従ってその「自治を守ること」はあなたがしなければ
なりませんし、それは完全にあなたの責任です。その限りに
おいては神は、あなたを助けることをしません!そこには常に
「あなたの意志」が存在していなければならないのです。
何故なら真の神は人の自由意志をとても重んじられるからです。
宇宙の歴史の中で「一度神はその原則、神の法を定められた」
のであり、従って神ご自身でさえそれを安易に破ることは
出来ません。法とはそのようなものではないでしょうか。
この事実を明示する絵は、創世記3章に大きくかかげられて
おります。そこにあるのは、神とヘビと人間の「独立した
3つの意志」です。(それゆえ神は、エバとヘビの間に
割って入ることは出来ませんでした。)
①
しかしながら、悪霊のやりかたは全く異なります。
ある集会の中などでヘビは「そのあなたの自由意志」をさえも
放棄させ、全くの受身状態にならせ、あなたを完全に無防備
(むぼうび)にし「あるものの上に自分をフワフワとただよわ
せる」ことが深い信仰であるかのように思わせたいのです。
そのようにして悪魔はむしろ「道を求める真剣なキリスト者」を
誘惑するでしょう。悪魔とは誘惑者という意味であり、
その際の有力なエサは、ある種の美や「心地よさ」です。
くりかえしますが、悪霊は、常に何とかして人に意志を
放棄(ほうき)させ、人の中に入り込みたいのです。
そのようにして最後には邪霊の意志のまま、機械かあやつり
人形のようにキリスト者を動かし、次に今度はキリスト者を
大いに苦しめ、そのあげく、出来れば自分の「ともづれ」に
することを切望しているのです。(彼は、破滅というさけ
得ない自分の運命を感じているからです。)
かように、人が自分の頭・思いをふりはらい、二、三の単語を
早口にくりかえすことによって受身状態になり、何かを呼び込む
ように「となえ続ける」時に、そこにある現象(げんしょう)が
発生せざるを得ません。
(何故ならその時人は結果的に、それとは知らず、悪霊が
取り付く条件を満たしてしまうからです。)
以上の事実を見るとき
①の原則から「聖霊が来る」などということは
絶対にあり得ません。
しかし、②の原則のゆえに、その人に、待ってましたとばかりに
飛来し・とどまり、時に「すばらしい恍惚(こうこつ)経験」を
人に与えるのは悪霊達以外にはありません。
対キリスト者であればこそ、
悪鬼、邪霊達はしばしば、美しい「光の天使」をよそおい、
聖霊のマネをし、キリスト者に一時(とき)大きな幸福感や奇跡
をさえ与えるのが、とても上手であることを私達は知るべきです。
付け加えますが
「私は聖霊体験をした、私は不思議を行う能力がある」などと
言って誇る人たちの私生活をよく見るならば、その霊がどういう
種類の霊であるかは容易にサッシがつくでしょう。
2 件のコメント:
アーメン。
確かに、そのとおりです。
私は俗に言う「聖霊派」の中でガンバっており、神秘体験などをしておりましたので、懐かしいな〜、と思いながら拝読させていただきました。
鳩兄弟、有難うございます。
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