とても上手にパンを作るある姉妹から寄せて頂きました。
↓
☆
私が教わったパンの作り方です。
(材料)
小麦粉…大さじ1つ位(パンの大きさによりますが)
水 …適量
① 小さめの器に小麦粉を入れ、少しずつ水を加えながら
指先でこねていきます
② 小麦粉が固まりになってきたら、器から出して
両手の指先でこねていきます
硬さは耳たぶ位の硬さです
主のことを思いながら、さらにこねていきます
③もう十分だと思ったら、ボールの様に丸めてから、つぶし、
麺棒で丸くのばしていきます
④最後は油を引かないで焼きます
温めたフライパンか お鍋を弱火にしてパンをのせます
⑤焼いているとパンが反ったりするので、菜ばしでパンを
押さえながら時々返しながら、両面を焼いていきます
少し焦げ目がついてもいいと思います
以上ですが、おわかり頂けたでしょうか?
パンさきが行われるのは、本当にすばらしいです。
☆
種が無い、
と言うのは 完全に純粋なと言うことですから、
パンを 膨張させたり、人の口ざわりをよくしたり
する物質は一切混入しません。
この事実は パンの味を舌で味わう私たちに
主とこの道の純粋さと素朴さを感知させることでしょう。
私Sugar の好みかも知れませんが、
薄くて(主の弱さ)焦げ目のあるパンが慕わしいです。
何故なら
それを兄弟姉妹が一人一人 自分の手で
パリッと裂く(割る)とき、
「ああ、主イエスもこのように裂かれたんだ」と
十字架上のイエスを 自分の指と目と耳で ある程度
感じることが出来るからです。
私達、テーブルの下の汚れた子犬達は
今日 テーブル(宗教)から落下した
「パンくずの実体」を
日々 いただくことによって生きているのです。
9 件のコメント:
sugarさんへ
パンの作り方を載せてくださって
ありがとうございます。
我が家の兄弟と、パン裂きをします。
主が何かを教えてくださることを
期待します。
そして、私にできることで主が
喜んでくださることを期待して。
KT さん、感謝です。
ご家庭で
一つのパンと 一つの杯を前にしたら、
この二つのものを
先ずはじっとと眺めて下さい。
そんな沈黙がしばらく続くのも
よいではありませんか!
そうする時に
聖霊の中におられるキリスト御自身が
お二人に
必ず何かを感じさせられ、必ずお二人に
主の死に関する様々なことを
見せて下さるはずです。
その感じを互いに 率直に語り合うか、
賛美や感謝であれば、そのまま単純に
神に賛美 感謝や祈りを捧げれば
よいのです。
「ありのまま 自然に無理なく」が
とても大切です。
さて今不思議です、
このように書いている私が
見ず知らずのお二人と共に
もうパンを前にしている
心境なのです、私は
確かに今 主の甘さに触れていると
信じます。
こんにち
そのようにして
主は家々で、キリスト者の日常生活
レベルで ご自身の死を「親しく」
記念されることを
何と 切望しておられることでしょう。
これこそ
主に幸福になっていただく道の一つ
であることは確かです。
Sugerさん、
ちょうど、昨夜種無しパンの作り方を、どなたかに教えてもらおうと妻と話していたところでした。
パン裂き、いわゆる聖餐にあずかるのは、いわゆる教会で牧師のもとでと思ってましたが、日々これを記念して家庭でも行うべきもので、祝福なんだということが、わかり感謝です。
是非、我が家でも余っているぶどう酒とともにパン裂きしたいと思います。
yasuさん
新約聖書を見る限り、
聖餐という言葉はどこにも
ないように思います。
(「愛の食事会」と言う意味の「愛餐」
はあるでしょうが、これは意味が全く
異なります。)
聖書の言い方では やはり単純に
「パンを裂く」でいいはずです。
それ以上に
「パン裂きは牧師のもとで
行わなければならない」は
聖書とは全く無縁の世界のものであり、
それはイエスの言う「先祖の言い伝え」に
過ぎません。
私たちは 先祖の言い伝えを排し、
あくまで聖書はどういっているかを
大切にし、
日々聖書を調べるべきでしょう。
聖書にあるのは「家々でパンを裂き」
です。時には大きな家で 多くの家族や
独身者も加わって行ったことでしょうが
日常では、家々でしばしば主を記念して
いたはずです。
いずれにしろ、今日の最大の問題は
それを儀式化してしまったことです。
これは主の当初の意図とは真逆の状態
です。・・
パン裂きについて言うと 言うべきことが
「無限に」ありそうです。
そのうち お会いして共に
パン裂きにあずかりたいものです。
陽子が書きました
とどきましたか
届いたら最高に嬉しいです
陽子です
今孫のさやかちゃんに
小文字の出し方教えてもらいました
練習しています
聖書の質問もブログで送れるように
練習します
宜しくお願いいたします
陽子さん
了解しました。
期待いたしております。
>私達、テーブルの下の汚れた子犬達は
今日 テーブル(宗教)から落下した
「パンくずの実体」を
日々 いただくことによって生きているのです
アーメンです
種なしパンの作り方私のブログにも転載させていただきました。事後報告ですみません。
姉妹
嬉しいです。
日々あちこちの家々でパンが裂かれ
「私を記念して欲しい」という御心が
満たされますように。
コメントを投稿