2009年11月4日水曜日

展開力(2)

*人は邪魔*
神の業を行うと言うことに関する限り
神はとにかく人が邪魔で邪魔で仕方が無いのです!「邪魔」とはよく
言ったものです。私達は この漢字をよくよく見つめる必要があります。
私達が 神の為にしようとすることは総て「効果ゼロ、無駄」である
だけでなく私達の行為は「邪魔」以外の何物でもありません。

だから神はその邪魔な人間と その総ての業を 取り除くだけでなく、
何と 呪う必要さえあったのです。それ故に、「あの木の上の人」は単なる
死刑「石打ち」ではなく、木の上部に釘付けられ、つるされて「宇宙の
さらしもの」とされ 神に十分に呪われる必要があったのです。

あの人とは誰ですか、あの罪人(ざいにん)とは実は 私やあなた
ではなかったのでしょうか!神が「完全無垢なお方」を死刑に
処することなど 絶対にあり得ないからです。もしもそんなことがあった
とするならば宇宙は直ちに崩壊したでしょう。もしもあの時、私やあなたが
そこにいなかったとするならば、神は御自身の義を全面的に捨て去った
ことになるのです。何故なら、神は無罪の人を死刑に処してしまった
からです。

しかし、事実 神は冤罪を犯しませんでした。なぜならあの時、神に呪われ、
死刑となったのは正に私やあなたであったからです。故にそれは完全に
正当な刑の執行となりました。ある歌にあるように あの時「イエスとの
一つ」の中で「君も私もそこ(十字架上に)にいた」のです。

私達人は神が 何かをされる際の 最大の障害物です。ですから、人が
十字架の真の意味を知らずして、神のために何かをしようと企てる時、
神はきっと、とてもハラハラされるでしょうし、またその後では、その
あまりの忌まわしさの故に 完全に無視し 顔をそむけさえするでしょう。
大変な努力や、多額の献金も 断食の徹夜のお祈りも 全く効果がない
のはそのためです。神の業の実行において、私達はあまりにも
危険であるのです。

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