ついさっき、小屋に着きました。
今日はまず午前、千葉ニュータウンのジョイフルホンダで
鉄パイプ(単管と言うのかな)を買いました。
3・4メートルを1本、3メートルを二本です。
(そこではパイプの切断や穴あけもやってくれるのです)
それを積んでから出発したので、こちらに着いたのは
5時半でした。やはり少々疲れましたね。
でもこれから片付けて、食事を作らねばなりません。
山はようやく木々から新緑が出始めたといった所です。
こちらの平地ではまだ桜が咲いているのですから。
*
聖書について大切なことは、
ただ「そこに重要な真理が書いてある」ということ
だけではなく、
それらの事実が「総ての創られたもの達」に対して明確に
宣告されなければならない、と言う点にあるように思われます。
「みことばを宣べ伝える」と言うフレーズは今日
全くいいフルされ、しかもとてもせまい意味で
使用されています。しかしその本来の意味は決して
そうではないでしょう。
その真意は、
神の重要真理(十字架、復活、御座に関する事実、即ち福音)は
本来(イエスが言われたように)対人のみならず
「総ての創られた者たちに」対して
「いちいち日々」明確に宣言されなければならない
と言うことです。
「宇宙の法」の制定者である神は、人によって随時(ずいじ)
それらの真理がハッキリと宣告されることをとても
重んじられるのです。(そして神は「宣言を聞く」
ことがとてもお好きであるはずです。)
また、実際的に言って、どんなにすばらしい法であっても
ただ存在するだけでは「その力と効果」は
殆ど現れないのではないでしょうか。
以上のようなことを
今日道々考えておりました。
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