・・・
視覚情報と平衡感覚とのズレが原因だ。
ストレスも一因といい、
専門家は「不安を和らげることが大切」という。
(朝日新聞)
この人の身体にさえ悪影響を及ぼす現象は
キリスト者に対しては、今さらに大きいと私は思います。
それは実に惜しいことです。
何故なら
キリスト者でさえ、否キリスト者であればこそ
(放射能よりもはるかに恐ろしい)「今この世にただよう
ある空気」(地下からの煙)を吸い込むならば
実に不思議なことに、
キリスト者の霊はたちまち弱められてしまい、
キリスト者に課せられた、キリスト者だけに可能な、
最も尊く効果的な、
人々のための、日本のための奉仕である祈り、
その祈りへの意欲そのものが、逆に
奪われ、どこかに行ってしまうからです。
従って私達が
テレビや、さまざま人々からの雑多な情報の渦に
多くの時間、埋もれ、まかれてしまうことは
とても残念であり、危険なことであると言うべきでしょう。
私にとって今大切なことは、
自分に可能な「みことばと祈り」の為の一定時間を確保し
むしろ淡々粛々(しゅくしゅく)として、
あたかも「何事も起っていない」かのごとくに、人としての
基本的な日々の日常生活を、堅実に送ることではないでしょうか。
*
情報とは「私の意志が主のために主体的に知る」ものであり、
当然「私の総て」が情報に引き込まれ、吸い込まれ、
飲み込まれるべきものではないはずです。
そして「そのボーダーライン」がどこにあるかは
ただキリスト者の霊だけが「あの悪しき者」の意図を主体的に、
そして密かに「見る」ときに初めて知ることが出来るものです。
そのようにして私の霊が、私に危険を告げる時に、
私がその場から速やかに身を引き、直ちに「神の高所」に
かけ上らなければ「その津波」は私をたちまちどこかに
連れ去ってしまうことでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