2009年11月4日水曜日

展開力

*異次元の力*
神は 人に命じられたことは総て、神自らがそれを実行されます。
これは最大の原則です。人は「神が私に命じられたのだから、
私がそれを実行するのだ」と勇み立ちますが、人には本来 
神の命令を実行する力は全くありません。

何故なら、今日神が、彼の業を実行される時、神は必ず「異次元の力」
だけを用いられるからです。異次元の力、それはキリストの復活の力
であり、復活のキリストです。それは全く異次元のものです。それを
人のどこを探しても 探し出すことなど不可能です。

神は これ以外のものを評価し、用いることは絶対にありません。
何故なら、それ以外のものを 神は総てあの木に釘付けてしまわれた
からです。「神の最大の思いが表明されたもの」それがあの十字架
ではなかったでしょうか。十字架とは「総ての否定」です!

そして、復活とは無制限のキリストです。その「キリストの無制限さ」
が今日、神が「人に要求する異次元の力」です。しかしながら、
私達のどこにそのような力がありましょう。

従って、その場合 
唯一つの 神の人に対する要求があることになります。
それは私達が死ぬことです。しかし、死ぬことが要求であるとは
不思議だと人は思うでしょう。「死ねば何も始まらない」と人の理性は
考えるからです。しかし、そここそがポイントです。(もしもあなたが
完全に死ぬならば、あなたは素晴らしい復活のキリストの業を拝する
ことになるからです。しかし、このことは後日に回すこととして・・)

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