心配してくれて有難う。
でも結局のところ、
「何を信じるか」ということではないでしょうか。
で、私の場合は
「学校での戸外の活動の基準は3・8マイクロシーベルト毎時」
を信じますし、これで行きますよ。
今、色んな人がさまざまなことを言っていますが、そんな
際限の無い情報にいちいち振り回されていたら、実家にいても
和歌山に逃げても、いずれノイローゼになってしまうでしょう。
それは楽しくないし、とてもソンな生き方ではないでしょうか。
しかし、
「間違いなく、一年後に動けなくなるほど」の健康被害がある
という状況になった場合はスタコラ山をおります。それは当たり
前ですし、山小屋などどうなってもかまいません。
さて現実問題、放射能によって私が「不自由な健康状態」になる
よりも、今既に私の体のどこかにガンが発生しているという
可能性の方が、ハルかにハルかに高いのです。要するに、
放射能等と関係なく私はもうすぐ確実に死にますが、その確率は
100%であり、このこと以上に重要で確かな「情報」はありません。
いずれにしろ私の場合、主の恵みを得て
これから10年間、元気で活動できるとすれば
他に言うことは全くないと思っております。
それに、今一日一日、
私の霊は不思議なほどに安らかです。
そのようにして死ぬ日も迎えられたら素敵ですね。
2 件のコメント:
兄弟、人には、誰にも制限され得ない自由がありますね。それは、神も侵されません。
友人として、山のことについて、自分は、もう何も言いません。
ただ、自分の内側には、兄弟の行動に、アーメンすることが出来ない何かがある、ということを言わせてください。自分が争うのは、理屈ではなく、内側で感ずることです。
了解です、有難う。
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