仮にこれから
原発が最悪になり、放射能の汚染により
もう二度とあの美しいカリマンの地を踏むことが
出来ないとしても、またたとえ
最愛の者が目の前から消えたとしても、
私は何も失うわけではない。
イナむしろ、
そのような悲惨と見える喪失(そうしつ)は
この動かざる事実「私の永遠の所有」を単に
鮮明に浮き上がらせるだけである、
という不思議な感覚が深い深い心の奥底にある。
これは私であって私ではない。
だからこれは決して自慢話ではありません。
一人ぼっち セルフビルドの山小屋作り始めて、もうかれこれ15年、
キリストをここに迎えて 今年で5年
けれども 小屋は いまだに未完成。
2 件のコメント:
アーメン。本当にそうだと思います。
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