2009年9月2日水曜日

再生の必要

しかし堕落した霊としての人には体があり、人の堕落は人を肉的なもの
としました。創世記6の3において 神は「真に人は肉である」とさえ
言っておられます。「He indeed is flesh.」(ダービー訳)

この世の宗教も倫理も文化も法律も この堕落した霊を改善することは
出来ません。今や人は 堕落した肉となってしまったのですから、
何ものも再び人をして本来の霊にならせることは出来ません。

ですから人にとって再生、霊の再生は絶対的に必要なことです。
ご自身の血を流し、私達を罪から清め、私達に新しい命を与えられる
神の御子だけが、私達を神へと連れ戻すことが出来るのです。

罪人は主イエスを信じる時に再生されます。神は罪人に ご自身の命
(創造されたことのない命)を与え、罪人の霊を生かします。罪人の
再生は霊の中のことです。

神の総ての働きは、人の霊の中で始まり、中心から周辺へと至ります。
それは外側から内部へと働くサタンとは根本的に異なっています。


「ご自身の命(創造されたことの無かった命)」について:
それはヨハネ3の16で言う「永遠の命」です。ですから永遠の命とは
「エンドレスに続く命」にとどまらず「創造されることのなかった
神そのものの命」を言います。

永遠とは、決して今私達が慣れ親しんでいるこの時空のエンドレス状態
などではありません。時空はある目的の為に神によって創られた単なる
被造物の一体系であり「四隅を持つ」限定された世界に過ぎません。
「真正な」私が、即ち私達の内側にある再生された霊が 心から求めている
ものは ただ物質からなる そのような「矮小な世界」ではない筈です。

「永遠の命とは 単にエンドレスに今の命が続くだけであるならば、私は
そんな命は要らない」とある兄弟が言われたのは けだし名言です。


壁工事、結構楽しいものです。あさって、下山します。

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