2010年3月23日火曜日

ある手紙から

兄弟、兄弟の状況のために祈っています。
さて、
この道は「今日の」イエスご自身ですから イエスの敵が黙(だま)って
この道を見ているはずはありません。かならず攻撃(こうげき)して来ます。
それは避(さ)けることが出来ません。

敵の攻撃はおもに 私達の思いや感情に対してです。
そして敵の手段(しゅだん)は二つ、ウソと死です。
彼のウソは いろいろな情報(じょうほう)を通して日夜 たくみに
私達の思いや感情にむかって送られますから 目を覚ましていなければ 
見分けがむずかしいです。その結果、敵の死が機能(きのう)して、
私達を「神と交わり」から切り離すように働きます。
「神からの切り離し」こそ敵からの死の働きです。

この敵に対抗するには 
黙示録12章11節にあるように 子羊の血と証の言葉による
以外にありません。キリスト者がよく失敗することをみこして神は 
前もって子羊の血を用意されました。ですから、私達が敵に対して常に 
この血を示さなければ、それは全く宝のもちぐされです。

また証の言葉とは神の真理のことばです。
私達は 真理のことばを声に出して敵の顔にぶつけてやるべきです。
彼らは神のことばには とても弱いのです。なぜなら
神のことばこそが本当で、敵の仕業(しわざ)はすべてウソであるからです。

当たり前ですが、ウソは真理に対しては みるかげもありません。
それは実に はかなく、つかの間の朝のキリのようなものであり、 
事実とは名ばかりの 死に満ちた「ある事実」に過ぎないからです。
それを敢(あ)えて「劣った事実」と言ってもいいでしょう。

神のことばは 私達神の子は
①今 イエスと一つである、イエスの中にある、と断言し それゆえに 
②今や 天に座している とさえ言っています。それに反し
敵どもは ヘビ達の様に地をはいまわり、日夜いたるところで
ウソと死の毒をまき散らしているだけです。それは何と下等なことでしょう。

ほかにも聖書は 私達の方が 敵のウソに対してはるかに
優位(ゆうい)である と断言する多くの真理のことばで満ちています。
私達は神の敵に対し生活の中でいつも この神の真理、
「はるかに優(すぐ)れた事実」を大いに活用するべきです。

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