2012年4月21日土曜日

風邪が治りました

今日21日早朝、熱が「マイ平熱」の36・1度にまで下がり、
「このたびのシュガー風邪」は一応治った、と「宣言」しても
よいようです。

10日に風邪をひいたので1週間と4日かかったことになります。
これはやはり典型的な「シュガー風邪」でした。しかし今回の
風邪で、私は自分の「加齢」を強く意識させられたのです。

だから慎重に
今日明日あたりはまだ体を休めておく方がいいでしょう。
(まだフラフラ感があります。)

多くの方々が心配して下さり、また
私の体の為に、実際的に神に向かって口を開いて祈って
下さいました。
以上のことのみならず、物質面の援助もいただきました。
それらの「物」を通してさえ、キリストの愛を確かに
感じることが出来たのです。これは本当に幸いなことでした。

もう数日たてばいつもの山暮らしに戻れるでしょう。
皆様、本当に有難うございました。

*シュガー風邪:
非常に若い時からの持病の重い喘息、それに肺化膿症、
気管支炎等の呼吸器系の病気により、私は50歳くらいまでは
「病弱であった」と言っても良いでしょう。しかしその後、年を
経るごとに体はより健康になり、一人・山中での山暮らしさえも
可能となったのです。

ただ時に風邪を引くと、それら若い時の病根がダメージとして
今でも動き出し、普通のなんでもない風邪を、異様に長引かせて
しまうのです。この風邪が、これからも私の山暮らしにおける
一つのネックとなることは間違いのないことです。

2012年4月18日水曜日

あるメールに感謝

シュガー風邪は「悪寒期」から「発熱期」に進んでいます。
熱は7度程度ですが、私にとっては重いです。(この熱が
少しずつ下がり、遂には平熱6・1度にまでなるはずです。)
食欲はあります。

今はまだ炎症は完全に肺の奥に存在しています。
頭痛は去りましたが、体がダルく、ハッキリ私は病気だ、
と感じています。この時期は特に、決して体にムリをさせる
べきでなく、黙って寝ていなければならないのですが
きのう「余計なこと」(魂の主導で動いた)を
したせいもあり、風邪が少しぶり返してしまったようです。
(本当にきのうの私は愚かでした)

このような状況の中で常に自分の心の総てを
神に支配していただくこと
(それが神の国の私への到来です)
は結構難しいです。

そういうことだったので、ケサ
あるメールをいただき私は大いに励まされたのです。
そのメールとは・・


主に教えられていることは、
まず、自分自身の心と体とを支配するように、
ということです。

御国の拡大は、まず、わたしを
神の統治の中に入らせることから。
そんな風に思っています。

意思を神のために用いるという訓練ですが、
簡単に上手くは行かないものです。

食事や睡眠、ごく当たり前のことにも、
祈りが必要です。



シュガー:↓

兄弟、感謝です。あなたはご自分のことを

「なぜ交わりから離れて、
いまだに一人(実際は妻とふたり)なのか、
よく分かりません。」

と言われますが、
霊の交流の中で私を励ましてくれたあなたは今確かに
「その交わり」の中におられるのではないでしょうか。
本当に主に感謝しております。

2012年4月14日土曜日

シュガー風邪

「シュガー風邪」をひいてしまいました。
私の風邪は独特で、ハンで押したようにワンパターンです。
マズはノドの「エヘン虫」から始まりますが、それが軽い
ノドの痛みで終わることは決してなく、
炎症はノドから、口腔・鼻に進み、そして遂には肺
(気管・気管支)まで到達するのです。

昨晩あたりから、風邪がいよいよ最終段階の肺にまで降りて来た
ようで、熱がそれまでの6・5度から昨晩は7・1度、ケサは
7・3度に上がり、咳に伴なうタンが白っぽいものから、濃い
色のあるドロッとしたものに変わりました。

これらの不快な症状が完全に過ぎ去るには、決まって
2週間を要します。エヘン虫が11日だったので、
もう10日は辛抱しなければなりません。
当然大工仕事は一切控えております。

さて、
昨晩の震度4は大したことはありませんでしたよ。

2012年4月11日水曜日

南デッキの屋根が飛ばされた

しばらく北海道旅行をしておりました。
車窓から、4月なのに驚くほどの深い雪と、
かわいらしい数多くのエゾシカを見ることが出来ました。
(残念ながらクマは出なかった)
線路に出たシカのために汽車※がしばしばのろのろ
運転になるのです。やさしく美しい北国の光景でした。

おとといの夜小屋に着くと、何と南デッキのプラスチック
透明屋根の殆どが風で吹き飛ばされていたのです。ヤレヤレ
これは大工事になります。マズは安価な透明波板を
ダイユーエイトから買って来なければなりません。

飛ばされてしまった屋根はカッコウはよかったのですが、
その分、釘は使用せず、接着剤だけだったのです。やはり
これでは、予想を超えるここの春の物すごい強風には耐えられ
なかった、と言うことです。波板は格好はよくないが、釘止め
なのでこれからはおそらく?大丈夫でしょう。

一寸風邪気味ですので、
今日も休んで働くのは明日からにしようと思っております。
とは言え、これから南デッキに置いたマキを、午後から降る
雨から守る算段はしなければなりません。

※「汽車」
北海道では電車とは言わないようです。多くは
気動車(ジーゼル車)だからでしょうか。
ちなみに、北海道では「捨てる」ことを「投げる」とも
言います。これは秋田と同じなので、とても親しみを覚えます。

2012年3月24日土曜日

薪ストーブはこれから?

このところ、
「腰の張り」のせいで、薪作りに行けないでおります。
しかし、実に感謝なことには、昨夜らいの雨で
雪が溶け、気温も上がって来たのです。正に
グッドタイミングです。

張りの方も大分よくなって来たので
あさってあたりには、お客用の赤松の立ち枯れを
倒しに「南の森」に入れるかも知れません。

4月の客であれば、
ここでは薪ストーブでの歓迎も決しておかしくは
ないでしょう。
「夏も近づく6月の薪ストーブでさえ、梅雨時のいやな
ジメジメを見事追い出してくれるので、実に気持ちが
よいものです」とは薪ストーブの先輩の言葉です。



ハデス(黄泉)の門も
エクレシア(教会)には打ち勝てません。(マタイ16の18)

巧妙な「いつわり」や「おどし」によって、
人々を「その穴」に送り込もうとする
多くの邪悪な悪霊達に対抗し、
教会(エクレシア)のため、神の真理の言葉を駆使(クシ)し
黄泉の門の前に、敢然として立ちふさがるキリスト者こそ、
正にこの時代、神が求めておられる存在です。

2012年3月22日木曜日

よくなりました

腰痛、大丈夫ですか?
Nさんが来て、いっしょにブログを見たのですが
彼女が言うには、”筋肉痛”と”冷え”から来たのでは
ないでしょうか。腰を暖かくして、冷やさないように
したらいいですよ、と言ってました。


有難うございます。

きのう
インターネットで調べて分かったのですが、
この腰は腰痛には違いないのですが、
「腰の張り」というものらしいです。

昨晩、熱い風呂に入ってバンテリンを塗って寝たら
ケサは相当よくなっておりました。やや前かがみの体せいが
殆ど直立に近くなりましたから。確かにまだ違和感はある
のですが、多分もう大丈夫だろうと思います。
(Nさんの見立ては結構いい線だったのでは・・)

それに、
内装工事というのは、狭い脚立に乗ったりして
かなりムリな姿勢になるのです。年も年です、
これからは十分気をつけることにしましょう。

それでは。

2012年3月21日水曜日

反省

きのう、腰痛になりました。
「午前は大工、午後は薪取り」と言う日々が続いたから
でしょう。午前も午後も、ではなく、力仕事は一日片方
だけにし、しかも「控えめに」するべきでしたね。
(しかしこの「控えめ」の程度が難しい。)

ベッドに仰向けになると痛みは全く感じないのですが、
起きると痛いのです。でもきのう午後に一眠りしたら
大分よくなり、ケサは更によくなっていますから
少なくも深刻な病気ではないのでしょう。
しかし未だに腰がやや後ろに引けて、しかも前かがみ、
あの「ネアンデルタール人」のような情けない格好です。

