山に戻って少しボオーッとしております。下界の疲れですかね。
でも今日あたりから何かやらないと、と思っております。
ダッチオーヴンの方は順調ですよ。これを始めてから摂取塩分は
ホンと劇的に減ったので、先回少し高かった血圧が次回の測定で
どうなっているか、とても楽しみなのです。
何と言っても健康にとって大事なのは食事と運動です。本当を言って
その必要は私のような高齢者が一番なのでしょう。若い人は特に
意識しなくとも普通の生活をしていれば、若さでおおむねカバー出来る
からです。ですから若い人は、私の若い時のように、筋肉強化運動を
あまりシャカリキにやることなどない、と今の私は考えているのです。
山暮しをしていると必要な運動量など自然にしっかり取れる
のではないか、と誤解されがちですが、そんなことは決してありません。
やはり意識的な筋肉運動は必要なのです。そこで今始めて見ようかなと
思っているのが昨今脚光をあびているスロートレーニングです。
これだと、怠け者の私でもやれるかも知れません。スロートレーニング
これは私にとってどうも大きな朗報となりそうなのです。
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最近特に思うのですが、キリスト者と言うのは基本的には「霊の存在」です。
ヨハネの福音に「その霊から生まれるものは霊である」とあります。
この後ろの方の霊と言うのは具体的に言うとキリスト者のことでしょう。
少なくともこの聖句は「キリスト者の本質」を表現していると思われます。
(にも関わらず、キリスト者は「霊」であるだけでなく更に
「霊的」になる必要があるのですが・・Ⅱコリント2章)
そして「本質的に霊であるキリスト者」は今この時代
「この世、この世界、時空」の中に遣わされているのだと思います。
(新約聖書に「遣わされる」は何と頻繁に出て来ることでしょう。)
そしてそれら「この世、この世界、この物質界」と直接に繋がっているのが
私の肉体と言うことになります。従って私は「この世に遣わされる」前に、
第一に先ず私の肉体の中に遣わされている、ことにならないでしょうか。
そのキリスト者の肉体を聖書では幕屋とも呼んでいます。従って
「霊であるキリスト者」は今しばしの間、この肉体と言う
幕屋の中に遣わされなければならないのです。
と言うことなので、自分の幕屋(今的には幕屋を「テント」と
言ってもいいのかも知れません。もしもそうであるならば私達は今
決して快適とは言えないテント生活の旅をしているわけです。)の
手入れや管理はとても大切であると言わなければなりません。
そうです、この時間・時空の中、つかの間のあいだの
私達の短い旅路を終える日までは。
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「ことばは肉となって、私達の間にテントを張られた。」ヨハネ1の14
「私がこのテントを脱ぎ捨てるのがまじかに迫っている。」Ⅱペテロ1の14
2 件のコメント:
スロートレーニングは、この間nhkのためしてがってんで知りました。これなら子供の頃から運動嫌いな自分にもできると思い、ここ数日トライ。いいてごたえを感じてるところです。
へーっそうですか、もぶぶさんも興味を
持たれたとは!
お互い励ましあって行きたいものですね。
それにしても若い人はうらやましい。
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