2009年8月2日日曜日

愛から生ずる実(み)2

☆    ☆

「総ての物事の対立」の究極的な姿を最も簡単に表現するならば、それは
「霊と物質の対立」と言うことになる、と私は常日頃考えております。
それは必ずどちらかが 他方を支配する結果となるでしょう。

さて人の魂は物質に属します。
創世記冒頭の「生き物」(人のことではありません)と訳された時の
「物」は原語では何と「魂」だと言います。即ちそれは 人の魂は物に
属すると言うことです。その為に 私達の魂が「物」から切り離される
ことは極めて困難なことです。それが、私達が物、時空、旧創造、
この世界を深く愛し、またそれに執着する理由です。

聖書にあるように、本来キリスト者の国籍は天にあり、私達は決してこの
世界の者ではありません。しかしながら私達は、まだ多分当分?この世に
留まらざるを得ないでしょう。それ故に
私の霊が「魂とこの世界」を支配するか、それとも「物と連なった
私の魂」が霊を無視し 霊を抑圧し続けるか、と言う事は 
私のこれからの歩みにとって大きな分かれ道とさえ
なってしまうでしょう。

神のことば(啓示)が私の霊と魂を切り離す力を発揮し、そして
十字架が 魂の命のエネルギーを実際的に弱くする力を
私達が神から日々いただかなければならない切実な理由がそこにも
あります。神のことばと十字架、それが魂の命を対処する神の方法です。

しかし今それに加え「この世と常に接触しなければならない私達」を
この世から切り離し、この世にありながら この世に属させない霊的な
力が「神を真に愛する所からも来る」と言う「知識」はこの度、私に
とって大きな驚きでありまた「福音」とさえなりました。

結論としてことばと十字架、そして更に愛が 私達をして
この世から分離させ、神の中へと至らしめる有力な力となるはずです。
私もこれから それらの力を本当に体験して行きたいものである
と願っております。

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