2009年3月31日火曜日

あるメール交換から

今、ブログを読みました。
柄沢兄弟のこと、
読んでいて涙が止まりませんでした。
兄弟が、主を受け入れられた時、
心から主に祈るとき、主はそれを聞き届けて下さること、
主は生きておられ、私たちの声に応じてくださること、
みなとても感謝です。
必ず、柄沢兄弟のことを家族で祈ります。

実は私の夫も
まだ完全に主を受け入れていると言う訳ではないのです。
でも、主がその時を、今から準備されているのだと信じます。
人が救われること、それに勝る喜びはないのです。


感謝です。
ゼヒゼヒ、柄沢登兄弟の為にお祈り下さい。

佐倉、酒々井の交わりには、確かに今「主の生ける何か」が
流れているようです。その中の一人の姉妹が言われました:
状況はとても過酷なのですが、何故か私達の間に、人からではない
不思議な深い平安があるのです。いつも顔を見合わせる時、
必ず言うのです「この平安は一体何でしょう」と。

さて、登さんの為に祈る時、その祈りよって、
遠くにいる私達も、彼らの交わりそのものの中に、
今直ちに入りこむのではないでしょうか。
そしてその交わりは同時に、父なる神と
主イエスキリストとの交わりなのです。(Ⅰヨハネ1章)
この交わりこそが、エクレシア・教会の
実質、本質そのものに違いありません。

この尊いエクレシアの交わりが、
今苦しみの只中にある登兄弟の奥深い霊にも達し、
そこから神御自身の何ものかが、兄弟の中へと
確実に伝達されるに違いありません。

このエクレシアの真実な交わりを思うとき、
私達はただ、神を賛美するだけなのです。
なぜなら、それはみな
神御自身の真実から、だからです。

だから主よ、登兄弟を、そしてかれの肉体を
あなたの「その真実」の中にゆだねます。

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