2011年5月2日月曜日

山ではまだ桜が

ついさっき、小屋に着きました。
今日はまず午前、千葉ニュータウンのジョイフルホンダで
鉄パイプ(単管と言うのかな)を買いました。
3・4メートルを1本、3メートルを二本です。
(そこではパイプの切断や穴あけもやってくれるのです)
それを積んでから出発したので、こちらに着いたのは
5時半でした。やはり少々疲れましたね。
でもこれから片付けて、食事を作らねばなりません。

山はようやく木々から新緑が出始めたといった所です。
こちらの平地ではまだ桜が咲いているのですから。


聖書について大切なことは、
ただ「そこに重要な真理が書いてある」ということ
だけではなく、
それらの事実が「総ての創られたもの達」に対して明確に
宣告されなければならない、と言う点にあるように思われます。

「みことばを宣べ伝える」と言うフレーズは今日
全くいいフルされ、しかもとてもせまい意味で
使用されています。しかしその本来の意味は決して
そうではないでしょう。

その真意は、
神の重要真理(十字架、復活、御座に関する事実、即ち福音)は
本来(イエスが言われたように)対人のみならず
「総ての創られた者たちに」対して
「いちいち日々」明確に宣言されなければならない
と言うことです。

「宇宙の法」の制定者である神は、人によって随時(ずいじ)
それらの真理がハッキリと宣告されることをとても
重んじられるのです。(そして神は「宣言を聞く」
ことがとてもお好きであるはずです。)

また、実際的に言って、どんなにすばらしい法であっても
ただ存在するだけでは「その力と効果」は
殆ど現れないのではないでしょうか。

以上のようなことを
今日道々考えておりました。

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