以上の様子を見るに多分、ぎっくり腰のような骨の問題
ではなく、やはり筋肉の疲労なのでしょう。今日と明日
あたりは、おとなしくしていた方がよいようです。

一言で言えば
「日常のゴク小さなことに」おける不注意が原因です。
どんなことにおいても
「主よ、今あなたは何をされたいのですか?」と
もっともっと主にきくべきでした。反省ですね。

2012年3月17日土曜日

なつかしい物たち

今日は、Nさんが来て、いっしょにブログを見ました。
”しょいこ”って何?皆わからず、娘が辞書で調べて、
あの二宮金次郎の背負っているものであることが
わかりました。「ごようかご」は、私が若い頃、行商の人が
背負って、魚とか売って歩いてた四角い背負えるかごです。
そちらの方(本州)では、なかったですか。


私も実際には「しょいこ」も「ごようかご」も知らない
のですが、それらのもの達に、強烈になつかしさを覚えるのは
なぜでしょう。今、二宮金次郎が、いつも会う隣のおじさん
のように感じます。冬の山暮らしの不便さに本当に困って初めて、
昔の物達の便利さが分かるのでしょう。ショイコか
「ごようカゴ」を背負って、深い雪の中を登る。
来年これは貴重な体験となりそうです。

(日が大分照ったせいで、きのう、ハンドルを取られながらも、
何とか車を小屋まで運ぶことが出来ました。)


今、山小屋は内装工事ですが、風呂場のスノコを作っています。
風呂場の床をモザイクタイルにしたのは大大失敗でしたね。この
素材は、とても几帳面でキレイ好き、それで、風呂場のタイルを
しょっちゅう磨くような人でないとダメです。

こんな私ですが、風呂場の床のあまりの汚さにあきれはて、
今回その「ボロ隠し」にスノコをしくことにしたのです。これで
あのみにくい風呂場は、たちまち大そう美しく変身すること
でしょう。(しかし風呂場と違い、私の心はこうは行きません。)

2012年3月16日金曜日

ある対話

雪は大変ですね。
皆さんと話してたのですが、買い物は、リュックサックを
使うと、山を登るのが少し楽なのではないでしょうか。 
Mさんは「ごようカゴ」がいいよ、と言ってましたが、
今あるかどうかわかりません。


アドバイス感謝です。
「ごようかご」ですか、存じませんね。
でもなんだかなつかしいヒビキ。
来年はリュックか「しょいこ」を準備しましょう。
「ごようかご」は「しょいこ」とは違うのでしょうネ。

まき割りは大量となるとやはり大変です。
少しは体のことも考えないと。
で、今「まき割り機」の購入を検討しております。
安くていいまき割り機はないものでしょうか。


「わが子よ、
主の懲らしめを軽んじてはならない。」(ヘブル12の5)
(神は「キリスト者を」懲らしめます。)

この言葉は
今この時代、キリスト者が「神の懲らしめ」を軽んじ無視して
「先送り」さえできることを示唆しております。
「次の時代」におけるキリスト者の「歯がみ」とは一つには、この
「先送り」の故でしょう。何故なら彼は「知っていた」からです。

霊の父は、
私達の益のため、私達をご自分の聖さにあずからせようとして
(今)懲らしめるのです。(12の10)

2012年3月15日木曜日

暖かくなるのは「あさって」から

車を、
遠い林道(マイ駐車場)においたまま,しばらくになります。
「ロイヤルロード」の雪がなかなか溶けないからです。

天気予報はこの所ずうっと(喜びなさい)
「明後日になれば気温がグッと上がるから」なのですが
その翌日になると、予報は昨日と同じ、
「明後日になれば・・」なのです。だったら
いつになったら春になると言うのだ!

・・と言いたくなるのですが、それは
北国に住む者の「春は名のみの・・♪」弥生3月の気持ち
なのでしょう。

所で
こうやって「マイ駐車場は遠いのだ」と覚悟すれば
ドンな大雪になろうと、どういうこともないのです。
「一回数万円を払ってもどうしても除雪だ!」など
今思えば、トンでもない思い違いであったことが分かります。
むしろ不思議なのは、こんな当たり前のことに、
どうして今まで気がつかなかったのか、と言う事実です。

しかし実は
除雪のことなど、どうでもよい問題なのでしょう。
私の人生そのものにおいて、取り返しのつかない
「気づきのなさ」や後悔のゆえに
神の御前において将来
とても悔しい「歯がみ」などすることがありませんように。


