2009年7月24日金曜日

不思議な喜びに満たされています

*あるメールから*
私達はこのブログに今書かれていることの実際を歩み始めていると
思います。主だけを愛すること、主だけに向くこと…主に向けば主が
見えてくる。主はあまりに素晴らしいから。そして、主以外のものへの
愛は十字架を通って復活の領域で「主からの愛として」戻ってくることが
わかるから何も心配ないです。

「人への心」を置いて主に向く…これは日に何度も、その都度行って
います。人から主へ心の向きを変え、主の約束を思い、主の方法を
思い出す。その時々の心をそのまま主に注ぎ出し、願いを訴え、主が成して
下さることを信じて感謝し、委ね、任せる。その結果、不安、思い煩い、
恐れから、安息と幸いと豊かさ(これらは主そのものと思います)に
移されます。この一瞬の心の操作に十字架がありますね。

十字架の機会が多ければ多いほど、主が生きられる機会が多い。主の
邪魔をしているものを取り除きさえすれば、自動的に当たり前に主は生き
始めてくださいますね。そして、突然、信仰に満たされたのです。

約束の地、復活の領域に足を踏み入れた感じ。
今までとは全く違う領域が開かれてきています。「抜けた!」という
はっきりした違いです。あまりの素晴らしさに、嬉しくて興奮して
寝付けないほどでした。遥か遠くに仰ぎ見ていたものへの扉のすぐ近くに
来ていたのだと気付いています。日々、主ご自身が御霊を通して一歩一歩
教え導いてくださっています。

互いを比べて恐れたり 不満に思ったり 自分を測ったりすることが
激減しました、私さえも!皆がただ主を見、主を愛し、主の御旨が成る
ことを願うように変えられてきている。心が一つになってきている。
何とも嬉しいことです。

私の病気においても、主から与えられている御言葉をただ信じる
ところに導かれ、信じたらそのとおりになる、ということへの信仰が
与えられました。これからまだまだ生きられる…主が真実であること、
そして復活の領域の証をするために…、と言う信仰だけで、もうその
喜びは大変なものでした。生きられる という喜びはその一部に
すぎません。ただ御言葉は本当であるということが本当にわかった喜び
です。これ、本当にわかったら、私たちは冷静でなどいられるはずが
ありません。あまりにすごいことなのです。

どうやら、今回この病を通して主が私に与えてくださったレッスンが
終わりに近づいているのだと思います。
とにかく今、姉妹たちと共にワクワクしています。
これからあちこちで表れてくる証と実が大いに楽しみです。

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