2009年8月13日木曜日

感覚の生活(5)

信者が以上のように感じるとき、その行為も変わります。以前 彼は他人と
話しをするのが好きでした。しかし今は 以上の感覚の故に 彼は静かに
していることが可能です。

そして、彼は他の人が雑談をしているのを見るとき、心ひそかに「それは
良くない」と思います。以前 彼は或いは 軽薄な人であったかも
しれません。しかし今 彼には重みがあるのです。

彼は他の信者が、ある面で敬虔さが足らないのを見て、それを深刻に感じて
罪定めをします。信者がこのような経験を通るとき、彼の行動は確かに
慎重になるでしょう。

更に 彼は鋭い判断の感覚を持ち、他の人の欠点を見ることが出来ます。
他の人が自分のような経験がないのを見て 心ひそかに「気の毒に」と思い
ます。彼は自分自身の幸いな経験を最高であると思い、他の兄弟姉妹が
まだそれを知らないのを哀れに思います。彼は他の信者が主に仕えるのを
見ても「彼らの生活は感動を知らず、きっと退屈なものであろう」と
断定します。

彼は自分のような「神の幸福に満ちた生活」のみが真に最高の生活である
と思います。自分だけが高い山頂にいるのであり、他の人は低い谷間に
いるように感じるのです。

0 件のコメント: