2011年6月1日水曜日

グズとは「愚かな図」?

今「朝の儀式(ぎしき)」がほぼ終えて、
これから午前の仕事です。
ケサその仕事は先ずは「シュガー式まとめ料理」です。

朝の儀式とは「霊的なものからピアノまで」いろいろある
のですが、 私は相当グズ人間なので、これまでは
ダラダラとずい分時間が かかっていたのです。
でも今日はとても早く終わりました。

グズとは愚図であり「愚(おろ)かな図」なんですね。
とは言え、何も ものすごい効率(こうりつ)のよさをねらって
「魂をフル動員(どういん)」するのでは決してありません。
逆にそれは神を妨害(ぼうがい)することになるでしょう。
要(よう)は「安らかに淡々(たんたん)と」今やるべきこと
「私の分」を行って行けばよいのですが、
愚図はやはりだめですね。

祈りとは「霊を動かすこと」「霊の機能(きのう)を働かせる
こと」なのでしょうが、さらに具体的に言うと
「意志を用い、自分の霊を外に向けて押し出すこと」かな
と思います。
敵は外から、私たちの霊をおさえこみ、閉じこめよう、
霊が働かないようにしようと 46時中フルに働いている
のですから、もしもキリスト者が祈らなかったら それは
それは大変なことになります。
したがって祈りにおいて「神の敵を意識(いしき)しない」
と言うことは 決してあり得ないことでしょう。

その意味において
「たえず祈る」ことによって「総ての霊的なまどろみ」を
取りのぞくことができたらいいな、とけさ思ったことでした。

聖書にある「目を覚まして祈る」と言うのは実は
そういうことなのかも知れませんよ。

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