2009年8月12日水曜日

感覚の生活(4)

彼は静まって一人になり、主と顔と顔を合わせることを愛します。出来る
ことなら、後ろの戸を閉じて常に主と交わっていたいのです。何故なら彼は
言い表すことが出来ないような幸いを経験するからです。

以前において 彼は人々の中での生活を楽しみました。そこに何か自分
の要求を満たすものを探していたのです。しかし今 彼は独りでいること
を好みます。彼が主の前で得る幸福は、人々から得られる幸福とは全く
比較にならないのです。

信者はこのように感じる時、なお一層、静まることを願います。何故なら
群集の中に出て行くなら、自分の幸福を失ってしまうかも知れないと
恐れるからです。

またそのような時、彼が主の為に働くことは非常に容易です。以前、彼は
他の人にあまり語る言葉がありませんでした。ところが今、心の内にある
燃える愛の火の故に、主について他の人に告げることは非常に楽しい
のです。語れば語るほど味わいがあります。

また、彼は喜んで主のために苦しもうと思います。何故なら主がとても
近くに感じられるからです。彼は主の為に自分が死ぬことを思ってさえ
喜びを覚えます。総ての重荷は軽くなり、総ての困難は容易になります。
これらは総て 彼の感覚の故です。(先人の言葉より)


キリスト者に対する
全編にわたる先人の一つの心の負担は、
「更に 高嶺があるのです。そして、
それへと至る明確な道しるべも。」
なのではないでしょうか。

0 件のコメント: