人は福島にいるよりは
茨城にでも逃げた方がよいと思うでしょう。
しかし茨城の人は、ここでも危ない
「関西の親戚に身を寄せようか」などと思います。
ところが心配性の関西の人は外国の方が
もっとよいと思うでしょう。
事実そう言って、多くの人々は日本から逃げ出しました。
しかし、結論から言って今日、
「特にこれからの時代」地球上に
完全に安全な場所など、決してどこにもありません。
安全だと信じ、のがれたその場所でいずれ、予期しえない
「ある災い」が彼を捕らえてしまうかも知れません。
*
しかし、感謝します。
神様は既に、総ての人間の為に
「絶対的に、永遠に、安全な場所」を
確保して下さっているのです。
①
それはどこでしょう。
それはほかでもない、
あの「天地にまたがるブドウの木」の中です。
人がそこに留まる限り、全く永遠に安全です。
宇宙広しといえども、ここ意外に
安全な所など決してあり得ません。
②
あと具体的には、
「神が私のために、みこころとされる場所」
(福島でも、茨城でも)に
安心して留まればばよいのです。
神はいずれそこから更(さら)なる場所に
あなたを移されるでしょう。
その方法についてあなたが
とやかく心配する必要はありません。
なぜなら、その時あなたは「その場所」「今日のキリスト」
(ヨハネ14、15章)に
もう植えられている(つながっている)からです。
(それは、真の命における、キリストとの結合によります)
2 件のコメント:
イエスの救いに無知な人でも、冷静に考えれば、この世には永遠的に安全な場所は存在しないという結論に達するはずですね。
そういう面からすると、今回の震災で多くの人が神が用意されている場所の事を少しでも考えるようになったことを願いたいです。
全くその通りです。
本当は「世界的な大艱難」など
どうでもいい筈です。
私に確実に臨む大艱難(死)そのものを
なぜ人々は
真剣に取り扱わないのでしょうか、
と思っております。
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