人間の存在(霊、魂、体)の中から
よきものが出てくる可能性は一切ありません。
だから
十字架によって
人の総てを破壊(はかい)していただき
「キリストの信仰」によって
「総ての善きものの源なる神」と人が結合する
以外に人の取るべき道は全くない、
と思われます。
それが
福音書でキリストが人を賞賛(しょうさん)した際
その対象が唯一「人の信仰」のみであった理由です。
しかしながらキリストはその時 実のところ
神を賞賛されたのではないだろうか
と私は考えているのです。
*
日本語の聖書ではあまりハッキリと
訳されていないようですが
パウロが「人の信仰」に触れた際
多くの場合 それは「キリストの信仰」である
と明言しております。
この内容は実に深く奥義的ですが 事実です。
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