2009年8月2日日曜日

愛から生ずる実(み)

注目しなければならないのは二種類の愛です。
それは 私達の魂からの愛と私達の霊からの愛です。
魂の愛:私は真の意味では霊を知らず、その結果 霊を圧迫抑圧し、
私の魂が 私という存在の中心に位置して私を行動させ、その結果
私の魂は「自由に」私が愛したい人を「私の為に」愛します。
それは通常見る生まれながらの人の愛の姿です。

霊からの愛とは、聖霊が私の主となった結果 私から自然に表現
される愛です。それは聖霊の支配のもとにある私の霊が、魂の束縛から
解放され、更に霊が魂を支配するので 私の霊は私の感情を経由して
「神の為に」そして「神の中で」神と人を愛する、と先人は言います。
彼の言葉は続きます。

☆    ☆

この二つの愛の実、即ちこの二つの愛の結果を見るならば、二つの愛の
源を告げることが出来ます。もしもその愛が魂に属するなら、
そのような愛はキリスト者を永続的に世から離れさせる為に、信者を
助ける力はありません。彼は「この世の引き付けるもの」から離れる為に、
苦労し苦闘しなければなりません。

しかし、一方 愛が霊に属するものであれば、世の事柄は自然に
捨て去られます。この愛の故にです。信者はそれをいやしめ、
それらを憎むべきものと見なします。
彼はもはや「世を見る目」を持ちません。何故なら、神の栄光が
彼の肉の目を見えなくしたからです。

このような神を愛する経験の後、彼は自分を高く評価することは
ありません。むしろ、彼は自らを卑しめ、人の前に小さな者となった
かのように感じます。これが 霊的な神の愛を真に経験した信者が
経験するもう一つの実です。

2 件のコメント:

千葉のM さんのコメント...

『造られたもので、神の前で隠せおせるものは何一つなく、神に目には、すべてが裸であり、さらけだされています。』(ヘブル4:13)

そうです!すべては造られたもの、つまりモノです。心の中の思いも、その隠れた動機、目的も(感情、感覚、意志も)神からすればすべてモノである魂によって造られたのですから、それはモノです。だから神の御前にはされけだされているのです。

啓示とは、神が私たちを見るのと全く同じように、自分の中に隠れている思い、隠された本当の動機、目的を見ることです。
啓示とは、神が私たちに対して見ているものを、私本人がそれと同じものを見ることです。
それが神の光の照らしであり、啓示です。

私たちの内に隠された本当の思い、動機、目的はことごとく『私自身』『魂』に属するものであり、完全に腐敗しており、すべては肉なのでしょう。これは仕方のないことです。なぜならその思い、動機、目的はモノである魂によって造られたモノなのですから。

どうか神の光の照らし、啓示が私たちにありますように。そして私たちの魂と霊が分離され、その魂に属する自己を十字架に付けることができますように。

Mr.Sugar さんのコメント...

アーメン、兄弟、感謝です。