創世記によると
「キリストの絵であるアダム」、そのアダムの骨が、
彼が熟睡中に取り出され、そしてその骨からエバが創られたと
あります。また福音書によると
十字架上のイエスの肉は裂かれましたが、彼の骨は神によって
守られたことを見ます。
さて十字架上のイエスの肉体も一面 絵や説明ですが
イエスの骨とは
イエスの中にあった永遠の命を説明(せつめい)しています。
ですから大切なのは 骨が説明している実体「霊的な命」です。
極めて尊い事実として、彼の肉が裂(さ)かれ、彼の肉の中にあった
霊の中の永遠の命が、イエスの体から解(と)き放(はな)たれ、
解放(かいほう)された正にその時、
本当の骨・永遠の命が私達(真のエバ)の中に入って来る備えが
総て完成したのです。
ですから私達・その事実を信じ受け入れた者は誰でも
イエスの中の骨が指し示すもの、すなわち永遠の霊的な命を
いただいているのです。この事実こそが大切です。
絵は一つあれば十分です。大事なのは 本当の命です。
私やあなたは今その骨の本物・真の命をいただいているのです。
誰の骨でも私達の骨はいずれ 朽(く)ち果(は)てます。
しかしイエスキリストの骨、永遠の命が朽ち果てることなど
絶対にありません。(もしも仮にそういうことがあるならば
神は神でなくなってしまいます!)
しかし、復活の時
私たちの骨や肉でさえ 霊の命の力によって復活し、
永遠に朽ちない体に変えられるでしょう。
それは将来における私達の大いなる栄光であり、また今でさえ
私達が恥(は)じなければならないものは何一つありません。
私達の罪と恥じに対する神の刑罰は イエスの身の上で
既に完結しているからです。
2 件のコメント:
そうですね。
神に似せて神が造られた絵が
アダムでそれは「キリストの絵」である。
何故なら言葉は神であったから。
その脇腹から取られ作られたのがエバで
それは「キリストの花嫁の絵」であった。
アダムが罪を犯してのち
創世記 5:3 アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。
とあります。
アダムは神に似せて造られたが
それ以後のセツはアダムのかたちどおりに生まれてきているわけで、注意してみる時神に似ている訳ではなく、私たち生まれながらの人はすべて罪を犯したアダムに似ている。
だからこそ肉によらず霊によって霊のいのちが分け与えられる素晴らしさはまさに神の技。
地に属するものは地に帰り、
神に属するものは天に帰る。
神はすごい。
ホンのこの数日間のことですが
私達のある兄弟が
病の故に 脚を切断しなければ
ならなくなり、遂に
その手術が20日に行われました。
これは彼等にとって
極めて重い事実となりました。
今後
彼と彼の家族の上に
殊更の神の祝福がありますように、
霊、魂、体における神の完全なる救いが
彼の上に豊かに及びますように!
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