きのうの記事を読まれた方が
「ソリは使わないのか、雪はいつ溶けるのか」と
聞いて下さいました。有難うございます。
先ずはソリですが、
この辺は凹凸の激しい地形ですのでソリはムリですね。
でもきのうの場合は幸い、立ち木を切り倒した場所の
スグ下が道路だったので、切った木の幹を下に投げ落とし、
それを車で小屋まで運んだのです。これが出来る場合は
比較的楽です。
さて、
ここ阿武隈は東北の山奥には違いないのですが、一応
太平洋に近いので、真冬は晴れの日が多く、積雪は少ない
のです。(でも一旦降るとなかなか溶けてくれません)
しかし「冬型の気圧配置」が崩れる3月頃になると、東京が
雨でも、標高の高いここは雪となるのです。だから時に
阿武隈の春の雪は大雪となります。
ケサからの霧雨が、午後からミゾレに変わりました。
明日焚くマキがないので、そのみぞれの中、昨日運んだ
木の幹を、マキ用に短く切って、それを南デッキに並べ終え
ヤレヤレと今、中でくつろいでいる所です。
これだけあれば明日までのマキは大丈夫でしょう。
予報は、この雪は明日の昼まで続くと言います。様子を見て、
また車を遠い駐車場まで持って行かなければなりません。
あれやこれやと確かに大変ですが、これらの事も
山暮らしの醍醐味と言えないこともありません。
★
神が達成し、私達に与えられた諸事実の中で
最も感謝するべきことは
「神が私をキリストの中に置かれた」という真理です。
(それはキリストの死の時点から始まったのですが・・)
それ故に、キリストの死のみならず、復活、昇天、御座においても
「私はキリストの中にいる」のです。
パウロの手紙に頻出する(70数回)「主に在って」(in.Christ)
とはその意味です。今日、キリスト者間で、その事実が単なる
「挨拶のフレーズ」になってしまい、その明らかな効力を、
キリスト者が殆ど実生活で経験することがないのは、
「形のみを残し、実質を奪うサタンの仕業」です。
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