2009年9月25日金曜日

配給事件とステパノ事件

エルサレムに出現したエクレシアに ある問題が発生した際、
十二使徒は言いました。(使徒の働き6章)
「私達が神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは
よくありません。・・・私達はその人たちを この仕事
(食卓のこと)に当たらせることにします。
そして私達は、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
(ステパノはその際、その食卓担当者として指名されました)

当然 これらのことばは聖霊に確証され聖書に記載された神のことばです。
そうであればこそ、このような言葉に接する時、私達はたやすく
権威主義を伴った画一的固定観念を築き上げてしまう可能性が
あるのではないでしょうか。

しかし神のことばは 単なる文字ではなく、一面エクレシアと共に 
ブドウの木の枝先端の 繊細なツルのように日々生き生きと成長して
行くべきものです。

従って神は「配給事件」の後、敢えて直ちに次の7節において
「こうして神のことばは、ますます成長し」とルカに記述させたのです。
(7節)

更にそれに留まらず 次の8節以後、聖書はあの有名な「ステパノ事件」を
直ちに見せているのです。そこにおいて神は 食卓の奉仕ではなく、
ステパノをして 極めて重要なみことばの奉仕に従事させたのです。

ここに確かに 絶対的にしゃくし定規でない聖霊の働きを見ます。
従って 神のことばを語る専門家などあろうはずがありません。

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