2010年6月28日月曜日

キリストの賞賛

人間の存在(霊、魂、体)の中から 
よきものが出てくる可能性は一切ありません。

だから 
十字架によって 
人の総てを破壊(はかい)していただき
「キリストの信仰」によって
「総ての善きものの源なる神」と人が結合する
以外に人の取るべき道は全くない、
と思われます。

それが
福音書でキリストが人を賞賛(しょうさん)した際 
その対象が唯一「人の信仰」のみであった理由です。
しかしながらキリストはその時 実のところ
神を賞賛されたのではないだろうか
と私は考えているのです。


日本語の聖書ではあまりハッキリと
訳されていないようですが 
パウロが「人の信仰」に触れた際 
多くの場合 それは「キリストの信仰」である
と明言しております。
この内容は実に深く奥義的ですが 事実です。

0 件のコメント: