その緊急で深刻な医師の判断のもと、半分パニックの中で
清子さんは正直に主に次の様に祈ったのだそうです。
「主よ、御心に従います。でもわがままを言わせてもらえるならば、
もうしばらく地上で、父と一緒にいる時間を与えて下さい。
私はまだ父と一緒にいたいのです」と・・
今日のレポートはその続きです。
「もうしばらく父と一緒にいたいのです。」
何と主は今、この清子さんの願いに忠実に
応えておられるようです。
*
しかし、病状が安定した後、病院で行われた検査の
結果は無情にも相当深刻なものでした。
先ずそれは、前立腺にガンが発見されたことであり、
また心臓がかなり弱っていたことでした。
しかし最も危機的なことは腎臓機能の低下です。父上の腎臓は今、
正常な腎臓の10パーセントの機能しかないそうで、絶対に
透析が必要な程なのだそうです。しかし御高齢の為に父上の体は
最早、透析等に耐えられる状態ではありません。
遂に医師達は次のような結論を下したそうです。それは・・
父上のお体は最早、いわゆる「枯れつつある」状態であり、
余命は残念ながら、あと2カ月ほどでしょう。従ってこの上は
お父様にとって一番幸せな状況の中で最期の時間を
過ごさせてあげて下さい、と。
一週間の散歩等の病院でのリハビリの後、正に今現在、お父様は
愛する娘の家、高山家で人生の「最期の」時間を過ごされて
おられるのです。
お父様は今、毎度の食事も、いつも「あり難いことだ」と言いながら
おいしく食べておられます。入院前と全く同じように、92歳の
このご老人は朝、目が覚められると、自分でちゃんとパジャマから
日常着に着替え、二階からしっかりと降りて来られます。そして
「ああ今日も生きている、感謝なことだ」と言われるのです。ある日
清子さんは「そうよ、お父さん、お父さんは神様に生かされている
のよ」と言われると、お父様は本当にしみじみと「そうだ、
そうだよねー」と言われたそうです。
そしてその後の日課の第一は天気さえよければ、清子さんと
散歩に行くことです。そのために朝起きてお父様が娘に最初に
する質問は「あなたの今日のスケジュールはどうなの?」なのだ
そうです。そして散歩をした上に、昨日などは娘の運転で何と
一時間半のドライヴにまで行かれたのだそうです。
清子さんが毎夜、万一の急変に備えて、お父様に添い寝をしつつ
つくずくと思うことは・・
「ああこの今の貴重な日々は、高山家にとって正に今でなければ
絶対にあり得なかったことだ、父のために今が丁度いい時期
であったのだ」と言うことだそうです。それは、
清子さんが御主人の会社の一員として忙しかった数ヶ月前であれば、
またあの御主人の入院等で大変な時期であったとするならば、
お父様との今の穏やかな日々など
到底不可能なことであった、と言うことです。
更に清子さんの言葉は続きます:
「余命二ヶ月と言う医師の判断を前にして今の父の様子を見る時、
こんなミスマッチは他にないと思うのです。今我が家にあるのは
安らぎと平和と感謝です。いかなる深刻さも憂いも全く無いのです。
父の人生の最期に、こんなふうに親孝行が出来るなんて
私は何と幸いな娘でしょう。
私は夫の時と同様、病院でも我が家でも、父を覆いに来られている
主を感じないではいられません。そしてキリスト者達にとって、死には
なんらのトゲも無いと信じます。これから必ず訪れるであろう
父にとっての本当の最後の時間に関しても、今私には何と「わくわく
するような、ある種の期待感」のようなものさえあると
言ったら不謹慎なのでしょうか。
主によって我が家の空っぽにされた器を今度は今、主は一つ一つ
こまごまと丁寧にそして丁度よく、祝福の油で満たしておられるのです。」
3 件のコメント:
1コリント 15:55 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
イヤー、こんなことって
本当にあるんですねー。
私が余命2ヶ月と言われたら・・。
今日、言われたら、やはり、死ねないなぁ。 子供と夫がいるから。
でも、92歳まで生きていて、神さんを信じていれば、そして、痛みや苦しみがなければ、わくわくと楽しみに待つのでしょうね。 自分の葬式にどの歌を歌ってもらうかを自ら選曲したりして。
死を前にして、こういった心の平安を与えてくれるのが、神さんなんですよね。 ありがたいことです。
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