2012年3月9日金曜日

阿武隈の春の雪

きのうの記事を読まれた方が
「ソリは使わないのか、雪はいつ溶けるのか」と
聞いて下さいました。有難うございます。

先ずはソリですが、
この辺は凹凸の激しい地形ですのでソリはムリですね。
でもきのうの場合は幸い、立ち木を切り倒した場所の
スグ下が道路だったので、切った木の幹を下に投げ落とし、
それを車で小屋まで運んだのです。これが出来る場合は
比較的楽です。

さて、
ここ阿武隈は東北の山奥には違いないのですが、一応
太平洋に近いので、真冬は晴れの日が多く、積雪は少ない
のです。(でも一旦降るとなかなか溶けてくれません)
しかし「冬型の気圧配置」が崩れる3月頃になると、東京が
雨でも、標高の高いここは雪となるのです。だから時に
阿武隈の春の雪は大雪となります。

ケサからの霧雨が、午後からミゾレに変わりました。
明日焚くマキがないので、そのみぞれの中、昨日運んだ
木の幹を、マキ用に短く切って、それを南デッキに並べ終え
ヤレヤレと今、中でくつろいでいる所です。
これだけあれば明日までのマキは大丈夫でしょう。

予報は、この雪は明日の昼まで続くと言います。様子を見て、
また車を遠い駐車場まで持って行かなければなりません。
あれやこれやと確かに大変ですが、これらの事も
山暮らしの醍醐味と言えないこともありません。



神が達成し、私達に与えられた諸事実の中で
最も感謝するべきことは
「神が私をキリストの中に置かれた」という真理です。
(それはキリストの死の時点から始まったのですが・・)
それ故に、キリストの死のみならず、復活、昇天、御座においても
「私はキリストの中にいる」のです。

パウロの手紙に頻出する(70数回)「主に在って」(in.Christ)
とはその意味です。今日、キリスト者間で、その事実が単なる
「挨拶のフレーズ」になってしまい、その明らかな効力を、
キリスト者が殆ど実生活で経験することがないのは、
「形のみを残し、実質を奪うサタンの仕業」です。

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