不思議なことですが
信仰とは「休むこと」です。
神にとっては 先ず働きがあり。
最後に七日目の安息が存在しました。
しかし感謝なことに人の総ては
その神の安息から、徹底的な休息から
始まります。
私達はこの聖書の極めて基本的な真理を
ただ理解するだけでなく
①主ご自身と
②「彼によって既に達成された事実」を見、
そしてその中に完全に「いこい」
その結果
平静な心臓の鼓動(こどう)を得
私の息づかいが本当に
安らかになる必要があります。
一人ぼっち セルフビルドの山小屋作り始めて、もうかれこれ15年、
キリストをここに迎えて 今年で5年
けれども 小屋は いまだに未完成。
3 件のコメント:
まことにアーメンです。
が、何とニッポンキリスト教には、休もうと"努力して"疲れ果てる人々がけっこう多いようなのですね。
お釈迦様ではありませんが、何とも度し難しではあります。
こちらも、まことにアーメンです。
贖いは天地創造の順番と逆になることがおもしろいですよね。
まず人がそれから被造物が、、、。
異邦人が先で最後にイスラエルが、、。
神は疲れて休んだのではなく
私たちの為に休まれた事
実にありがたいです。
今日は早く休もぅっと。
ブラザーズ 感謝です!
↑
(たまには この言い方もいいですね。)
今日は薄暗くなるまで「神と二人」
山を2時間ばかり歩いて来ました。
この20年近く、
全く誰とも遭遇したことがない
近くの山です。
全山まだ緑とは言えない
黄色い若葉の海の中、
これはホンとに安息でした。
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