2009年12月12日土曜日

このごろの思いです

神があの木に釘付け、滅ぼそうと意図されたのは 
私・旧創造でした。(そうでなけば、不合理です。)
そして正に 神はそれを2千年前に実行されたのです。
ですから、あの時
十字架上に磔(はりつけ)になったのは
私以外の何物でもありませんでした。
ところがその時、実際にそこにおられたのは
イエス・キリストでした。

ここに大きな真理が啓示されています。
それはその瞬間 キリストと私は全く一つとされたのです。

「私はキリストと共に 十字架に付けられた。」(ガラテヤ2の20)
「私が地上から(木に)上げられるなら、私は総ての人を
私に引き寄せます。」(ヨハネ12の32)


人については 語らずに祈る方がよい。
私が語るのは ただ
「キリストそのお方について」でありたい。


ようやく雨が上がりました。
今日から、風で飛ばされた三枚の透明屋根の
修復にかかります。明日には終わるでしょう。

0 件のコメント: