2010年6月15日火曜日

誰の恥辱(ちじょく)?

自分が今 本当はどこにいるのかを知り 
それを認めることは重要です。そうでないと
尊い命を落とすことになるかも知れません。

しかし
それは人間にとって とても難しいことです。
何故なら人には 極めて深い誇りとメンツがある
からです。自分は今まで間違ったコースを選んで
しまった、これまで積(つ)み重ねた人生において
或いは誤った歩み方をしてしまったのかも知れない、
と人々の前で率直に認めることは途方(とほう)も無く
困難です。それは 自分の恥じを白日のもとにさらし、
自分を全否定することさえ意味するからです。


しかし神は既に「あの最後の人」において 
人間の総ての恥辱(ちじょく)を
全人類の歴史(BCとAD)のど真ん中に高くすえ
総ての創られた生き物達の環視(かんし)の中
9時から3時までの真昼間、完全な白日(はくじつ)
のもと「これをよく見なさい」とばかりに 
完全暴露(ばくろ)することを意図されたのです。

ところが実際には、神の御前において 
あのイエスに彼自身の恥辱は全くありません。
彼には 罪と汚れ、恥辱の影は一スジたりとも存在しません。
彼の本質は神の子であり、完全に神の御こころの中だけを
歩まれたからです。

そうするとあの恥辱は一体 誰の恥、誰の恥辱でしょう?
それは他ならぬ 私の恥、私の恥辱です!だから
私の総ての恥は 既に全宇宙のど真ん中において 総ての目に
さらしものとされ、そして今は何と 私の全恥辱は
墓の中へと永遠に葬(ほうむ)り去られたのです!

今この時空において 時に私はその事実とその根拠に立ち、
全被造物の環視の中、もう一度自分の全部の恥辱を人々の前に
さらす必要があります。しかしながら その恥辱は既に
彼において 完全に葬り去られ、処理され済(ず)み
であることを深く神に感謝しつつ・・

だから
私達は人々の嘲笑(ちょうしょう)の中でさえ 
いつでも勇気をもって もとの場所に戻り その地点から、
ゼロから、否、マイナス地点からでさえ 心からの
喜びをもって 出直すことが出来る筈です。

4 件のコメント:

JOY さんのコメント...

Sugarさん

はじめまして、Williamの妻です。

ほんとうに、そうです。

Mr.Sugar さんのコメント...

姉妹、感謝です。

ナンだかずうっと前から
William 兄弟姉妹を知っているような
感じがしています。
一度も会ったことがないのに・・

O さんのコメント...

アーメン
分かりやすく文章化してくださいましたことに主にあって感謝します。
ローマ書6章と1コリント1:30の「わたしたちは神によってキリスト・イエスの内にある」を具体的に見えるように書いてくださりありがとうございました。

Mr.Sugar さんのコメント...

神を賛美します。
彼のことばには 無限の深さがあります。
神が 時と場合に応じ 
私達一人一人を 
総ての真理(リアリティ)の中へと
導いて下さいますように。
(ヨハネ16の13)