なぜか再三の試みにも関わらず、私のコメントが
コメント欄に載りません。やむなくここに掲載する
ことをお許し下さい。
*
匿名さん、感謝です。お会いすればもう互いに知って
いる人なのでしょうか。
心から・またのコメントをお待ちしております。
サスケ兄弟
真に「御国」(サタンに代わるキリストの統治、支配)
が「近づく」だけでなく、そのリアリティが今の時代、
実際にこの地上に現れますように!
「キリストの完全な支配、統治」は次の時代に、
この世界にも「公に」(誰の目にも分かるように)出現しますが、
「この時代における御国の現れ」に関しては
そのカギを握るのが、今現在のキリスト者達の姿・実際です。
即ち
今この時代、少数のキリスト者達を通してであったとしても
ある程度「その御国のリアリティ」が現に地上に出現するか
どうかはとても重要であると言うことです。
その理由は
その分量(キリストの実際的な支配の分量)がある一定に
達する時点で、初めて教会時代は終結し、時代が転換する
からです。
*
そのために必要なのがひたすら祈りです。
それは「キリスト教宗教」のように、人の願望、欲望を
かなえていただくための「お祈り」であってはならない
でしょう。(そういう祈りはダメだとか、そういう祈りを
神は決してかなえない、とは言いませんが)
この時代、神が心からキリスト者に要求されている祈りとは・・
・悪らつなサタンに対して神が報復して下さることを
神に日夜懇願する(しつっこいあきらめない)祈り。
(ルカ福音18の「やもめ」のように)
・キリスト者が直接、サタンを糾弾する証しの言葉(黙示録12)
・サタンが万物を用いてキリスト者の目前に構築する
「山」(御国の現れの上で、殆ど不可能であり、極めて困難と
見える状況)さえ移すキリスト者の言葉(マタイ17)などです。
(以上を「祈り」と総称することは可能でしょう)
そして
それらは日夜、キリスト者が自分の口を開き、自分の霊を
前面に押し出し、外の世界(霊的な神の敵の支配)に向け、
神の言葉(キリストの勝利、即ち福音)が、自分を含めた
総ての創られたモノ達に対して発せられねばなりません。
その際、当然のことながら
敵は霊であるゆえ、私達も霊の中に入り、霊によって
対抗し、また攻撃する必要があります。(攻撃は最大の防御
であり抵抗でもあるからです。真に神の国をこの世に出現させる
ためには、「祈り」が実は「祈り風、魂のツブヤキ」であるならば
殆ど何の意味もなさないでしょう。)
さて、先ほどのルカ18によると、イエスはその時、
この最後の時代において「地上にそのような信仰が見られる
であろうか」と言われましたが、それは決してイエスの
ため息ではなく、そのようなキリスト者の祈りこそ、今再臨を
願われる神の子キリストにとって、切迫した切実な願いであった
ことを意味しているのではないでしょうか。
しかし、そのようにして今の時代に「隠された方法で」
この地上に現れるであろうキリストの統治(神の国、天国)は
決して、この世やキリスト教世界によって賞賛されることはなく、
むしろ迫害されるであろうという事実を
私達は今から知っておく必要があるでしょう。
また以上のような祈りにおいては
「人の魂を源泉とする血肉の熱心」は絶対的に
退けられねばならないことも肝に銘じるべきです。
2 件のコメント:
シュガー兄弟、心からの「アーメン」を言います。
マルコ4章で主の言われた「隠されているもの」とは、「神の国の福音」であると信じます。
御国のことを懇願する一群れの信者が、一点、純粋なる主の王国を、地上にもたらすと、サタンの敗北が、地上において、暴かれることでしょう。
隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみにでないものはない。
神の国の福音は、信者それぞれの心に隠されており、本人でさえ、それに気づかないほどのものかもしれません。
ですが、主は、神の国と神の義とを第一に求めなさい、と言われます。
主の祈りにおいても、御国が来ますように、と祈りなさい、といわれます。
神の国の福音は、神によって、信者の心に隠されています。
どうか、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、主なる神を愛し、王国の祈りを捧げる、真の祈り手が、今日、地上に起こされますように。
それは、世界から見たエルサレムほど小さく、また、全宇宙から見たらカラシ種のほどのものかも知れまん。
しかし、主にとっては、極めて尊い祈りであると信じます。
どうか、屋根裏部屋の片隅で、真実、王国の祈りを捧げる勝利者が、主によって起こされ、主の栄光が、全宇宙に表れますように!
「悪らつなサタンに対して神が報復して下さることを神に日夜懇願する(しつっこいあきらめない)祈り。」
やっぱりしつこくあきらめないことが大事なんでしょうね。主はそういう祈りを喜ばれるのでしょうか。
少し遅いですが、お誕生日おめでとうございます!
クリスチャンは、年齢を重ねても、霊は日々新しくされるから、すばらしいですね。
でもシュガーさんはブログを拝見している限りでは、とても肉体が「老いて」いるような感じでありません。やはり霊によって、この肉体が活かされるんですね。
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