2011年5月14日土曜日

コメント有難う3

いまだに
コメント欄に私のコメントが載らない状態が続いて
おります。私のパソコンが古いせいかな。


主はそう言う「しつこい」祈りを喜ばれるのでしょうか。


はい、ルカ福音の「やもめ」によると確かにそのようですね。
さて
1・神がキリスト者に御自身の「みこころ」を啓示される
2・キリスト者がそれを「自分の願いとして」 神に「しつこく」
懇願する
3・神がそれをかなえられる

どうも、以上は神が意図された定めのようです。 だから、
シッカリと「みこころを知ること」が 総てのよきことの
始まりなのでしょう。 それにしてもキリスト者の祈り無しに、
神は何事もなさらないとは実に不思議なことですね。
だから今私達にとって「真の祈り」を学ぶことが
緊急の課題であるはずです。

さて
私は物すごく健康であるというわけでもありません。今年は
新年に風邪をひいて寝込んだし、きのうあたりまで
花粉症で結構不快な時を過ごしておりました。

熱心なキリスト者は霊を重んじるあまり、肉体を軽視、または
蔑視する傾向があるように思いますが、「私の霊の真の状態」は
私の肉体を通して現れざるをえません。即ち、私が肉体において
行う総ては私の霊の現れ、真相である、ということです。私が
断定できることは、神の目から見て 人間の体は本来、とても
すばらしいものに違いない、ということです。

だから私は「聖霊と共なる私の霊」が無理なく自然に
私の魂と体に対して、その聖なる支配を表現する、
というような キリスト者でありたいのです。

もしもそうであれば、彼はキリストと共に 今でさえ万物をも
治めるでしょう。その時、彼は「キリストを王にいただいた
天国の一表現」そのものに違いないのです。

(「支配」は非常に重要な聖書のテーマです。また神の言葉に
よると「支配」は人民によってでなく、王によります。だから
聖書に民主主義はありません。そしてそのような天的な
王による支配を天国、御国、神の国と呼んでおります。また
「キリスト者が死ぬと天国に行く」という記述も、少なくも
聖書では、どこを捜しても見出すことが出来ません。)



サスケさん
今御座におられるキリストは、今度は「彼の総ての達成」すなわち
キリストの完全な勝利とサタンの全き敗北・滅亡(福音の中身)をさえ
含んだ聖霊として今、私達の最も深い部分におられます。

しかし言われるように、その「天国としてのキリスト」は
とても隠されており、あたかも小さな種か、黙示録に出てくる
あの封印された小さな巻物のようです。
(こんな神秘なことが他にあるでしょうか!)

しかし更にすばらしい事実は
もしもある人が、日常において、喜んで土に埋められるという
「自分の十字架」を否むことが無ければ、
その隠された永遠の種は、今度は時空の中でさえ 発芽、成長を
経(へ)、キリストが支配される御国として彼から徐々に現れ、
遂には開花に至る、ということです。(永遠と時空は対比され
ます。また「完全な全き開花」は次の時代において、
でしょうが・・)

その時に彼はキリストと共に 命と愛の中で 万物
(彼の魂や体をも含めた彼をとりまく総ての環境)をも、何事も
無いかのように自然に支配し、治めることが出来るはずです。

(しかし普通見られる光景は、魂や体が、その荒々しい自分の
欲望のままに「霊からの繊細で聖なる主張」を抑圧し無視して
います。これは混乱、混沌であり、聖なる王の「不到来」を表して
おります。それは逆に「神の敵・この世の王」の支配を示す
ものでしょう)

そのように私達は、もともと神が意図されたように、
サタンの支配を退け、万物を支配する存在でありたいのです。
聖書によると、キリスト者とは本来その身分上何と「王達」でも
あるのですから!むろんキング、オブ、キングスは
ただ一人、主イエスキリスト以外にはあり得ませんが・・。

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