福音書に出てくる「歯噛みをして悔しがる」は
「滅び」ではありません。
永遠の命を神からいただき、神から生まれたキリスト者が
永遠に滅びることなど絶対にあり得ません。
それは論理的にも成り立たないことです。

2012年3月13日火曜日

難題二つ

マズは「雪の中でのまき割り」です。全くそれは
季節違いそのもの、どうみても様にならず、格好が悪い。

でもそこに利点が一つもないかと言えばそうでもなく、雪の中
だから薪はシッカリと立ってくれるのです。(マキと言うものは
割ろうとする瞬間、イヤだとばかりによく倒れます。)

最初に複数のマキを雪の中に並べ、片っ端から割って行く時
それが次々にパッパッと二つになる瞬間はとても小気味よく、
一寸したスポーツ感覚です。

しかしマキを「薪置き場」から、割る場所まで、傾斜地を運び
上げるのは楽ではありません。まあ、明日焚く分だけだから、
大して疲れもしませんが。
(オイオイ70も越えると、問題は後で来るんだよ!)

もう一つは・・
きのう初めて、深い雪の中、数100メートル離れた駐車場から
小屋まで歩きました。都会の人でも、駐車場が遠いという人は
いるでしょう。でも、深い深い雪の中、重い食材を
両手にぶら下げ、それもあんなに長い坂道を運び上げる、
と言う人はそんなに多くはないでしょう。
やはりこの二つは難題と言えますね。

2012年3月10日土曜日

大雪の中でマキ割りをします

またまた大雪です。今既に大雪なのに、この降雪が午後
3時まで続くと言うのですから、今回この大雪は、この冬
最大規模となるかも知れません。昨日の夕方、車を林道に
置きに行って本当によかった。

それはそうと、この大雪では
森に入ってのマキ取りはマズ不可能です。それでも
明日炊く薪は、今日中に何とかしなければなりません。

しかし、ここに奥の手があるのです。
それは去年「ミスターエンジェル」が作ってくれた
「来年用の大切なマキ」の一部をこのたび焚く、というものです。

思えば正に去年の今です。あの大震災が来る寸前、
僅か2日間で、彼は雪の中、小屋の西側の樹木を伐採し、
相当分のマキを作ってくれたのです。(信じられますか、彼はその
目的の為に、わざわざ遠方から来てくれたと言うことを。)

にもかかわらず、私は「マキ置き場を作ってから」と、そのマキを
そのまま放置しておいたのです。ようやくそのマキ置き場(同時に
マキ小屋も作った)が完成し、マキの乾燥を始めたのが去年の秋
ですから、まだまだマキの乾きは不十分です。

しかし、このように大雪に閉ざされる緊急事態の中では
これはやむを得ないでしょう。だから今日から、この大雪が
おさまるまで、雪をかき分け、「ミスターエンジェルの貴重な
マキ」をマサカリで割る、という作業に入ることになるのです。


人間、頭だけでは何も分かりません。
多分この冬「薪の貴重さ」をつくずくと思い知る各種の経験を
してしまった私は、この春以後、時間を見つけては、さして
無理なく、むしろ楽しく「来年・再来年用の薪作り」に励む
ことでしょう。

2012年3月9日金曜日

阿武隈の春の雪

きのうの記事を読まれた方が
「ソリは使わないのか、雪はいつ溶けるのか」と
聞いて下さいました。有難うございます。

先ずはソリですが、
この辺は凹凸の激しい地形ですのでソリはムリですね。
でもきのうの場合は幸い、立ち木を切り倒した場所の
スグ下が道路だったので、切った木の幹を下に投げ落とし、
それを車で小屋まで運んだのです。これが出来る場合は
比較的楽です。

さて、
ここ阿武隈は東北の山奥には違いないのですが、一応
太平洋に近いので、真冬は晴れの日が多く、積雪は少ない
のです。(でも一旦降るとなかなか溶けてくれません)
しかし「冬型の気圧配置」が崩れる3月頃になると、東京が
雨でも、標高の高いここは雪となるのです。だから時に
阿武隈の春の雪は大雪となります。

