2011年1月23日日曜日

何ておだやかな冬

明日 山では少し雪が降るとのこと。
少しでよかった。

ここ利根川のほとりの実家にいると
関東平野の気候の穏やかさをつくずくと実感する。
「何て平和な冬だろう」

山にいると絶対にこうは行かない。
それでも実は1月や2月は阿武隈に大雪が降ることは
少ない。太平洋に近い阿武隈に大雪が降るのは
むしろ冬型が終わりかける2月末から3月にかけてである。
山での勝負はこれからなのだ。


昨日考えておりました・・

誤解を恐れずに言うならば、
神は この世から私を完全に消し去りたいのです。
私をゼロにしたいのです。

その時 私に属する
「物、者、モノ、もの」など一切ありません。
私にはどんな所有物もないのです。
既に今墓の向こうへと過ぎ去った
無である私にどんな権利があるでしょう。

しかしそれは何と身軽なことでしょう、
それは何と自由でしょう。
空中を羽ばたく小鳥のようです。
私はその時あたかも 総てを
足の下にしているあの青空のように
とても高貴で豊かです。

十字架は
神が私達にそのような  実に軽快な人生を与えようとして
神の深い深い知恵の中から生み出されたものです。
だから私達は喜んであの古(いにしえ)の聖徒のように
十字架に口づけをさえするのです。

その十字架、あなたの死ぬ方法とは
自殺ではなく他殺、 そう「あの他殺」です。
即ち あなたは信仰によって
とても効き目のある 実に力強いイエスの死に
自分を重ねることによってのみ
永遠の死の効果があなたに伝達され、
あなたはこの世に対してゼロとされるのです。
これのみが 神と人にとって価値ある唯一の死です。

何故ならあなたが
そのように真に無とされる時
初めて神は安心して あなたを人々の為に
この世に遣(つか)わすことが出来るからです。

しかしここで不思議なことが起ります。
その日あなたは人としてとてもシッカリ
この世に存在するのです。
あなたは最も健全な方法で神と人の為に
日々嬉々として自分の分を果たすでしょう。

そのようにしてあなたが もしも
あの永遠のイエスの死を
この時間と空間の中でさえ
自分の死とするならば
あなたは生きながら 毎日死の中に存在し
死の中にありながら 
日々生き生きと生きるのです。

あなたはその日 
生と死のいずれに対しても
完全な自由を得るでしょう。

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