2009年8月4日火曜日

「感じる」から「信じる」へ(1)

主はしばしばキリスト者に 非常に苦痛と思えることを体験させます。
それは信者が「自分自身のために」神を愛さないようになるためです。

信者が自分自身のために、自分の愛をもって 主を愛するとき 彼は主を
愛するために、主の愛を感じなければなりません。しかし信者が神の愛
をもって、神のために神を愛するとき、神は彼に神の愛を感じさせません。
かえって、神は信者が神の愛を信じることを願われます。

神は キリスト者の生活の初めにおいて、いつも多くの方法で信者を
引き付けて、神の愛を感じさせます。しかし、信者がこのことを経験
した後、神は彼を一層深い段階へと導かれます。

その際、神は彼にご自身の愛を感じさせません。かえって、神は信者が
神の愛を 信じることを願われます。キリスト者の生活の初期においては
主はいつも多くの方法で信者を引き付けて、神の愛を感じさせます。

信者がこのことを経験した後、神は彼を一層深い段階へと導かれます。
神は彼にご自身の愛を感じさせるのではなく、神はご自身の愛を信じさせる
という行程へと導かれるのです。私達は主の愛を「更により深く知る」
ことに注意を払う必要があります。これは更に前進することを願う
総ての信者が経験しなければならないとても大切な一歩です。

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