ケサからの霧雨が、午後からミゾレに変わりました。
明日焚くマキがないので、そのみぞれの中、昨日運んだ
木の幹を、マキ用に短く切って、それを南デッキに並べ終え
ヤレヤレと今、中でくつろいでいる所です。
これだけあれば明日までのマキは大丈夫でしょう。

予報は、この雪は明日の昼まで続くと言います。様子を見て、
また車を遠い駐車場まで持って行かなければなりません。
あれやこれやと確かに大変ですが、これらの事も
山暮らしの醍醐味と言えないこともありません。



神が達成し、私達に与えられた諸事実の中で
最も感謝するべきことは
「神が私をキリストの中に置かれた」という真理です。
(それはキリストの死の時点から始まったのですが・・)
それ故に、キリストの死のみならず、復活、昇天、御座においても
「私はキリストの中にいる」のです。

パウロの手紙に頻出する(70数回)「主に在って」(in.Christ)
とはその意味です。今日、キリスト者間で、その事実が単なる
「挨拶のフレーズ」になってしまい、その明らかな効力を、
キリスト者が殆ど実生活で経験することがないのは、
「形のみを残し、実質を奪うサタンの仕業」です。

2012年3月8日木曜日

マキが底をついた

遂に、本当にマキが底をつきました。
4、5日分はあるであろう、小屋の周りに散在しているはず
の「木のゴミ」(立派に薪になる)は大方まだ雪の中です。

となると選択肢はただ一つ
「柴かりじいさん」をやるしかありません。
「おじいさんは山に柴かりに・・」明日焚くマキを、
今日中に何とかして山から取って来るのです。

きのう、灯油ストーブをつけても見ましたが、どうも
いけませんね。
「どういけないのか」を書き出すとキリがないし、
あまり楽しい作業ではないので書きませんが、一つに、
灯油ストーブとは「お金を焚く」ストーブであり、
マキストーブは「自分の労力を焚く」ストーブなのでは
ないでしょうか。

「しょうがない」と、とにかくさきほど、チェンソーを
かついで、近くの森にでかけ、明日焚く薪を取って来ました。
これは本当に大変な労働です。しかし正直、
それでもマキストーブの方がはるかによいのです。



神が既にキリストにあって私達に与えている
私達の立場、身分、地位を信じ、それに安息し、更に感謝し
そしてその事実を「宇宙に向かって」宣言すること。
(それらの事実は各自聖書から必死に探さねばなりません。)
方や
それと矛盾する一切の目に見える現象、感覚を断固排し、
拒絶すること。
それこそが神(のことば)を信じるということであり、
キリスト者の日々の「仕事」でさえあると考えております。
(神を信じるとは、神のことばを信じることです。)

2012年3月5日月曜日

太郎さんのその後

去年12月6日の記事で、皆様方に
お祈りをお願いしたあるキリスト者の事です。

大病院の医師から完全に見放され、
それゆえに転院を迫られていた、末期肝臓病患者の
太郎兄弟は 12月6日の時点で、3つの重い現実の中で
とても苦しんでおられました。それは、ひどい腹水、
全く食べられないので、100%点滴による栄養補給と
体内に入れた医療器械です。

所が、何とその後、症状はドンドン快方に向かい、
腹水はなくなり、不思議なことに
食欲が出て来たので点滴の必要もなくなり
腹に入れた器械は取れ、遂に
「もう絶対にあり得ないと医師が言った退院」が
1月23日に現実のものとなったのです。

先日、渋谷の彼の自宅で、神は私達に
見違えるようになられた太郎さんとの、
キリストにあるとても親密な交わりを与えられました。

その交わりの結果、これから月一くらいのペースで
「普通のキリスト者どうしの単純な交わり」を太郎さんの
家で持つことになったのですが、それは、彼の現在の心境を
表すある真実な言葉がキッカケとなったのです。

それは、
これから多分そう長くは無い私の人生を
本当に価値のあるもの、神に対する「真の礼拝」の為に用いたい、
というものでした。

その間の数時間、彼は一度も横になることなく、私達と同じ
テーブルのイスに、シッカリと座り続けておられたのです。

2012年3月3日土曜日

雪に閉じ込められています

昨日、山に入りました。

きのう山の天気予報は
「正午から雪、それが翌朝まで降り続く」というものでした。
これは大変、間違いなく大雪になる。だから、どうしても
荷物や建材を、午前中に小屋に入れ、
車は林道に置かなければならない!と言うわけで、
昨日まだ暗い早朝、5時過ぎに実家を出たのです。

