朝4:30
田村市は最低マイナス3度、最高0度。晴れ、少し風3。
小屋は外がマイナス7度、内が3度で内外差が10度。
気温の点で、ここカリマンは北海道なみなのかも知れない。
少なくも田村市の中では別格と言えそうだ。
今 風の音が森に響く。今日 山散歩が出来るかな?
・
昨日見てみると
浴室の排水が大量にもれて、地下のボイラー室に流れ出ていた。
今日その原因を突き止めなければならない。このリークは厳冬期
以外には起らなかった。 だから外へ出た排水が、外の配水管の
どこかで凍結して詰まっているせいかも知れない。もしもそれが
原因ならばことは簡単なのだが・・。
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Ⅰペテロ1の3
everything necessary for life and godliness
(①命と②神に似ることのために必要な総てのもの)
ここで分かることは:
神は「私達が必要であるもの」は総て与えて下さるが その目的は
「世に言う人の幸福」のため等ではなく①命と②神に似るため
である、と言うことである。
日本語ではよく「敬虔」(けいけん)と訳されているこの語は
英語ではgodliness と訳されていることが多いようだ。
(敬虔と言われても何のことか私には分らない)
さて
godliness、神に似ることは神の命から生ずる以外には
あり得ない。 逆に言えば神の命が人に与えられたのは神に
似るためである。「この目的のために 神は私達にとって必要な
総てを与えられるのです」と ペテロはこの箇所で暗示している
ようである。
更にその「総てのもの」中には私達から見て
好ましい環境だけでなく、 とてもしばしば
「あまり好ましくない環境」も含まれているはずである。
ペテロの手紙が非常に困難な環境の中にある兄弟姉妹に
向けて書かれたと言う事実を思うならば
それはなおさらの事ではなかろうか。
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