2009年8月7日金曜日

一つのことに気をつける(2)

キリスト者が本当に霊に従って歩もうとするのであれば 彼は事のほか、
愛情に気を配る必要があります。

私達の友人は何よりも 私達の愛情を動かします。その中でも、異性は
最も私達の感情を刺激するものです。男女は身体的にも心理的にも 
お互いに対して適合されるように造られています。従って男女には
生まれながら、多くの相違があります。それ故に それらの相違点が
互いに強く引き付け合う要素となります。
言うまでもなく これらの愛情は明らかに天然的であり魂的です。

人は異性に対する時 愛情が容易に生じやすいのは事実です。同性から
受ける刺激と異性から受ける刺激とでは 比較になりません。相互に
心理的要求があるので、異性に対しては同性よりも 先ずは 親しく
なりやすいと言えます。このような傾向は、普遍的、天然的で、自然な
ものです。ですから異性に対する愛情は 次にホンの小さな刺激で 
容易に燃え上がることになるのです。

以上のことは総て皆 極めて天然的 魂的な面の現象です。従って
信者が「真に霊に従って歩きたい」のであれば、彼はそれらのことに
相当の注意を払わざるを得ないはずです。

例えば、他の人を取り扱う際に、愛を示すべき場面において もし
私達がある方法で同性に接し、別の方法によって異性に接するとする
ならば、その時私達は 明らかに魂の命の支配下にあるのです。即ち
もし、私が異性であると言うことで、同性と全く同じ接し方が出来ない
のなら、それは完全に魂の命から来ています。要するに もし相手が
異性であるが故に、私がその人に何か不思議な引き付ける力を感じる
ならば、私の中で 生来の魂の命が私全体を支配する力として
強く働いていることを認めざるを得ないのです。

しかし、そのような愛情は「正当で立派な目的の中に」混入されている
場合が多いものです。そのような正当な思いのほかに「異性であるが
故の思い」が僅かでもそこに混合されているとするならば、私は霊の
支配下にいるとは言えません。私は決して霊的ではないのです。
(先人の言葉より)

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