しかしそれ以前の問題もあり「29日の雪のせいで、果たして
ロイヤルロードは登れるのかな」とも思ったのですが、これは
ハンドルを取られながらも、チェーンなしで、しかし
何とかヨタヨタと小屋に着くことが出来ました。

正に予報の通り、正午からドンドン雪が降って来ました。
しかしお昼のラーメンを食べてから、降る雪の中、車を
林道に置きに行ったのはわけもないことでした。


予測どおり今(翌朝3日の5時半)西の窓から見ると
「これはあの1月22日の凄い大雪と、全く同じ景色
ではありませんか!」
あたりは、ノッソリとした白い物体の中に包まれ、
その中に埋もれてしまったカリマンなのです。

これで私は一人小屋に閉じ込められることになりますが、
多分大丈夫でしょう。何故かと言うと、水道の凍結は何故か
全く無かった上に、あさってから高温が続く予報であるし、
食材はきのう沢山買って来たからです。

2012年2月29日水曜日

いよいよ林道に駐車か

今実家に来ており、
ブログの方はお留守になっております。

今日はここも東京も雪、今どんどん降っています。
ここでもこうなのだから、山小屋あたりでは結構な
積雪になるでしょう。

と言うわけで、あさっての入山が気がかりです。
いよいよ、ロイヤルロードは、車で入れないことも
覚悟するべきです。その場合、今回初めて、車を
林道に置き、徒歩で小屋に向かうことになります。
(或はチェーンを着ければ登れるかな?
とにかく行って見ないと分かりません。)

こういうこともあろかうと、今回は長靴を車に積み込み
荷物も少なめにして下山したのですが、それでも
ノートパソコンその他は、かつぎ上げなければなりません。
(それにしても、ホンダで買った大きな買い物を小屋に
入れるのはいつになるのでしょうか)

それに水ですが、外の止水栓は止めたのですが何と
中の蛇口を全部開放にするのを忘れてしまったのです。
この結果がどうなるかは経験がないので分かりません。
(昨日朝、田村市はマイナス12度の予報であったから、
小屋は-15度以下になったでしょう。)

チェンソーについての貴重なコメント感謝です。
今持っているものは「コメリ」が売り出している中でも
最小のものです。バーサイズは300ミリもないでしょう。

昨日ジョイフルホンダでいろいろ聞いて見たのですが
私のような者の場合、特に高価なものを買う必要もないかな、
と言う印象を持ちました。
ジョイフルホンダでは「タナカ」のものを扱っており、
「普通はこれで十分です」と店員は自信満々でした。

漆喰は白かオフホワイトにしようと思っております。
その工事の開始は4月でしょうか、五月でしょうか。
今後ともよろしくお願い致します。

2012年2月23日木曜日

二月の雨

ここにしては珍しい二月の雨です。これであの時の
大雪も八割方は消えるでしょう。

薪の方は、「ここまで来たら、この冬の分は何とか
なりそう」とノンキなものです。底をついたら、また
「立ち枯れの赤松」を切りに行けばいい、と思っている
せいですね。それにしても正直「まーよくぞここまで
来たもんだ」と言うのが実感です。これもきっと
「ミスターワンダー」(イザヤ9の6)のお陰でしょう。

ところで、チェンソーの目立てというのは難しいです。まだ
コツがつかめていません。それに、もっと馬力の強いのを
買わないと、森林組合が伐採後「奥の沢」に放置した、
根もとに近い巨大な杉はとてもカット出来ないでしょう。
出費は少々痛いのですが、このライフスタイルを自分で選んだ
以上、これはやむを得ないことです。やはりチェンソーは
「スチール」社のものがいいのでしょうか。

大工の方は一階部分の内装です。3月一杯くらいで、漆喰を
塗る前段階まで行ければいいかな。この方も、ホンとにここ迄
来たのか、とつくづく思うばかりです。ただ主に感謝です。

「真理と経験」の方は、
キリスト者に内住されている聖霊とは
「御父と御子にとってさえ、彼等の命の力そのものである」
という事実にただ驚いております。
これ以上に大変なことが他にあるでしょうか。