのは 重い雪がシンシンと丸一日以上降り続く、
というような場合である。積雪が車のバンパーを越えてしまう
程にでもなれば たった一人での長距離の雪かきは相当辛い
ものになってしまう。)
以上のような状況を見ると 今日の午後あたりに
小屋を捨てて本格的に「脱出」しなければならない、
と言う可能性は少ないであろうと一人結論を下す。
「チバラギ」の実家にいれば、雪模様対してこんなに
神経をとがらせることなどあり得ない。しかし確かに、
どう雪と極寒を乗り切るか、もまた楽しからずや、
である。
2011年1月14日金曜日
山暮らしの生命線
病院に入院費を払いに3時に出かけたのだが、
書類を忘れて引き返した。しかし幸い病院は土曜もやっている。
明日朝 出直そう。町立三春病院はいい病院である。
予報によると今日降るはずが無い雪が降って来てギョッとした。
しかし「気象レーダー」なるものを初めて見て安心した。
それによると「雪は明日の朝数時間」という事が私でも
ある程度理解出来るのである。
万一 今晩ある程度積もったとしても朝 雪かきをすれば、
まさかロイヤル ロード(小屋から林道までの250メートル)を
抜け出せないことも無かろう。
水と道路、これが冬の山暮らしの正に生命線なのです。
書類を忘れて引き返した。しかし幸い病院は土曜もやっている。
明日朝 出直そう。町立三春病院はいい病院である。
予報によると今日降るはずが無い雪が降って来てギョッとした。
しかし「気象レーダー」なるものを初めて見て安心した。
それによると「雪は明日の朝数時間」という事が私でも
ある程度理解出来るのである。
万一 今晩ある程度積もったとしても朝 雪かきをすれば、
まさかロイヤル ロード(小屋から林道までの250メートル)を
抜け出せないことも無かろう。
水と道路、これが冬の山暮らしの正に生命線なのです。
普通の生活へ
今朝
外がマイナス12度、内が1度で内外差13度。(田村市は
マイナス5度と 最高がマイナス1度)晴れだが極寒である。
今日は新しいスタートの日、徐々に病気以前の生活に
戻して行きたい。
今日は フラフラ感の中でそれをする。郵便局、病院、買い物等
がある。その前に片付けと掃除。(掃除はムリかな?)
明日、あさっては「一時雪」となっている。これなら明日の
下山回避もあり得るか? いずれ天気情報から目が離せない。
*
「私達は 鏡のように主の栄光を映す・・」
(Ⅱコリント3の18)私は鏡です。だから私の使命は
主という光の源の方向に私そのものを セットするだけ。
あれもこれも忘れたとしても これさえ出来れば
合格点はもらえるかも知れない。
その場合、光は時に他の人にさえ届けられる。その人は
私を介して 光そのもの(啓示と暖かさ)を得る。
(更に太陽は人が生きるための総てです)
─以上がこのたびの病気によって再確認させられた
ことの一つでした。
外がマイナス12度、内が1度で内外差13度。(田村市は
マイナス5度と 最高がマイナス1度)晴れだが極寒である。
今日は新しいスタートの日、徐々に病気以前の生活に
戻して行きたい。
今日は フラフラ感の中でそれをする。郵便局、病院、買い物等
がある。その前に片付けと掃除。(掃除はムリかな?)
明日、あさっては「一時雪」となっている。これなら明日の
下山回避もあり得るか? いずれ天気情報から目が離せない。
*
「私達は 鏡のように主の栄光を映す・・」
(Ⅱコリント3の18)私は鏡です。だから私の使命は
主という光の源の方向に私そのものを セットするだけ。
あれもこれも忘れたとしても これさえ出来れば
合格点はもらえるかも知れない。
その場合、光は時に他の人にさえ届けられる。その人は
私を介して 光そのもの(啓示と暖かさ)を得る。
(更に太陽は人が生きるための総てです)
─以上がこのたびの病気によって再確認させられた
ことの一つでした。
2011年1月13日木曜日
シュガー風邪2
早朝の体温が遂に6・2度。これが私の朝の平熱
なのだろう。(昨日朝は6・4度で、まだ多少違和感が
あった)これでようやく今回の風邪も「ほぼ治癒」と
言えそうである。(タンは少し残り、長く寝ていたせいで
フラフラ感はあるが)
今回もジャストぴったり2週間で癒えた。この期間の短縮は
気管支拡張を持つ私には殆ど 不可能であることが改めて確認
された。 そしてもう一つ このシュガー風邪には薬を飲んで
何もせずただ黙って寝ているしか 方法が無いと言うことも。
・
風邪が癒された時に行う私の「儀式」が入浴である。今日は
そのギシキを行い、その後またベッドに入り体を暖かくして
過ごそうと思う。明日は病院へ行き、二泊の入院費2万何がしを
払い、喘息の予防薬をもらう。出来ればお世話になった先生に
挨拶も したいのだが・・
・
週末は或いは大雪の可能性があると言う。だから最悪下山も
あり得る。 今日中のギシキはその大雪予報のせいでもある。
(土曜に実際の 雪模様を見てから、小屋を捨てて山から逃げ出す
ことになる かも知れない。)
・
①「私と私の状況」がどうであろうと②「主と主の完成された
御事実」に何の変化もない。①を見つめ過ぎて 霊的に
オタオタするべきではない。 ただ②に感謝し安息しよう。
なのだろう。(昨日朝は6・4度で、まだ多少違和感が
あった)これでようやく今回の風邪も「ほぼ治癒」と
言えそうである。(タンは少し残り、長く寝ていたせいで
フラフラ感はあるが)
今回もジャストぴったり2週間で癒えた。この期間の短縮は
気管支拡張を持つ私には殆ど 不可能であることが改めて確認
された。 そしてもう一つ このシュガー風邪には薬を飲んで
何もせずただ黙って寝ているしか 方法が無いと言うことも。
・
風邪が癒された時に行う私の「儀式」が入浴である。今日は
そのギシキを行い、その後またベッドに入り体を暖かくして
過ごそうと思う。明日は病院へ行き、二泊の入院費2万何がしを
払い、喘息の予防薬をもらう。出来ればお世話になった先生に
挨拶も したいのだが・・
・
週末は或いは大雪の可能性があると言う。だから最悪下山も
あり得る。 今日中のギシキはその大雪予報のせいでもある。
(土曜に実際の 雪模様を見てから、小屋を捨てて山から逃げ出す
ことになる かも知れない。)
・
①「私と私の状況」がどうであろうと②「主と主の完成された
御事実」に何の変化もない。①を見つめ過ぎて 霊的に
オタオタするべきではない。 ただ②に感謝し安息しよう。
2011年1月12日水曜日
シュガー風邪
~さん
ご心配をおかけしてすみません。
2日に退院した後は 確実に良い方に向かっているのですが
ただいつものように その回復のスピードが非常に遅いのです。
でも もう2、3日もあれば大分元気になるでしょう。
私は若いときから(中学生から45歳くらいまで)
かなりヒドイ喘息だったので
厄介なことに ゴク小さな風邪でも一旦引いてしまうと
必ず重くなるのです。(気管支の検査をし「気管支拡張」
がある とある医師が言った。小さな風邪でも必ず重くなって
しまうのはそのせいでしょう。)
その風邪の症状はこの数十年間 いつも殆ど同じ経過をたどり、
治るまで ほぼ2週間ほどかかります。その幾つかの症状の
推移のパターンも面白いように毎回同じです。
ということなので 一年半に一回くらい風邪をひいてしまうと、
(これはやむを得ないことです)
それがゴク軽い風邪であっても その軽い風邪がむしろダンダン
重くなり 遂には必ず寝こんでしまいまうのです。
そして風邪が治る最後の数日に至るまで
①気管支の炎症によるタン②微熱③体のダルさ④軽い頭痛、
があり、2週間が過ぎて それらが去ると初めて「あ、治った」と
分かるのです。今はその最後の数日にいるはずです。
だから私は勝手に これは私独特の「シュガー風邪」だと
思っております。
*
再度申しあげます。
以上のようなことですので
せっかくいただいた年賀状のお返事をまだ書けないでおります。
真に申し訳ございません。
ご心配をおかけしてすみません。
2日に退院した後は 確実に良い方に向かっているのですが
ただいつものように その回復のスピードが非常に遅いのです。
でも もう2、3日もあれば大分元気になるでしょう。
私は若いときから(中学生から45歳くらいまで)
かなりヒドイ喘息だったので
厄介なことに ゴク小さな風邪でも一旦引いてしまうと
必ず重くなるのです。(気管支の検査をし「気管支拡張」
がある とある医師が言った。小さな風邪でも必ず重くなって
しまうのはそのせいでしょう。)
その風邪の症状はこの数十年間 いつも殆ど同じ経過をたどり、
治るまで ほぼ2週間ほどかかります。その幾つかの症状の
推移のパターンも面白いように毎回同じです。
ということなので 一年半に一回くらい風邪をひいてしまうと、
(これはやむを得ないことです)
それがゴク軽い風邪であっても その軽い風邪がむしろダンダン
重くなり 遂には必ず寝こんでしまいまうのです。
そして風邪が治る最後の数日に至るまで
①気管支の炎症によるタン②微熱③体のダルさ④軽い頭痛、
があり、2週間が過ぎて それらが去ると初めて「あ、治った」と
分かるのです。今はその最後の数日にいるはずです。
だから私は勝手に これは私独特の「シュガー風邪」だと
思っております。
*
再度申しあげます。
以上のようなことですので
せっかくいただいた年賀状のお返事をまだ書けないでおります。
真に申し訳ございません。
2011年1月8日土曜日
新記録マイナス15度!
田村市の予報はマイナス4度か5度なのに
今朝小屋のデッキの寒暖計は マイナス15度。
大幅な記録更新です。(これまでは-8度)
暖房をしていない居間はプラス3度であるから、内外差
18度であり、この点は嬉しい。(この小屋が外の低温の
影響を受けにくい ということだから)
凍結は全くありません。これも嬉しい。
風邪は鼻汁と気管支の炎症がまだ残っており、
そのためにダルさ、軽い頭痛 があります。
熱もきのう夕方は最高7・2度でした。まだ病人の
感覚です。
しかしこれらは 完全にこれまでの私の風邪の特徴そのものであり、
心配はしていません。おととしの場合も全治まで約2週間くらい
かかっています。そうだとすると今回の場合12日頃には良くなる
筈です。もう数日ジッとしていましょう。慎重に慎重にです。
洗濯、食事等 身の回りのことは何とかできます。
それにしても我ながら あの入院と退院のタイミングの絶妙さに
驚ろいています。もしもあの2日に入院出来なかったら必ず大事
(おおごと)になっていたでしょうね。(救急車を呼ぶとか)
本当に主に感謝です。
年賀状の返事は書いていませんが これはやむを得ません。
年賀状を下さった皆さんごめんなさい。
今朝小屋のデッキの寒暖計は マイナス15度。
大幅な記録更新です。(これまでは-8度)
暖房をしていない居間はプラス3度であるから、内外差
18度であり、この点は嬉しい。(この小屋が外の低温の
影響を受けにくい ということだから)
凍結は全くありません。これも嬉しい。
風邪は鼻汁と気管支の炎症がまだ残っており、
そのためにダルさ、軽い頭痛 があります。
熱もきのう夕方は最高7・2度でした。まだ病人の
感覚です。
しかしこれらは 完全にこれまでの私の風邪の特徴そのものであり、
心配はしていません。おととしの場合も全治まで約2週間くらい
かかっています。そうだとすると今回の場合12日頃には良くなる
筈です。もう数日ジッとしていましょう。慎重に慎重にです。
洗濯、食事等 身の回りのことは何とかできます。
それにしても我ながら あの入院と退院のタイミングの絶妙さに
驚ろいています。もしもあの2日に入院出来なかったら必ず大事
(おおごと)になっていたでしょうね。(救急車を呼ぶとか)
本当に主に感謝です。
年賀状の返事は書いていませんが これはやむを得ません。
年賀状を下さった皆さんごめんなさい。
2011年1月5日水曜日
実は入院してました
大晦日
*一人風邪引きの山小屋*
風邪を引きました。症状は:
鼻─粘液が粘っこく中にへばりついている感じ。
しばしば鼻をかむ。
熱─体温計がないので分りませんが、37度ジャスト
くらいはあるかも 知れません。
ノド─エガエガあり。
気管、気管支─まだ風邪はそこまでは侵入していないと思います。
そうならなければいいが、と願います。しかしこれまで私の場合
ノドを占拠したウイルスが 更に気管、気管支へと侵入しなかった
例が無かったので、半ばもう覚悟は しております。
そうなると、この風邪は結構長引いて しまうでしょうね。
体力─今の所こうやってPCに向かえるのですから 感謝です。
(自分のためにも 自分の窮状を分析して書き表すことは
いいことですから。)
で生活をどうするか:
①とにかく寒くしないこと、洗面、炊事、トイレ、給油等のため
暖かい自室から出なければならない時は十分な配慮をすること。
②体が許す範囲で、自室にこもり 自室で可能なことのみを行う。
これから もし悪化し それにムリ感が生じればベッドで過ごす。
③食事─ダイニングで準備し、自室に運んで来て食べる。なるべく
各種の 食材を食する。(昨日オレンジを買って来ておいたので
よかった) 食料、燃料、 水さえあれば 風邪を引いても大丈夫!
*
このブログ、実は自分の日記をもとにして
今日5日小屋で書いています。この(1)の続編は次回から
少しずつ書いて行くつもりです。
で 結果を言えば、三日に入院をし、今日五日退院したのです。
しかしまだ完治には程遠い感じです。故に今ムリしてブログなど
長々書くべきではないでしょう。だから今日はこの辺でやめて
休みます。それでは皆さん お休みなさい。
*一人風邪引きの山小屋*
風邪を引きました。症状は:
鼻─粘液が粘っこく中にへばりついている感じ。
しばしば鼻をかむ。
熱─体温計がないので分りませんが、37度ジャスト
くらいはあるかも 知れません。
ノド─エガエガあり。
気管、気管支─まだ風邪はそこまでは侵入していないと思います。
そうならなければいいが、と願います。しかしこれまで私の場合
ノドを占拠したウイルスが 更に気管、気管支へと侵入しなかった
例が無かったので、半ばもう覚悟は しております。
そうなると、この風邪は結構長引いて しまうでしょうね。
体力─今の所こうやってPCに向かえるのですから 感謝です。
(自分のためにも 自分の窮状を分析して書き表すことは
いいことですから。)
で生活をどうするか:
①とにかく寒くしないこと、洗面、炊事、トイレ、給油等のため
暖かい自室から出なければならない時は十分な配慮をすること。
②体が許す範囲で、自室にこもり 自室で可能なことのみを行う。
これから もし悪化し それにムリ感が生じればベッドで過ごす。
③食事─ダイニングで準備し、自室に運んで来て食べる。なるべく
各種の 食材を食する。(昨日オレンジを買って来ておいたので
よかった) 食料、燃料、 水さえあれば 風邪を引いても大丈夫!
*
このブログ、実は自分の日記をもとにして
今日5日小屋で書いています。この(1)の続編は次回から
少しずつ書いて行くつもりです。
で 結果を言えば、三日に入院をし、今日五日退院したのです。
しかしまだ完治には程遠い感じです。故に今ムリしてブログなど
長々書くべきではないでしょう。だから今日はこの辺でやめて
休みます。それでは皆さん お休みなさい。
2011年1月1日土曜日
妻からのレポート
こちらに来たあなたへの年賀状を山に転送しました。
29日にワタルたちが来ていました。
四つ切大の結婚写真と 葉書大の写真3枚ずつを3人分
持ってきてくれました。あなたの分はあとで送ります。
それからケンに、アイポット?だったかな、音楽を聞く
ことの出来る端末の機器ですが、プレゼントとして
持って来ました。病院で使えるかどうかは 病院に聞いて
見ますが、少なくとも退院の励みにはなるでしょう。
決して安いものではないと思います。気遣いが嬉しいですね。
ワタルですが1月には長年続いた、新潟のプロジェクトが
終わるので、いったん東京に引き上げ、その後、こちらで
新しいプロジェクトを捜す・待つことになるとのことです。
アツ子さんは相変わらず飾り気無く、明るく、率直で、
イロイロと気を遣ってくれてました。
最後に帰ろうとしていったんバイクの後ろにまたがったのに、
あわてて「アッ、忘れてた!」と、わざわざ降りてきて、
「良いお年をお迎えください」と挨拶するので、
こっちも大慌て…、道路の真ん中で大爆笑しました。
2人ともいい子です。
29日にワタルたちが来ていました。
四つ切大の結婚写真と 葉書大の写真3枚ずつを3人分
持ってきてくれました。あなたの分はあとで送ります。
それからケンに、アイポット?だったかな、音楽を聞く
ことの出来る端末の機器ですが、プレゼントとして
持って来ました。病院で使えるかどうかは 病院に聞いて
見ますが、少なくとも退院の励みにはなるでしょう。
決して安いものではないと思います。気遣いが嬉しいですね。
ワタルですが1月には長年続いた、新潟のプロジェクトが
終わるので、いったん東京に引き上げ、その後、こちらで
新しいプロジェクトを捜す・待つことになるとのことです。
アツ子さんは相変わらず飾り気無く、明るく、率直で、
イロイロと気を遣ってくれてました。
最後に帰ろうとしていったんバイクの後ろにまたがったのに、
あわてて「アッ、忘れてた!」と、わざわざ降りてきて、
「良いお年をお迎えください」と挨拶するので、
こっちも大慌て…、道路の真ん中で大爆笑しました。
2人ともいい子です。
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