2011年2月7日月曜日

ある対話

昨日は本当に長い一日でした。
まずは朝の祈りから:

ある古い肉の思いが私をとらえ始めたそのとき
”いい逆らうあなたは何者ですか”という御言葉が思い
浮かびました。その瞬間、何とその思いがスーッと
無くなったのです。 こんなことは初めてでした。
これこそ、本当に「静かな神の働き」だったと思います。
その後は賛美賛美でした。


昨日午前 兄弟姉妹との交わりのあと、
久しぶりに妻と二人でパン裂きをしました。
そしてお昼を食べてから、
家でずーっと二人で キリストの話オンリー。
途中 みたらし団子など作って食べながら・・。

午前に交わった内容を再度分かち合い、
本当に神は神であるがゆえ、神の主権を再確認し、
そして今に導かれたことの恵み、そして これから
「熱いか冷たいか」どちらを歩むべきか
(もちろんキリストに熱くです!)
また一点十字架、キリストのみによって
「強く導かれて歩みたい」と切に二人で思いました。

そんなこんなで、なんとこれが夜まで続き、気がついたら
8時も過ぎていました。 それから、晩ご飯の支度して、
焼き魚を食べながら、またまたキリストの 話でした。
さすがにあきれるほどですね(笑)



ハレルヤ!
キリストは「永遠そのもの」なので、常にフレッシュです。
だから「キリストにあきる」事など絶対にないだけでなく
彼の新鮮さは キリスト者達を今日よりは明日と
永遠に引きつけてやみません。
 
だからエクレシアの中において この時代の中でさえ 
永遠が「物質の時間」を越える現象、その実感を
私達が経験することさえ十分あり得るのでしょう。

さらに私達が キリストの永遠の新鮮さを楽しむことは
加速度的に増し加わり、千年期をへて ついには
永遠の時代に至ります。今この時代における喜びと
楽しさは ホンのホンの前味に過ぎないはずです。
 

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